第6話 裏切りの代償

 朝の食卓。いつも通り、都志希はギリギリで母の手料理を食べず、コーヒーだけを飲んで家を出る。

「今日から、東京行って大学の友達に会いに行ってくる。1週間くらいかな。友達ん家に泊まるし、全然心配とかはいらんのやけど…」

「なんかあったら連絡しなよ。前の怪我の時も宮本ちゃんが連絡くれたけど、一人にならんことよ」

「うん。わかってる」

 いつものように松阪駅まで、母が送ってくれた。荷物は殆ど無い。友人に服は借りると言ってある。

「久しぶりの東京楽しんでおいでね!東京土産楽しみにしてるから」

 改札を通り、母に手を振る。今日、東京に向かわず伊勢方面の近鉄電車に乗る。電車に乗るとき、車椅子の人間は簡易的な橋を作ってもらい、車掌さんにお手伝いしてもらう。その前に降りる駅を伝えておく必要がある。

「宇治山田駅まで乗りたいんですけど」

 伊勢神宮に行きたい人は、伊勢市駅で降りるほうが近い。俺は寄りたい所があって一つ先の宇治山田駅で降りる。身無さんとの待ち合わせは夜だが、下見も兼ねて前回はおかげ横丁までだった。内宮本殿まで行きたかった。

 車椅子を隠すため見つからない場所を探していると、ふと思いだしたことがある。咲ちゃんの通っていた大学、皇學館大学が宇治山田駅近くにあることだった。巫女を県内外に多く輩出している神道系の有名な歴史ある大学。平日は勿論学生が多くいる。大学の周りを見て回ると、敷地内に縄や小さな鳥居など様々な結界があった。

「安全っちゃ安全だな。妖怪が中にはいるのは難しそうかな?」

「鬼一口程度では無理だろうな。ぬらりひょんなら宿主を得れば難なく通れる」

 周りを気にしてか、心の中で答えてくれる白斗。逆に平気で独り言を話す俺の意識が低すぎるのか。

「鬼一口程度って…」

 手長のお陰で、あっさりと塀を超え屋上に登る。屋上の鍵が閉まっているのを確認し、自分の足で立ちあがる。

 足元を見て、自分の足で立っていることを実感し嬉しかったが、それよりも車椅子のときには見えなかった視点からの屋上から見た山肌の深い森がとても綺麗だった。

「ボーッと立っていると、見つかるぞ」

「そうでしたぁ〜」

 車椅子を置いてあったブルーシートで隠す。屋上から下に伸びる雨樋を伝って滑り降りようとすると、

「こっちの方が早い」

 白斗が足に力を込めて飛び、あっさりと屋上のフェンスを超え大学の敷地外へ着地する。その間、俺は口を手で抑え目を瞑っていた。

「怖すぎるよ…バカ…」

「すまん。怪我はしないように考えてはいたんだが、気持ちは気にしてなかった」

 深く深呼吸をして、少し早歩きで大学を離れ橋を渡り伊勢神宮の手前、おかげ横丁へ向かう。すると橋の上で勝手に足が止まり、白斗が

「例の刑事が監視しているのは前から認識できるが、ここ数日の内にもう一つ水の中から見ている奴がいる。」

「白斗監視知ってたの?ていうか刑事もやっぱ妖怪絡みだよね?」

「恐らくねー。でも、水の方は本体は来てないね。宿主探ってみる?」

 赫駿はそう言うと、足が少し伸びた気がして

靴が破けそうになり、急いで脱ぐ。靴下も脱いで一緒に置いたところで、足が勝手に橋から飛び降り川底を振動させるほどの衝撃で着地する。

「びっくりした!?だから急に飛び降りやんといてよ!服も濡れたし、橋の上自殺した人間おるみたいになってるって!」

 靴が揃えて置いてある橋。

「ごめんごめん。でも、妖怪の正体がわかったよ。」

 赫駿はそういうと、足元に浮かぶ小さな蟹を指差した。

「これが妖怪…?」

「沢蟹を監視に使っているだけさ。敵は蟹坊主だな」

「蟹坊主ってー」

 その時、橋の上から人の声がして俺の体は勝手に橋の真下に移動する。俺は小声で、

「靴と靴下回収しないと!警察呼ばれちゃうって」

 すると目の前に、白斗の腕が上の橋から取った靴と靴下をぶら下げる。

「あー…ありがと、流石っ!んーっ寒いから上がっていい?」

 川から上がり、乾くまで川岸に座り足を振る。

「蟹坊主って、おじさんの顔があるでっかい蟹の妖怪だよね?何で鬼と協力してるの?」

「さぁね。赤いから仲いいんじゃない?」

 赫駿は、相変わらず真面目に話をしない。

「恐らく、利害の一致だろう。蟹坊主は信仰に裏切られた坊主の無念から産まれた妖怪だ。熱田の襲撃も巫女を狙う鬼一口と、仏の首を切り落とした蟹坊主。目的は近しいものだ」

「確かに。」

 靴を履いて、橋に上がる。おかげ横丁に着くと平日ではあるが、それなりに人が居た。

「車椅子じゃなくて良かった…」

 おかげ横丁に入って左右にある路地を見て、初めて雨水さんに出会った事を思い出す。

でも、まずは…

「メンチカツ。」

 豚捨のメンチカツは、近くの漬物屋できゅうりの1本漬けと一緒に食べるのが俺の定番だった。

「いいなぁ〜。牛って味強くて肉の中ではうまい方だよね。」

 赫駿が羨ましそうにボヤいているが、無視して進む。本来、人が多くて流れに身を任せなければ通る事は難しい。

 大きな鳥居の前、伊勢神宮に入る前の五十鈴川を渡る橋の前にある赤くない鳥居が気になる。

「妖怪はここから入れないの?この先の方にも確か鳥居あったよね?」

「五十鈴川も結界の一部だ。大抵の妖怪は川を渡れない。まぁ、人間を食べた鬼一口は恐らく入れる。でも実はな、結界は罠でもあるんだ。」

「罠?結界は守るためのものでしょ?」

 白斗の言葉に質問する俺に、赫駿が答える。

「いやいや、結界は古の妖怪を利用して造られているところが多いよ。俺達も騙されたけど、結界は外側より内側から破るほうが難しいんだ。結界は破れても修復されるし、中心の守護する存在の大きさによって引力の大小がある。伊勢神宮に祀ってあるのは天照大御神で、最も力のある神だし、神器も一緒に納められているから引力は半端ないね。大妖怪ほど誘き寄せられて最後は…って感じ」

 赫駿の話を聞いていると、結界を作った人間は妖怪をよく理解しているように感じて、少し違和感を覚えた。

「でも、中に入った妖怪はどう退治するん?熱田の時はそれが出来ずに仏様の首が切られたってこと?」

 この質問には、白斗が答える。

「亡くなったのは、巫女二人。しかしニュースになってないだけで、守護役と護神僧も死んだんだろう。宮司とは違う、全国の神社には守護する組織があって、悠の祖先でもある尼屋敷一族もまさにそれだ。」

「じゃあ、何で今俺って守護役じゃないんだろうね?」

「紀紳は跡取りを創らなかったからだ。俺達と同化した紀紳は、守護役から外されて朝廷の監視下に置かれた。」

 確かに、それはそうか。この地を蹂躙した化物をうちに秘めた人間は信用には値しない。伊勢神宮の鳥居をくぐり、五十鈴川で手を清め、外宮と内宮の他、別宮と呼ばれる社も周る。

「今日、絶対建物とか壊さないでおこうね。守るのは巫女さんだけじゃなくて。」

 域内の木々や建物はとても美しかった。息を深く吸いたくなる、不思議な空間だった。鳥居を出て、お辞儀をする。すると、背後に気配を感じる。

「千三百年前の勤め先は懐かしいか?結界が歪んで、守護役たちは慌てていた」

 ぬらりひょんの声がする。振り向くが姿は見えない。

「ぬらりひょんはこの先には入れないの?」

「宿主が居ない今、内宮までは入れない。五十鈴川迄しか進めなかった。そこで相談事がある。」

 ぬらりひょんが目の前にジワーっと現れ、おかげ横丁へと足を向ける。言葉足りないんだよなと思いながら、哀愁が煙のように漂っているように感じる背中を追う。おかげ横丁を通り、途中で路地から五十鈴川へ向かう。足を濡らしながら、川沿いの山に向かう。幸い、多くの人が川で遊んでいて俺が五十鈴川を横断しても目立つことは無かった。

 人の手が入っていない、恐らく入ってはいけない濃い濃度の森。ぬらりひょんは止まることなく進み、山の中にはそこだけ開けた違和感のある場所があった。

 ぬらりひょんは振り返り、

「伊勢神宮に入るには宿主がいる。今時だけでいい、俺と盃を交わしてほしい」

 覚悟を決めたその姿に、俺は感じたことの無い存在感を全身で浴び、少し腰が引けた。沈黙が続く中、

「そんな簡単に、盃って交わせるの?一時的ってことでしょ?」

 俺の小声の救援に、白斗が俺の口を使って答える。

「盃を交わすとは、信頼関係や忠誠を肉体的に確かめるものだ。ぬらりひょんは本来の使い方ではなく、形式的に済ますつもりだ。効果は無きに等しい。」

 俺の姿で淡々と話す白斗に対して、ぬらりひょんが少し食いしばる歯を見せる。苛立ちが隠せていない。恐らく白斗はこれを狙ってた。

「今日が最大の好機!これから宿主を見つけるのは不可能に等しい。必ずこの手でやつの首を…頼む!何でもする!これが終われば、わしは魂を捧げてもいい!」

「要らないです。あなたの命なんて。雨水さんがこの世界に残してくれた命を、そんな風に扱っていいんですか?人間に妖怪が振り回されないでください。カッコイイ存在でいてほしい。」

 ぬらりひょんは、困惑していた。この人間は、何を言っているのか。妖怪を格好良いと何故こんなにもまっすぐと言える。

 ふと、この場所には人目を離れてきただけのはずだったが、ぬらりひょんは思い出した。雨水と初めて会った場所はここだった。

 伊勢神宮に襲来した、四国の巨人から逃れた

手負いの護神僧、雨水将兵二十一歳だった。えぐられた腹からは、大量の血が流れている。

 そこに現れたのは、雨水と同い年くらいで旅装束の妖怪ぬらりひょん。まだ、薄い半透明で風で揺れている。

「このままでは死んでしまう。これを…」

 ぬらりひょんは盃と白く濁った液体を差し出す。雨水は、

「人ではないな…瀕死の俺を…仕留めにきたのか…」

「ちがっ…」

「そんなわけ無いか。俺は尼屋敷一族とは違う。若当主の様にあんな化物と対峙して、逃げないなんて無理だ…」

 雨水は泣き始める。徐々に焦点が合わなくなるのを見て、ぬらりひょんも泣き始める。

「私も、あの化物が来てから人が消え友を失った。あとは吹き消えるだけの存在。でも、これを飲めばあなたは助かり、私もあなたの力になれる。あなたなら私を認め力として使ってくれると確信しました!さぁ、どうかお飲みください。もう時間が…」

 雨水は既に自身では動けない状態となっていた。だが、ぬらりひょんの声は聞いていて、

「頼む…」

 あとに続く言葉は、わからないがぬらりひょんは盃を口元に運び、雨水に飲ませる。溢れる水に気づき自身の口に含ませ飲ませる。一刻、雨水の傷跡は塞がりぬらりひょんは実体を持った姿だった。

「貴方様のお名前をお聞きしても?」

「雨水将兵だ。なぜ助けてくれたのか?」

「これから私はあなたの配下としていただいたこの身をお捧げいたします。末永くお頼み申し上げます」

 ぬらりひょんは、土下座をして雨水に忠誠を誓った。そんなぬらりひょんを雨水は起こし抱きしめた。

「ありがとう!つまらぬ人生を変えてくれた!其方の名は」

 ぬらりひょんは泣きながら、

「ぬらりひょんと…お呼びください…」

 当時は聞こえなかった、微かな声が聞こえる。

「ミナイさん?突然涙流されて驚きました」

 ぬらりひょんはその場で泣いていた。この男と話す中で、わしは雨水との始まりの日を思い出した。

「すまんかった。今一度、盃を其方と交わしたいと願っております。この一匹の妖怪に情けを…どうか…どうかお願いだ」

「鬼一口を殺して、その後はどうするんですか?」

 まっすぐとぬらりひょんの目を見つめる悠。

「終わった時に…共に考えてはいただけ無いだろうか…今はただ…」

 悠の心はすでに決まっていた。

「いいですよ!盃交わしましょう!ミナイさんの知識と経験があれば心強いです。」

「えぇええええぇ、やめようよぉ。俺達で十分だし、そんな盃…」

「もう決めた!それに俺はミナイさんのこと信頼してるから、意味あるよね?白斗」

 白斗も赫駿と同じように気に食わないようだが、渋々

「そうだな」

 2体は俺の中で大人しくなり、俺はミナイさんと地面に座り込み盃を交わす。目の前に座るミナイさんの姿がかなり若返ったように見える。

 牛の刻、おかげ横丁と一番外側の鳥居の辺りに人気はなく、不気味な静けさがあらゆる感覚を麻痺させているかのようだ。

「入るぞ。後ろへ」

 ミナイさんの不意の悠は、結構キュンポイントだが、鳥居をくぐると昼間と違い質感を感じるほどの闇を感じた。まるで、物理的に結界が周りの世界と完全に遮断しているかのようで、息苦しさを感じた。

 五十鈴川の上に掛かる橋を通り、2つめの鳥居をくぐる。その時、内宮の方から女性の叫び声が聞こえた。

「鬼一口か?!」

 俺とミナイさんは走り出した。およそ人間の速度ではない二人、すぐに二つ目の鳥居も抜けて内宮の近く、昼間お守りが売られていた場所の前に巫女が倒れている。俺が駆け寄り、ぬらりひょんは先に行ってしまう。

「あっちょっとミナイさん!もうっ!大丈夫ですか?」

 抱き起こすと、袖が切れていて血が滲んでいた。巫女は俺の顔を見ることができず、怯えていて声が出せない様子。

「大丈夫。同じ人間です。痛いところは腕だけですか?」

 一層落ち着いた声で語りかける。相手に状況を理解してもらうことが、今の最善。

「化物が…蟹の!みんなバラバラに逃げて、そしたら足に弓矢が…それで転んで」

 巫女の足を確認するが、怪我はない。

「皆さんどちらに行かれたかわかりますか?連絡はー」

 すると、巫女の持つ携帯に着信が入り栞の名前が出る。すぐに電話は繋がり、

「もしもし!栞!大丈夫?!」

 俺は巫女から携帯を取り、スピーカーにする。

「助けて、護神僧の1人が殺されてもう一人の方が本殿に結界を張って守ってくれてるけど、私だけ事務所の方に隠れてるの。蟹の化物が居なくなって、今わかんなくて」

「落ち着いて、一人なんですね?敵は蟹坊主だけじゃない!今すぐ建物から出て!早く!」

「誰っ?!ねぇ琴葉はどこにいるの?!キャァッ!」

 悲鳴のあと、携帯が落ちる音がして栞と呼ばれた女性の声が途絶える。

「栞!ねぇ栞!!」

「事務所は何処ですか?助けに行きます!」

「えっと…内宮の左手、奥の小さな建物です!あなた誰?!」

 答えることなく、事務所へ向かう。えぐれる地面を見て、琴葉は

「妖怪…なの?」

 悠が立ち去る後ろで、護神僧と思われる集団が琴葉に近づき、保護した事を確認する。

「ミナイさんに追いつかないと」

 事務所が見えると、建物は燃えていて地面に倒れる巫女に、鬼一口が近づいている。

「鬼一口!!」

 拳を握り、力の限り鬼一口を殴る。鬼一口は衝撃で燃える事務所に突っ込む。

「はぁはぁ!ありがとうございます!助けてくれてありがとうございます!!」

 栞の怪我は手の擦り傷以外無いようだ。

「内宮へ走れ!結界で守ってもらえれば大丈夫!琴葉さんも無事です!」

「は…はい!」

 栞は、内宮へ走る。事務所から火柱が上がり

鬼一口が燃える木を飛び散らせながら出てくる。

「邪魔だぁぁあ!貴様何者だぁ?」

「お前に大切な人を喰われた者だ。仇を取りに来た」

 鬼一口は、歯ぎしりをして苛立ちを見せる。

「人間ごときがぁ〜鬼に何ができようか?大人しく死ねば良いものを」

 俺は、長谷部の大太刀を腹から引き抜く。鬼一口も、俺が普通の人間でないことを理解する。

「妖しぃ程度に何ができるぅ。巫女が喰いたい。邪魔だぁぁ」

 そういうと、正面からこちらに向かってくる。その時、後ろから大きな鋏が俺の首を狙っていた。

「悠!蟹坊主だ!」

 白斗は、俺の体を地面にしゃがみ込ませ鋏を避け、鬼一口は俺を無視して内宮の本殿へ向かった。振り向くと、鋏は地面から生えており、地面が盛り上がると鳥居の大きさと同じ位のカニが顔を出す。

 蟹の胴体が人間の姿となり、緋色の眼をした西山が不敵な笑みを浮かべて現れる。

「西山…何で…」

 甲羅も腕の鋏も消えて、人の姿でお互い対峙する。

「悠が秘密を持つように、俺にも秘密があっただけだ。知らなければ、もっと楽に死ねただろうに」

 ククッと西山は笑う。俺は、体が固まってしまう。信じられなかった、西山の優しさを知るからこそ、

「蟹坊主に操られてるのか?お前がー」

「俺の意思で、蟹坊主とは盃を交わした。力が必要だった。」

 本殿の方で、火柱が上がる。時間は掛けられない。先に鬼一口を何とかしなければ。

「もう少し話そう。それとも殺し合いを始めようか?」

 西山はそういうと、右腕を鋏に変えジャキリと重い音を響かせる。

「鬼一口を止めたい。お前とは戦いたくない」

「もう西山とは呼んでくれないか?鬼一口を引き入れたのは俺だが?」

 その言葉と笑みを零す顔に、悠に怒りが産まれた。怒りと気持ち悪さで、肺は空気を欲しみぞ落ちの部分がムカムカしてくる。

「理由を…聞かせてくれ。何で鬼を引き入れた」

 西山はその場に座り込み、俺にも座るように促すが俺は立ったまま。ヤレヤレというような表情で、

「守るためさ。世の中自分の正義のためには犠牲が必要なんだ。お前は自分の正義を守れなかったんだろ?」

「正義ってなんだ?お前の正義は、化物になって鬼と一緒に人殺しすることか?」

 西山は首を横に振りながら、高らかに笑い声を上げる。無防備な姿に今にも殴りたくなるが、足が動かない。白斗が止めているのか?なぜ?

「違うね。俺も鬼は嫌いだ、というか俺もこんな体だから同じ化物だけどな。少なくとも人殺しを楽しむ人間じゃない。知ってるだろ?」

「じゃあなんで…わかんねぇよ」

「わかるわけない。分かってもらうつもりもない。そろそろ、いいかな」

 西山は突き放すように言うと立ち上がる。腕を胸の前に持ってきて、方の横に広げると、赤い甲冑が体を覆い両腕は鋏に変え、俺に向かって臨戦態勢を取る。俺も服が破けて背中から白斗の腕を生やし、刀を構える。

「殺していいな、悠?ぬらりひょんが鬼一口を止めているだろうが、仕留めるには骨が折れるはずだ。早めに片付けるぞ」

「お前の妖怪、腕が長いだけか?ハズレだな。俺は鋏も甲冑も想像するだけで創れるんだ。人を殺めるのは初めてだから、痛くなったらゴメンな」

 笑いながら、西山が姿勢を低くしながら向かってくる、左鋏のフェイントで俺を仰け反らせ下からすくうように、ハサミを大きく広げ挟むつもりだ。

「避けなくていい。」

 白斗はそういうと、西山のハサミの上に手を置き足を両足を空に向ける。俺はバランスを取るためにいたって自然に西山の頭を掴んで、刀を西山の肩に当てる。血が吹き出し、あっさりと西山の甲冑が切れた。

 俺は咄嗟に力を弱めてしまい、白斗は西山の背中を蹴って距離を取る。

「なんだよその刀!なんで俺の甲羅が切れたんだ!」

 焦った西山の声と蟹坊主の声だろうか?聞き慣れた声に重なる深い声。赫駿の足を切った時と同じ、まるで絹豆腐を切るように手応えなく、深く刃が入ったあの感覚。

「白斗、これって本当に妖刀なの?なんかもう、持ってるのも怖いんだけど」

「妖刀ではない。人もしっかり切れる。長谷部国重の最高傑作、『伴切(ともきり)』と呼ばれた向こうの世界で作くられたものだ。」

「おい!その刀は何だって聞いてんだよ!」

 こっちで小声で話していると、西山が怒鳴る。西山の顔は見たが無いほど、ギラギラした顔になっているが、全く怖さは感じずあえて無視をする。

「鬼一口を殺して、その後に西山と話がしたい。何か理由がある筈なんだ。こんなこと、絶対望んでないし傷つけたくない…」

「ぬらりひょんなら大丈夫だよ。悠と盃を交わしたんだからさ!妖力全解放で鬼一口をいたぶってるよ(笑)」

 赫駿が右肩から顔を生やしいつもの口調で話す。顔よりは、口だけ出してくれた方が有り難いんだけど、気分的にも、対外的にも。

「顔の方がかっこいいじゃん?」

 戦いの場とは思えない腑抜けた会話。相手の感情を逆なでするには、十分な挑発だった。ただもう一体、腸を煮え繰り返している奴が居る。

 伊勢神宮内宮、それに向かう階段に鬼一口とそれを見下すように上段に立つぬらりひょんが居た。

「拳がぁ、貴様に触れられないのは、何故だぁ。」

 鬼一口は大きく首を傾げているが、ぬらりひょんは無視する。ぬらりひょんの姿は、悠といた時より若々しく三十代にも見える。

「そうかぁ、お前ぬらりひょんとかいう妖だったかぁ。避けるのは上手くてもなぁ、刀が無ぇなら俺を殺せんだろぉ。待っておるのかぁ?あの人間を」

 ぬらりひょんは、顔色を変えない。その姿に鬼一口は更に怒り、足元の石段を割り投げつける。顔の真ん中を通過しぬらりひょんは揺らぐだけ。

「うぬぬぅ、ぬらりひょんごとき構っておれぬわぁ」

 鬼一口はぬらりひょんに口を開けて突進する。当然ぬらりひょんは、霧散しまた形を取り戻す。しかし、鬼一口の狙いはぬらりひょんの先の結界にあった。

 バンッと空間にぶつかって固まる鬼一口。鬼の形相で結界に張り付き、歯を突き立てる鬼一口と、見えない結界を挟んで本殿にいる護神僧と5人の巫女。

 護神僧の男【本居継永】は、結界札を口に咥えた状態で、鬼一口に近づき見えない結界を挟んで目の前で仁王立ちする。鬼一口からは、中の人間が見えないようになっている。鬼一口は、顔のシワを深くして力の限り結界を噛み砕こうとしている。濡れた座布団のような舌が、結界を叩いたり舐めたりしている。上下8本ある人間でいう犬歯が、結界にヒビを入れ突き立てられた。

 継永は、片膝をつき地面に右手を触れる。地面から生えるように刀が伸び継永は鬼一口に対して構える。その時、鬼一口が後ろに引っ張られ階段下に飛ばされて、見えなくなった。

 継永の前には、着物を着た何者かの背中が見える。百七十五センチ程の身長で、鬼一口を放り投げる力があるとは到底思えなかった。継永は、もう一枚懐から紙を取り出し咥えていたものと交換する。咥えていた紙は、役目を終え継永の手から燃え落ちる。

 刀を地面に突き立て、着物の男から目を離すことなく、結界の修復を行う。両腕を伸ばし、口から煙のようなものが漂い消える。見えはしないが新たな結界が生まれている。結界が完成する前に目の前に立つ何者かが継永が突き立てた刀を持っていた。冷や汗をかき、驚きを隠せない継永。何故なら、いつどのタイミングで刀を奪われたかわからなかったからだ。

「借りたぞ。」

 着物の何者かはそういうと、階段を降りて見えなくなる。結界が完成し、継永は急いで詠唱を始める。本殿から人型の板が飛んできて結界に張り付き、木の色が端の方から黒くなり始める。

 口に食んだ紙を落としすと、紙は人型の板に巻き付き、定着したことを確認する。継永はゆっくりと結界の外に出ると、そこは鬼の雄叫びが響く世界だった。

 その頃、西山と悠は共に人外の姿で対峙していた。

「咲ちゃんが亡くなった日、お前は熱田神宮にいたんだな?最後を見たのか?」

「鬼一口は、それが目的だった。まさか、あの日浅海が居るとは思っていなかったけどな。鬼一口は力を得た。宿主だった巫女も俺が殺して、鬼一口は晴れて自由の身になった。」

「お前が殺す動機は?マジで1つも見えてきてないけど」

「聞いても意味ないよ。ここでお前も殺して鬼一口の餌にする。一人も二人も変わんねぇ」

 西山の口調は、投げやりだったように感じた。真意を隠していることも分かるし、どこか引っかかる。

 西山はまた突進してきた。刀を警戒しているが、武器がない以上西山は俺との距離を詰めるしかない。俺の背中から生えた白斗の長い腕が、俺から離れた距離でそれを停める。

 その時、西山の腹からカニの脚が生え俺を突き刺さんとする。

「しまっー」

 俺の腕はその速さには、反応出来ないが俺の脇腹から生えた赫駿の腕が蟹の脚をつかむ。

「他に腕あるのお忘れでは?」

 赫駿は、腕をもぎ取り白斗は西山を持ち上げ投飛ばす。西山は五十鈴川に墜ちて水しぶきが上がる。

「目的が悠なら、先に鬼一口を殺そう。奴は勝手に追ってくる。真意を聞くなら鬼一口の方が喋りそうだ」

 白斗はそう言うと、地面を蹴って内宮本殿へ向かう。本殿手前の木陰に、さっきの栞が隠れているのを見つける。

「白斗、ストップ!!あの子だ」

 白斗は足を地面に埋めて、勢いを殺す。その音に驚いた表情で、余分な腕達を瞬時に戻した俺を見る栞。

「何してるんです!結界の中じゃないと意味がない!」

「行けないんです!あそこで鬼と化物が暴れてて…」

 栞が指差す先には、鬼一口を圧倒するぬらりひょんと苛つきながら、地面を掘って投げつける鬼一口が居た。

「じゃあ、俺が上まで連れていきますから、後ろに隠れて居てください。」

「はい!」

 俺は栞の腕を掴み走り出す。栞の体は地面から浮き上がり、すぐに階段の一段目に着く。

 その時、階段から飛ぶ人影がこちらに向かって降ってくる。

 継永だ。

「離せぇぇぇーーー!!!!」

 武器は持っていない、白斗と赫駿には腕を出さないようにさせる。継永は、俺の胸のあたりに掌を押すようにつけると、その瞬間俺が後ろに飛んで木にめり込む。びっくりはしたが、勿論手長の腕が全身に巻き付いてクッションの役割を果たす。

 だが、

「お前も化物だな!皇大神宮に入った穢は鬼神であっても祓う。それが我々、守護役の使命で有る。」

「見た目が人間でも容赦ないのかよ。」

 継永が、悠に立ち向かおうとするが栞が腕にしがみつき、

「そっちじゃないです!こっち!」

 その時、五十鈴川から水の柱が上がり蟹坊主が姿を現す。左腕が一本なく、大きな顔の右側には切り傷が入っている。

「西山か?!」

 西山は、泡と水を混ぜた水柱を継永に向かって飛ばす。数珠を持った右手を前に突き出す。水柱は空中で離散し、継永が結界で栞を護ったのが分かる。

「いい人ではあるよな。絶対殺すなよ」

「後で謝らせるぞ。あの程度、振り払えば済んだものを、止めるからこうなるんだ」

 赫駿は、少し苛ついている口調だった。その気持ちはうれしいが、

「気にしてない。人と戦う意味ないよ」

 俺と赫駿が話していると、ぬらりひょんと鬼一口も戦いながら、継永の結界に近づく。ぬらりひょんの横ぶりの刀を、鬼一口が飛んで避ける。刀は、少し継永の結界に触れ結界は解かれる。

「その刀!私の物だ!」

 鬼一口が空から、口を開けて落ちてくる。

「巫女おおおぉぉぉぉ」

 ぬらりひょんに気を取られた継永は、結界を張るのが遅れ栞からも離れていた。皆がスローモーションに見える最悪の光景。ぬらりひょんだけが、刀を真上に振り上げ鬼一口の左頬を切り裂いた。

 しかし、鬼一口は意に介さず栞を丸呑みしようと覆いかぶさった。

「させるか」

 怒りに満ちた、しかし落ち着いた声で悠は

自らの体を支配した。一瞬で二人とニ体の近くに移動し、鬼一口を三本の右腕で殴り飛ばした。鬼一口の顔は、ぬらりひょんの切った切り口がもげる様に広がり地面には蹲った栞がいた。

 その姿を見た時、悠の感情に今までに感じたことのないものを感じた。口があらぬ方向に開き、飛んだ鬼一口を白斗の腕で掴み蟹坊主の方に投げ飛ばす。蟹坊主は、表情を変えずかろうじて繋がっていた鬼一口の顔と胴体を切り分けた。

「ミナイさん!今まで何してたんですか?!先に鬼一口にむかっていったでしょ!事務所に行っても居なかったし、ていうかその刀どうしたんですか?」

「俺はぬらりひょんだ。正面の闘いはせん。足止めは出来ても武器が無ければ、長くはもたん」

 継永は、琴葉を背に守りながら二体の妖怪に声をぶつける。

「刀を返せ!妖怪が持っていいものではない!貴様らは、何者だ!」

「説明は後でする。まずは琴葉さんを結界へ」

 二体の妖怪は、刀を返すことなく五十鈴川へ向かう。

「くそっ!琴葉さん急いで本殿に!応援もじきやってくる」

 崩れた階段を人間が登るのは容易ではない。そんな二人を弓で狙う人影に、継永は気づけない。それもそのはず、人影は五十鈴川の対岸にいたからだ。弓を引くのをやめ、五十鈴川で始まる一興を楽しむ準備をする。

 五十鈴川では、川の中で蟹坊主が川岸の二体の妖怪と対峙している。

「鬼一口を殺してしまったな!浅海の最後は聞けたか?」

 俺は、西山の薄ら笑いの態度に怒りを覚えた。まるで演じる様にわざとらしい悪役。目は優しいままなのに、どうしてこうなる。

「お前から聞くよ」

 西山には聞こえていない。

「なんて?聞こえねぇよ!友達にお前の声が届かないのは、お前が弱いからだ!守れないからだ!」

 水柱を生み出しては飛ばしを繰り返す西山。恐らく近づかれたくないのだろう。水柱が近づく中、見無さんは揺らぎ消えた。俺は白斗の腕で包まれて、防戦一方になる。絶え間ない水柱の嵐。

 しかし、以外にも白斗の腕の中は全くと言っていいほど、影響がなかった。何故なら、白斗はただ俺を覆うのではなく細かく上下左右しながら、確実に水柱を相殺していた。

「このままだと、近づけない。どうする?」

 すると、白斗は俺の口を使って一言、

「間もなく、止むぞ」

 白斗は、俺の目の前に少し隙間を開けて覗かせる。水柱の攻撃は止まっていた。

「止まった…」

「いまだ!」

 俺の止まったに間髪を入れず、赫駿の嬉しそうで場違いな、声が響いた。

 川の流れを感じない川底に沈む足は1歩踏み出すほどに伸び、蟹坊主と俺の距離を刹那に縮めた。ここで初めて、蟹坊主の攻撃が止んだ理由がわかった。ミナイさんが蟹坊主の背中に刀を突き立てていたのだ。その刀は、俺が持っていたはずの、長谷部だった。いつの間にか白斗が刀を渡していたようだ。

 俺は仰け反り、沿った蟹坊主の顔に渾身の力をこめた拳を突き上げるように放った。蟹坊主は結界をニつ突き破り、森の中に飛んだ。森には、木々をすり抜け月明かりの光が照らし地面に横たわる西山を照らしていた。

 腕は鋏のまま、口からは赤い血が首元をベッタリと染めていた。

「西山…どんな理由か聞いても仕方がない。俺にできる事はあったかな…」

「あるわけ無い…大我を…守る為に…。両親は知らなかった。」

「咲ちゃんは、守れなかったのか」

「悠と付き合っていたのは、知らなかった。あの日は…浅海は居るはずじゃなかった…事故だ…」

 涙が止まらない。友を自ら手にかける勇気はあるつもりだったのに。

「悠を殺さなきゃ、大我が殺された。俺にはあいつしか居ないんだ…。ごめんなさい……」

 西山は自分の腕を見て、

「こんな手じゃ、大我の髪切れねぇよな…」

 静かに言葉を漏らし、涙を流した西山。そこには、哀れな姿をし命尽きようとする、弟を一人守る兄の姿があった。

「償いにはならないけど…殺してくれ…」

 西山は、顔だけ向けて懇願した。

「大我君を置いていくのか」

 西山はハッとした表情を浮かべ、出ない言葉を目で探しているようだった。互いに涙が止まらず、愛するものを失う現実に向き合う苦しさをまざまざと見せつけられた。

「力は守るために使うべきだった。」

 俺の言葉を聞いて、俺の目を見る西山。その顔は、少し力が抜けたようだった。

「浅海は、生きようとしてた。最期まで。それにー」

 その時、西山の地面が黒く染まり水の様に飛沫を上げて西山を飲み込んだ。悠も急いで手を伸ばすが間に合わず、地面は何事もなかったように戻った。

「西山!何処だ!」

 見上げると、乱立する大木の上部、木々の重なる影の中から西山と、見たこともない黒ずくめの何かが居た。

 西山の耳元で何か囁いている黒。

「西山を返せ!お前は誰だ!」

 その言葉には反応せず、西山は右腕を鋏に変える。

「これでいいんだ…」

 西山は鋏で自らの腹を掻っ捌いた。恐ろしいほどの血と、遅れて西山が木から垂れ落ちる。

俺は、訳もわからず西山に向かって走り出していた。

「そんな…駄目だー!」

 悠の目の前を横切る黒いもの。思わず足を止めると、西山は地面にぶつかる瞬間、また影に沈んで消える。悠の足元には、見覚えのある黒い矢が刺さっていた。

 木を見上げると、月明かりを背に立つ黒。

「彼の死体はいただきます。仲間なので」

「ふざけんなぁ!!!」

 地面を蹴って、木の枝に立つ黒に突撃するが

黒も西山と同じく木に映る影に消える。

「くそぉがぁぁぁあ!!!」

 ミナイさんが、木の上で泣き叫ぶ悠を見つめて立ち尽くしていると、継永が式神で攻撃しようとするが、鳥になった式神はミナイさんをすり抜ける。ミナイさんは、刀を手放して地面に残し、悠の傍に飛び移る。

「やはりぬらりひょん!妖怪共の殺し合いに興味はないが、残ったモノもここで滅す!」

 護神僧5人が、継永と合流する。ミナイさんと、悠を囲み結界を張る。ミナイさんは悠の肩に手を起き優しく語りかけるように、

「ここで終わらせるつもりか?まだ知らねばならぬ事があるのだろう。ここは、一旦下がるべきではなかろうか。悠」

 初めて、ミナイさんに名前を呼ばれてハッとする。咲ちゃんと西山に呼ばれた時と重なり、胸が苦しくなる。

「わかりました。ここを出ます。」

 結界を破り外に出る二体の妖怪。護神僧達は驚いていた。この結界は、江戸時代初期以来、一度も破られたことの無い最高峰のの結界術だったからだ。

 結界を飛び出て、地面に飛び降りる悠。その背中に、殺意を感じる。継永が拾った刀で俺の顔を一刀のうちに両断しようとする。

 しかし、その刀は悠の顔に傷をつけることは無かった。悠は振り返ることなく、

「邪魔するなら、殺します」

 継永は、悠から距離を取る。悠は、先に走るミナイさんを追いかけ、一瞬で走り去る。

「あんな化物…知らないぞ…この刀が通らないなんて」

 刀は、伊勢神宮守護役に代々受け継がれる妖刀「紀伊」。だが、この刀は悠が持つ「伴切」の代替品として尼屋敷以外の守護役に受け継がれたものだった。

「無理するなよ悠。警戒心を強めるのはいい事ではないよ。」

「わかってるよ」

 おかげ横丁に入ると、二人の人影が待ち構えるように道の真ん中に立っていた。

 三重県警刑事の友部と宇良だった。

「悠くんその服の血はあなたのですか?」

 友部の指摘で、自分の服に血がベッタリと付いているのを知った。気に乗ったあの時についたものだ。

「違います。これはー」

 この時、俺の頭から彼の名前が失くなっていることに気づいた。言葉が出て来ない俺に、友部が語りかけるように話す。

「悠くん。君の事は我々も調べました。その事を君も理解しているでしょうから、我々と一緒に来ていただけませんか?」

「仇討ちをして、これからどうするか混乱するのもわかります。私達も悠さんと同じ妖怪と共に生きています。気持ちはわかります。」

 宇良の言葉に引っかかった。

「何も知らないでしょう。あんたら警察にできない事をしてたんです。もう失いたくない。こんなの嫌だ」

 宇良は俺の攻撃的な、しかし突き放すような語気に慌てて、

「私達は警察ですけど、警察じゃないんです。妖怪と人を助けることがー」

「助けれてない!誰も!今頃何しに来てー」

「結界に入るのは、妖憑きとして出来れば避けたい事ですから。君や他の妖怪がしていることが異端なんですよ。危険に自ら身を投じ、助けを求めなかったのは君です。」

 友部がポケットから紙を取り出して、俺に飛ばす。風に乗るように俺のところまで紙が飛んできて受け取る。それは、宇良が渡してきた連絡先の書いた紙だった。

「私達もこれ以上、え〜悠君を傷付けるような状況からは遠ざけたい。そう心から願っている。」

 宇良が友部を睨む。ここで名前を忘れる?さっきから名前で読んだり君と呼んだり、この世代の子は、そういう所敏感なのに、このジジイ。と思っていた。

「俺に判断を委ねた?随分と偉そうですね俺のせいか?」

「ほら、気に触ってる。若気の至りは、いつか自分で気づくものさ。大人も子供も無い。都合よく甘えるなとジジイからは言いたい」

 友部は、宇良と俺に向かって話しているように見えた。手の平を俺に向ける。

 すると、紙が広がり俺を拘束する。

「確保。このまま連れて行く。」

 ゆっくり歩いて近づく友部。俺の目の前に来て手を伸ばすが、「伴切」が生き物の様に滑らかに美しい刀身を覗かせ、拘束を切り裂く。

 友部は年齢に似合わず、飛び退くように下がる。俺は、後退りをして逃げるように走り出す。

「垂楼(タロウ)!」

 友部が叫ぶと、俺は見えない何かにぶつかる様に止まる。ぬりかべ?いや、全く何がいるか分からないが、確実にそこに居る。

「私の長年の友人で、べとべとさんという妖怪だよ」

 友部は、ゆっくりと体を起こし立ち上がる。宇良も友部に駆け寄って、拳銃を抜いた。

「川井悠!法律で刀を持ってはいけないことは知ってますね?刀を離して!」

 俺は、刀を切腹するような形で自分の体に戻す。しかし、刑事二人は本当に腹を切ったと思い一瞬、戸惑う。

 その瞬間、俺の背中から現れた赫駿がベトベトさんを斬りつける。ベトベトさんは倒れ、俺は見えないそれを踏みつけて逃げる。

「垂楼!どうした!」

「悠さん!待って!」

 声を背中に感じながら走り続けると、路地から伸びてきた手に引き込まれる。ミナイさんだ。

「よく逃げた。ここを離れるぞ。渡す物がある」

 ミナイさんは、ゆっくりとスタスタ落ち着いた音色を奏でながら、歩いていく。不思議なことに刑事たちにも追いつかれることなく、皇學館大学まで戻ることができた。

 これも、ぬらりひょんの能力だろうか?

屋上に登ると、ブルーシートを退けて車椅子を出してくる。

 すると、ミナイさんが

「これを、伊勢神宮に隠していたものだ。」

 ミナイさんの手には、俺の身体の中にあるはずの「伴切」と白い糸束で繋がれた刃の部分が持ち手を覆う程異様に長い手斧。足元に拡げられた風呂敷には、ニつの手鏡とボロ布にくるまれた石が一つ。

「これは…」

「神器だ。」

「えっ?草薙ノ剣とか八咫の鏡とか八尺何だっけ、勾玉?国宝じゃん」

「三種の神器とは違う。国宝はそれぞれ、皇居、熱田神宮、そしてここ、伊勢神宮に奉納されているんだろ?これは、尼屋敷一族が代々受け継ぐもので、名を『悠久の断罪』と呼ぶ。手長足長と悠を一心同体にした刀『那斬』と手長足長の手斧『神折』を繋いだもの。今、悠の体にある『伴切』はこれを再現した長谷部の逸品だ。」

 ミナイさんは、俺に刀と斧を手渡す。俺の手は、頬張るように2つの武器を飲み込んでいく。最後は糸束が両手を繋ぐ様に残り、掌を合わせると跡形もなく消えた。

「あとのそれは?」

「鏡は二対で一つ、黄泉の入り口を開く『天開』と死者と繋がる宝玉『言魂石』、これらは悠の祖父である、川井憲朗の蔵から回収したものだ。」

「あの死体、ミナイさんが?」

「あれは、回収したあとだった。影に包まれた妖怪に奇襲されてな。蔵を開けたまま逃げるしか無かった。」

 壁を抜け、人々が寝静まる部屋を通り抜け、

消えるぬらりひょん。それを屋根から見下ろす影。蔵では、男が中を物色していた。普段は高齢者の車を狙った車上荒らしが、扉の開いた蔵を見つけ物色していた所だった。

 向かいの家の屋根から首から上しか見えない男を射抜く影。しかし、予想外の事に矢が蔵の入り口を通る際、扉上部の仕掛けに触れ扉は絶命した男を守るように閉じ込めてしまう。

「あの死体白骨化しててかなり昔のだったんじゃ?ミナイさんいつから俺のこと知ってー」

「雨水も言っていたと思うが、私達二人は転生の度に尼屋敷紀紳、つまりは悠にこれまでの妖怪歴を伝えてきた。ここ数百年は、これらを必要としていなかったから、蔵に封印していた。しかし、悠が産まれてから状況が変わり雨水から蔵から持ってくるように頼まれた。男の死体が白骨化したのは、あの蔵に使われている結界の力だ。あの蔵の歴代の侵入者は人間だけではない。妖怪の寿命を消費するため、時間が早く経過する結界になっている。そして、それは入り口の仕掛けが閉じることで条件を満たし、発動する結界になる。」

「そうなんだ。因みにミナイさんを急襲した影は

何かわかりますか?恐らく、伊勢神宮で俺を邪魔したのもあいつ…」

「わしには分からん。妖怪の中でも稀有なやつじゃろうな」

 朝日が山の裾から顔を覗かせ、暗かった森を照らし始める。起きた事すべてが太陽の光で投影されて、脳裏に焼き付いた気がした。綺麗な景色は時に残酷なほど、自分のちっぽけさと現実を突きつける。

「これから…どうしよっか」

「人間だな。そんなくだらない生き方早く捨てろ。決まっているだろう」

「もう巻き込みたくない…誰も…」

「逆だ。悠の手の届く場所に大切な物は置いておくべきだ。届くなら守れる筈だ」

「物じゃなくて人です。じゃあ、ミナイさん付いてきてくれますか?ぬらりひょんの力は、手の届かないところに届く力だ。」

「約束は守る。指示に従う」

「対等な関係でお願いします。年上だし(笑)」

「勝手にしろ」

 白斗と赫駿は、この少しコンビネーションのあった二人の会話を悔しそうに聞いていた。そんな気がした。

 太陽の光が、山を越え街に伊勢神宮に降り注ぐ。五十鈴川の川底には鬼一口だったものがシミとなって、石を黒く染めていた。

 皇學館大学の教室に光が射し込むとき、すでに二人は屋上から消えていた。

 そして今、俺は東京にいる。

「懐かしいで合ってるんかなこの気持ち?まぁ帰ってきた感はあるな」

 久々の東京に自分の足で立っていることに、忙しなく見える人波の顔達が並ぶ中、喜びを1人噛み締めていると、目の前の信号が青に変わり、人の波が一斉に流れ交差し始める。

 まず、腹ごしらえをしたくて渋谷駅近く井の頭線に上がるエスカレーターの脇、路地を進んだ先にあるスタ丼屋に入る。

 にんにくは苦手だから、いつも生姜丼を頼む。生卵は黄身と白身を分け、白身は味噌汁へ。まずは、卵を掛けずそのまま生姜丼を半分食べる。一人で食べていても、笑顔になりながら食を楽しむことを心掛けてる。卵を解き、丼の中のコメと混ぜて最期まで。

 この時、味噌汁を少し残して丼を完食し最後に味噌汁を飲むのがいつもの食べ方だ。水で口内の幸せな塩味を流し込み、店を出る。

 渋谷駅に来たのは、もう一つ目的がある。スクランブル交差点の一角、ビルの中にその店はある。アニメのキャラクターが丁寧な刺繍でスカジャンに描かれる。ここで某有名キャラのスカジャンを三万円で購入する。

 この後、ある人と待ち合わせをしているのだが、その人と会うために話題の一つとして購入した。

 俺は恵比寿駅を経由して、神保町駅へやって来た。何度か妖怪画の画集を探しに、古本屋街を見に来ていたことがあるが、さほど馴染みはない街並み。

 喫茶Lily。待ち合わせ場所は、ここの奥から三番目のテーブル。三十代のマスターと学生味のある女性が二人接客をしている、けして大きくはないお店。

 カランカランと、日本人なら懐かしく感じるドアベルが、店内の人々に新たな入店者の存在を知らせる。

「いらっしゃいませ!空いてる席へどうぞ。」

 奥から三番目の席へ座る。メニューは、いわゆる喫茶店のものだがコーヒーが体質的に合わない俺は、

「アイスティーを」

「かしこまりました。」

 いつも、待ち合わせよりも早く到着し時間を潰す性分で、今日も三十分は早い。これから会う相手は今度始める仕事に関係していた。アイスティーが届き、ミルクを入れる。アイスティーにミルクが溶け混ざるのを見るのが好き。

 カランカラン、

「いらっしゃいませー」

「待ち合わせで。あっ」

 俺は、この人を待っていたが実は初めて会う。

「はじめまして。松本紘平です。」

「はじめまして。川井悠と申します。」

 席につく松本。年齢は30代前半で想像より若かった。

「私も彼と同じ物を」

店員さんにメニューを見ずに伝える松本。名刺を取り出しテーブルに置く。

「早いね。真面目で誠実なのはやり取りをしててわかってたけど、見た目は意外に今時だね」

「さっき来たところです。服は好きなので。」

「飲み物追加しようか?」

 俺のアイスティーは、すでに半分を切っていた。笑顔で指摘するあたり、警戒して遠慮するような人ではない事に気づく。

「早く来て安心したくて。追加は大丈夫です。」

「そっか、じゃあ早速本題に入ろうか。」

 松本はそういうと、カバンから封筒を取り出した。封筒の中には、原稿用紙が入っていて印刷されたものだ。

「君の小説読ませてもらったよ。妖怪モノの新しい切り口な気がしました。絵を思い浮かべるのが楽しくてね。」

「有難うございます。初めて人に見てもらいました。」

「国語力の勉強はいるけど、アイデアは面白い。今度、会わせたい人がいるんだけど、この人でね。」

松本はそういうと、漫画を1冊取り出した『烏の料理屋』という、烏天狗が山奥で小料理店をひっそりと営む話だった。

「漫画家の鳥居妖烏さんですか?その作品まだ読んだことがなくて。」

「大丈夫、大丈夫。彼女も新人なんだけど、伸び悩んでてね。絵力はあるんだけど…」

「会って何をすれば?相談事とかですか?」

 松本さんにアイスティーが届き、シュガーを三本入れる。

「勿論、意見を言い合える関係になってほしいんだけど、実は君の小説を妖烏さんと漫画にしてみない?」

「漫画に…ですか?嬉しいですけど、その方どんな方なんですか?」

「15歳でね」

「えっ?15歳ですか?凄いですね!」

 俺は、テーブルの上にある漫画を手に取る。店主の烏天狗は、艷やかな黒色で割烹着を着ているイケメン。毎回、店には予約した神や動物、妖が来ては今までに食べたことのない未体験の味を求めるというストーリー。

「料理の絵、美味しそうですね。表情もみんないい。」

「でしょ!この子見つけた時は震えたね〜。俺、寝る前に読んでは腹減って、夜食作るんだよ(笑)川井くんのストーリーとも、この細かな筆入れは合うはずなんだ。」

「勿論、漫画化はすごく嬉しいんですけど、小説として出すのは、いつになりますか?」

「最近は、出版業界も厳しくてさ。重版がないと

漫画版や小説の販売に繋がらないんだ。」

「わかりました。鳥居さんには、いつ会えますか?」

「今日です。」

 仕切りを挟んで後側、俺の真後ろの席から声がして、制服の女の子が目の前に現れる。

「鳥居妖烏(トリイアヤカ)です。」

 着けている黒いマスクには白い線で、鳥が描かれている。不思議な雰囲気の彼女は松本の隣に座り、手には自分で頼んでいたであろう生クリームの乗ったパンケーキを持っていた。

 三重県、松阪市のチェーン店。店内におかしな年齢差の男女が、大量注文した料理を待っている。

「悠くん。何処に行ったか完全に見失いましたよ?友部さんこれから如何するんですか?」

「どうしようなぁ〜。怖いんだよな、あの子。垂楼も切られて、弱ってしまって。」

 ファミレスで、老人と若い女性のテーブルとは思えぬほど食べ物が並べられている。

 しかし、その殆どは友部の真横に立つ斜めに切れ込みを入れられた丸餅の様な、ベトベトさんが食べる。泣き真似をしながら、友部はベトベトさんの前のテーブルの端に食べ物を置く。ベトベトさんは象の鼻のように舌を自在に伸ばし、口に運んでいく。食べた量だけ、切り口が塞がっていく。

「それに、お前の妖に聞いたらもう三重県にはおらんのじゃろう?」

「愛知と東京に友人が居るようですね。実家にはあれから帰っていませんし、完全に手詰まりです」

「我々は特殊な部署だから境界がない。だが、公務員だから申請はいる。それが見えない障害と呼ばれていたりいなかったり」

 大きくため息を吐く宇良。

「面倒くさいだけじゃないですか?悠くんの言葉、実際胸にきました。友部さんは何も思わないんですか?」

「私はこのハンバーグを半分食べた時点で、胸にきてるよ」

 宇良は怒りを込めたフォークでバンバーグを刺し、口に詰め込む。口パンパンになり息ができなくなるのを見て、今度は友部がため息をつき水を渡す。

 水で流し込み、口を開けた宇良は

「いつになったらドリンクバー付けてくれるんですか?」

 周りの客は、

「レンタル彼女か?ケチな老人相手は大変だな」

「老人、飯食いすぎ。TVチャンピオンかよ」

「おかわりください(笑)」

 周りの客の視線が痛いのは、宇良だけの様だ。

「そろそろ出るか?垂楼も完全復活だ、な?」

 テーブルの食べ物は、ソースや付け合せも全てきれいに無くなっていた。

 店を出ると、宇良に電話が掛かってくる。

「はい。宇良です。」

 ベトベトさんは、店に入ろうとする客を足止めして困惑させている。友部はガン無視。電話を切った宇良は、

「友部さん、手掛かりかもしれません」

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