12.親友
「ここに招いている時点で、君をキメラにするつもりはないから安心したまえ。それにこの計画は形の上では神への信仰を広めるために必要不可欠なものとして、詳細は伏せているが国王である父上の承認を既に得ている。君の中に根付く騎士精神に沿った、国民のための計画に過ぎないのだよ」
地下室を出てラシーヌの自室に戻って来ると、何かの暗示にでもかかったように一点を見つめるナスタチウムの肩に手を置き軽く二度ほど叩く。
「まあ、検討してくれ。その気になったら、キクロスを私の前に連れて来なさい」
ブクリエの自室に戻って来た時にはもううっすらと辺りが明るくなってきていた。朝の訓練に差し支えるといけないので少しでも体を休めようとベッドに横になったナスタチウムは、瞼を閉じ先程の悪夢のような時間を思い起こす。
ラシーヌ様は計画に乗らずとも今日のことを口外しなければ今まで通りの生活を送らせてくれると約束してくれた。どこまで彼を信用出来るかはわからないが、交渉の表面上ではどんな選択をしても俺が損をすることはないことになる。誘いを断った途端口封じのために、既に彼の仲間であるジョンキーユあたりに毒を盛られるかもしれないが。
難しい問題に思考を巡らしていると、そのままうつらうつらし始めた。夢とも過去の情景とも取れない幼少期の思い出が蘇る。
『音楽を知らない…だって?。耳を聾した者以外でそんな人間に会ったのは初めてだよ。いいかい、今から僕が歌ってあげるよ』
『ナスタチウム、魚を釣る時はこうするんだ』
『「僕といてもつまらない」だって?、そんなことはないさ。ナスタチウムといると楽しいことばかりだよ』
『遊びに行こうナスタチウム』
思えば、キクロスには自分の知らない世界を見せてもらってばかりだった。
夢の中では、幼い自分たちが楽し気に笑い合っている。
幼い頃から剣技しか知らなかった俺に、キクロスは世界の美しさを説き、読書や歌、踊りといった娯楽も教授してくれた。それが俺にとってどれだけの刺激になったかわからない。まだ見ぬものへの好奇心、歌や音楽に包まれる高揚感、旅人の聞かせてくれる話の全てが刺激的で、俺はその全てにいつも頬を紅潮させていた。
物心つくどころか、自力で立てるようになった頃には既に剣技を教え込まれていたほどだ。もしもキクロスと出会っていなければ、俺は感情を失い剣技だけが研磨された殺戮人間になっていたかもしれない。物知りで一緒にいて楽しいキクロスに負けまいと、俺は人間らしい心を持って稽古に励むことが出来た。何を考えているかわからない父上に応えようと必死になりながらも、キクロスといることで夢を追う楽しさを失わずに前へ進むことが出来た。
最近俺はあいつに嫉妬するばかりで、自分のしてきた努力を信じてやらなかった。遊んでばかりいて何でも難なくこなしてしまうあいつと、剣技だけを磨き上げて来た俺の何を比べていたんだ。
キクロスは元々器用で、海のように自由で、それが魅力の男だっただろう。あいつと俺では根本的な何かが違っているのだ。全く違う物を同じ尺度で見て比べていれば、辛くなるのも当たり前だ。あいつはあいつ、俺は俺で目指す場所が違う。その時点で、あいつと張り合うことは無意味。嫉妬する必要なんてなかったんだ。
何よりも、キクロスは俺にとってたった一人の大切な友人だろう。先程まであんなに恐ろしいことを考えていた自分に嫌悪感を覚えた。
謁見が許され次第、例の話は断りに行こう。
子どもの頃のようなどこか穏やかな心地で眠りにつくナスタチウムに、これから彼の身を襲う絶望を知る由はなかった。
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