第9話
雅史も梶原も押し黙り、祥子の告白に耳を傾ける。
その絵の中の少年への恋に身をやつし、生き残り、時を止めた女性がここにいる。
だから祥子の写真は物悲しいのだ。
自分はその物悲しさを愛している。被写体としても女性としてもだ。
「そういえば、もうすぐ祥子さんの画集が出るんだっけ」
絵本などの挿絵ではなく、彼女の画集だ。
どんな絵が収録されたのかは知っている。けれど、どんな思いで描いたのかまでは知らずにいた。
「一緒に本屋に行ってみない?」
本の中の美少年に嫉妬するようになるなんて。
どんな彼がどんなふうに祥子のたましいをこうまで結びつけたのか。
「彼は関東軍が満州を占拠するのは国の恥だと、いつか満州国が日本の脅威になることを路地で演説していたわ。私の叔父が関東軍の幹部だったのよ。それで近々逮捕する話を盗み聞きしてしまって。私、彼の家に駆けつけた。だけど、裏通りの長屋でも、妻と生まれたばかりの赤ちゃんを抱えたあの人が微笑み合っているのを窓から覗いてしまったの。なんて幸せそうな三人なんだろうって」
明日家宅捜索で検挙される。
だから今夜中に逃げて欲しい。
それを伝えるために行ったのに、その幸せを爪で引き裂きたくなってしまっていた。
「結局、何も言わずに私は帰ってきた。翌日、夜更けに長屋に行ってみたら、昨夜と打って変わって散々な有様だった。まるで廃屋のように荒らされて、彼の妻も子供も、彼自身もどこへ連れていかれたのかも誰も知らない。今となってはあの一家がどこでどうなったのかは誰にもわからない」
玄関から廊下に上がった祥子に雅史はついて行く。居間の暖炉の上に飾られた写真盾の中のひとつを取ると、雅史と梶原に差し出した。
それは古めかしい白黒写真で、椅子に腰かけた女性と軍服姿の男性と、その妻らしい着物の女性が三人で映っていた。
「これが私の叔父と叔母よ」
だとしたら、残るひとりは祥子だろう。
「もしも私が彼に教えていたのなら。教えて逃げてくれたなら、私はあの人を永久に失うこともなかったのに。だけど、どんなに悔いてもあの時の私にはそれができなかった」
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