産まない私は砂漠を逃げる

ワダ理央

プロローグ

我らはすでに汚れている。

血に潜む、蟲どものせいだ。

遥か昔、無明の闇から現れた蟲どもは、音もなく女たちを犯した。

そして血の中に棲み付き、内側から肉体を支配した。

それが我らの母だ。

蟲どもに犯された女たちは、何よりも月の光を好むようになった。

それはほとんど狂気と言ってよかった。

東の空に月が昇ると、女たちは外に出て踊る。

着衣をほどき、腰をくゆらせ、足踏みするたびに細長い乳房が揺れる。

同じころ、月下の女たちに堪らなく惹きつけられる男たちがいた。

男たちは腰によどむ情欲に身を任せ、次々と女たちに縋りその肉体を犯す。

存分に犯し、踊り狂い、そして夜が明ける前には力尽きて死んだ。

それが我らの父だ。

月が西の地平に沈むころ、女たちはその胎に子を宿す。

蟲どもは胎を介して子の血に入り込み、生まれつきその血を汚した。

こうして母から子へと蟲どもは血筋を乗り移り、緩やかに、しかし確実に、大陸中の血を汚しつくした。

蟲に汚された人の生は哀れだ。

誰もが月の光を恐れ、満月の夜には鎧戸を下ろして一晩中震えている。

歳をとるごとに身体の蟲瘤は膨れ上がり、全身を覆っていく。

そしてある時、蟲どもは肉を内側から食い破り、一斉に飛び立っていく。

まるで銀の砂粒が舞い上がるように。

後には抜け殻になった人の骸だけが残る。


唯一の救いは、南方砂漠に住まう御子たちにある。

彼女らは生ける創生神である。

御子と蟲憑きの男が交わると、産まれる子供はみな蟲を持たなくなる。御子の清らな子宮を通じて、蟲に汚された世界は緩やかに浄化されていくのだ。


今、夜の砂漠の街を一人の女が逃げている。

フードのついた外套を身にまとい、目元のすぐ下までスカーフを巻きつけている。頭上には満月が輝いている。

今のところ街には、女の他は誰の姿もない。蟲憑きであれば、満月の夜に外を出歩こうなどとは思わないからだ。

石畳の街路には、蟲どもが飛び去った後の人々の死骸が転がるのみである。

女がそれに手を合わせることはない。

ただ心の奥底で、そのあわれさを嘆くだけだ。

彼女の血は透き通って何色でもない。蟲はまだ、彼女の中にはいないのだ。

女は時折、袂から時計を取り出して時刻を確認する。

彼女が目指すサンドレールの発着場は、この道を真っすぐ抜けた先にある。

ゆっくり歩いたとしても、予定通り間違いなく貨物室に潜り込めるだろう。

それでも気持ちが逸って、女は駆け足になる。

その時、一陣の風が吹いて、外套のフードが外れた。

隠されていた銀色の髪が風になびく。月明りに照らされた長い髪は、それ自体光を放っているようだった。

女は少し立ち止まり、フードを直そうと手をかける。

それからふと、頭上の月を見つめた。

輝く銀の髪と、煤で汚した薄い肌、夜の闇の中でもなお暗い、漆黒の瞳。

今のところこれが、彼女について語りうることのすべてだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る