第3話

 父に用事を頼まれているので、少し寄り道をしたいという緋月に付き合って、馨子は銀座に降り立った。

 帝都の中心地で、いつも人通りが多く、賑やかで華やかな場所である。大きな通りには馬車や自動車が行き交い、色鮮やかなショウウィンドゥの前を洋装の貴婦人たちが颯爽と歩いていく。


 そんな空気に浮かれているうちに、馨子はなぜかお気に入りのフルーツパーラーでテーブルについていた。目の前には、アイスクリームやパフェやケーキの皿がいくつも並んでいる。どれも形が愛らしくて、美味しそうだ。

 馨子はごくりと喉を鳴らした。


「緋月、これは何なの?」

「洋菓子です」

「知っているわよ。お父様のお使いで、お茶菓子を買って帰るんじゃなかったの?」


 持ち帰りで焼き菓子を買う間、二階の喫茶室のほうで紅茶を飲んで待っているよう言われたのだが、緋月が勝手に大量の洋菓子を注文していた。それも、馨子の好きな物ばかり。


 テーブルを挟んで座り、緋月は珈琲コーヒーを飲んでいた。鬼のくせに、西洋の文化にすっかり馴染んでいる。


「ついでですから。馨子様、洋菓子は好物でしょう?」

「そうだけど、おやつにしては量が多すぎない? ……太るわ」

「馨子様は育ちざかりですから問題ありません。それに、もし太ったとしても、あなたの可愛らしさは微塵も変わりませんよ」

「変わるわよ。女学校には可愛い方がたくさんいらっしゃるの。私ももっと美容に気をつけないと」

「馨子様はこの世で一番可愛いらしい方です。あなたにくらべれば、他の女学生など雑魚に過ぎません。どうぞお気になさらず」

「そこまで言われると白けるわ」

「馨子様はお綺麗です。愛らしくて、可憐で、少しお転婆ですがそれもまた愛嬌がある。私にとって大切な、自慢の主人です。自信をお持ちください」

「…………わかったわよ。いただきます」


 怒涛の誉め言葉に流されて、馨子は両手を合わせた。緋月は親馬鹿ならぬ従者馬鹿なので、基本的に馨子には甘い。こんな言葉で気を良くするなんて我ながら単純だ。

 アイスクリームを一匙口に入れると、当然のことながらたまらなく美味だった。和菓子のあんみつや大福も好きだが、やっぱり洋菓子の華やかさがいい。


(でも、育ち盛りってなんなのよ)


 アイスクリームを平らげてエクレアに手を伸ばした時、ふたたび緋月の言葉を思い出してムッとした。

 気遣いの無さは鬼だからなのだろうか?

 可愛いと言われて嬉しくはある。お世辞ではなく、緋月が本気でそう思っていることもわかるけれど、どうせ身内に対しての欲目だ。

 だいたい、そう言う緋月のほうが美しいのも癪に障る。


(あ~、モヤモヤする! でもエクレアが美味しいから、なんかもうどうでも良いわ) 


 いつの間にか、馨子は満面の笑顔になっていた。

 甘い言葉やお菓子で機嫌が直る自分の単純さが恨めしい。緋月は本当に馨子の性格を熟知している。


「馨子様、お口の脇にチョコレートが付いていますよ」

「え?」


 ふいに緋月の手が伸びてきて、馨子の口の端に触れる。チョコレートを拭った指先を緋月がぺろりと舐めるのを見て、馨子の顔は真っ赤になった。


「あ、緋月! 校門の前でもそうだけど、人前でそういうことしないで!」


 声を潜めて抗議をする。

 店に入った時から、店内の女性客や店員の視線は緋月に釘付けだったのだ。今の行動も当然見られていたわけで、馨子はいたたまれない。

 けれど、元凶の緋月はと言えば、まったく気にする様子がない。


「馨子様の身の回りのお世話は私の仕事ですから」

「私はもう子供じゃないのよ! この年で殿方にそんなことをされたら、周りから何と思われるか……」

「私はあやかしですから、人の基準には当てはまらないでしょう」

「都合が悪くなるとあやかしを主張するんだから……あなた、他の人からは普通の人に見えているってこと、それも相当目立っていることを忘れないでよね」


 怒りながらも食べる手を止めない馨子を見つめ、緋月が楽しげに目を細める。


「良かった。少しは元気になられたようですね」


 その笑顔で、馨子はようやく気が付いた。

 緋月は、馨子の気持ちが塞いでいることを見抜いていたのだ。父の使いというのはたぶん方便で、フルーツパーラーへ寄ったのは最初から馨子を元気づけることが目的だったのだろう。


「私、そんなに落ち込んでいるように見えた?」

「やはり落ち込んでいらしたんですか? いつもなら、私が相槌を挟む隙がないくらい、後部座席から絶え間なく話しかけられるのが、今日は一言もありませんでしたからね」

「私、そんなにおしゃべりかしら」

「そんなにおしゃべりですよ。ですが、あなたの話を聞くのが私は好きです」


 緋月は優雅な手つきで、珈琲が入ったカップを口に運んだ。


 洋菓子よりも甘い痛みが、馨子の胸にじんわりと広がる。

 子供扱いするところと、時々口うるさくお説教するところは気に入らない。だけど、緋月は誰よりも馨子を一番に考えてくれる。

 出会った時から、ずっとそうなのだ。

 たとえ彼にとって馨子は主人であり身内に過ぎないとしても、それでもやっぱり緋月と一緒にいられることは嬉しい。


「……で、学校で落ち込むようなことがあったんですか?」


 急に、緋月の声にはひやりとする響きが混じる。


「誰かにいじめられたら、隠さずに言ってくださいね。相手が格上華族の令嬢だろうと教師だろうと、私が速やかに片づけます」

「物騒なことを言わないで。あなたが言うと冗談に聞こえないのよ」

「もちろん本気です」

「何もないわ! そんなんじゃないから、心配しないで」


 馨子は慌てて緋月の想像を否定する。

 幼い頃、馨子をいじめた近所のガキ大将が、三日間も近所の裏山で遭難したという事件があった。発見されたとき、ガキ大将は命に別状はなかったもののやつれ果てていて、化け物に追いかけられたと泣き叫んでいたという。緋月の仕業だったのである。


 使役鬼は命令がなくても主人を守るものだが、緋月は特に容赦がない。馨子に少しでも危害が加えられると、その倍以上の報復をする。だから、馨子も滅多なことは言えないのだ。


「女性にはいろいろあるのよ。殿方には言えない繊細な悩みがね」

「そういうものですか」

「何を笑っているのよ、緋月」

「いえ、馨子様も成長されたと思いまして。感慨に耽っているだけです」


(また子供扱いして……)


 膨れてみせたが、そんな反応も緋月は嬉しそうである。

 怒るのもばかばかしくなって、馨子も一緒になって笑った。

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