気になる黒い煙
氷漬けにされた狂熊はガエタノの家に運ばれ、納屋の中に収められた。
僕も運び込む手伝いをして、隊商の二人の亡骸も運び込まれた。
「狂熊と亡骸の
モルンも見ておくようにといわれたが、見逃す気は最初からなかったんだって。
大きな台に氷漬けの狂熊が載せられた。
ガエタノが長杖を構えた。
「生きてはいない。だが万が一がある。魔物は生命力が強い。死んだと思っていても、生き返ることがある。用心に越したことはない。いざという時はお前たちは逃げ出せ」
僕とモルンは、戸口に寄って、うなずきを返す。
ガエタノが短く詠唱すると、スゥーと氷が溶けていく。黒い煙は、氷が溶けると同時に消えていく。現れた狂熊に、生きているような動きはなかった。
「大丈夫だ。死んでいる。今の様子を羊皮紙に書いておけ」
チプリノと僕が、納屋の梁から下げられている滑車を使って狂熊を逆さまにつり下げる。チプリノが喉を切り裂き、流れ出る血は木桶で受け止められた。その血を陶器の壺に入れる。
「この狂熊はかなり異常だ。消えた黒い煙のようなものは、文献に出ていた
血抜きが済むと狂熊は台の上に下ろされ、チプリノが手際よく腹と頭の皮を剥いだ。腹を開き、内蔵を一つ一つ調べていった。
ガエタノが話す所見を僕が書きとった。モルンは僕の肩の上からガエタノの手元をのぞきこんでいる。
ガエタノは内蔵をひとつひとつ見せ、名称を僕とモルンに教えた。心ノ臓の横にある大きな赤い
「大きすぎる。この狂熊は成体ではない。子犬と見間違うほどの体が魔力で急激に成長したようだが、これはこの体に合わない。これは
ガエタノが魔力胞を切り取り、木皿の上において切りひらいた。中から赤珠がでてきた。
「幼体から赤珠が見つかるとは聞いたことがない。しかもこの赤珠は大きい。黒い煙の触手は体の部位ではなかったらしい。瘴気? 魔力? 魔力異常? 他におかしなところはないか」
さらに内蔵を詳しく調べていく。
調べ終わると、ガエタはしばらく考え込んだ。
その後、血の入った壺や毛皮もふくめて、全ての部位を納屋の地下室に運びいれた。納屋の地下室には氷蔵の魔道具が置かれている。
そこで総てを氷漬けにした。
次に亡骸を台に載せ、四人は頭をさげる。
「干からびている、が一番近い表現か。狂熊は肉を食いちぎる。血や魔力、生命力が吸い取られたように干からびているのは、初めてみる。蜘蛛の魔物?」
全身を触って調べたあとで、体に小刀を入れて腹を開いていった。
狂熊の時にはなんともなかったチプリノが、口を押さえて急いで出ていった。ガエタノはチプリノの後ろ姿から、僕に視線をうつす。
「おまえは、大丈夫か?」
「はい。ちょっとドキドキするけど、大丈夫」
「ふむ」
ガエタノはモルンを見た。モルンはじっと亡骸を見つめ、視線を動かさなかった。
「……血はない。体液もない。皮膚は乾き、脂肪もない。内蔵も乾いている」
二人の亡骸を詳細に調べたあとで、狂熊と同じく地下室に運んで氷漬けにした。
ガエタノと共に書斎に入り、僕が書き留めた所見を確認してくれる。
ガエタノに命じられて、所見の写しをつくる。その間、ガエタノは別の書類を作っていた。
僕の作業が済み、受け取ったガエタノが、読み上げる。
「間違いないな。では下の部分に日付と署名を入れる。署名は……モルンは字が書けるか?」
三人はモルンの前足を見つめた。
「それではペンが持てないか。ではテオがこう書け。『金ノ魔術師ガエタノが弟子テオドロス』その下に『金ノ魔術師ガエタノが弟子モルン』モルンの名の横に、このインクを前足につけて押せ」
モルンが名前の横に、肉球の跡をつけた。
「その前足の印の下にテオが『代筆テオドロス』と書き入れろ。あ、モルン舐めるな。苦いぞ! テオ、前足を拭いてやれ」
「にがーい!」
僕はモルンの前足と舌を、そばにあったボロ布で拭いてやる。「グェ!」とまだ声を上げるモルンを抱いて慌てて書斎をでる。井戸へ行き前足と口をすすいであげた。
「うふふふ」
モルンが前足を洗われながら金と青の目で、僕の金と青の目を見あげて笑う。
「テオ、聞いた? ボクは魔術師ガエタノの弟子だって。テオといっしょ。魔術師の弟子だ!」
数日後、隊商が塩と塩漬けの小魚、油漬けの小魚、オレア油の入った壺を積んでアントン村を出発した。
隊商の頭には、狂熊の件を報告する村ノ長と魔術師ガエタノの分厚い手紙が託された。
隊商は亡くなった御者と息子の亡骸を埋葬したいと望んだ。しかし、魔術師ガエタノによって却下された。硬貨の入った小袋を隊商に渡しながら説明する。
「二人の亡骸は、狂熊と共に王都リエーティの魔術師ノ工舎に送る。埋葬は諦めてくれ。これは少しばかりだが御者の家族に」
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