3.キクロスとナスタチウム
騎士誕生から時は経ち、騎士を目指す若者の急増とその実力の高低差の問題から、騎士になるための入団試験というものが設けられていた。
そんな入団試験に向けて鍛錬を怠らない真面目な少年が今日も剣を振るっている。
「そんなに振り回したら危ないんじゃないかい?」
「これは模造刀だから平気だよ。それに振り回してなんかいないよ。まっすぐ振り下ろす練習をしているのさ」
ナスタチウムは額に浮かぶ汗を拭いながら、
「キクロスは何を読んでいるの?」
「恋愛小説。はぁ、ここに描かれているような恋がしてみたいよ」
ナスタチウムより一つ年上のキクロスは、彼のたった一人の友人だった。
代々騎士の位についてきた名家に生まれたナスタチウムに娯楽を教えたのはキクロスだった。
「読み終わったら貸しておくれよ」
「君の父君に怒られないかい?」
「鍛錬を怠らなければそこまでうるさくはないはずだよ」
キクロスは創造性に富んだ、港町近くの生まれの少年だった。この世に生み落とされた瞬間から、奏でられる音楽に祝福され、他国から渡って来た旅人の話や冒険譚を子守歌に育った子どもだった。
彼らは出会うはずもない全く異なる人生を生きていたけれど、偶然ブクリエに迷い込んだキクロスが鍛錬に励むナスタチウムに声をかけたのが二人の初めての出会いだった。
父親が騎士だったことでブクリエにいる時間の長かったナスタチウムは、娯楽といった娯楽を知らずに育った。
そのため、キクロスと出会って初めて彼は娯楽というものを知った。それほどに娯楽とは無縁の道を歩んでいたのだ。
二人の出会いは偶然のようでいて、必然のようにも思えた。
彼らは歳も近かったことからすぐに意気投合した。お互いがお互い知らないことばかりで、日が暮れても時間が足りないほど話題はいつも途切れなかった。
「太陽の微笑む今日みたいな日和は、どうしても眠気を誘うね」
キクロスは明るく、人を惹きつける才能に恵まれていた。よく通る美しい声音で歌を歌えば人だかりができ、彼の気分で紡がれた音楽を聴けば誰もが感嘆を漏らした。
キクロスは、自分に素直で他意のない純粋な賞賛を贈ってくれるナスタチウムのことを可愛い弟のように大切に思っていた。
「そうだね。でもキクロス、昼寝をすると夜眠れなくなってしまうと言うよ」
そんな煌びやかな彼を友人に持っていることを、ナスタチウムは誇らしく思っていた。
ナスタチウムにとってキクロスは、騎士になるために頑張らなくてはと励む彼の誠実な向上心を一層煽るいい刺激となっていた。
「…ところで、毎日毎日剣を握って飽きないのかい?」
「僕の努力はいつか必ず誰かを守れる力になる。だから飽きたなんて思ったことは一度もないよ」
弾けんばかりの笑顔を向けるナスタチウムに、キクロスは不思議そうに尋ねる。
「そんなに面白いのかい、その剣術っていうのは」
「試しに持ってみる?」
ナスタチウムに手招きされ、キクロスは重たい腰を浮かせた。たった今読み終えた本を既に読了していた本の山に重ね、東屋から出る。太陽の光が彼の長髪を虹のように何色もの色彩で飾った。
美しいと称するのが相応しい彼の容貌を見て、ナスタチウムは古くから伝わる物語に登場する妖精を連想した。もしも妖精という存在が現実にいたのなら、きっと彼のような姿なのではないかと現実味のない感想を胸中でこぼしながら、ナスタチウムは模造刀をキクロスに手渡した。
キクロスは剣を握ると、先程までナスタチウムがやっていた動きを真似てみる。
「凄い凄い、筋がいいよ。きっとキクロスも立派な騎士になれるね」
「ならないよ」
不思議そうに「どうして?」と尋ねるナスタチウムに彼は剣を返しながら嘆息する。
「つまらなさそうじゃないか、騎士なんて」
キクロスを動かす動機は、それだけの興味をそそられること。物語を語る吟遊詩人の声が聞こえれば自然とそちらへ足が向き、音楽を耳にすればたちまち踊り出すような性分だ。厳しい規律に縛られ、国民のために命をもかける仕事など、自分は御免だと思っていた。
「父上も騎士になれることは名誉だと言っていたよ」
「そういうのには興味がないんだ。ただ自由奔放に生きていたい」
「そうか」と残念そうに呟くナスタチウムの横顔を見て、「まあ剣術自体は面白いよ」と東屋の方へ踵を返し歩き出す。
キクロスが気を遣って嘘をつくような人間でないことはナスタチウムにもわかっていたので、顔を上げその背中に問う。
「ねえ、入団試験は誰でも受けることが許されているんだし、キクロスも受けてみたら?」
ナスタチウムはキクロスに試験の内容について事細かに説明した。
試験ではサブルールという剣士になるための試験と、アルシェという射手になるための試験、それから人柄をみられる面接試験がある。その三つの全てに合格すると騎士として入団することができ、成績上位五名の中に入ることが出来れば、入団したばかりの騎士の中でも位が高く強い隊に属することが出来る。
「へえ、それは面白そうだね。勇者の冒険みたいだ」
「試験官は恐ろしい魔女じゃないけれどね。仮に受かってしまっても、辞退できるからさ」
どうしても一緒に試験を受けてもらいたいらしい。
しかしその誘いは、一人では心細いという彼の心の弱さからではない。ナスタチウムの瞳に宿った闘志は、キクロスと一緒に困難を乗り越えてみたいという好奇心のようなものだった。
返答を待つ彼に根負けして「ナスタチウムがそこまで言うなら」とキクロスも仕方なく試験に臨むことを了承した。
「おっと、僕はもう行かないと」
「お小遣い稼ぎ?」
「ああそうさ」
キクロスはチェスの名手で、港町にやってきた貿易商人や旅人たちが懲りずに対戦を申し込んでくるものだから、よくその相手をしていた。
空のワイン樽の上に木彫りのチェス盤を置いて、それぞれ好きな金額を賭け勝負するが、彼が負けたという話は今のところ聞いたことがない。
「鍛錬に真剣になるのはいいことだけれど、何かに熱中できるという喜びとその楽しさを忘れないようにね」
「わかってるよ。あ、あといつも本を沢山置いて行ってくれてありがとう」
「礼には及ばないよ。君にもっと娯楽を知ってほしいだけさ」
そうしてキクロスは身軽に木にのぼり、そこから城を囲む堅牢な壁に飛び移って肩越しに微笑むと壁を乗り越え姿を消した。
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