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「──あ」
僕はどうやら気を失っていたらしい。目を開くと、見知らぬ天井が広がっていた。
「灰夜くん!! よかったああああ!!」
僕はどうやらベッドで横になっているらしい。すぐそばに座っていた雪月が、甲高い声を上げながら僕にすがりついてきた。なんていうか、ちょっと、苦しい。
「目覚めたか」
体を起こして声の主を探すと、その男はソファでコーヒーを片手にくつろいでいた。
「僕はどれぐらい寝てた……?」
二時間ぐらいだよ、と雪月が時計を差しながら答えてくれる。そうか、あれから二時間か。
辺りを見回すと、ここはホテルの一室のようだった。部屋の広さもそうだが、家具がいちいち小洒落ていて高級感がある。少なくとも、学生が借りるような部屋ではない。
「ここは──」
「この部屋は私が借りている部屋だ。あの殺人鬼には逃げられた。江崎とかいう男は『この借りはすぐに返す』と言って去っていった。そこの健気な女子は君が目覚めるまでずっと寄り添っていた」
聞いてもないのにペラペラと僕の疑問に答えてくれる。読心術か……?
「読心術じゃない。私の魔法は医療専門だ」
体を起こした時にも違和感があったが、あれだけボロボロで気を失ってたというのに、気怠さのかけらもない。まるで休みの日に朝から雨が降っていた時みたいに快調だった。
「私が治した。無理なイメージで魔法を使うものじゃない。あんなことを繰り返してたら脳が破裂するぞ」
「……助か……りました。あなたは?」
「ふむ、そうだな。もはや子供だからと言って遠ざけるには遅すぎるし、あれとやりあうには手が足りないと感じた。ところで、君たちの目的は?」
「あの殺人鬼を止めることです」
雪月が真剣な眼差しを向けて答えた。
「止める……か。まあいいだろう。その目的、私の目的と近しいものがある。協力体制と行こう」
男が手招きをするので、僕はベッドから足を下ろし、雪月と共に男の対面に並ぶソファに座った。
「まずは自己紹介といこうか。私は沖田空人(おきたあきと)という。普段はフリーのカメラマン兼編集者。魔法使いだ」
当然のように自らが魔法使いであることを沖田は宣言した。
僕と雪月もそれぞれ名前を名乗った。僕は魔法使いであること、雪月は魔法とは縁の無いことを加えて。
「東雲灰夜と雪月晴月か。面白い組み合わせだな。二人は珈琲は?」
「それはありがたいですが、早くあの殺人鬼を止めに行かないと」
「いや、奴はプライドの高いやつだ。『あのビル』で待つと言ったからには、今日は新たに犠牲者は出さないだろう。しびれを切らすとしたら今夜の待ち合わせをすっぽかした場合だな。夜は長い。まだ時間はあるさ」
すでに湯は沸かしてあったようで、すぐに湯気だったコーヒーを二つ用意された。
「沖田さんは、あの女の人……ああいや、偽物だから本物の女の人? と知り合いって言ってましたよね」
「雨宮暁子。それが本物の名前ですよね?」
「そうだ。どうやら君は五年前に暁子さんと会っているらしいな。暁子さんから聞いてるよ。『もしも困ってたら助けてあげて』とも言われてる」
「その暁子さん……は優しい人なんですね。あれ、でもさっきの人が偽物でも五年前は? あれ?」
雪月は一人で混乱している。まあこんがらがるのも仕方ない。というかややこしいとは僕も感じてる。
「まずは情報の整理が必要のようだな。君たちはどこまで知っている? 特に東雲くんの方は核心に近いところまで迫っていそうだが」
「……その前に、一つ確認させてください」
「いいだろう」そう言って沖田は中指で眼鏡をクイと上げる。
「僕たちを助けてくれて、僕の身体まで治してもらったことは感謝してます。だけど、あなたが僕たちの味方なのか、その確証が欲しい」
「東雲くん、それは……」
「いや、構わないよ。本来はそれぐらい慎重であるべきなんだよ、魔法使いというものは。それに子供は大人を疑うものだ。悪い気はしない」
沖田は懐に手を入れて何かを取り出そうとしたが、一瞬、僕らに視線を流すと、すぐにその手を戻してコーヒーを口に運んだ。
「君らの味方である物的証拠となるものは用意できないから、先に私の立ち位置を話しておこう。私はね、雨宮暁子の弟子なんだ」
「あの女の弟子……? じゃあ沖田……さんは雨宮暁子と血縁関係があるってことですか?」
「魔法使いの師弟というなら一般的にはそうだが、私たちの場合は違う。込み入った事情があってね。これは本筋とは関係ないから置いておこう。とにかく、私は雨宮暁子の弟子で、魔法使いの師としても、人間としても彼女を尊敬している。そんな大事な人の姿を真似て殺人を繰り返している阿呆がいると聞いて追っていたわけだ」
「雨宮暁子は……五年前の天罰事件の犯人ですか?」
「いきなり核心だね。君はどう思っている?」
「五年前、あの人は僕に言いました。自分は人殺しだって。だけど、あの人があんなふざけた事件の犯人なんて……信じられない。いや、信じたくない。五年前、いや、少し前までの僕は考えることからも逃げていて、あの人が犯人だと思い込んでいた。だけど、あの人との出会いに改めて向き合ってみて、考えました。あの人は……犯人じゃない」
「……正解だ。なら私のことも信じてくれるかな? 君が信じた雨宮暁子の弟子の私を」
「ええ、信じることにします」
「助かるよ。……ところで、その、なんだ、あれだ」
沖田さんは難しい顔をしながらトントンと指で机をしきりに叩いている。なんだ、モールス信号なんて僕はわからないぞ?
「……あっ! 私は構わないですよ」
「え、なに、雪月はモールス信号わかるのか?」
「え? 信号? 違うよー。沖田さんはタバコを吸いたいんだよ」
「よくわかったな君。……まさか君も喫煙者なのか……?」
「違います! 未成年だし、大人になっても吸う予定はありません! お父さんが喫煙者で、お父さんも我慢してる時よくやるの。机を指でトントンって」
僕は知らないが、喫煙者の間では共通の合図なのだろうか? いや、これはまあ、本当にどうでもいいことなんだけど。
「僕も気にしないですよ。この部屋はあなたが借りてるんだから、好きにしたらいいじゃないですか」
「……すまないな」
律儀に灰皿を持って、僕たちから離れた部屋の隅で火をつける沖田だった。
「──それで、君たちはどこまで知ってるんだ?」
ここからは雪月にも話していないことも含まれる。僕は沖田さんと雪月の二人の様子を見ながら語り始めた。
「まず大前提として、犯人が魔法使いであること。それはさっき証明されたばかりですけど。それと、今回の事件と五年前の事件は同一犯じゃないこと」
「どうしてそう考えた?」
「五年という歳月、それはあまりにも長い。五年前の事件が終わったのは、犯人が捕まったか、逃げたか、すでに死んでいるか。この中で第一に消去されるのは逃げた場合。あれだけ派手にやって五年も委員会に捕まらずに、しかも同じ街で再犯なんて考えられない」
「その通りだな。悪魔憑きが五年も逃げれるなんて前例がない。仮に逃げ延びていたとしても、同じ街での再犯は自殺行為だ。それで?」
「次に消去されるのは捕まっている場合。これは警察にじゃなく、委員会にです。奴らはただ殺すだけじゃなく、拷問やらなにやらどんな手段を使ってでも仲間を吐かせようとする。だから、すぐに殺さない場合があると聞いてます。そんな奴らが一度捕まえた魔法使いを逃すなんて思えないし、万が一逃げたとしても同じく再犯は考えられない」
「え、じゃあ五年前の事件の犯人って」
「そうだ。今起きてる事件は五年前の続きなんかじゃない。五年前の天罰事件は、もう終わったことなんだ。つまり、五年前の犯人は既に死んでいる。幕引きはどうあれ、雨宮暁子が五年前の事件を解決した。違いますか?」
沖田さんは、天井を見上げて大きく煙を吐き出した。
「ほぼ正解だ。だが、そこには登場人物が一人追加される。それは五年前はまだ何も知らない青臭い、高校三年生だった頃の私だ」
「高校三年生だった頃の沖田さんが……」
五年前に高三ってことは今は二十三歳ってことか? なんだか思ってたよりも──
「二人とも、私の外見年齢にとやかく言えるほど親しくなった覚えはないが?」
読まれていた。僕と雪月は同時に視線を逸らす。
「まったく。続きだが、私は五年前の事件に深く関わっていた。もちろん暁子さんと共にだ。あの事件の犯人はな、一度誤った道に片足を入れてしまい、そのまま死神に手を引かれていってしまった。犯人を追い詰めた時はもう何もかも遅かった。だから、殺して幕引きとした。暁子さんがじゃない。私が、だ」
思わず息を呑む。この人が犯人を殺して事件を止めた……?
「暁子さんは共犯だと言い続けているけどな。私がそうするしかないと決めて、私が実行したことだ。私はその罪を一生背負って生きていく。私もあの殺人鬼と同じ側の人間というわけだ」
「同じ側だなんて……そんな」
「とは言ってもだ。今は君たちの味方だ。それは信じてもらいたい。人殺しが味方じゃ安心できないかね?」
「……」
すんなりと、はいそうですか、と受け入れられる話ではなかった。だけど、今は出来ることを、やれるだけやるしかない。
「僕の考えは甘かった。僕たち二人じゃあいつには勝てない。ましてやあいつはあのビルを指定してきた。おそらく自分の城に作り替えて」
「だろうな。魔法使いで城を構築出来るやつなら、誰だってそうする。君たち二人じゃ可能性は薄い」
「ええ、だから今はあなたを信じます。いや、改めてお願いします。僕たちの力になってください」
「私からも! お願いします」
二人で立ち上がって、タバコを吹かしている沖田さんに頭を下げる。この人も自分が人殺しだと言った。五年前の雨宮暁子のように。だが、それでも、信用に値する人だと話していて感じた。そう頭で考えている。心で思っている。
「……はあ。別に子供に頭を下げさせようなんて考えてなかったんだがな。早く頭を上げなさい。君たちが私を信じてくれる限り、私も君たちを信じてる。それが私のやり方だ」
一服を終えた沖田さんも含めた三人で顔を突き合わせ、これからのことについて作戦会議となる。
「あ、ちなみにね。私は魔法使いとしては弱いよ。医療しかできない。他はからっきしだ。だからこんなものを持ち歩いてる」
開口一番、指に拳銃を吊り下げながら、沖田さんは自身に戦力外通告をした。
「え、だってあの雨宮暁子の弟子ですよね? あの人、自分を超一流とか言ってましたけど」
「超一流どころじゃない。世界でも五指には入るだろうね。委員会から絶賛最重要指名手配犯だよ」
「そのお弟子さんなのに?」
「あの人はね、天才なんだよ。頭で考えるんじゃなくて身体に刻まれてるタイプ。だから人に教えるのがド下手なんだ」
はははーと乾いた笑いをする沖田さん。本当にこの人と組んで大丈夫だったのだろうか? 騙されてないよな?
「まあその代わりね、銃火器の扱いならそれなりだ。そこは信用して欲しい」
「カメラマン……兼編集者さん……ですよね?」
「表の顔はね。ヒーローについていく凡人は大変なんだよ。追いつけないことが分かりきっていても、走り続けなきゃならない」
「……ちなみに、そのヒーローさんはどこにいるんですか?」
沖田は深くため息を吐きながら答える。
「あー今はね、別件でここからずっと南の離島だ。この街のことも気にしてたけど、あっちはあっちで大きなヤマでね。普段は一緒に行動してるんだが、今回は分担することにしたんだ」
つまりは本物の雨宮暁子との再会は、しばらくないのだろう。今はいない人のことを言ってても仕方ない。
「それで、相手の魔法についてですけど」
「ああ、水の弾丸にトゲ、魔法使いの基本である雨水の操作はある程度の精度があるようだな。君も若いとはいえ、似たようなことなら出来るんじゃないか?」
「いえ、父からは家の地下室でしか魔法の使用を禁じられていたので。物体の操作しか出来ない半人前以下ですよ」
「物体の操作か……。そういえばこれ、君のだろう?」
沖田さんは懐から、あのとき僕が投げつけた短剣を取り出した。
「随分年季が入ってるな。もしかして魔法道具(アーティクル)なのか?」
「いえ、これはただの短剣ですよ。修練の時によく使ってたので扱いやすいんです」
「アーティクル……って?」
そうか、雪月には話してないんだったな。僕は簡単に魔法道具(アーティクル)について説明した。
端的にいえば、魔法の宿った道具のことだ。長年魔法を込められて扱われ続けると、使用者を問わず、それ単独で魔法を発現することが出来るようになるモノがある。それが魔法道具(アーティクル)だ。多くの魔法使いはそれを目にすることなく生涯を終える、それぐらい貴重なモノだった。何よりもその特性上──
「雨が降ってなくても魔法が使える!? 誰でも!?」
「いつでも、誰でもだ。ただ、なんでもできるわけじゃない。そのモノに籠った一つの魔法だけが使えるんだ」
「そんなモノもあるんだね。魔法って奥が深いなあ」
やけに関心している雪月を横目に、僕はただの短剣を受け取って懐にしまいこむ。
「今更で申し訳ないんだけど、雪月さんは魔法使いじゃないんだよね?」
「幼少期に魔法少女に憧れたりはしましたけど、本当に魔法使いがいるなんて知ったのはつい最近です」
「委員会のことなら大丈夫ですよ。雪月は他の誰かに漏らしたりなんかはしない」
「いや、君たちを信用すると言ったんだから、その心配はないんだけど。……随分、馴染んでるなと思ってね。雪月さんは魔法っていう未知の力が怖くないのか?」
「怖い、ですか? むしろ素敵な力だと思います。私はビルから落ちて死にそうだったところを灰夜くんに魔法で助けてもらったし、沖田さんだって魔法で灰夜くんを治してくれたから」
「そうか、面白い子だな、君は。……ん、ビルから落ちてるのを助けた? どうやってだ?」
「それは魔法を使って雪月が落ちる速度を緩めるように……僕も必死だったので、またやれと言われて出来るかわからないけど」
僕の返答に沖田さんは納得いってないような、何か気になるような難しい顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「いや、そうだな、即席だけどあるいは……。雪月さん、君は運動神経がいいね。東雲くんを背負ってここまできても息一つ切らしてなかったし」
「え、ええ……まあそれなりには」
え? 僕は雪月に背負われてきたのか? なんだろうか、男として複雑な思いがある。
「喧嘩とか、したことある? 格闘技とかは?」
「あ、こいつステゴロ最強ですよ。中三の時に大の大人を二、三十人蹴散らしてますから」
「は、灰夜くん!? 事実だけどそんな言い方……」
肩にパンチが飛んでくる。うん、しっかり痛い。ボクサーに殴られたみたいな衝撃だった。
「もちろん二人が了承すればだが、一つ作戦がある。はっきりいって二人共命懸けになる。それにお互いに信用がなければ成立しない。だが、了承してくれるなら、レクチャーしてやれる」
そう言って沖田さんが提案した作戦は、確かに危険を伴うものだった。特に雪月の負担が大きいのが気になるが、雪月は断ることはしないだろう。
「うん、私やります! 灰夜くん。私、灰夜くんのこと信じてるから怖くないよ」
その決意にみなぎった眼差しに僕は本当に弱い。正直乗り気な作戦ではないが、ここは雪月の決意を汲むところだろう。僕も腹を括ることに決めた。
「よし、一時間で形にするぞ。そうしたら、奴のとこに行って終わらせる」
「うん! がんばります! ……ところでなんだけど、一つ質問いいですか?」
「ん? 私にか?」
「えっと、沖田さんも知ってるのかもしれないから二人に。結局あの偽物の正体ってどんな人なのかな?」
「ああ、そうだったな。おそらくだが──」
僕は殺人鬼の正体を口にした。そいつは雪月も知っている人間だ。驚くのも無理のないことだった。
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