心の中にいるものたち


 口が動いてる! モルンが、猫がしゃべった! 僕はモルンを肩から抱きおろした。

 村の猫はしゃべらない。往来で猫と話し合うのはまずいかな?



 僕は急いで家に戻ると、自室の机の上にモルンを下ろした。


「モルン。……しゃべれるの? 人の言葉が話せるの?」

「テオ、モルン。ベ、ベ。ブ、ブ」


 モルンは、まるで発声を確かめているようにいろいろな音、言葉を口にする。


「テ、テオ。テオ、ボクは、しゃべれ、るよ」


 モルンが、そう言ってうなずく。


「声を真似しているだけじゃなくて、意味もわかるの?」

「モルン、ボクのなまえはモルンだよ、っていったでしょ。いみも、わかる。テオのなまえはテオ。ブリばあさんにチプリノ。ちょっとこわい、ガエタノが、かぞく」

「うーん、猫が話していた記憶は……これか? かすかに? ……でも、しゃべる生き物の記憶は、人間以外の記憶が、ある。なぜ、モルンはしゃべれるようになったんだろう。やっぱりあの時の魔法かな」


 モルンが小首をかしげた。


「テオはボクのなかにもいる。いた? ほかのねこもいる。テオじゃないヒトも。いきものじゃないヒトも」

「やっぱり融合か。僕が譲った魔力と一緒に、別な意識たちも譲ったのかな」

「ボクといっしょになってきたから、べつになっていないよ。モルンはモルンひとり」



 それからモルンが疲れて昼寝するまで、二人でおしゃべりをした。

 しゃべれるモルン。しゃべる猫。珍しい猫。見世物。標本。実験。解剖。

 あまり人に知られないほうがいいのかな。ガエタノに相談すべき?



 その日の夕食時。

 モルンは一言もしゃべらなかった。ほぐされた魚を食べ、満足そうに「ニャ」と鳴いて前足で口の周りをキレイにするだけだった。

 ガエタノの書斎で融合についての話をする時になっても、僕はモルンのことを話すべきか決めかねていた。


「今夜は話ではなく、少し違ったことをする。そこの寝椅子に横になりなさい」


 僕が部屋の隅に置かれた長椅子に横になると、モルンが胸に乗ってきた。ゴロゴロといいながら足を体の下に折りたたむ。


「これからすることは少し複雑な魔法だ。人の心に魔法をかける。精神魔法と呼ばれるものだ。使い手はかなり限られる。テオの心に分け入り、そこにあるものを確認する魔法と言っていいだろう」

「僕の心にですか?」

「ああ、おまえの心に、テオと誰がいるのかが確認できるかもしれん。ちょうどいい、胸の上のモルンを見つめて、心を静かにするように」

「はい」


 ガエタノが魔法書を片手に、僕の額に手をかざす。


「心が落ち着いたら目を閉じて、ゆっくり呼吸をしなさい。長く吸って、長く細く息を吐いて」



 ガエタノは、僕の呼吸が規則的になったのを見届けて、詠唱をして質問を始めた。


「そこにいるあなたは誰ですか?」

「……テオ」

「テオと一緒にいる、あなたは誰ですか?」

「テオ。僕。私……私は、俺は……誰だろう? ああ、テオと一緒になったんだ。融合したんだな」

「……」

「そうか、死んだのかもしれない。私は死んだのだろうか?」

「あなたはどこの国の人ですか?」

「どこの国? 私の国?」

『ガエタノよ。我を呼びし、魔術師ガエタノよ』


 僕の口からそれまでとは全くちがった、太く低い声がする。


「べ、別の声?」

『我らはそなたが呼び出したもの。なぜかは我らにもわからぬが、我らは、テオと一つとなっていく。我らは、我ら全てがテオとなる』

「テ、テオはそこに、無事でいるのですか? 死んだのではないんでしょうね!」

『テオはいる。ここで我らと生きている。傷ついたその心を、我らが護っている。もうまもなくひとつになる。ひとつになってテオとして生きていく』

「あなたは、何者なのですか?」

『我らは、風。空を翔るもの。地を駆けるもの。海をいくもの。闇に生きるもの。我らは光。全ての幸せを祈るもの』

「……」

「ニャア」


 僕の胸の上で、モルンが声をだす。


『そう、おまえの言う通りだ、モルン。我らの分身よ。我らは共に生きてゆくのだ』

「モルンも?」

『魔術師ガエタノよ、案ずるな。テオを信じよ。そなたの愛した友の子、テオを信じよ』

「どうしてそれを……」

『そなたが我らを呼んだ時に、そなたとも少し混じった。我らはもうまもなくテオとなる。願わくは我らを、テオを愛してほしい。誰もが、この世の全てが、それを求めてやまぬのだから』

「……」



 僕が目を開けたとき、ガエタノは片手で目を覆っていた。


「ガエタノ、どうでした?」


 ガエタノは顔から手を放し、ゆっくりと僕とモルンをみた。


「テオ、どこまで憶えている?」

「……ゆっくり呼吸しなさいと言われて、そこからはよく憶えていない。……けど、なんとなく自分を見下ろしていたような……」


 モルンは、僕の胸の上で両前足を伸ばす。片足ずつ指を広げては閉じる、胸を押して揉んでいるようなしぐさをする。ゴロゴロと喉を鳴らした。


「モルン。あ、痛っ! モルンってば、もう。痛っ! 爪は立てないで」

「ふふふ、ははは。テオよ、どうやら、あまり心配しなくても良いような気がしてきた。精神魔法はここまでとしよう」

「ガエタノ。……その、モルンなんだけど……」

「ん?」


 胸の上で揉んでいるモルンの爪に顔がひきつる。けど、僕は報告することに決めた。


「実は、モルンが、言葉をしゃべるようになったんです」


 モルンがピタッと動きを止めて、そーっとガエタノを見上げた。


「言葉をしゃべる? 人の言葉を話すのか?」

「ええ」

「言葉を話すか。そうか。テオ、おまえの中にいる意識が、モルンに言っていた。モルンはテオの分身だと。共に生きていく分身だとな。なれば、言葉を話しても、おかしくはないだろうな」

「僕の分身?」

「まあ、テオとモルンは、いわば兄弟ってことだな。もうすぐおまえの中の意識たちは一つに、テオになると言っていた。自分のなかで別の存在という感覚はなくなるのだろう」

「ボクとテオは、きょうだい。そういうことなんだね」


 モルンを見て、ガエタノは目をむいた。


「本当に言葉を話しているな。喉の構造はどうなっているのか」

「しってるよ。『せいたい』というのでしょ。ボクのなか、イシキたちがたすけてくれたんだよ」


 モルンが、ガエタノの疑問に答える。


「助けた? ふーむ。面白い」



 この夜のことは、後日、本当にひとつとなった時に詳細を思い出したんだ。

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