6.忍び寄る悪意
隣に座る審査官に声をかけられ、ナスタチウムは追想から現実に引き戻される。
「こいつはサブルールの点数が低すぎる。合格には出来ない」
「ですがアルシェと面接で十分補える点数かと…」
「情けで入団させたところで、実践で命を落とすだけだ。入団希望者も国民の一人、彼らの将来を守るのも我々騎士の務めじゃないのかエギュ」
「…そうですね、力は後で補えるからと不用意に入団させれば、補えなかった時に彼に訪れるのは残酷な死という現実」
考え込むエギュは答えを出したのか、手に持っていた書類にバツ印を書き込んだ。
「僕の考えが浅はかでした。この者は不合格にしましょう」
今期の入団希望者も不作だ。
騎士誕生からもう十年は経つ。年々、騎士の在り方、その名誉と誇り、使命について理解できていない若者が多くなってきた印象がある。
ただただ持て余した鬱憤を武力を以て他人にぶつけたいと考える愚か者、家庭を養うために給料のいい騎士になろうと必死に足掻く者。とにかく入団希望者の、騎士としての意識の低さが垣間見られた。
審査官の仕事を終え、ブクリエの寮に戻る。異なる寮であってもほとんどの時間を同じことをして過ごす養成期の若手騎士とは違い、実践を積んできた騎士はその日一日のスケジュールが寮ごとに異なる。
四番隊所属のナスタチウムは談話室のシックなソファに横になり天井を見つめた。
こうなったのも全部キクロス《あいつ》のせいだ。
「ボンジュール、隊長。ご機嫌は…おやおや、斜めのようですねぇ」
「うるさい、ジョンキーユ。報告をしろ」
「本日もつつがなく平和な一日を終了しました」
「もっと細かく報告しろといつも言っているだろう…」
ジョンキーユと呼ばれた男は四番隊の副隊長である。ナスタチウムの四つ年下の若い騎士だが、入団したのがナスタチウムよりも早くどちらが先輩と言うことが難しい関係であった。
ジョンキーユはかなりのやり手で、技術もさることながら実戦では剣を振るわずとも敵を落とすことで有名な男だった。いつも無害そうな胡散臭い笑顔を張りつけているが、社交的な性格なせいかそれなりに部下から慕われていた。
四番隊では力のある者に尊敬を抱きその者の背中を見て成長しようとする習慣が昔からあるせいか、今ではすっかり無口になってしまったナスタチウムにも慕ってくれる部下は大勢いた。
「ああ、またやっていますね」
ジョンキーユの視線を辿って窓の外を見やれば、対角線上にある二番隊の寮の窓枠にキクロスが腰かけているのが見えた。窓の外に足を放り出して、部屋の中にいる騎士と窓際でチェスをしているようだった。
二番隊もかつては厳格だったと聞くが、キクロスが配属されてからは彼に絆されてしまったらしい。今ではお花畑もいいところだ。だけど
「我々もあんな風に遊んでいれば上の隊に行けるんでしょうかねぇ」
二番隊は四番隊よりも格上だ。
あんなに真面目に努力してきた俺が、今キクロスに負けている。それどころか間に三番隊が入ってしまうほどに、あいつとの力量の差が出来てしまった。
入団した頃は変わらなかった実力も、本格的な訓練を重ねていくうちにいつも俺の前にはキクロスが立ちはだかるようになった。
「……目障りだな」
そんな言葉が口からついて出た自分に少々驚く。それに気がつき視線だけよこしたジョンキーユは口元をにやりと歪めた。
「男の嫉妬というのは醜いものですね」
「お前の本性を明るみにすれば、騎士の立場を追われるだろうな」
「おお怖い。それは遠慮したいですね」
心に闇を生んだナスタチウムと本性を隠すジョンキーユは、不本意ながら馬が合い暇な時間をこうして共に過ごしていることが多かった。
初めこそ、ただ隊長と副隊長という関係上話す機会が他の者より多かっただけの二人だったが、今ではお互いに気兼ねなく話せる相手でもあった。
「キクロス殿はご自由ですね。とても騎士らしいとは言い難い。それなのに他騎士から大いに好かれていらっしゃる」
「あいつは昔からああいう奴だ。人たらしなんだよ」
目を逸らしソファから身を起こし立ち上がるナスタチウムを、可笑しそうに目で追いながらジョンキーユは小さく笑った。
「週末お時間ありますか?」
「ないこともないが、何だ。含みのある言い方は嫌いだ、要件をはっきり言え」
苛立っていることを全く隠さず振り返るナスタチウムに対して、彼は窓の外を見つめたままブロンドの髪の先をいじっている。
「ここではお話しできかねますが、隊長にとって悪くないお話かと。気が向きましたら、どうぞお一人で私の部屋へいらしてください」
「…わかった」
そう答えて談話室から甲冑の並ぶ廊下に出たナスタチウムはすぐさま部下に囲まれ、稽古をつけてほしいとせがまれた。談話室に未だ残るジョンキーユも誘われたが、眉をハの字にしてさも残念そうに断った。
「これから大事な用がありまして、すみませんが。よければまた誘ってくださいますか」
彼を誘った騎士が見えなくなると、閑散とした談話室で一人口の端を上げた。
ジョンキーユは多くの騎士が訓練に勤しむ時間帯を狙い、人目につかない道を選んで寮を抜け出す。ブクリエから少し歩くと王族の住むグランシャリオ城が聳え立っている。
ジョンキーユは隠された裏口にそっと身を隠すように足を踏み入れ、城の中へと姿を消した。後ろ手で扉を閉めると、壁にかかった松明を手に取る。そのまま石の階段を上り、階上へと進めば眼前に無骨な石造りの壁が立ちはだかった。この冷ややかな石壁を前にしてそれが戸だと知ることが出来るのは、ここへ来ることを許されている彼だけだろう。戸とは言い難いそれを拳で、他人が聞いたら不規則に聞こえるリズムで叩くと、扉が開いた。
本棚と入れ替わるように現れたジョンキーユに驚くわけでもなく国務をこなすその人物に、彼はにこやかに声をかける。
「お呼びですか?」
「例の物が完成したからな。お前にも見せてやらないとと思ってな」
王位継承権第一位の王子、ラシーヌ・グランシャリオは手元から顔を上げて怪しく微笑む。
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