捻じ曲げられた恋情
14.呪い
ナスタチウムはある女性に思いを寄せていた。
控えめに笑う彼女は、ルピナスといった。
城で使用人として働く彼女と出会ったのは、ひょんなことがきっかけだった。
ある時ブクリエの訓練場で一人弓の稽古をしていたナスタチウムが、ひと際強く吹いた風に乗って地に落ちた絹のハンカチを拾った。風向きとそのハンカチの上質な生地から、城から飛んできたのだろうと推測したナスタチウムはすぐにそれを城へ届けに向かった。
そんなナスタチウムの前に、ハンカチが飛ばされたことに気づいた使用人のルピナスが慌てた様子で現れた。手渡す際にはもう彼女に惹かれ始めていたのだろう。ナスタチウムが名と聞くと、彼女は「ルピナスです」と恥ずかしそうに俯きながら答えた。
城の使用人が住まわされているグランシャリオ城の一角とブクリエは距離が近く、騎士との交流はそれまでもよく見かけていた。
しかし子どもの頃から変わらずブクリエの中で毎日訓練に勤しんでいるのに、これまで使用人の女性との交流がなかったナスタチウムにとって、ルピナスとの出会いは運命のように思えた。
使用人のどの女性よりも美しく、優しくて慎ましやかなルピナス。そんな彼女を誰もが不気味がる理由は、長く伸ばされた綺麗な髪が、老婆のように白髪だったことだった。
「聞いてもいいか、どうして君の髪が白く染まっているのか」
今ではピクニックや散策など、何度か逢瀬を重ねた二人は踏み込んだ話をするような仲になっていた。
ルピナスも躊躇いはある様子だったものの、信頼を置く他でもないナスタチウムにはその理由を明かすことに決めた。
「信じてもらえないかもしれないけど、小さい頃に呪いを受けているの」
「呪い?」
問い返す彼の声音は、彼女を不審に思う心からではなく、呪いを持つ彼女を労わるような優しさが込められていた。そのことがルピナスにも伝わったのか、彼女は嬉しそうに続けた。
「ええ。あまりにも幼かったからはっきりとは覚えていないのだけれど、呪いってことだけははっきり覚えているの」
「呪いを解く方法はあるのか」
真剣な眼差しを向けられ、ルピナスは顔を赤らめて下を向いた。
「何か言われた記憶はあるわ。でも覚えていなくって…」
「呪いを解く手伝いがしたい。だけど…もしも呪いが解けなくても、俺は生涯君のことを愛するよ」
「そんな熱っぽく見つめないで、恥ずかしいわナスタチウム」
純粋に互いを愛し合う若き恋人は軽い口づけを交わし、唇が離れ視線が交わると甘酸っぱくはにかんだ。
ある日、洗濯を任されたルピナスは、一人水を張った樽に洗濯物を浸け洗いながらぼうっと自身にかけられた呪いについて考えていた。
その時の記憶だけが抜き取られたように思い出せない。でも確かに、呪いが解けることは自分にとって髪色を失う以上に辛いことが待っているという予感だけがあった。
ルピナスはこのまま呪いが解けずとも、髪色を含めてありのままの自分を愛してくれるナスタチウムに生涯添い遂げたいと考えていた。
しかしそんなルピナスのささやかな願いさえも、彼女にかかった呪いは許さなかった。
「難しい顔をして、せっかくの美人が台無しだよ」
誰もいなかったはずのリネン室に、ラシーヌ王子の姿があった。
「ラ、ラシーヌ様。王子であられる貴方様がこんな汚れた場所にいらしたということは、私がラシーヌ様に何か無礼を働いてしまいましたでしょうか…?」
「いや、ただ城の中を気ままに散歩したい気分になってね。君の方こそ悩みごとかい?」
腕組みをし、壁にもたれかかる彼は使用人と世間話を終えるまで部屋を出て行くつもりはないらしい。仕方なく、恐る恐る呪いの話を打ち明けてみる。
「ああ、それのことか。その呪いには助けられたよ」
「ど、どういう意味でしょうか」
心細さにルピナスは自身の髪に触れた。その髪色を見て、ラシーヌはふっと笑みを浮かべた。
「その呪い――髪色はね、私が君をみつけられるようにするためにつけられた目印なのさ」
鼻で笑うラシーヌの言葉を理解出来ない。
この方と呪いに一体何の関係があるのだろうか。
後ろ手に鍵を閉めたラシーヌは、ルピナスを部屋の隅に追い詰め壁に手をつく。
「いいか、二度は言わないからよく聞きなさい。君がキクロスという男と結婚しなければ、君の愛するナスタチウムを殺す」
ラシーヌがそう告げた途端、ルピナスの髪色は元に戻っていった。幼い頃友人や同郷の村人によく褒められた温かみのある栗色の髪色に。
『呪いが解けることが終わりじゃない』
視界が歪むような激しい頭痛に、思わず頭を抱える。
『君が誰を愛そうと、結ばれる相手はこの私によって決められている。足掻こうとすればするほど、君の真に愛する者に死が迫るだろう。君に罪はない…けれど、私の為にどうか君の愛を貸しておくれ』
呪いを受けた時告げられた言葉。忘れていた残酷なお告げを今はっきりと思い出し、涙が溢れた。
「おや、泣かせるつもりはなかったんだけどね」
王子が王子であるということも忘れ、ラシーヌを思い切り突き飛ばした。勢いのまま樽もひっくり返して、中の汚れ濁った水が彼女の怒りを表した溶岩のようにリネン室の床を侵食していく。積んでいた洗い立てのタオルも投げつけて、精一杯の牽制をする。
荒い呼吸を繰り返しながらルピナスはしゃくりあげながら問い質した。
「あなたが、私に呪いをかけた魔法使いなのッ?」
「…魔法が使えたなら、今頃父上と君の言う魔法使いをとっくに殺しているさ」
「…?」
その言葉の意味を理解出来ないまま、視線の合ったラシーヌに身が竦む。
感情の灯っていない冷ややかな瞳に恐怖を覚え、声が掠れて上手く叫ぶことが出来ない。
「言い忘れていたが、このことを誰かに話してはいけないよ。それから呪いが解けた理由についても。話した場合、ナスタチウムの命はないと思え」
ナスタチウムとの優しく愛に満ちた日々に靄がかかって、次第にそれは手が届かないほど遠のき見えなくなっていく。
「すまないね」
視線を逸らす時、少しだけ表情が垣間見えた気がしたけれど、王子はそのまま振り返ることなくリネン室を後にした。
人の心はこんなにも簡単に踏みにじられるのかと、ルピナスは一人リネン室で顔を覆い声をあげて泣いた。
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