嵐の前に


 僕とモルンは、いつも夜明け前に家をでる。


 浜に向かい、パエーゼと落ち合う。

 パエーゼと僕は、一艘ずつ小舟の結界魔道具を確認していく。暗いなかで、たき火の明かりと手にした松明たいまつが頼りの、神経を使う作業だった。

 数人の黒い影が、海に向かって集まっている。

 漁師ノ長ペスカトーのガラガラ声が、そのなかから聞こえてくる。話し合っている内容までは波音で聞きとれない。


 ふと目を上げて、僕は誰かが小舟を出そうとしているのに気がついた。


「あれ? だれかもうでるの?」


 丸太がきしむ音が、白んできた浜にひびく。波打ち際で揺れている小舟に、二人の人影が乗りこむ。


「あ、ルーベン? ちょっと待て! テオ、ルーベンのは確認したか?」

「僕は確認してないよ!」


 パエーゼの声に、僕がこたえる。


「ルーベン! まだ、確認してない! ちょっとまて!」

「パエーゼ、大丈夫だよ! 赤珠は、おととい取りかえて昨日も確認したから! 急がないと漁ができなくなるからな!」


 ウンディチが、パエーゼとルーベンをみくらべる。


「ああいってるぞ。まずいんじゃないか、ルーベン」

「いいって、いいって! 雨の前はたくさん穫れる、大漁だ!」


 ルーベンと相棒のウンディチの小舟は、波をこえて漕ぎ出していく。


「まて! ルーベン! 魔道具の確認が!」

「娘のためなんだ! 確認したことにしといてくれよ!」

「ルーベン! ウンディチ! 戻ってこい! はあ、もう。おととい取りかえたのか。今日はもつか?」


 パエーゼとルーベンの声に、話し合っていた人影からざわめきがおきる。


「だれだ! だれが出ていった! おーい! 戻れー! 今日は漁は中止だ! 戻れー!」


 ペスカトーの大声は、ルーベンとウンディチに届かなかった。


「くそっ! もう少しで雨がふる。パエーゼ、ルーベンの結界魔道具は確認したか?」


 パエーゼがルーベンの小舟を見つめたまま、ペスカトーの質問に首をふる。


「いいえ。確認する前にいっちまって」

「おい! 確認しないで行かせるなと、ガエタノから命令されてるだろうが!」

「今日はもつ、とルーベンが言ってたし、大丈夫だと思う」


 パエーゼの答えに、ペスカトーが目をむく。


「おい、だれか魔術師ガエタノを呼んでこい! ルーベンとウンディチが結界魔道具を確認せずに、漁にでちまったとな!」

「ガエタノを?」


 パエーゼが振り返って、ペスカトーをみた。


「雨が降る前には、魔物が群れになってよってくる! パエーゼも知ってるはずだ! もってくれて何事もなければいいが。おい、漁はなしの赤旗をあげとけ!」



 ガエタノが息をきらして、浜におりてきた。漁師ノ長から事情を聞き、網をおろしはじめたパエーゼの小舟をみつめる。


「ペスカトー、確認の終わっている者を迎えにやって、連れもどせ。規則をやぶることは、許さない」


 その言葉を受けて、いくつかの小舟が浜から押しだされる。


「パエーゼ。どういうことだ?」

「おととい赤珠を交換して、昨日は確認しました。ルーベンが、今日はもつだろうと」

「認めたのか?」

「は、はい。今日一日は、もつだろうと思って」


 ガエタノから強い視線を向けられ、パエーゼが気後れしたように言葉をかえす。


「何を学んできた! 結界の強度がどうなるか、学ばなかったのか!」

「え、いえ、それは。そう急には強度は落ちないでしょう?」

「それは陸の上でのことだ! 海は、波の具合で魔力の消費量がちがう!」

「あ!」



 漁師たちが浜からルーベンたちを見ていたが、驚きの声があがる。


「見ろ!」

「おい! ありゃトビザカナだ! 群れてるぞ!」

「結界は? 効いてないのか? ルーベンに近づいていく! 結界はどうした!」


 その声に僕、モルン、パエーゼ、ガエタノが波打ち際まで走った。モルンは、遠くが見えるように僕の肩に登って二本足で伸びあがる。



 海面スレスレを移動する黒と銀のもやが、ルーベンの小舟にとどく。乗っている人影が、奇妙な踊りをした。



 ガエタノが、革帯にたばさんだ短杖を抜いて、詠唱しはじめた。パエーゼも短杖を構える。

 小舟の横で海が盛りあがり、人の背丈ほどの赤黒い塊が、人影をおおう。


「大口イソギンチャクだ!」



 ガエタノの詠唱が終わり、ルーベンの小舟が一瞬、銀色に光った。黒い靄が小舟を中心に弾け飛んでいく。大口イソギンチャクは人影に取りついたまま、身をよじっている。

 波打ち際の全員が、固唾をのんで見守った。

 迎えに出た小舟は、さかんにオールを漕ぐが、パエーゼの小舟にすこしも近づかないように思えた。



「テオ、ボクらにできることはないの?」


 僕は、首をふる。


「ここからでは、僕の魔法は届かない!」

「ボクのも届かない!」

「こんな時にできること、なにかないの! ああ、空を飛んでいけたら!」


 モルンは、僕の肩の上でギュウッと爪をたてたが、その時は、僕は気づきもしなかった。この日の夜、寝る前にシャツに血がついているのを見つけるまでは。



「くっ! パエーゼ! お前も結界をはれ! 交代しろ!」

「はい!」

「はれたら、こちらの結界をとくぞ!」


 パエーゼが詠唱し、ルーベンの小舟がふたたび銀色に光る。


「はりました!」

「よし! とくぞ! 持ちこたえろよ!」


 パエーゼの体に、何かを持ち上げてでもいるように力がこもる。額から汗が吹きだす。


「ペスカトー! だれかをやって、魔術師キアーラを呼んでこい! 治癒がいる!」

「わかった!」


 ガエタノはパエーゼの小舟を見つめて、短杖で狙いをつける。

 ルーベンの小舟にいる大口イソギンチャクに、氷の槍が放たれた。氷槍は真っすぐに大口イソギンチャクを貫いて、船舷から沖側に落とした。

 ガエタノは短杖を、ぐつぐつと煮えるようにうごめく海に向ける。


「くっ! 迎えの舟がいる! もう少し横にそれてくれれば」


 結界の横、迎えの小舟の進路から外れたところで海が沸きたつ。

 ガエタノの短杖から赤い光が撃たれ、姿を見せた大口イソギンチャクを焼く。焼かれて落ちた水面が泡立ち、さらに激しく波だつ。


「あれは!」

「あばれてる?」

「いや、喰われてるんだ!」

「共喰いしてるのか!」


 漁師たちの会話を背に、ガエタノからさらに赤い光が飛んでいく。



 ようやく迎えの小舟がルーベンとウンディチの小舟にたどりついた。二人は意識がないようで、数人にかかえられている。

 二人を乗せた小舟が、浜に向かって漕ぎはじめる。他の小舟が、えい航しようと空の小舟に近づいた。


「無理だ! 狂乱してる! 小舟は捨てろ!」


 ペスカトーの声は届いてはいなかった。しかし、空の小舟の周りで海がいくども沸くのを見て、えい航をあきらめた。全ての小舟が浜に引き返してくる。



「パエーゼ! 結界をといていいぞ! といたら攻撃して、おとりの狂乱を作るのを手伝え!」


 パエーゼは、結界をとくと、ガックリと膝をついた。しかし、なんとか震える腕をあげて、火弾を撃ちだす。


 海は、黒と銀の靄もまじり、いっそう激しく荒れる。ルーベンの小舟は、下からなにかが跳ねあげて宙に飛ばされ、バラバラの木片になった。

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