ごめんなさい


 僕は、殴られた顔が腫れて、熱をだした。

 ブリ婆さんが、羊乳の入ったかゆを作って世話をしてくれる。その日は寝台からでることをとめられた。



 翌日、僕はガエタノから書斎によばれた。


 なんでだろう? 前も入ったことのある部屋だけど、まるで初めて書斎に来たように思える。置かれている調度品や道具類、書棚の本が見たことのないものに思える。



「おまえは魔法陣の横で倒れていた。なにをした?」


 昨日の激高した様子とはちがい、静かなガエタノの問いに、僕は姿勢を正してこたえた。


「地下室のすみにかくれて、ガエタノが魔法を使うのを、のぞいていました」

「それで、自分でも試してみたか。魔法書を詠唱したんだな。読み書きはだいぶ前に少し教えただけのはずだ」

「はい。本当は、あの本が読めたわけではないです。ガエタノがとなえていたことを真似しました」

「あれがどんな魔法かわかっているのか?」

「なにかを呼ぶ魔法だと。前に盗み聞きしたガエタノの独り言から、そう思いました。おかあさんを呼べないかと思いました」

「おまえ、話し方が変わったな。髪の色が明るい茶色になり、目の色はほぼ黒の濃い茶色だったのが、灰色、黄色、青色。左右が違っているように見える。……テオ。テオドロス。おまえは、本当にテオドロスか?」


 いうべきだろうか? 僕はしばらくガエタノを見つめた。

 他の意識たちが、伝えるべきだと言っているように思えたんだ。


「あの時、僕は、なにかと一緒になりました。あわさった? そう、なにかと融合しました」

「融合? 『融合』という言葉はどこからでてきた?」

「言葉? そうか、テオの知らない言葉か。『融合』、僕の中で何かがあわさり、そこからでてきた言葉。たぶんそういうことだと思います」

「……」

「僕には、僕を、テオを他人と、別の意識、自分ではない存在と、考えている部分があります」


 ガエタノは片眉をあげ、いきなり立ちあがり書棚にむかう。

 何冊かの本を手に取り開いたあとで、じっと天井を見上げる。その間、僕は静かに立っていた。


「実体化ではなく、依り代よりしろか。必要だったのは依り代なのか。結局、まったくの失敗ではなかったのか」


 ガエタノは天井から僕に目を移してつぶやき、その後、幾つもの質問をした。



 ガエタノが納得するまで質問に答えたあとで、僕は願いを口にした。


「ガエタノ、僕に魔法を教えてください。お願いします」

「……ふん、いいだろう。もとから、おまえには魔法を教えるつもりだった。だが、おまえは悪たれ小僧で、勉強を放りだして、ちっとも家にいない。夜に帰ってくれば、すぐに寝てしまう。おまえの父も母も魔術師だ。いまいましいが、才能はあるはず。読み書きと一緒に魔法を教えることにする」

「ありがとうございます」


 ガエタノは書棚から本を抜き出し、羊皮紙の束と筆記用具とともに僕に手わたす。


「この魔法書を読め。わからない言葉は羊皮紙に書きうつせ」


 その日から、僕の、魔術師としての訓練が始まった。




 翌朝、僕は、ブリ婆さんが用意した朝食、羊乳と卵が入った穀物かゆを食べ終えると、村に用があると家をでた。



 アントン村は、南北に細長い。東側が海に面している。

 北は低い岩山と森が連なり、街道が通っている。西と南側は直ぐに険しい山。

 東の海岸沿い、崖の隙間にある低い岩場と砂浜に、塩田がある。

 砂浜には、作業小屋が建てられ、小舟を引き上げられるようにもなっている。砂浜から低い丘に向けて家々と農地、放牧地が続いている。

 ガエタノの家は、村の一番高いところに建てられていた。



 僕は、坂をくだり一番近い家の前で足をとめた。家の戸口でためらっていると、いきなり肩をつかまれて、体がまわされる。


 パンッ!


 僕の頬が、ぶたれて大きな音がした。


「えっ?」

「えっ? ええっー!」


 ああ、ベッティ。

 少女が、叩いた自分の手と、僕の顔を交互に見ている。


「テオ、その顔。あたし?」

「ベッティ。あ、ああ、この顔か。はれてひどいのは君が叩いたからじゃないよ。ガエタノにしかられたんだ。でも、いきなり叩かれるとは」


 ベッティが驚くのも無理はない。僕のまぶたも頬も唇も、青黒いあざになり、ひどくはれているから。


「しかられた……テオ、あんた、かあさんに抱きついたでしょ。おかげでしぼった乳を落として台無しになったの。あんたの悪さのおかげで、ひどい事になったのよ」

「ああ、そうだった。ごめんなさい。もうしません」

「え?」

「あやまります。ごめんなさい」

「ど、どうしたの? テオがあやまるなんて、気持ちわるい」


 叩いて乱れた栗色の髪をかきあげて、僕を見下ろしている。

 ほんとに、みんなに迷惑かけてたんだな。

 少女は、赤ん坊の僕に乳をくれたダーリアの娘、乳姉弟ベッティーナ。


「うらやましかったんだ。ダーリアのような、あんなやさしいかあさんがいるベッティが、うらやましかった。本当の弟ならいいのにと」

「……テオ。……髪とその目。テオよね?」

「うん、テオだよ。うーん、上手くいえないけど、僕は少し変わったんだ。もうみんなに迷惑をかけるようなことはしない。これからみんなのところにいくところ。許してもらえないのはわかってるけど、もうしないと話にいく」

「……」



 ベッティの家の扉をたたき、ダーリアにこれまでかけた迷惑をあやまった。


「テオ、あんたその顔!」


 ダーリアは僕の顔を見ておどろき、ガエタノをせめた。僕は、自分が悪かったんだ、もう殴られるようなことはしないからと、笑顔をみせる。



 そこから海までの家を一軒一軒、訪ねてまわった。

 ほとんどの家では、僕の顔を見ると直ぐに戸が閉ざされる。外から大声で、思っていることを伝えたが、反応はなかった。

 浜までおりる間に出会った子どもたちと話して、もう二度といじめないと約束する。子どもたちはみんな怯えた目で、納得のいかない顔をしていた。

 浜にいた漁師のおかみさんたち、早く戻った漁師たちとも話をした。



 ガエタノの家から浜までの間に、気になる視線が僕に向けられていた。

 家々や通りの陰から、じっと僕を見つめ、うしろをついてくる視線。

 浜での話しを終えて振り返ると、村じゅうの猫たちが、遠巻きに見つめていた。

 僕は猫たちの中でも一番大きな猫、村のみんなが親しみを込めて「親方」と呼ぶ雄のキジトラの猫に近づいた。


「親方。みんな。いたずらしてごめんなさい。もう嫌なことはしないと約束します」


 親方をはじめ猫たちは、じっと僕を見つめているが、尻尾はふくらんでいない。


 その日から村のどこにいっても、僕を見つめる猫の視線と目があうようになった。

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