第4話

「そういえば、祥子さんって誕生日はいつなの? モデルしてもらってるお礼に何かできないかって思ってて」


 梶原によって薄紫の下地を塗られる祥子は俎板の鯉も同然だ。目を閉じ、微動だにしていない。


「誕生日?」

「うん」

「雅史はお礼にかこつけて、祥子さんともっと距離を縮めたいとか思ってるんです。下心たっぷりなんて、無理に言わなくてもいいですよ」


 梶原が横やりを入れてくる。

 しかし祥子はクスリと笑う。


「弘化三年。孝明天皇が即位なさった年なのよ。だけどもう数えるのはやめてしまったわ。月日が経っていくつになろうと、私には関係ないことなんだもの」


 その語調には雅史を少しだけ遠のけるような冷たさが含まれていた。


「えー……っと。祥子さん。孝明天皇が即位したのは今から二百年ほど前ですよ? それから尊王攘夷の争いが倒幕にまで発展していって」

「よく知ってるな」

「一応これでも歴女なの」

「帝が即位された年に生まれたけれど、日付まではわからない。昔はね。誕生日なんて雲上人うんじょうびとしかお祝いなんてしなかったの。私は家業がお茶屋さんだったから。生まれた年はわかるけど、誕生日なんて親兄弟だってわからない」


 カメラを構えた雅史も、リキッドファンデーションを塗りかけた梶原も絶句するしかなかったが、それぞれ自分のやるべきことをすることで、訊ねたはずの答えをスルーするしか他にない。


 ただ、からかおうとしている上っ面だけの雰囲気は、まったくなかった。

 ある種の決意を込めた告白だ。

 祥子は終始伏し目で答えていた。

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