第10話

 その青年への恋慕の情と後悔が彼女を『そのとき』に縛りつけたままでいる。


「献本で出版社から送られてくるだろうけど。俺と一緒に買いに行ってみない? 祥子さんは自分の本が売られているとこ、見たことないだろう?」

「本……、屋?」

「そう。祥子さんは外出なんてしないから恐いかもしれないけど。俺が一緒だから大丈夫」


 何をどうしたら祥子が時間を取り戻すのかは、わからない。

 だが、そのひとつの方法として、自分が描いた少年はもういない現実に、現実の空間で向き合うことも手段なるかもしれないと思い立つ。


 雅史は半ば強引に発売日に買いに行く約束を取り付けた。


 けれども梶原は同行できない。

 雅史に必要とされているのはメイクやコーディネイトのセンスだけ。


「長居してすみませんでした。今日はこれで失礼します」


 肩を怒らせて踵を返した雅史に梶原はぶつかりそうになりかける。「あっ」という、「悪い」という短い声だけ残して屋敷を出る。

 

「すみません。私もこれで失礼します」


 ありがとうございましたと言おうとしたのだが、なぜだか喉が詰まったようになる。雅史を傷つけた彼女に礼は述べられない。

 梶原は雅史に追いついた。


「あのさ。その日、私も一緒に行ってもいい?」


 拒絶されるだろうなと思いつつ、言わずにいられず問いかけた。


「いや、悪い。俺、祥子さんと二人で行きたい」


 雅史は正面切って断りを入れてきた。

 そういうところが好きだったはずなのに。

 梶原は続く言葉が見つからず、はずだったのにともう一度、胸の中で呟いた。

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