第5話

 登下校に限らず、馨子の外出は緋月が送迎するのが習慣となっている。

 その日も晶子の家まで送ってもらったが、いつものように他愛ないおしゃべりをしながらお茶会をすると思われているはずだ。緋月の前では、狐狗狸さんの『こ』の字も馨子は口に出さなかった。


 東川男爵邸は、帝都の中でも有数のお屋敷町に建つ豪邸だ。

 和と洋が絶妙に入り混じったモダンな二階建てで、外国の建築士が設計したものらしい。鬼堂院家もそれなりに広いが純和風の平屋なので、馨子は晶子の家が羨ましい。晶子が一人で使っている部屋にしても、まるで外国の物語に出て来るお城のようだ。


 晶子の家には、馨子の他にも三人の少女が招かれていた。秋月琴乃、島田華代、皆本春江。みんな桜岡女学校に通う同い年の友人である。

 用意がいい晶子は、既に狐狗狸さんの道具も作っていた。華やかな洋風の部屋に不似合いな米櫃の蓋を、五人の少女たちが真剣な表情で取り囲む。


「私はいつお嫁に行くのか、教えていただきたくて」

「婚約者との相性が知りたいわ」

「気になっている殿方がいるの」


 全員が恋愛相談だったことに馨子は呆れたが、年頃の娘の悩みなどだいたいそんな感じである。昨今、職業婦人などという言葉もあるが、今も大多数の女性は、とりわけ良家の令嬢は結婚に関心があるのだろう。


「馨子さんは、何を占ってもらうの?」

「私は……特にないけれど、思いついたら話すわ」


 春江に聞かれて、馨子は笑ってごまかした。


(恋の悩みか……)


 自分について考えると、どうしても緋月のことが浮かぶ。

 緋月のことが好きだ。

 けれどそれは、本当に恋なのだろうか。

 恋だとしたら、成就する可能性はあるのだろうか。

 自分がどうしたいのか、なにを知りたいのか、馨子にもよくわからないのだ。


「馨子さん、緋月さんに恋人はいらっしゃるの?」


 唐突に晶子に尋ねられて、馨子は心臓が止まるかと思った。

 晶子はどうしても、馨子が緋月に恋をしていることにしたいらしい。実際そうかもしれなくて悩んでいるが、晶子に知られたら強引に背中を押されそうで恐ろしい。やはり、口が裂けても相談はできない。


「知らないわ。……たぶんいないと思うけれど」


 関心がない振りをして馨子は答える。

 朝から晩まで馨子に張り付いている緋月には、恋人と会う時間などないと思う。

 あやかしの恋愛事情については知らないが、緋月の場合はほぼ人として生活しているのだから、人間の女性と付き合ってもおかしくはない。結婚までいかなくても、自由恋愛を楽しむことだってあるかもしれない。


(恋人はいないと思い込んでいたけれど、本当のところはどうなのかしら……)


 あれだけ美男子なのだから、普通は周りが放っておかない。緋月が他の女性と一緒にいるところを想像すると、馨子は激しく落ち込んだ。


「では、緋月さんに好きな人がいるのかどうか、狐狗狸さんに聞いてみましょうよ」

「結構よ! そんなことより、晶子さんは何が知りたいの?」

「私も特にないけれど、強いて言うなら我が社の株価の推移かしら」

「…………そうだったの」


 肩透かしを食らった気分である。

 あれだけ占いに乗り気だったので、てっきり晶子も恋愛に関する占いをするのだと思っていた。彼女は純粋に好奇心だけで行動しているようだ。


 そんなやり取りを経て、狐狗狸さんは厳かに始まった。

 みんな神妙な面持ちで、米櫃の蓋を囲みそこに手を載せる。事情を知らない者から見れば、とても滑稽な光景に違いない。


 まずは琴乃が尋ねた。


「狐狗狸さん、教えてくださいませ。私にはいつ縁談が来るのでしょうか?」


 蓋は動かなかった。

 もう一度同じ質問を繰り返したが、やはり蓋は動かない。


「琴乃さん、もう少し具体的な質問でなければ、狐狗狸さんは答えられないんじゃないかしら。年齢を区切ってみるとか」


 晶子が横から助言する。

 確かに、狐狗狸さんは『はい』または『いいえ』でしか答えてくれない。


「私は今、十六ですが、十七になる前に結婚が決まりますか?」


 蓋は動かない。


「十八になる頃には縁談が訪れますか?」


 やはり動かない。


「十九では?」


 ぴくりとも動かない。


「では、二十歳?」


 琴乃の声に焦りが感じられたが、それでも蓋は傾くことはなかった。


 馨子に言わせれば当然である。ここには霊もあやかしも一切いない。たとえいたとしても、都合よくそんな質問に答えてはくれないだろう。

 その事実を知る由もない琴乃は、しくしくと泣き出した。


「ああ、私は一生独身ということなのね! 行かず後家とばかにされて、ひとり寂しく孤独に死んでいくんだわ!」

「こ、琴乃さん落ち着いて! これはただの占いだから! 当たるも八卦当たらぬも八卦というじゃない!」


 馨子は思わずそう口走り、必死に琴乃を宥め始めた。

 占いの結果というのは、気持ちに大きく影響することもある。期待が大きければ余計にそうだ。多感な年頃の少女には、特に影響しやすいだろう。


(困ったわ。いっそのこと、私が気付かれないように蓋を動かそうかしら……)


 馨子が考えを巡らせていた、その時だ。


「見て! 蓋が動いているわ!」


 華代が叫んだ。見れば、本当に蓋がこっくりこっくりと動いている。


「狐狗狸さんがいらっしゃったわ!」

「つまり、私はちゃんと二十歳でお嫁に行けるということね?」

「凄いわ、噂は本当だったのね!」

「次は私の番よ!」


 馨子を除く少女たちは大いに盛り上がっている。

 琴乃の次に華代、春江と続き、二人の問いかけに対しても蓋は揺れた。みんな喜んでいるが、馨子だけがこの現象を目の当たりにして冷静だった。


(そういえば、無意識に誰かの手が動いてしまうのだと、高名な学者が狐狗狸さんの原理をそう説明していたわ)


 それでも、友人たちが無邪気に喜ぶ姿を見て、水を差すのは気が引ける。このことは黙っているほうがいい。占いというのは、前向きな気持ちになれることが肝心なのだ。

 そして、晶子の番になった。


「狐狗狸さん、お父様の事業は今後も安泰でしょうか?」


 晶子がそう尋ねるが、どういうわけか今度は蓋が動かなかった。同じ質問を三度繰り返したが、結果は同じである。


「狐狗狸さん、それでは、事業は上手くいかないということですか?」


 晶子は思い切ったように、今度は逆の質問をする。


 すると――

 蓋は揺れるどころか、いきなりポーンと弾け飛んだ。それは天井にぶつかると、床に落下してカラカラと音を立てて回った。

 あまりに不自然な動きに、一同はポカンと蓋を見つめる。


「今のはどういう意味なのかしら。肯定なのか否定なのか……」


 晶子が首をひねったが、あり得ない蓋の動きにめずらしく動揺して見えた。

 他の三人の少女たちも、目を見開いて驚愕している。


(今、何かが動いたような……)


 気配を感じて馨子がそちらに目をやると、蓋を支えていた細竹に、一匹の小さな狐がまとわりついている。

 狐は馨子と目が合うと驚いたように瞠目したが、すぐにニヤリと笑った。

 狐が笑った。おまけに、この狐に気づいているのは馨子だけらしい。

 つまり、これはあやかしである。


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