出会ったふたり

悪童テオのいたずら



  ほらほら 猫がいくよ

  しっぽをたてて 猫のお嬢さまがいくよ

  大きなお耳に長いしっぽ ステキな白い毛なみ

  猫のお嬢さまがいくよ

  踊るように歩いていくよ 飛びはねていくよ

  さあさ いっしょに いっしょに 踊ろ 踊ろ

  猫と いっしょに いっしょに 踊ろ 踊ろ

             「猫のお嬢さま」 イゼルニア民謡





 僕は、ときどき、あの時のことを考える。

 まだモルンと出会う前、アントン村で僕が引き起こしたことを。



 僕が憶えている母の記憶は、「温かいものからはなされた」という、かすかなもの。

 父親のことは、まったく記憶にない。


 いくつの時だったのか、世話をしてくれるブリ婆さんにたずねた。


「ブリ婆さんがおかあさんなの?」

「おまえの母さんは死んだよ。父さんも死んだと聞いてるねぇ。もういないんだよ」


 そのころは幼すぎて、死とはなにかわからなかった。自分は連れていってもらえなかったと、ずっと思っていた。



 家から外にでられる歳になると、まわりの子どもたちと遊ぶようになった。子どもたちには、自分たちの両親や兄弟姉妹がそばにいる。

 彼らから自分も同じように笑顔を向けられると僕は思ったが、冷たく追いはらわれた。


 家族に向ける他の子の笑顔を見るたびに、僕の胸を鋭い刃がつきさす。その痛みのままに、子どもたちを泣かせた。それが、寂しさの裏返しなのだとは、幼い僕に理解できるはずもなかったんだ。

 村の子どもたちをいじめ、僕に叩かれるのを怖がった子をしたがえた。僕は、村じゅうでいたずらをした。



 漁業と塩業、農業の村、アントン。

 その村に数多く住みついている猫たちに水をかけ、追いまわした。猫たちは、僕に気づくと、尻尾をふくらませて近づかなくなった。

 牛や羊たちにも。乳をださなくなるほど、ひどいいたずらをした。村共同の食料を面白半分にくすねた。捕まって、漁師や農場の働き手からひどく殴られるのが日常になる。



 僕が村人に冷たくされる原因は、一緒に暮らす魔術師ガエタノのせいでもあった。

 ガエタノはアントン村の結界を管理する魔術師。

 漁業でも塩業でも農業でも、ガエタノが管理する魔物よけの結界がなければ成りたたない。村人からは、尊敬され感謝されてもおかしくない。だが、嫌われていた。

 魔術師ガエタノは、村の共同体に積極的に加わらなかった。


 ガエタノは、自分たち村の人間を見下している。

 何かあるごとに、自分たちの感謝を必ずもとめる。

 結界以外の魔法、治癒魔法などに法外な支払いをもとめる。

 魔術師であることを鼻にかけている。

 村人の多くがそう考えていた。


 結界の管理に対する報酬は、遠くに住む領主から支払われる。

 生活に必要な村での買い物には、きちんと支払いをしている。さんざん値切ったあとでだが。

 僕は、村人から魔術師ガエタノの身内、同類と見られ、はじめからのけ者だった。



 魔術師ガエタノの家、その仄暗ほのぐらい地下室。

 胸が悪くなる、獣脂ろうそくの臭いがよどんでいた。ほかの匂いも混じっている。さまざまな薬草の匂い。濡れた毛皮の匂い。わずかに混じる、血の匂い。


 部屋の床には、細かな文字と複雑な模様で描かれた魔法陣が淡い光を放っていた。

 ガエタノが、暗い色の古びたローブを身にまとい、魔法陣の縁にたっている。秀でた額から汗が吹きだし、白いものが交じる長いひげも汗でよれていた。


 左腕に分厚い大判の書物を広げて持ち、右の手のひらを魔法陣に向けて広げている。書物に目をやりながら、低い声でなにかをとなえた。

 やがて魔法陣の光が増し、ガエタノの声が大きくなる。


「来たれ。我が呼びかけに応えよ。我が命に従いて来たれ。来たりて我に仕えよ!」


 右手が光を発し、魔法陣の光が強まる。しかし、すぐに瞬いて消えてしまった。臭い煙を上げる獣脂ろうそくの、うす暗い明かりだけが部屋にのこった。



「クッ! だめか」


 光の去った部屋で、ガエタノは荒い息をしてガックリと膝をついた。

 左腕の書物を床におき、両腕で自らの体を抱きしめてうずくまる。

 しばらくして息が整うと、ゆっくりと立ちあがり、よろけるような足取りで部屋をでていった。



 小さな人影が、置かれている木箱と樽の陰からでてきた。人影はしばらく部屋の扉をうかがい、ひとつうなずいて、床に広げられた書物に近づく。


 揺らめくわずかな明かりが照らすその姿は、幼い少年。僕だ。

 書物の前に膝をつき、僕は右手を魔法陣にむける。

 左手の指で書物の文字を追い、たどたどしく小さな声でとなえだした。魔法陣に光が戻り右手に光が浮かぶと、少し声が大きくなる。


「来たれ。我が呼びかけに応えよ。我が」


 右手の光が急に大きくなる。その光は流れとなって、魔法陣の中心に勢いよく吸い込まれていく。


「ああっ!」


 小さく驚きの声を出し、光の流出を止めようと左手で右手をにぎったが、光の流出は止まらない。


 ヴォンッ!


 音とともに流出が終わり、魔法陣の光は消え、再び獣脂ろうそくの明かりだけがのこった。


 僕は、ドンッと床にたおれこんだ。

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