第7話 ひとり達

「はじめまして、川井悠と言います」

「鳥居妖烏です。松本さんから渡された原稿まだ読んでないんですけど、これどんな話なんですか?」

 松本さんが俺に、ごめんね。と声を掛けるが、鳥居は気にせず

「私、妖怪とか神とか生き物なら最悪、動物が良くて人は興味無いんですよね。」

 真っ直ぐ俺を見る鳥居。俺は目を合わせず、

「俺も人ではない物が好きで。でも、人と会えば会うほど、大切な人になったり好きな人が増えると思う。人に興味を持てないと、神や妖怪は本質的に掴めないと思います。」

 俺の言葉は、鳥居にとって癪に障るものだった。

「私この人嫌い。」

「えっ!」

「えっ…」

 松本さんと俺はギョッとする。今のワンラリーで嫌いとハッキリ言った事に驚いた。

「まぁまぁ、川井くんの作品も面白いよ。神は人を作り、人から妖怪が産まれた構造と、人間臭くも思考が異なる妖怪と人の会話とか。」

「人間の世界と妖怪の世界は別でいいんです。とにかく、私は人を描きたくないです。」

 鳥居の言い方に少し気になることがある。

「人間に興味がないわけじゃ無さそうで良かった。描きたくない理由は、経験からくるものかも。」

「うざっ!私帰ります。」

 席を立つが、パンケーキを見つめもとの席に戻り急いで食べ始める。俺は、少し面白くなって笑う。松本さんも鳥居を気にしながら笑う。

「鳥居さん素敵な人ですね。俺はもう鳥居さんに興味湧いたし、松本さんが会わせたいっていうのも、今理解しました。」

 鳥居は立ち上がるが、口に詰め込んだパンケーキで喋れず睨む。俺は、テーブルの上の原稿を手に取り、

「どうぞ。読んでみてください。今の俺の全てです。」

 鳥居は、原稿をつかむとカバンに乱暴に入れお店を出ていく。俺は席に戻り、

「これ、松本さんの想定内ですか?」

 松本さんは、アイスティーを一口飲むと、

「うーん。もう少しいい未来?を想像してましたけど、鳥居さんは川井くんの原稿読んでくれると思うよ」

「ありがとうございます。あと、聞きたいことがあって…」

 その頃、三重県警察署現象課に東京から刑事がやって来た。工藤だ。

「はじめまして!三重県警現象課部長の友部です。こちら、警部補の宇良です。」

 友部がわざとらしく、基本的な敬礼と挨拶をする。宇良もそれに習い綺麗な敬礼を見せる。

「やめましょう。友部さんは私よりも先輩ですから。突然押しかけて申し訳ない。」

「いえいえ、ご一報あれば駅までお迎えに上がれたのですが、しかし、警視庁の工藤刑事がこんな片田舎にどんなご用が?」

 工藤は、胸ポケットから2枚の写真を取り出し机の上に置く。二人がのぞくと一人はスーツ姿でいかにも真面目な人と、左腕に包帯を巻いた川井悠だった。

「今、私が追っている事件の被害者と容疑者の写真です。スーツの男が沖刑事といい、元相棒です。こちらがー」

「川井悠。」

 工藤は驚きながら友部を見る。

「ご存知なのですか?今、どこに?話を聞きたいのですが」

「我々も聞きたいのです。居場所もわからず…」

「隠すんですか?この男は何に関わっているんです?」

 友部は、工藤に帰ってもらうよう宇良を出口に促す。

「工藤刑事も話すべきことがあるはずですが、無いようでしたら友部も、話すことはないとの事です。お帰りください。」

 工藤は、友部をまっすぐと見つめ

「力を貸していただきたい。私では何も掴めない。沖が残してくれたであろう、犯人につながる何か…あいつは只で死ぬ男ではありません。」

 机の上の沖刑事の写真を手に取る友部。

「沖刑事はどうして亡くなったのでしょうか?川井が殺したと?」

「いえ、川井が犯人ということでは…ただ何かしら関わっていると私はみています。巻き込まれているのか、もしくは仕向けているのか…」

「少なくとも、私達には川井くんがそのようなことを…」

 宇良は思わず言葉を呑み、友部を見る。

「彼はまだ20歳の青年ですが、周りに何か気になる人間が?」

「いえ、しかし彼の周りでこの半年間、人が亡くなりすぎている。しかも、全員殺されている。」

「事故では?何故殺されていると?」

「刑事のカンです。」

 友部は大きくため息をつく。

「我々は田舎の県警窓際部署です。ですが、警視庁刑事の私怨に付き合うほど落ちぶれてはおりません。どうぞ、お引き取りください」

 工藤は、机の写真を胸ポケットにしまい何も言わず部屋を出ていく。

「協力しなくて良かったんですか?東京にいる間に事件起こっていたみたいですけど」

「足手まといは宇良だけで十分、それに東京に行く口実ができた。俺の申請も頼むな。明日、東京へ向かう」

「足手まといに、申請書作成頼まないでください。あれ?」

 机の下にメモ帳が落ちている。工藤が胸ポケットから落としたようだ。

「渡してこい。ワザとだろう」

 宇良は、工藤を追いかける。工藤は車に乗り込んだところだった。

「やばっ!山座(サンザ)車を止めて!」

 宇良が叫ぶと地面から蔓が生え、工藤の車のタイヤに巻きつく。車は進めず、工藤は混乱する。追いついた宇良が窓を叩く。

「工藤刑事、メモ帳をお忘れです。」

「いつの間に?!助かりました!これは相棒の形見で…奥さんから預かってるものでした。」

「友部さんが言うように、行方が分からないんです。少なくとも三重県には居ません。」

「なぜ分かるんです?」

「教えられません。ですが、確かな情報です。」

「ありがとうございます。では、これを友部さんに」

 工藤は、助手席から取った資料を宇良に渡す。

「東京で起きた2つの殺人事件と川井の傷害事件の捜査資料です。私が持っているものはそれが全てです。」

「ありがとうございます。渡しておきます。」

 工藤が車を出す。蔓は跡形もなく消えていた。

「あの子も賢いな。必要最小限の言葉で話す事を意識している。こちらも警戒せざるを得ない。」

 工藤は、後部座席に置いてある渡したものとは別の資料を見る。

「沖、奥さんからお前を奪ったやつを必ず俺が捕まえる。」

 その頃、悠は都内のビルに来ていた。松本さんから教えてもらった場所だ。

「ここかぁ…緊張するな」

 ビルの最上階に、目的地の弁護士事務所があった。ビルの1階に総合受付のある、大きな商業ビル。受付には綺麗な受付嬢が三人、その中の一人に声を掛ける。

「お世話になっております。でいいのか…えーっと、篠宮法律事務所の『篠宮貴一様』と約束しているんですけど。」

「お名前をお願いいたします。」

「川井悠といいます。」

「お待ちください。」

 電話を終えて、パスを貰いゲートを通る。エレベーターで最上階の30階に向かうと、また受付がある。

 俺がエレベーターを降りると、受付に居る女性が立ち上がり、扉を開けて中へ促す。

「失礼します」

 一人の男が外の景色を見ながら電話で話をしている。しばらく立っていると、入り口近くで立っていると、さっきの女性が飲み物を持って部屋に入り、部屋の真ん中にある椅子とテーブルに俺を促す。まだ一度も声を聞いていない。

「あぁ、すまない。川井君だね?探していたんだ。川端くんからよく話は聞いていたんだけど、急な事でね。君の連絡先を聞きそびれていたんだ。」

 篠宮は、携帯を机に置くと俺の目の前に座り、コーヒーを飲む。

「君はコーヒーが苦手だよね?それは、インスタントのスタバ抹茶ラテだ。川端くんからいつもそれを飲むと聞いていた」

「ありがとうございます」

「畏まらなくていいよ。話は、松本さんからどこまで聞いてるのかな?」

 喫茶店で鳥居が帰った後に、松本さんと少し話をしていた。

「川端さんの娘さんに渡したいものがあって、松本さん家知りませんか?」

「家は知ってるけど、流石に押しかけるのはまずいだろう。川端さんの顧問弁護士がいるから、訪ねてみるといい。そういえば君のことも探していた。」

 松本はそう言うと、携帯の地図アプリを見せてきた。

「LINE交換できるかな?リンクと弁護士の名前、送るよ」

「わかりました。ありがとうございます」

 こうして今、俺は弁護士篠宮貴一の目の前で抹茶ラテを飲んでいる。

「つまり、松本さんからは何も聞いてないと(笑)。まぁ、全て一任してもらっているわけだから、私が説明するのが妥当ではあるが。それでも、私より松本さんの方が川端くんとは長い筈だから、今度聞いてみるといいよ。」

「はい。それで話というのはなんですか?」

「いやぁ、川端くんの遺産相続についてなんだがね。今、亡くなる前に建てていた家が完成して、中学生の娘さんが一人で住んでいるんだ。しっかりした子ではあるんだが、法律上まだ独り暮らしは出来なくてね。今の家に住むには、親権者の同意がいる。だが、ご両親も親戚も居ない。川端くんは、遺書の中で君に後見人をしてほしいと遺しているんだ。急な事で申し訳無いが、引き受けてはもらえないだろうか?」

 篠宮は自分のデスクの引き出しから、折り畳まれた紙を見せてきた。遺書と書かれた、ドラマでしか見たことが無いものが目の前にある。

「何で俺なんでしょうか?松本さんや篠宮さんのほうが…。それに俺はまだ20歳です。」

「娘さんが18歳になるまででいいんだ。それに川端くんが君に遺した遺産もある。新築の部屋一つと敷地内の倉庫を君に譲ると。」

「一人娘が住んでいるのに?!貰っても…どうすればいいか…」

「それほど、君を信頼してるということだ。後見人の間、川端くんの家で一緒に住むことはできないかな?大きな家に一人では、娘さんも寂しいだろうし」

 いやいや、中学生の娘さんと20歳大学中退の男を一緒に住ませたいとは、川端さんも思ってない筈だ。何より、俺は娘さんに会ったこともない。

「娘さんは、何と言ってますか?というか、お名前は?」

 川端さんの本に書いてあったが、もしかしたら違う名前かも、

「名前は川端美佑ちゃん。これから一緒に会いに行こう。実は期限が迫っていて、川井くんが訪ねてきてくれて本当に良かった。」

 そう言うと、篠宮は鞄に書類を詰め始める。

「いや、急には…しかも一緒に住む話なんて…」

「君の事は、娘さんにも話していたと思います。川端くんの葬式、行けてないでしょ?手を合わせたほうがいい。」

 俺も、鞄に入れたあの本を渡したかった。信じないかもしれないけど、その可能性は高いけど、それでも渡したかった。

「行くよ。車が待ってる」

 そうして、やって来たのは世田谷区にある白く四角い大きな建物。上部には半円形の部分がある特徴的な恐らく3階建ての一見家には見えない建物。インターホンを押す篠宮、建物から反応は無い。

「居ないんじゃないですか?平日ですし、まだ部活動とかされてる時間じゃ」

「帰宅部ですよ。今、開けてくれますから」

 篠宮の言葉のすぐ後に、ガチャと音がして扉がゆっくり開く。開けたのは、まだ幼く可愛らしい、少女だった。

「川端さん、弁護士の篠宮です。さっき、秘書からお電話いってるかと思いますが、実は」

「中へどうぞ。人目につきます。」

 見た目からは、予想出来ないほど大人びた、冷たいトーンの声。身長は百五十ちょっとだろう。篠宮のスリッパの横に、俺のスリッパも置いてくれる。

「ありがとうございます。はじめまして」

 俺の事を一瞥もすることなく、部屋に入る女の子。篠宮は、俺の肩に手を置き大丈夫と言うように柔らかい笑顔で頷く。俺はいつの間にか、引きつった笑顔だったらしい。

 部屋に入ると、そこは広いリビングで掃除も行き届いていた、と言うより使用感がない。閉じられた仏壇の前に両親の写真が飾られていた。篠宮さんと並んで写真に向かって、手を合わせる。その光景を冷めた目で見つめる少女の目。

「飲み物、水でいいですか?」

 少女は、そう言うとウォーターサーバーでコップに水を入れ、篠宮さんと俺の前に置く。そして、少女は自分の分は用意しなかった。

「今日は、ありがとね。最近困ったこととか」

「その人は、誰ですか?」

 少女は、俺を睨んで言った。

「はじめまして、川井悠と言います。川端美佑さんですか?」

「そうです。何しに来たんですか?」

 俺は、鳥居さんの時と同じでこの世代の子に嫌われる傾向にあるらしい。

「ごめんね。お父さんの遺書のことで、川井くんにも関係のあることでね。君がここに住むために必要なことでー」

「一人で暮らせています。今更、遺書がなんですか?家があればいいので、お金がいくらとか知らないです。」

「いやぁ、その家についてでね。悠斗さんの遺書ではね、君と川井君にこの家を譲ると書かれていて」

 バンッ、と美佑は机を叩き立ち上がる。怒りが表情が俺の顔に刺さるかの如く向けられ、

「そんなの聞いてません!何で私が良くも知らないこの人と、家を分けなきゃいけないんですか!あの人は、死んでも私に嫌がらせするですか?」

 川端さんに対する美佑ちゃんの気持ちが今の言動でわかった。

「篠宮さん…もう彼女には伝えてあるって言ってたじゃないですか…」

 俺は小声で篠宮に聞くが、篠宮はそれを無視して美佑の説得を始める。

「でも法律上、後見人は必要ですしこの遺書も有効なものです。美佑ちゃんの不安はごもっともだけど、お父さんが信頼する川井君なら信頼出来ると思うんだけど。ここで暮らすなら、それが一番だし」

「待ってください!俺もここに住むと決まったわけでは…」

 美佑は座って俺を睨みながら、

「私はあの人を信用していません。第一、家族のために作った家をなんでこんな赤の他人にあげなきゃいけないんですか?」

 仕方のないことだが、やはりお父さんとの別れ方はあまりにも唐突で悔しかったのだろう。怒りが言葉の端々で感じられ、無理なお願いをしている自分を申し訳なく思ってしまう。

「一応、お父さんの書斎と倉庫が川井君の相続する財産になるんだけど…」

「荷物全部持ってって貰うじゃ駄目なんですか?私、こんな知らない人と住むの絶対嫌です。あの人、ほんとにありえない。」

「お父さんの呼び方じゃないね」

 思わず言ってしまった。美佑の境遇を思えば、当然のことだ。言って後悔するが、何か言う前に、篠宮さんが、

「ごめんね、美佑ちゃん。大変なのは重々承知で、どうかお願いしたい。」

 篠宮さんは深々とテーブルに頭を付けながらお願いする。暫くの沈黙から、

「勝手にしてください!どうせ私がここに住むにはあなたが居ないと行けないことは理解しました!部屋は勝手に使ってください。でも、私の日常に干渉して来ないでください。もう、一人で生きていくことはできるので!」

 部屋を出ていく美佑。閉じた扉をもう一度開けて、

「友達に絶対見られないようにしてください。同居人なんて居たら変に見られる!」

 バンッと扉を閉め、その衝撃で棚の家族写真が倒れる。扉の前で立つ美佑は、

「何なの、あいつ。」

 部屋に残された篠宮さんと俺は、

「良かった。では、手続きを。こちらにサインをお願いします。」

「篠宮さん、絶対事前に説明必要でしたよ。それに、俺ここで住むかはまだ。仕事も決まってませんし。」

「でも、期限が近い中でこの話が着地したのは、勿論美佑ちゃんの為です。守ってあげてください、美佑ちゃんを」

 そう言われては断れない。渋々、必要書類にサインすると、篠宮さんはさっさと帰っていった。篠宮さんを見送り部屋に戻ると美佑もリビングに戻っていて、

「あの人と、洗濯物は別だったのでそうしてください。食事も要らないです。勝手に作られても勿体無いので。信用していないので、私の部屋の前とか通る音がしたら、この家から出てってください。」

「洗濯物については、わかりました。食事は一緒に出来ないかな?テーブルは別でいいし、時々でいいから。部屋の前も通らないで下さい。私の部屋は、えーっと悠斗さんの部屋なのであの角部屋かな?何かあればー」

「何か無いので結構です。食事も私は普段通りしますから、あなたが勝手にしてください。食事はリビングで食べないで」

「わかった。ありがとう。」

「図々しいですよね。ただの知り合いの家に住もうだなんて」

「…。」

 俺の顔を睨みながら近づいて、正面に立つ。

「出掛けるから、どいて!」

 扉を開けて、今度は先程より弱く閉める。倒れていた家族写真は、俺が元に戻した。笑顔の家族写真は、美佑がまだ赤ん坊の頃のものだった。

「川端さん。娘さん強いです…。えげつなく凹む。」

 一人残された家のリビングは、無機質で寂しく昼過ぎとは思えない程、外とは隔絶された静けさだった。

「なんか…寂しいな。ここで一人か…でも、川端さん遺書遺してたんだな。」

 その時、玄関でガチャリと音がしてリビングを出ると、丁度玄関が閉まる直前だった。

玄関には、鍵が1本置かれていた。

「家の鍵か。美佑ちゃん俺が持ってないの気づいてくれたんだ。」

 少し体が熱くなるのを感じた。あの人の血は確かにあの小さな体に受け継がれてる。俺は、川端さんが残してくれた部屋を見ることにした。何故なら、

「美佑ちゃん鍵持ってるのかな?普段から予備持ってる訳ないもんな」

 よく考えれば、玄関に予備の鍵を保管している可能性は多いにあったが、このとき既に興味は川端さんの部屋に全振りしており、あまり深くは考えていなかった。帰りを待つ間、川端さんの部屋を見る。

 川端さんの部屋は、リビングに面した角部屋で、一緒に譲り受けた倉庫とは隣接した位置にあった。扉を開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは壁に貼られた大きなポスターだった。片面のマスクとモノトーン衣装を着た女の子三人が真ん中で手を重ねこちらを見ている。

「確か、歌手?アイドルだっけ。もしかして川端さんがマネージャー担当してたのかな。めちゃくちゃ有名な人達やん」

 本棚にベット、テレビはかなりの大きさで、至る所に二人のグッズが置かれている。携帯で調べてみると、【ヒメノア】と言うアイドルだった。

 本棚には、漫画と妖怪や神話の画集が多かったが、その中に悠と書かれたファイルを見つけた。開くと、これまで川端さんに見てもらった物語の序章から終末までの小説のプロットだった。

「すごっ、まとめてくれてたんだ。日付もメモするなんてホントにマメだ。ありがとう川端さん」

 プロットの後には、ロケ地やそれを活用したグッズや宣伝の展開など、川端さんのアイデアが数多書き留められていた。今、自分が持つ川端さんの遺書、俺が返せるものは何もないけど、これは必ず美佑ちゃんに渡さないといけないと使命感のようなものを感じた。

 静かなリビングに戻り、椅子に座りながら部屋をキョロキョロ見回す。彼女から見たらキモいだろうなと思いつつも、見てしまう。

 ガチャ、玄関の方で音がして帰ってきた。思ってたより早いし、鍵もやっぱり持ってた。

 リビングの扉が開き、俺を見て驚くが口には出さず無視してキッチンへ向かう。

「あの、美佑ちゃん。これ、お父さんの物で君宛てのものもー」

「遺書なら見ました。私にはお金とこの家を残すだけでした。まぁ、自分の部屋と倉庫はあなたにですけど」

「いや、遺書じゃなくて川端さんが書いた書紀?みたいなもので…」

「そんなものまで用意して、篠宮さんも騙したんですか?ホントに川端っていう人ですか?」

 その時、ピンポーンとインターホンが鳴り、二人とも玄関の方を見る。

「早く隠れてください!友達かもしれないので!」

「えーっと!いつもどこで遊ぶのかな?!トイレはダメだし、お風呂場も、えーっと」

「あの人の部屋で!早くして!」

 俺は急いで部屋に向かうが本を忘れる。美佑は顔をマッサージしてから扉を開ける。

「美佑ーー!おっそいよ♪先輩からケーキおごってもらったよ!一緒にたーべよ」

「うん。後ろの人誰?」

「だから先輩だってば」

「はじめましてだよね?おんなじ高校ではあるんだけどー」

「知らない人は入れられないので、ごめんなさい。」

「ほらー、行ったじゃないですか?美佑は絶対無理だって。私はいいよね?じゃあ、先輩ありがとうございます(笑)」

「まじかよ!ケーキ3つ買ってきてるんだぜ?一緒に食いたいだけ!いいでしょ?」

「駄目です。スイマセン。」

「そんな…」

 ガチャッと扉が閉まり、鍵も閉められる音がする。

「先輩の分、半分個しよ!美佑の好きなチーズケーキ買ってきたんだ♪」

「アンタいつか刺されるよ。付き合う人選びなよ」

「私は美佑以外、広く浅ーくでいいの!いざって時は守ってね」

 二人は2階に上がっていく。美佑の部屋の扉が閉まるのを確認し、殺していた息を吹き返らせる。携帯のメモには、チーズケーキと入れておく。これからの為に色々メモしていこうと決めた。

「あの先輩の男の子、可哀想だったな。あれ?俺、この部屋からもう出れないか?」

 その時、川端さんの椅子にぬらりひょんがいることに気づく。

「見無さん、いつから?でも、助かった。この部屋から出れますか?」

 ぬらりひょんは、普通にドアを開けて部屋を出る。俺もそろーとあとに続くが、丁度部屋を出てきた美佑と目があった気がして固まる。

 しかし、美佑は見えていないかの様にそのままキッチンへ向かう。俺はゆっくりとぬらりひょんの後を追い、リビングを出て玄関から外に出る。

 美佑はジュースを持って部屋に向かう途中、あの人の部屋の扉が開いていることに気づく。

部屋を覗くとそこにはさっきの男はいなかった。嫌な予感がして、リビングのテーブルに飲み物を置くと、そのまま置いてあった背表紙に父の名前がある本を見る。

 自分の部屋を勢い良く開けると、中には友達の彩城澄麗しか居なかった。

「そんなに強く開けたらびっくりするよ美佑!飲み物は?取りに行ったんじゃないの?」

「ゴメン。リビングに…取ってくる。」

 美佑は、リビングに戻りジュースを載せたお盆の下に、本を隠し部屋に持っていく。

 ガチャ、

「スミレ、誰か見なかった?」

「怖いこと言わないでよ。幽霊屋敷なの?」

「ううん。なんでもない」

「今日変だよ。先輩連れてきたこと怒ってる?」

「怒ってないよ。申し訳無いと思ってる」

「でも、入れないんだ」

「うん。」

 二人は顔を見合わせて笑った。家の外では、俺とぬらりひょんが玄関の前にいた。

「見無さんありがとうございます。見つかったかと思いました。」

「ぬらりひょんの1番根幹の部分だ。存在の軽薄化と敵からの死角を作り欺く。それより、これからどうするつもりだ」

 俺は、携帯を取り出す。そこには『來間泰征』からのLINEが入っていた。

「会いたい友達が居るんです。これまでのこと、謝らないと」

 LINEには、來間からの連絡でレストランの住所がリンクで送られてきていた。

 午後十九時六分の新宿、ディズニーストアにほど近いイタリアンレストラン【リウネイト】。少し予約時間より早いがレストランに入ると、既に『宮本苑香』が黒いマスクをつけたまま、静かに座っていた。大学時代の清純さより、今は黒を基調としたモノトーンのワンピースのせいもあって美麗さが際立ち、声を掛けづらくなっていた。

「宮本…だよね?」

 宮本はゆっくり振り返り、長い黒髪が揺れる。声を出さずとも、こちらを見る目で驚いているのがわかる。宮本は俺の顔から目を逸らさず、ゆっくりと立ち上がると左手を伸ばしてきた。

 触れる間際、レストランの入り口から大きな声で、

「悠!」

 俺が入り口を見ると、そこには怒りの顔で向かってくる『辻岡紗月』と探しものを見つけたように笑顔な『來間泰征』の両極端な二人が居た。

「紗月、ごめー」

 俺の言葉の途中で、紗月は俺をビンタした。泰征は紗月の顔を見ておらず、今の状況が予想外だったようで、すぐに間に割って入る。

「待って待って!せっかく俺が喜んでくれると思ってサプライズしたのに!なんで」

 サプライズだったのか。どおりで女子二人の反応がおかしいと思った。

「なんで連絡しなかったの?一度も!どんだけ心配したと思ってんの!」

 その時、宮本が俺の服の裾を掴む。宮本も紗月も涙目だった。

「ごめんなさい。」

 静かになる店内。周りのお客さんも見ていいものか、居づらい空気になっている。

「よし!許した!」

 周囲の人間の待っていた言葉を、泰征が発した。俺が笑うと、女子二人も笑い

「簡単に許すなっ!泰征が事前に言ってくれればこんな空気になってないから!」

 嬉しそうに、少し眉間にシワを寄せながら話す宮本と、

「よかった」

 俺に聞こえる声で呟く紗月。

「座ろか。宗二は返事無いし最近会ってないんだよな。今、悠居ること伝えたからそしたら来るでしょ」

 泰征は相変わらずだが、それぞれ少し雰囲気が変わっている。宗二も少し心配だ。一番変わったのは、目の前に座る宮本だろう。

 昔の穏やかな雰囲気とは違い、静かで距離を感じるのは、目が合わないからだろう。さっき俺の顔を見たときの目は、正直怖かった。初めて彼女の怒りの感情に触れた気がした。

 みんなでシェアするピッツァやシーザーサラダ、ステーキがやって来た。いつも、俺が分けたりしているので、今日もするがやはり何か一挙手一投足見られている気がして、ぎこちない。

「久々の食事なんだからさ、もっと楽しそうにしようぜ。このレストラン、せっかく予約したんだから!いっつも俺か悠の家飲みだったからな」

 泰征は、取り分けたサラダをワサワサ頬張りながら言った。みんなバイトはしていたが、サークルや旅行用の貯金のために節約していた。

「今、みんなは何してるの?俺は、ちょっと今後のために東京に来たんだけど」

「また、東京に戻ってくるの?住む場所とかは?ていうか、明日戻ったんだね」

 紗月は、ステーキを切りながら色々忙しなく聞いてくる。宮本はマスクを食事の合間につけて、話したくない雰囲気を出しているが、チラチラとこちらを気にはしている様だ。

「住む場所はなんとか。でも、同居人がいて…いや同棲とかじゃなくて、俺が居候みたいな感じなんだけど…足は、奇跡?歩け歩けと思ってたら歩けるようになったという…」

「悠、嘘ヘタすぎ。言いたくないならいいよ。昔とは違うんだし」

 泰征の言葉は、以外に俺の心に深々と突き刺さり苦しかった。それは、俺だけでは無いようで宮本の目には一層生気が無くなった気がした。

「みんなは?紗月と苑ー宮本とか、卓球まだやってる?」

 宮本が立ち上がると、お手洗いの方へ行ってしまう。紗月は俺を睨みながら、

「悠さ、あんたから距離作ってどうすんの?あんたのこと一番心配して苦しんだの苑香だよ?遠慮も優しさもあんたの得意分野だけどさ、あたしたちにもそれをするわけ?昔に戻りたくて今日来たんじゃないの?」

 そう言うと立ち上がり、苑香の後を追ってしまう紗月。

「みんな不器用だな。俺は、お前がそんなに変わったとも思ってないけど、少なくとも俺達に遠慮していいことあるか?」

 泰征は、店員さんに飲み物の追加を頼む。

「そうだよね。ごめん。今、わかんないんだよな、人との距離感っていうか、みんな同じに思えて…いや、どうでもいいとか言う意味じゃなくて…」

「わかるって。俺達が言いたいのは、一人で背負い込むことかってことさ。勝手に一人になるなよ、お前も宗二も」

 泰征の顔からは、そういうところ嫌いだという言葉にはしない嫌悪感を感じる。

 その時、俺の携帯電話がなり見ると篠宮さんからの着信だった。泰征に電話出てくると伝え店を出る。そのタイミングで、宮本と紗月が帰ってくるが、悠がいない事に少し嫌な顔をする。

「電話だ。仕事とか、住む場所の話じゃない?神経質になり過ぎだって二人とも。俺今日は久々に楽しみたいんだよ。」

「私達は別に神経質じゃないよ!楽しくないの人のせいにしないでよ!なんで居酒屋とかじゃ無くてイタリアンなの?喋りにくいし、宗二来ないし。」

「いや、用事があるんだって。あいつも休学してるし、既読は付いてるから待ってりゃリアクションするからさ」

 その時、宮本がカバンから財布を取り出し一万円置いて、店を出ようとする。

「どうしたんだよ。まだデザート食べてないだろ。」

「明日早いから。悠に会えたのは嬉しかったし、予約もありがとう。でも、もういいよ。私は帰るね。」

 少し寂しそうに、店の外の悠を見ながら宮本は言った。泰征は、

「なぁ、苑香。気を遣わせたのは俺達の責任でもあるかもな。あと、これはいいから。また、集まる時に来てくれよ。宗二には俺から、次は来るように伝えるから。」

 そう言うと、泰征は自分の財布から一万円を取り出し、宮本に渡す。また、自分の席に取りには行かせず、楽しくない会で払わせない泰征なりの優しさだった。

 宮本は、静かに店の外に出て悠に声を掛けようとするが、辞めて歩き始める。

「では、宜しくお願いします。」

 悠が電話を終え、店に戻ろうとすると道の先に宮本が歩いているのが見えた。店内を見てから、追いかけようとするがその時、

「悠…なのか?」

 振り返ると、そこには第二ボタンまで外したシャツと黒いズボンで、髪が左目が隠れそうなくらいの長さ、スタイルと顔の良さが際立つ無駄のない出で立ちをした『小瀧宗二』の姿だった。

「宗二。久しぶり。ちょっと痩せたか?」

「足、歩けるのか?会いたかった。」

 そう言うと、宗二は俺を強く抱きしめた。第三者から見ると完全にBLものだ。でも、

「ありがとう。皆が心配してくれてたって聞いた。一方的に遠ざけてごめん」

「もう、会えないかと思ってた。お前の辛さわかんないから、どうすればいいかわかんなくて。」

 とりあえず、店に戻って紗月と泰征に合流する。

「苑香、さっき帰ったよ。宗二も来るのおせぇ。もうデザートだ。」

「苑香連絡しよっか?まだ近くにいるかも」

「止めとけよ、苑香来づらいだろ。改めて機会作りゃいい。その時は、紗月から苑香に伝えて上げればいいし」

「ゴメンな皆。次は、早いうちに俺から連絡入れるから」

 三人が俺の顔を見る。泰征は、悪戯な顔で

「悠、今信用ないからな。すぐ連絡しろよ。次は宗二も早く来い」

 俺と宗二に指差す泰征と、その指を掴む二人。笑わずに入れない空気になって笑う。紗月はベロを出して嫌そうな顔をしてるが、久々の再会は本来この感じだよなと思った。

 帰りは、宗二と二人で歩くことにした。

「宗二、結構髪伸びたな。色気あるよ。最近会ってなかったらしいけど、俺のせいだよね?」

「俺が弱いからさ、悠のせいにはしたくない。足、治ってほんとに良かったよ。」

 宗二は、嬉しそうに笑って俺を見る。

「これ、覚えてるか?一緒に行った板橋の縁切り寺で買ったお守り。元カノとさっぱり別れて、悠も同級生と縁切り出来て、お礼参りしないと行けなかったのに、そのままになってだろ?」

 宗二は、財布から小さな木札とビー玉を取り出す。俺も財布から色違いのビー玉と木札を取り出す。

「そうか、ちゃんと行かないとな。望み叶えてもらったし。ていうか、あそこの力ホントに強かったな」

「今から行く?俺、今板橋に住んでんだよね。」

 宗二の提案に乗ることにした。今日は、川端さんの家には戻れなかった。まだ、美佑ちゃんとの距離感が掴めていないし、本を置いてきてしまった。次会うまでに読んでくれてたらなんて考えていると、

「悠、仕事は?俺、今フリーで何でも屋みたいなコトしてんだけど、自由度高いし身入りも結構良いんだ。」

「何でも屋ってどんな事やんの?闇系じゃない?」

「違うよ!個人でSNS使ってやってるし、ちっちゃいアパレルのモデルとかレンタル彼氏とか、一応マスクは着けさせてもらって身バレはしない様にしてるし、誰かにお金渡さなきゃいけないとかないし」

 慌てる宗二を見て初めて、手や首、耳についたアクセサリー類が目に入る。趣味変わったな。

「今時の仕事なんやな。宗二カッコイイからリピートも有りそうやし、ちょっとレンタル彼氏とかは心配やけど」

「悠、手伝ってくれたりする?ホントに一緒に居てくれるだけで良いんだ。俺、結構雑でさビジネスライクな感じでやってたら、問い合わせは多いんだけど、クレームも多くて…」

 宗二は、モテるけど不器用だし相手を虜にするのは無意識にしてしまうから、温度感がどんどん乖離してしまうらしい。個人情報を出してないから、危険な目にはあってないらしいが、それなりに有名になって少し休もうかとも思っているらしい。

「彼女はその仕事、許してくれてるの?なんか、趣味変わったみたいだし、居るんでしょ?」

「居ないよ、これは…ごめん。付いてるの忘れてた。」

 急いで、アクセサリーを外して小さいカバンにジャラジャラ入れていく。

「ホントにいないよ。皆にそう思われてたと思うとショックすぎる…悠居なくなってから、皆気まずくなった気がして、俺苦手なんだよ。悠居たときは纏めてくれてたし、正直宮本と辻岡とは一人で話したこと無いし。」

「そうだったっけ?宗二、人見知りの印象もなかった。」

「悠が居ないと、話せないよ。泰征みたいに誰でも仲良くも出来ないし…」

「泰征のは、天然やよな。真似出来ないていうか、好き嫌い別れそう」

 笑いながら歩いていると、後ろに気配がして振り返る。小さな猫が通り過ぎ、宗二も振り返る。

「悠、昔から怖がりだよね。これからお寺さん行くし、ちょっと敏感になってる気がする」

 俺達が歩き始める背中を、塀の上から見つめる猫。縁切り寺に到着すると、町中にひっそりと佇む夜の寺院は、小さくても存在感があって自然と無口になる。

 鳥居の前で一礼し、お堂の前に立つ。二礼ニ拍手の後、感謝を心中で唱える。最後に一礼し鳥居を出て一礼。

「ふぅ〜、緊張した。他の人が居ないとしっかり集中してお参りできるな」

「このあと、家来るだろ?コンビニでお酒とつまみ買って行こう」

 二人が寺から離れていくと、お堂が開き小さな盆栽の様な物が出てきた。その目の前には、ぬらりひょんが居た。

「【エンノキ様】。その若々しいお姿で未だ信仰も熱く、またお目に掛かれましたことをお慶び申し上げます。」

「おぉ、見無か?聞いたぞ。主と死別したとか、だが今はあの子の盃を持っているようだな。」

「一時のものです。信頼とは程遠く」

「ほう、君が救われたのだろう?遺される意味を探すなどまるでヒトではないか。やはりお主はヒトに親しい。」

「エンノキ様は何故、ヒトの願いを叶えるのでしょう?土地神でもない貴方様が、ヒトの信仰を集め続けるのは何故?」

「カミとヒト、本来浮世において交わる必要の無い存在だった。いつしかヒトはカミに救いを求めた。それが信仰の始まりだ。しかし、唯一神には救いを求めなかった。それがヒトの傲慢さと愚かさと賢明さだ」

 エンノキ様は、絵馬の文字を引きずり出し自分の土に埋めていく。

「つまり、ヒトに好奇の興を持ったのですね。浮世にカミサマが存在するには、信仰は欠かせぬものでしょう。しかし、カミは死にませぬ。信仰がなくとも、ヒトに施しをせずとも宜しいのでは?」

「見無よ。浮世をどう思う?ヒトは浮世に必要か?」

「それは…」

「神の子らを育む地にしては、面白味がない。」

 そう言うと、エンノキ様はお堂に戻ろうとする。戸を閉める前に、

「それよりも、彼らを追って化け猫が通ったがいいのか?」

 見無は、深々と頭を下げ揺らぎながら消える。お堂の戸が閉まり、エンノキ様は土に根を下ろし文字を唱えはじめる。お堂の中では、木の皮に顔が掘られた盆栽が鎮座していた。

 家に到着し、扉を開けて悠を家に招き入れる宗二。綺麗に整頓された部屋には、キャラクター物のぬいぐるみが多い、恐らくは彼女の趣味だろう。

「ホントに来てよかったのか?彼女勘違いしない?」

「彼女は居ないよ。付き纏いが何人か居るだけ」

 宗二は冷凍庫から氷を取り出し、アイスペールに入れる。買ってきたオツマミも取り出し、テーブルに並べた。

「今日、遅くなってゴメン。泰征から悠居るって聞いて驚いた」

 お酒を作りながら、目線はお酒のまま話す宗二。

「連絡せんでごめんな。でも、ようやく一段落したから。東京に戻ろうと思ってるし。」

「何で連絡できなかったのかは、俺達に言えないのか?」

 作ったお酒を俺に渡す。その目は俺をまっすぐ見つめていた。俺は目をそらしてお酒を受け取り。

「忘れられないけど、忘れたいんだ…」

 弱い人間を責められない。俺はわかっててそれを演じてる。

「ごめん」

 宗二もお酒を持って沈黙する。

「謝るのもうやめよう。何してた?この半年」

「わかった。悠が大学から居なくなってから、俺達バラバラになったんだ。悠がいつも間を取り持ってくれてたんだとわかったよ」

「俺、別にそんなつもり無かったけど」

 フフ、宗二はそうやって笑うと、

「男女関係無く話ができる、悠の心の大きさがわかったんだ。泰征は強引だから、あの日タイミングを間違えて、苑香と喧嘩になって」

「苑香が喧嘩?そんなの見たことないぞ」

「俺も初めてだよ。それから一月は大学に来なくてさ。泰征も謝ったんだけど、距離感が出来ちゃってさ。」

 だから店で、苑香に近寄り難かったのか。マスクの姿も初めて見た。

「でも、紗月とは変わらず一緒だったんじゃないのか?店でも一緒にお手洗い行ってたぞ?」

「いや、喧嘩のキッカケは紗月と苑香なんだ。紗月もかなりショックだったみたいで、それから攻撃的になってさ。苑香が大学に戻ってくるまで毎日そんな感じ」

「ヤバイなそれ。でも、戻ってきてくれたんだ。良かった。」

 宗二は、俺のその言葉を聞いてグラスを置く。

「良くないよ…明らかに変わった。サークルも休んじゃって、紗月ももう卓球から離れちゃったしな。」

「…そっかぁ…また、皆で応援したいな。苑香と紗月の試合カッコイイから」

 結局、深夜5時まで酒を飲み宗二は寝た。俺は眠れず、窓を開けて外を見る。外には月とこちらを見つめる猫がいた。寺の近くで見たあの猫だ。ニヤと笑い、塀を降りる猫。嫌な予感がして、宗二の部屋を出ると3メートルはある大きな猫が3つに別れた尻尾を振りながらこちらを睨んでいた。

「やぁ悠くん。元気だったかな?」

 知らない声で話しかけてくる大きな猫。

「誰だお前?何が目的だ?」

 右の広角を上げる猫。

「俺は、あんたを尊敬してる。いつかあんたを超えたくて、あんたの敵を代わりに殺してきた」

「何を言ってるんだ…」

「そのままの意味さ、沖って刑事なんか死に様最高だった。絶対赦さないって死んでいったよ。その時の顔は辛そうだったなぁ」

 笑う大きな猫に、俺は飛び蹴りをかました。猫はすっ飛び、向かいの建物の塀に身体をぶつける。

「おまいにゃぁ!そんにゃ事しても効かんからな!妖怪に物理攻撃にゃんて、やはり今がチャンスかにゃう」

 猫が腕を振ると、地面が割けてこちらに向かってくる。俺の背中から白斗の腕が伸び、猫騙しのように目の前で手を合わせた。風が起こり向かってきた斬撃は消えた。音が鳴らなかったのは、スレスレで手を止めたからだろう。

「ニャンだよ!クソッ!感情が高ぶるとふざけた猫語が出て来やがる!」

 その時、猫の左腕が切り落とされぬらりひょんがユラユラと朧気に俺と猫の間に現れる。

「グォンナァーーーー」

 恐ろしい声で大きな猫が叫ぶ。

「悠。こいつは【猫魈】の(ねこしょう)と言う化け猫の類だ。体の大きさを活かした変化が得意な妖怪だ」

 逃げようとする猫魈の三つの尻尾を、白斗の腕が纏めて握る。

「クゥ、お前の友達の部屋に俺の仲間がいるぞ。今すぐ離さなければ、首を掻っ切る。」

 俺が部屋を振り返ると、扉が空いており眠った宗二の上に猫がいた。

「早くしろぉう!」

 俺は、頭の中で猫魈の尻尾を話し、もう一方の腕で部屋の猫を掴んだ。現実でも、そうなって居るのを認識する頃には、猫魈の姿は無かった。

「俺の左腕ぇぇぇ。絶対あいつの仲間も切り刻…」

 猫の首が転がり落ち、ぬらりひょんが刀を収める。

「小物か…」

 猫魈は消え、翌朝バラバラ死体が近くで見つかり警察が大勢出動する事態となった。

「近所でこんな事件があるなんて、驚きました。」

 宗二がマスコミの取材に応えている。左腕が家の前に落ちているのを見つけて、警察に通報した第一発見者になっていた。

 SNSでは、カッコイイ第一発見者と話題になるが、宗二は早めに引っ越しを検討するそう。

「それで、お前ら俺の家に来たのか?」

 今、宗二と一緒に泰征の家に転がり込んでいた。

「宗二、顔バレしてるから町に出れなくなって。俺は、今日三重県帰るつもりだったんだけど苑香と紗月、今日もだめなんだよね?明日なら会えるかな…」

「流石に、会わずにまた三重県には帰れねぇよな。」

「うん」

 無言になる俺と宗二。二人を見て泰征は、

「よし、待ってろ!」

 そう言うと、家を出る。

その頃、宗二の部屋があるアパートには警察と野次馬が集まっていた。その中に、苑香と紗月もいた。

「宗二、家には居ないね。さっき、LINEあったけど多分男三人は一緒にいるよね?」

 紗月の言葉に頷くだけで、苑香は死体の方ではなく宗二の部屋を見ていた。その時、男の死体から人間には見えない何かが抜け出た。その何かは人の隙間を抜け、人を選り好みする様に二人に近づいてくる。紗月や他の人には見えていないが、苑香には見えていた。

 マスクの片方を外して、苑香は紗月に聞こえない声で呟く。

「唱、弾いて」

 向かってくる何かに対して、苑香を中心におよそ十メートル、目に見えない衝撃波が起こり何かは吹き飛ばされ、周辺の人間は一筋の突風に巻き込まれる。ざわざわとする現場の中で、一人の警官に、何かはぶつかり入ってしまう。

 すると、警官は倒れ痙攣する。周りの警官が集まり、救急車をトランシーバーで要請する。紗月はまだ気づいておらず、

「気になるなら今から会いに行く?悠から明日帰る事にしたから会えない?ってきてるし」

「うん、もうここから離れよ。明日、会うから」

 そう言うと、苑香が紗月の腕を掴んで人混みを抜ける。紗月は苑香に掴んでもらって嬉しくなり腕に抱きつく。

「今日は二人で飲も!悠達も絶対飲んでるから!」

 その頃、泰征が買ってきた寿司を大量のお酒で流し込んでいた。泰征と俺は携帯で宗二のプチバズりをチェックしながら、

「宗二、彼女は良いのか?連絡来てんじゃないのか?」

「来てるよ。でも、別に俺は付き合ってる感覚ないし」

「えッ?宗二、そんな感じで女の子と付き合う感じなん?嫌かも。ていうか最悪」

 俺の言葉に宗二は驚き、すぐに彼女に連絡を入れる。

「もしもし、俺だけど連絡遅くなってごめんね。でも、大丈夫大丈夫」

 そう言いながら、部屋を出る宗二を見送る二人。

「悠も大分落ち着いてるな。女の子の話とかしづらくてさ」

「いや、恋愛する気ないだけで、別に話くらいはいいよ。泰征は?」

「居ないね。悠も知っての通り、俺は友達くらいの関係がいい温度らしい」

 その話をしていると、宗二が部屋に帰ってきて、

「別れた。昨日、泰征から連絡もらって店行く前に、実は喧嘩してたんだよね。今回の事件で引っ越しするつもりだし、未練もない」

「そんなつもりじゃ無かったんだけどな…ごめん」

「いやいや、悠の気持ちはもっともだし、悠に合う前から喧嘩してたから、逆にキッカケもらって助かったよ。」

 その後は、携帯を3人とも見ることなくテレビで番組を見ながら寿司パーティーを楽しんだ。

「あいつら、全然LINE見ないじゃん。」

 紗月は、苑香とカラオケボックスにいた。

「明日、会うからいいよ。紗月、何歌うの?」

 紗月は、何かを狙うような笑みを見せて曲を既に入力してマイクを苑香に渡す。

「私、苑香のヒメノア好きなんだよね」

「じゃあ一緒に歌って」

 二人で歌っていると、苑香の携帯が震える。紗月は歌に夢中で気づいていないが、苑香は気付いた。少し時間が経ってお手洗いに立ち、携帯を確認する。

 インスタの裏アカウントにDMが来ていた。以前にも届いたことのある@riverside_hakobune

というアカウントから、苑香がアップしている歌唱動画について、話をしたいから会えないか?というものだった。

 この人のアカウント自体は非公開になっているが、音楽関係の仕事で表に出ている人だという。誰か聞いても、会えばわかるとだけ答えその後は動きもなかった。

「どうしようかな。まだ、誰にも言ってないしこの声は…」

 喉を擦る苑香。すると、掌に小さな妖怪が現れる。

「夢が叶うのに、ソノちゃんは何を怖がっているの?」

 小さな体に似合わず、とてもきれいな通る声で話す妖怪【呼子】だった。

「『唱』の力だから。私じゃない」

「私はあなたの声を大きくしてるだけ。息遣いや音色はあなたの天性のものよ。私が保証する」

 私は、あなたの妖力で歌詞に力が篭ったものを歌うだけ。同じ歌詞でも、配信のコメントは明らかにこれまでとは違う反応だった。

「あと、昼間のあれは何だったの?妖怪?」

「そうね。恐らくだけど猫魈という三叉の尻尾を持った猫妖怪。この時代にあんなモノが産まれるなんて。都会は怖いのね」

「うん。怖い」

 紗月の元に戻ると紗月は眠っていた。苑香は自分のジャケットを紗月に掛けて、

「唱に教えてもらうまで気づかなかったけど、悠にも妖怪が憑いてるなんて。私だけじゃなかったんだ」

 アカペラで、【ヒメノア】のデビュー曲「ヒメ心」を口ずさむ。


好きです

密かに思うこと 顔には出せても言葉にしない

どれだって同じ重みだから

本音なんて 誰にも聴こえない音色

終電すぎから私達の時間 眠らず時間が幸せで

どんなに想っても 伝えられない

こんなに好きでも 伝わらない…なんて

脳内過半数の同意は要らない

もっと普通でいいよ 

大好きです


 次の日、5人でまた食事に来ていた。夕方には品川駅から、名古屋を経由し三重県に帰る。

「ほら、ちゃんと渡しな。悠ホントに反省してるから許したげて!」

 俺と宗二と泰征は紗月と苑香にテーブルを挟んで頭を下げる。

「やめてよ!残念な合コンみたいじゃん!ランチだから、こんなプレゼント渡されたら困るよ。ねぇ苑香」

「嬉しい…恥ずかしいけど」

「大好き?ごめんごめん!」

 やっぱり上手くは行かなかったが、前回より笑顔のみんなが見れて嬉しかった。

「みんな、仕事は?そろそろ就活?」

「あと一年。卒論は…まぁなんとかなったし。俺はまだ決めてないかな。泰征は?」

 宗二の質問に泰征は得意げに、

「もう決めてるよ。俺は、商社で営業します!」

 おぉーと皆で一緒の反応をする。泰征の扱いは皆慣れてる。

「私は、まだ決まってない…」

「苑香、歌やってみたら?」

「えッ、」

 予想外の大きな声で驚く苑香とそれを見る四人。

「無理だよ。私は。人前に出るのとか…」

「苑香歌上手いの知ってるけど、確かに人前ってハードル高そう。」

 泰征は食べ物を口に頬張りながら話した。俺は、

「でも、顔出さなくても良いんじゃない?そういうアーティストも居るし」

 その言葉に少し嬉しそうな苑香。宗二は、

「苑香の顔で、出さないの勿体無いでしょ。教員免許取るって言ってなかったっけ?」

「それは、取る予定だけど…」

「将来教師って、ほんとに尊敬する!苑香は絶対人気の先生になるでしょ」

「ありがと…」

 食事を終えて、皆で駅に向かう。

「東京に戻ってくるんだろ?三重県にはどれ位いるんだ?ちゃんと戻ってきたら連絡しろよ」

 泰征が俺の背中を叩いて言った。宗二も肩に手をおいて、

「次来るときには、俺の新しい部屋見つけておくから、また招待するよ」

「うん。」

「悠、足治ってホントに良かった。仕事も見つけてるみたいだし、皆先に進んでる。また集まろ!」

 紗月は、苑香と顔を見合わせて笑顔になりながら話した。

皆は離れたところで話しながら、俺が切符を購入していると、トコトコ苑香がやってきて、

「ねぇ、悠くん」

「あっびっくりした!どうした?」

「うん。ちょっと話いい?」

「俺でいいの?紗月じゃなくて?」

「悠くんに相談したくて」

 苑香は携帯を見せて、

「これ、聴いてみて欲しくて。」

 イヤホンを渡してきたので、耳に入れると曲が再生される。聴いたことがある【ヒメノア】の曲でCMでも流れていたものだった。

「これ、カバー?凄いキレイな声。ていうか、これ苑香の…」

「うん。私が歌ってるの。」

「へぇ~、何か歌うときは声の雰囲気変わるんやね!」

 その言葉に、少し苑香は目を伏せた。あれ?と俺は異変に気づいたが、地雷がどこにあったかわからない。

「いや、きれいな声やし、苑香ってすぐわかったよ?歌やりたいの?」

 苑香はまっすぐ俺の目を見て頷く。俺は切符を手に持って、

「そっかぁ。歌ってるとこ見たい!相談って何だっけ?」

 その時、泰征が俺達を呼ぶ声が聞こえて振り返る。苑香は、

「東京戻ってきたら、二人で話したい。皆に内緒で」

「わかった。俺で出来ることは何でもするよ」

「ありがと。」

 苑香と一緒に皆の所に戻り、改札で別れた。

そして、俺は自分の足で駅に迎えに来た母の元に改札を抜けて会いに行った。

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