第6話
「今の、あなたがやったのね!」
うっかり声に出してしまった馨子に、友人たちの目が一斉に向けられた。
(しまった……つい……)
焦る馨子に、晶子が食いつくように尋ねた。
「馨子さん、もしかして何か見えたの?」
「あ、いえ……ごめんなさい! 何かいたように見えたのだけれど、気のせいだったみたい」
「でも、何かが見えたのね? もしかして、それが狐狗狸さんじゃない? どんな姿だったの?」
「一瞬でよくわからなかったわ」
「馨子さんに見えたということは、やっぱり狐狗狸さんはいるということなのかしら」
晶子が真剣に考え、他の三人は怯えたように身を寄せ合っている。占いに興味があることはともかく、『本物』が出現するのはやはり怖いのだろう。
「本当に私にそんな力はないのよ。きっと目の錯覚だわ。それより晶子さん、ちょっと御不浄をお借りしてもいいかしら?」
「それなら、廊下を右に進んで、曲がった先にあるわ」
「ありがとう」
(あなた、ちょっとこっちに来てちょうだい)
馨子は狐に目で合図を送ると、そそくさと晶子の部屋を出る。合図はちゃんと伝わったらしく、狐も馨子の後について来た。
普通の狐よりも若干小さくて、毛並みも瞳も綺麗な金色だ。ただの狐ではない証拠に、器用に二足歩行している。
これは狐のあやかし――妖狐である。
廊下の隅のほうへ移動すると、晶子たちには聞こえないように馨子は声を潜めた。
「蓋が揺れたのはあなたの悪戯でしょう?」
言葉が通じるかはわからない。
馨子の質問に、妖狐はまた人を食ったような笑みを浮かべた。そして次の瞬間、その姿は馨子より少し若い少年へと変化する。
マントを羽織った学生服姿で、少し変わっているのは髪が金色であることと、学帽の横から三角の獣耳が生えていることだ。
この妖狐、緋月と同様で、人に変化できるだけの妖力があるらしい。
「悪戯とは酷いな。狐狗狸さんと呼びかけたのはそっちだろう? 僕は君たちの期待に応えただけさ」
ちゃんと言葉も理解して話している。やや鼻につく話し方ではあるが。
「でも、みんなはあの結果が本物だと信じているのよ。あなた、本当に未来がわかるの?」
「さすがの僕も予知能力なんかないよ。占いなんてどうせいいかげんなものなんだから、素直に喜んでいればいいじゃないか。気分良くさせてあげたんだから、僕に感謝してほしいな」
開き直った物言いで、妖狐は肩をすくめた。三角の狐耳を付けた子供のくせに、いちいち言動がキザである。
日頃、馨子と関わりがあるあやかしは鬼堂院家の使役鬼だけなので、妖狐と話すのは新鮮だった。個性的で、自己主張が強い。ただ、こうして相対してもあまり妖気を感じないので、それほど高位のあやかしではないのだろう。
「君は、馨子だっけ。馨子はなんで僕が見えるの?」
「理由はわからないけど、少しだけ霊力があるみたい」
陰陽師の家系であることは伏せておいた。
本当は、あやかしというだけで、無暗に恐れたり疎んじたりしたくない。心根が良い者もいれば悪い者もいるのは、あやかしも人も同じだからだ。
けれど、あやかしとはあまり接触するなと緋月に言われている。馨子を心配するその気持ちもわかるので、なるべく深く関わらないでおきたかった。
そんな返事をどう受け取ったのか、妖狐は怪訝な顔で馨子を見つめる。
「ふーん、君には妙な気配を感じるんだけど」
「……そう?」
馨子がとぼけると、妖狐は「まあいいか」と興味をなくしたようだった。
「あなたは狐狗狸さんという名前なの?」
「それは得体の知れない占いに人間が勝手に付けた名前だろう。僕はただの通りすがりのあやかしとでも思ってくれ。たまたま縁あって呼ばれたみたいだけど、おかげで自由になれた。その点は君たちに感謝するよ」
(この妖狐、どこから来たのかしら?)
占いはいいかげんだけれど、馨子たちの呼びかけに応じたことは確かなようだ。今までは自由ではなかったような物言いだが、どういう素性なのだろうか。
「だったら、ただの通りすがりの狐さん。友達はあなたが見えていないし、いると知ったらきっと動揺すると思うの。部屋に戻っても私はあなたが見えていない振りをするけれど、気を悪くしないでね」
「君たちは僕を呼び出したかったんじゃないのか?」
「そうなんだけど……人の気持ちはいろいろと複雑なのよ」
妖狐は気分を害したのか、金色の瞳を細くした。その奥で、獣じみた瞳孔が縦になっている。
「呼び出して質問に答えろと言ったり、いない振りをしろと言ったり。人間というのは身勝手で強欲な生き物だな。いつだって良いとこ取りをしたがるんだ」
「あなたの言う通りね。ごめんなさい。だけど、決してあやかしをからかいたかったわけじゃないの。人は不思議なものを恐れるけれど、惹かれてもいるのよ」
妖狐の言う通りだと思うので、馨子は素直に謝罪した。
頭を下げる馨子に、妖狐は少し驚いたように目を丸くする。そして、クツクツとおかしそうに忍び笑いを漏らした。
「君は面白い子だね、馨子。人間と話すのは久しぶりで、結構楽しかったよ」
その言い方が妙に年季を感じさせる。外見は馨子よりも若いが、あやかしの年齢は見た目とは関係ない。
「占いにはもう飽きちゃった。僕は帰るから、後は君たちで勝手にやってくれ」
そう言うと、妖狐の体は見えなくなった。
家の中なのにふわりと緑の香りがする風が吹き抜け、馨子の長い髪が揺れる。
「またね、馨子」
最後に、独り言のような妖狐の声が聞こえた。
またね、とはどういう意図で言ったのだろう。
特に意味のない挨拶かもしれないが、なぜか少しだけ引っかかった。
部屋に戻ると、狐狗狸さんの道具は既に片づけられていた。
「最後はなんだか腑に落ちない結果だったけど、占いなんて所詮は子供だましの遊戯だもの。考えても仕方がないことは考えないことにしているの」
移り気な晶子は、もう狐狗狸さんに興味をなくしたようだ。
他の三人も、占いの良い結果だけを信じて、それ以外は考えないことにするらしい。妖狐の悪戯をどう取り繕うか悩んでいた馨子はほっとした。
(通りすがりの妖狐……帰ると言っていたけれど、どこに行ったのかしら)
もうどこにも妖狐の気配を感じない。あやかしは気まぐれで自由な存在なので、心配することはないだろうけれど。
またね、馨子――
妖狐の明るい声が、馨子にはなぜか少しだけ気味悪くも感じたのだった。
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