パエーゼの後悔


 ルーベンとウンディチを乗せた舟が、浜に近づく。漁師たちが駆けより、小舟を一気に浜に引きあげた。

 ガエタノが乗り込んで、二人を確認する。僕とモルンも船舷に近づく。


「ルーベンの右腕が! 腕の付け根をロープで縛ったのは、上出来だ! ウンディチは」


 キアーラが、汗まみれの真っ赤な顔をして、浜に駆けてきた。


「ガエタノ! 誰が!」

「キアーラ! 手をかせ!」



 ルーベンがいたあたりの海は激しく波立ったままで、魔物たちの狂宴が、雨が降り始めても何時間も続いた。



 トビザカナは、鋭く尖った口吻こうふんで獲物を突き刺し、えら脇の毒手で相手を弱らせて群れで食い尽くす。そういう魔物。

 ウンディチは、助からなかった。

 何匹ものトビザカナに、体を貫かれている。一匹がウンディチの心ノ臓を打ち抜いて、手の施しようがなかった。


 ルーベンは、トビザカナが足と腕を刺し、毒を受けていた。さらに右腕を大口イソギンチャクにくわえられて、消化されている。また、その刺胞毒も体に受けていた。

 ガエタノとキアーラが治癒魔法で解毒し、傷を治療した。パエーゼは、二人の治療をぼうぜんと見ていた。

 僕とモルンは、パエーゼになんと声をかけてよいのか、わからなかった。



 ルーベンは一命をとりとめた。

 だがその右腕は、大口イソギンチャクの消化液で溶かされ、肘で切断された。左腕と左足のトビザカナの刺し傷は、治療を受けても動かなくなると告げられる。


 ウンディチは、家族を失くして、北の集落から移ってきた独り者。アントン村で漁師になり、新しい家族を作りたいと望んでいた。彼の陽気な笑い声は、誰からも好かれていた。

 いずれ結婚したいと想い合った相手、その娘は、ウンディチの亡骸にすがって、泣き崩れた。


 ガエタノは、ルーベン、僕、モルン、ペスカトーに今回の件について問いただす。その後、漁師ノ長ペスカトーと長い時間話し合っていた。



 その夜、激しい雨音のなか、パエーゼは応接室に呼ばれた。ガエタノから強い叱責があるものと、暗い顔をしている。キアーラと僕、モルンも同席する。


「パエーゼ。今回の件について、お前は、どう考えている?」


 穏やかともいえるガエタノの質問に、パエーゼはうなだれる。


「……私のせいです。私が結界魔道具を確認してさえいれば……。ウンディチが死ぬことも、ルーベンが腕を失くすこともなかった……」

「そうだな、パエーゼ。ウンディチが死んだのも、ルーベンの腕も、みな、お前のせいだ」


 パエーゼは、その言葉に身を固くする。ガエタノはパエーゼを、じっと見つめた。


「どこを間違えた?」

「結界魔道具を、確認しなかった」

「違うな。お前が間違えたのは、そこじゃない」

「え?」

「人のやることだ、確認のモレは必ずある。そのために、何人もが何重にも確認する。そのはずだった。ではなぜ、できなかったのか。お前が間違えたのは、村人との付き合い方だ」

「え? 付き合い方?」

「そうだ。テオとモルンもよく聞いておけ。魔術師は、みんなの命を預かるのだ。『命』をだ。魔術師の命令には、絶対に従わせる」


 僕は、ゴクリと唾を飲みこんだ。


「逆らった者が、自分の命を落とすのは構わない。従わなかった報いだからな。だが、お前が、ルーベンを従わせなかったから、ウンディチは巻き添えで死んだ」

「あ!」


 パエーゼはガエタノを見る。ガエタノはゆっくりとうなずいた。


「魔術師の命令は、命を守るための命令だ。時には、国王や領主のものよりも重いのだ。従わせなくてはならない。たとえ嫌われてもな。二度と間違うな。迷った時には、ウンディチの顔を思い出せ。ルーベンの片腕を思い出せ。ウンディチを慕っていたあの娘の、あの泣き顔を思い出せ」




 ルーベンが、寝台から出られるまでに、数カ月かかった。もう漁はできない体になって、しばらくは荒んだ生活をしていた。

 やがて、娘と妻に助けられ、なんとか生活を立てなおした。

 漁師ノ長と村ノ長からの勧めもあって、村でのさまざまな雑用を引き受ける。それでなんとか暮らしていけるようになった。



 パエーゼは、ルーベンの助けになりたいと、キアーラに相談した。


「あなたの気持ちはわかるわ。ガエタノとも話すから、しばらく待ちなさい。あなたはあなたの務めを果たしなさい」


 パエーゼは笑わなくなった。

 熱心に自分の努めを果たし、村人とも話はする。だが酒の誘いなどは断る。ルーベンの生活を助けようともしていた。




「パエーゼ、お前は魔術師をあきらめて、漁師になるのか?」


 ガエタノから問われ、パエーゼが返答に困る。


「はぁー。こういう時のために、私の、魔術師の報酬から、村ノ長に金を渡している。蓄えさせているんだ。働けなくなった者と家族の生活を助けるためにな」


 うなだれていたパエーゼは、驚いた顔でガエタノを見上げた。


「お前はルーベンの代わりにはなれない。夫や父親には、なれないんだ。つぐないをしたいのなら、魔術師になって、みんなを守れ。ウンディチの死を、決して無駄にしていないと、証明し続けろ」




 ウンディチが亡くなり、ルーベンが体の自由を失ってから一年後。

 パエーゼは、王都リエーティに帰っていった。キアーラが指導し、ガエタノからの薫陶くんとうを受けて、魔術修学士の訓練を終えた。

 パエーゼは、ときおり笑顔を見せるようになっていた。だが、以前の、底抜けに明るい笑顔ではない。静かにほほ笑む、ほろ苦いようなもの。


 のちに、王都で試験を通り、魔術師ノ補になったとの知らせが届いた。 

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