ふたりの旅立ち


「あ! ねえ、テオ! テオ?」


 僕は、指輪と短杖をゆっくりとなでている。


「おーい、テオ?」

「あ? え? なんだい?」


 僕は返事をしながら、自分が泣いていたことに気がついた。あわてて袖で顔をぬぐう。


「ボクらはガエタノの弟子なんだ。師に内緒にしてちゃ、いけないんじゃないかな?」

「ん? ああ、そうだね。もっと上手くなってからって言ってたけど、話そうか?」

「うん」

「じゃあ、僕から説明します。モルンは、本当に特別です。モルン、短杖をかまえて」


 モルンはテーブルの短杖に肉球をのせて持ちあげ、ゆっくりと立ちあがる。


「!」


 ガエタノとキアーラに、持っている部分を見せた。短杖の持ち手を握っているのではなく、肉球に貼りついている。


「モルンが字を書きたいと、なんとかペンを持とうとしました。訓練したら、肉球で持てるようになったんです。それだけではないんです。モルン」

「うん」


 モルンの肉球から、短杖が離れて浮かんだ。


「こんなふうに宙に浮かせているんです。僕が手に持てるくらいの重さなら、移動させられます」


 短杖は、モルンの周りで円を描く。


「これは!」


 ガエタノとキアーラがおどろいた。


「これまで読んだ魔法書には、書かれていません。モルンだけの魔法なんでしょうか? それに、他の魔法も使えるんです」

「ねえ、見てて。あ! メダルを外して」


 僕は、モルンのメダルを首から外してやる。

 ガエタノとキアーラは何事と見つめている。

 モルンの体が、少しずつだが目に見えて成長していく。

 若い猫といえるほどになり、立ち上がって片足でくるりとまわる。尻尾が優美な曲線を描いた。


「どう? もう、ちっちゃくないでしょ?」


 ガエタノもキアーラも口を開けたままで、ものが言えなかった。


「テオが、ボクはちっちゃいままでいいっていうんだ。ひどいよね。肩に乗ったら重いからって。だから大きくも小さくもなれるように、訓練したんだよ」

「も、もとにも、戻れるのか?」

「うん、ほら!」


 モルンは、もとの子猫になっていく。


「どういう仕組みなんだ! どういう理屈なんだ! そんな! こんなことが!」


 ガエタノが、まじまじとモルンを見すえる。


「ふぅー。確かに特別ね。こんな魔法は、聞いたことがないわ」


 キアーラも驚きからモルンを見つめていたが、ハッとして、にこにこと甘い笑顔になる。


「癒やされたいときは子猫! ちょっと一緒にあそびたい、抱いて寝たいときは大きくなる! うーん! モルン! すてき!」



 ガエタノが頭を抱えて、ボソボソとつぶやく。


「あああ、時間が足らん。なぜ黙っていた! 時間が足らん! もうすぐ行かせなくてはならんのに。研究する時間がない」

「ガエタノ、あ、し、師よ。モルンを研究するのですか?」

「なんとうかつな。身近にこんな驚異があるのは認識していても、深く考えなかったとは。魔法を使う猫、精霊猫かなにかだとは思って観察していたが。いっそ魔術師ノ工舎に出すのをやめるか。いやいや、それは将来のためにならん。だがしかし……」

「ガエタノ。あきらめたほうがいいわ。テオ、モルン。これからはふたりが使う魔法の記録を取りなさい。いずれ、新しい魔法書を書く時のためにね」

「新しい魔法書?」

「そう、ふたりが新しい本を書くのよ」



 その日から魔術師ノ工舎へ行くための旅の準備が始まった。

 昼間は短杖の使い方を訓練する。夜は、モルンが質問攻めになる。

 次に来た隊商とともに出発することになり、ふたりでアントン村の人々に別れのあいさつをしてまわった。



 ルーベンには、新たに男の子が生まれていた。

 パエーゼからはときどき便りが届くが、ルーベン夫婦は字が読めない。最初は、僕かモルンが代読していた。

 返事を自分たちで書きたいからと、僕から字を習った。モルンも手伝う。

 ルーベンたちは、パエーゼからの手紙を自分たちで読めるようになり、つたないが自分たちで返事をしたためるようにもなっていた。

 ルーベンたちが読み書きできるようになると、村ノ長からの雑用に事務の仕事が加えられた。



 ドゥーエとセッテの姉妹にも弟が生まれている。

 ミーアは、幾度も子を生んで、モルンの兄弟姉妹たちが増えていた。

 親方は足腰が弱ってきていたが、いまだに村の猫たちににらみをきかせている。



 ベッティは、僕も知っている農場の息子との婚約が去年決まり、数年後には結婚することになっている。


「あのね、ほんとはね、小さいころは、テオのお嫁さんになるのもいいなぁ、なんて思ってたこともあったんだ」

「僕と?」


 僕は飛び上がった。モルンがそんな僕を、笑いだしそうな顔で見ている。


「うん、あのころは、ちょっと乱暴な男の子だったけど。けどね……」


 僕はベッティの目を見て思った。……ああ、目はいろんなことを話すんだな……。


「テオは、いつも怒っていて、いじわるで……それでも、泣いているように見えたの。つなごうとした手は届かなかったけどね」

「ベッティ」

「かあさんに言われたの。『テオはいずれ魔術師になる。アントン村では暮らせない』って。私はアントン村が好き。ここで暮らしたい。テオは、ほんとにアントン村から出て行っちゃうんだね」

「でも僕らは訓練しにいくんだ。何年かすれば戻ってくるよ」

「ううん。若い魔術師って、一つの村や街に住まないんだって。その村が安全になったら、次のあぶない所にいくって……。あたしはここ、アントン村でずっと暮らすの。おばあちゃんになるまでね」



 出発の朝。

 ブリ婆さんが大泣きした。僕とモルンに、旅先での注意をくどくどと語り聞かせてくれる。


 ガエタノとキアーラは、村の境界の小川までついてきてくれた。

 同行する隊商の一行が、キアーラと話すモルンに驚く。村じゅうの猫たちが、僕とモルンを囲んで歩くのにも驚いていた。



 僕とモルンが、村境の小川にかかる橋をわたり、ふりかえる。大勢の猫たちが、いつまでも僕たちを見送ってくれていた。

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