第5話 仇〜カタキ〜

 公園にポツリと建つ本屋。そこで、雨水将兵から刀を渡され困惑する悠。突然、本屋のドアがガラガラとけたたましく鳴り、勢い良く開けられる。振り返ると、車椅子に座る俺の膝の高さと同じ小さな鬼が扉を開けていた。

 俺は状況を理解できていなかったが、

「なぜここにいる!家鳴り!!」

 雨水さんは大きな声で怒鳴り、今までと違う感情を剥き出しにした、とても怖い顔になっていた。『家鳴り』と呼ばれた小さな鬼は歯を見せ、ニッと不気味に笑って、

「死ねっ」

 甲高い声でそう叫ぶと、本屋が大きく揺れ始め棚から本が溢れてくる。俺は咄嗟に刀と、さっき見つけた川端さんの本を手に持つ。

「早く外に出ろ!」

 雨水さんは俺を車椅子ごと押し出し、同時にバリバリと音を立てて本屋が左右から押される様に歪み始め、地面から石臼のような歯がせり上がって来た。俺は、落ちた本に引っ掛かり転びながらも外に出ることができた。しかし、雨水さんはこのままでは間に合わない。

 その時、手長の声が聞こえ

「よせ、今のお前では何をしても喰われて終いだ。雨水よりお前を失うわけにはいかん。」

 刹那、本屋の前の空間が揺らぎぬらりひょんが現れ、大きな口に飲み込まれようとする雨水さんに、左手を伸ばす。

「手を掴め、雨水!」

雨水はぬらりひょんの腕をつかむが、このままでは纏めて喰われてしまう。大きく広がった口を閉じんとする中、俺の肩から服を破きながら羽のように腕が生え、ぬらりひょんの襟を掴んで引っぱった。

 ゴォっと聞いたことのない、空気の圧縮する音が聞こえ鬼の口が閉じ、雨水はぬらりひょんの左腕と共に、鬼一口の餌食になった。

 ぬらりひょんが、俺の伸びた腕に引き倒され仰向けに倒れる。

「くそ…。雨水を殺られた!何故だ!」

 ぬらりひょんは残った右腕で、地面を叩くと

俺を睨みつけた。その目には涙が滲んでいる。

「手長ぁ!何故雨水を助けん!お前なら間に合ったはずだ!」

 ぬらりひょんは、宙から見えない鞘から取り出すように刀を抜き、俺に向けた。その迫力に動けないでいる俺とは裏腹に、手長が淡々と俺の口を使って話した。

「生きることに慣れすぎた人間を、助ける義理はない。お前が救えなかった。それで話は終いだ。」

 ぬらりひょんの目からは、大粒の涙が溢れ俺の服を掴みながら訴える。

「雨水は…雨水の最期はこんな…こんな終わり方では無いはずだ…。わしと生きた八百年はこんな最期で…」

 俺は、ぬらりひょんの悲痛の言葉に震えていた。その時、本屋と雨水さんを飲み込み、ポッカリと空いた大穴の底から炎柱が飛び出した。空に昇り続ける炎の中から、黒い影がチラチラと映り始め、大穴の縁に燃えた大きな手が掛かり、顔の大きな鬼が炎柱から顔を覗かせる。

 「こんなにうんまい人肉(ヒトニク)は、丹後の八百比丘尼以来だぁ。」

 業火から這い出る鬼一口の、顔と身体のアンバランスさが、今までイメージしてきた鬼とは一線を画し、人生最大の恐怖と気持ち悪さを煽ってくる。

 鬼一口の言葉を聞き、ぬらりひょんが立ち上がり鬼一口を睨む。鬼一口に向かうぬらりひょんを俺の腕がそれを止め口が勝手に話し始める。

「ぬらりひょんよ、今は駄目だ。悠では鬼一口に勝てぬ。お前は身を隠せば、見つかることはない。今お前を失っては困る」

「何故雨水にそれが言えぬ…何故だ!」

 ぬらりひょんが振り向きざまに刀を振るうが、俺の腕がそれを難なく受け止める。刀は俺の手の中で痛みを生むことなく静かに収まっている。

「およそ三百年生きたお前達は、必要な殺しで

我々神に程近い存在になった。人を喰らい力に変え日本史を生きながらえてきた。しかし、普通の人間には想像もできん苦痛だったのだろう」

 ぬらりひょんは、顔の力が抜け持っていた刀を離す。

「10年前、雨水から頼まれたことがある。『今世は悠の周りで生まれる妖怪が多かった。影響が出始めている。敵が動くと必要な殺しが増える。わしはもう開放されたい』そう本音を零していたよ」

 ぬらりひょんは、膝から崩れ落ち、

「雨水は、終えたかったのか。わしとの生を。共に暮らす永遠を認めてくれたのではなかったのか」

「最後の言葉をお前も聞いただろう。」

 雨水は、ぬらりひょんが握った手を握り返さなかった。そして、『見無(ミナイ)よ、共に見た全てを回顧し、思い出とともに散る』ぬらりひょん【見無】は萎れるように、体を小さくして泣いている。そんな中、鬼一口は俺達に向かって手を伸ばす。それを合図に、三匹の家鳴りがぬらりひょんに飛びかかり、火柱からは捻れながら火球が飛び出す。

 俺は目を瞑るしかなかった。瞼の上からでもわかる業火の明るさが徐々に大きく強くなって、真っ直ぐ自分に向かってきているのがわかる。ビュンビュンという風の音と共に、瞼に映る明かりが消え奇妙な音が聞こえてくる。

「フガフガッ!」

 恐る恐る目を開けると、長い腕がニ本俺とぬらりひょんを包むように伸び、三匹の家鳴りが噛み付いていた。

「ぬらりひょん。今は消えろ。いずれ仇は取らせてやる。」

 手長が冷たく言い放ち、ぬらりひょんは歯を強く噛み眉間に力を込めた顔で立ち上がると、そこに居るはずの存在が薄くなり、揺れて消えた。とても寂しいその光景は、消えてからもまるでそこに存在するかのように想いが残っていた。

「さて邪魔者は消えたぞ、悠が望むなら少し力を見せようかな?」

 嬉しそうに足長が言った。

「勝てるか?大きい口の鬼も、小さいのも殺す気で来てるし…」

 足長のため息が聞こえ、

「お前の中にいるのは、史上最悪の神だぞ」

 次の瞬間、ゴォっと凄まじい音がして俺を囲んでいた腕が広がり、家鳴り達は地面や木に叩きつぶされ灰になる。

 さらに、俺の腹から足が伸び鬼一口を火柱に蹴り飛ばす。火柱が離散し、穴が崩れ落ちる。

「派手じゃないけど…たしかに強い…。でもこれで終わるか?」

 案の定、恨めしそうに顔を出す土を被った鬼一口の形相は先程までの日にならないほど、シワが深く、恐怖とは少し見え方が違うグロさがあった。

「ううゔゔ……必ずコロス。人間は喰らい尽くしてやるぅゔゔ。」

 鬼一口は、ドゥオーンと地面を蹴ると公園横の家に屋根から突っ込む。勢い良く燃え盛る一軒家から、人を二人加えて出てくる鬼一口。バリバリと喰べ、さらに体が大きくなったように見える。腕を横に伸ばし、発生した朱黒い火が横の民家にも飛び火する。

「護れよぉ。人が救えぬならお前も唯の化物さなぁ。俺と貴様で何が違う?」

 鬼一口はそう言うと、朱黒い炎に包まれ地面に吸い込まれる様に消える。

「手長足長!どうすればいい!?火は消せるか?中の人を!」

「落ち着け。まずは人を外に出す」

 手長がそう言うと、俺の足が勝手に走り始め燃え盛る建物に突っ込んでいく。

「待て待て待て!うわぁーーー!!」

 2軒の家から計6人を救い出す。最後の子供を救い出すとき、子供が起きて俺を見つめる。

「熱い!ママーーーッ!!」

 窓ガラスを割って、外に出て他の家族とともに外に並べる。残念ながら、姉と父親は鬼一口に喰われたようだ。子供の鳴き声で母親が起き、駆け寄る。

「離れろ。また警察に目をつけられるのはゴメンだ。やれることはやった。」

 手長はそう言うと、俺の背中から生えた腕で燃える家を壊す。

「何してる!!やめろ!」

 しかし、手長は2件の家を壊して車椅子に俺を乗せ、凄まじいスピードで漕ぎ始め離れる。誰も俺の姿は見ていないようだ。

「こうしなければ、他の家にも燃え広がる。やれることはやった。間もなく、雨も降る」

 家につく頃には、雷が鳴り雨が激しく降り始めた。家族が寝室から出てこないことを確認し、車椅子を玄関に置いたまま俺は部屋に戻る。バタンッ、扉を閉めると大きく息を吐き落ち着かせる。頭を整理しないと、色々起こりすぎて混乱している。思い出しては次の記憶が巡り、どんどん酷く加工しては上書きされてを繰り返す。

「駄目だ、寝るしかない。でも寝れるか?」

 まぶたを閉じると、飲み込まれる雨水さんが現れる。目を開き、また閉じる。今度は、業火から現れる鬼一口の顔が現れる。

「トラウマになったか?」

 目を開くと、あの枯れ木の生えた小島にいた。枯れ木の枝に座る男。腕が異様に長く5メートルはあるが、見た目に柔らかさはない。

「あんなので?紀紳は大丈夫だろ、何度も死を見てきてる。」

 小島を囲む水から顔を出し、波を起こして遊んでいるように見える足長。足長が起こした波で、小島には浜辺のように波が押しては返す。波が俺の投げ出した足に掛かるが何も感じない。

「そういえば、何で俺の足動いたんだ?今も相変わらず何も感じないけど。」

 手長が枯れ木から飛び降りる。さほど高さは無いが、降りた瞬間、小島が大きく揺れ小島を中心に波紋が広がる。

「俺の足だ。背中から腕が生えたように、悠の体と俺達は同化している。今は部分的であれば、置き換わることも可能だ。」

「じゃあ、あの時俺の足はそうなってたのか?」

 俺が指差した手長の足は、俺と同じ様な長さで、筋張った筋肉と太い骨に少しの脂肪がついた様な異様な足だった。

「痛みも無ければ、硬さも浮世に存在しないものだ。今も見てわかるとおり、悠の足に傷は無い。」

 確かに、俺の足は悲しいほど何も起こってない。ただ、

「これからも、俺は歩けるのか?」

 ほしい答えを期待して聞いてみたくなった。これまでのどうしようもない現実に、転機となる気がした。

「出来なくはない。悠の意思は俺達にも伝わる。自分の足のように動かせるようになる。」

「本当か!?」

 思わず笑みが溢れた。諦めていたものが突然希望として目の前に現れた。

「しかし、いきなりでは説明がつかない。生活は車椅子のほうがいいだろう。」

 手長の言葉を最期まで聞いていなかった。気持ちが昂っている。

「紀紳、俺の足だったら身長も伸ばせるよ!車椅子なら立った時の変化も気付かれないって」

「よせ、それで一つどころでは生きれなくなった時代がある。常時である必要はない。」

 まるで兄弟のように、俺と話をしてくれる二体の化物。都志希と仲の悪い俺にとって、久しく感じる懐かしい感情だった。

「目を瞑るだけでいい、今日は安め。敵の姿が見えた今、狙いもわかる。人の味を思い出した鬼は歯止めが効かなくなる。ぬらりひょんも馬鹿ではない、鬼一口の居場所を探っているだろう」

 そういうと手長は枯れ木を腕だけで上り、足長は水に沈んでいった。もう一度瞬きをすると、自分の部屋に戻っている。しかし、未だ瞼を閉じても寝ることは出来ず、無になることを心がける。ただ、何故かあの小島を思い出すと落ち着くことができた。

 次の日は、警察や消防に野次馬など住宅街はかつてないほど、騒々しく物々しかった。当然、警察の聞き込みは実家にも及んだ。

「朝から騒がしくて、すいません。近くであった爆発事故について、何か知っていることがあれば、お聞かせいただきたくてー」

 玄関で対応している母、ふと窓から外を見ると俺の部屋を見つめる見覚えのある女性。老警部と一緒にいた人だ。目が合うと、彼女は驚いた様に目を逸らす。

 その時、下の階から

「悠〜、警察の方が聞きたいことがあるって」

 俺は、階段を降りて玄関に向かう。この時、ベランダにカカシのようなものがいる事に、俺は気づいてはいない。俺は床を下半身を引きずりながら、ズリズリと音を立てて階段を一段一段降りてくる。

「すいません。時間が掛かって」

「いいえ、朝早くから申し訳ありません」

 さっきから、薄っすらと聞こえてきていた警官の声では無く、老人のしゃがれた声だった。

見ると、あの老警部が玄関に立っていた。後ろには少し緊張気味のさっき目の合った女性。

「ここでお話しても良いのですが、少し出たほうが。昨日の夜についてですから」

 この人は、俺が夜出ていたことを知っている。母の顔を見ると心配そうに俺を見つめている。

「昨日、ちょっと夜散歩したんだよ。そうですね、外で話しましょう。人集まってくるの嫌だし。」

 既に、聞き込みにしては人数の多い家の前には、近所の人が横目で見ながらヒソヒソと噂をしているようだ。とにかく外に出るために、車椅子を準備して外に出る。母は警察と挨拶をしてドアを閉める。階段を降りるのを警察の方に手伝ってもらい、家の前で別れる。少し進んで、老警部と女性が車でやってくる。

 窓を開け、

「上手くいきましたね。さぁ乗ってください。」

 車椅子を乗せ、車に乗り込む俺。

「ご協力感謝します。近所を周回しますから。」

 俺の隣に座る女性、やはり以前より緊張して見える。

「すいませんね。まだまだ新人で、宇良といいます。年齢も近くて話しやすいと思うんですが、悠くんは女性の友達も多いようだし。」

「昨日の夜といい、よく知ってくださっているんですね。何か怪しかったですか?」

「いえいえ、お互い抱えているものが異端過ぎると何かと不安が増えますよね。最近は、周りでご不幸が多いように感じますが。」

 この老人は、手長足長について探りを入れてきているような口ぶりだ。女性は今だ一言も発さない。彼女からは無意識にとてつもない緊張感が車内に放たれている。

「すいません。お名前を聞いてもいいですか?」

「あぁ、すいません。友部といいます。宇良の上司で一応警部です。悠くんと呼んでもいいかな?」

 老人が答える。

「どうぞ」

「ありがとう。悠くんは昨日の爆発事故について、何を知っているかな。」

 宇良は俺の顔を見ている。友部は特に気にしていない様子で、質問を続ける。

「以前から、悠くんの事は調べていてね。伊威野の一件と伊勢の一件、今回のものを含めると三件目になる。どれも不可解な点は多く、悠くんとの接点も被害者たちは薄そうだ。何故巻き込まれているのかな?」

「わかりません。」

 必要以上に喋らない方がいいと思った。俺も知らないことが多いのは、事実だし。正直、こんな事に付き合ってるのは無駄だ。

「いうなれば、巻き込まれた悠くんも被害者だが、いずれも怪我をしていない。その体で強運だね。」

「怪我をしてもおかしくなかったです。」

「そうだね。しかし、事実していない。当たり前だが、警察はこの三件とも事故で処理するよ。」

「そうですか。」

「驚かないんだね?色々、知っていることもありそうなんだが、昨日の件は今までと少し違うのかな?」

「何でそう思ったんですか?」

 このやり取りを、固唾を呑んで見守る宇良。俺だけでなく、友部にも視線を向けている。

「宇良」

 友部の声に驚く宇良。俺と向き直り、緊張しているのが目からより伝わってくる。

「あの…。昨日…公園で…何があったんでしょうか?被害に合われた方も二人行方不明で現場には血痕が…。あと、助かった方々の…あの…」

 公園の事を知っている?宇良っていうこの人が尾行していたのか?どこまで見ている。

「悠さんが突然消えて…。現れたと思ったら、火柱が…」

 急に車を止める友部。バランスを崩した俺を抱きとめる宇良、車の屋根の上から別の気配のヒリヒリした何かを感じる。

「すいませんね、猫でした。1つ、私達は疑っているのではなく、悠くんを取り巻く何かを知りたい。人々を守る為に」

 友部は宇良を睨みながら言った。宇良は、下を向いてしまう。何か失敗したようだ。

「何が聞きたいんですか?どれも運悪く遭遇してしまった事故だと思います。」

「昨日出会ったものも?その足が動かなくなった理由は?本当に事故だと思いますか?」

「わかりません。宇良さんは、何を見たんでしょうか?」

 宇良は友部を見る。友部は表情を変えない。宇良は突然の質問に驚きを隠せず恐る恐る、

「何も見えませんでした。何も…」

ぬらりひょんの力で、店に入った俺は見えなくなったんだ。そして、店と雨水さんが喰われたとき、突然俺が現れたように見えたわけか。

「昨日は、ただ夜の公園を散歩しただけです。」

 おそらく、宇良さんは妖怪を視認出来ない。ただ存在は知っているのだろう。見えている方が何かと楽かもしれない。見えないのに、違和感を感じる恐怖は計り知れない。

 今、打ち明ける必要はない。この人たちが警察と違うモノを追っていることはわかった。

「そうですか。家の近くまでお送りします。」

 山の麓へ戻る車の上には、あのカカシが鎮座していた。

「ここで、大丈夫です。」

 車椅子を降ろしてもらい、座る俺を宇良は車から降りて見つめていた。

 友部は車から、

「また、お話聞くことになりそうです。今後は何事もない生活を願っております。」

 宇良は、

「悠さんいつでもご連絡ください。」

 名刺を渡してくる。宇良が乗り込み去っていく車。

「演技派だな」

 手長の声が聞こえ、恥ずかしい気持ちになり無視した。

 友部の運転する車内では、

「これで宇良に連絡が来れば、一歩、いや十歩は前進だな。」

 しかし、宇良は少し納得していない様子で、

「絶対連絡来ないでしょ。友部さん楽しようとしてません?こっちの手を見せた方が良かったのでは?明らかに警戒してました。」

「俺達は、アレの中が知りたい。お前も見たのだろう。昨日の火柱は、熱田の時と同じだ。昨日の件も知っていたし、何事もなく生活しているなんて、あり得んだろう」

「アレではなく、悠くんでは?」

 宇良は、友部の二面性を以前から気にしていた。この人が扱う術は妖憑きの中でも潜在能力の高さが群を抜いていると思っているからだ。

 普段は誰が見ても優しい老人なのだが、

「アレを人間として見るには、無理がある。ありゃ、化けモンだ」

 その頃家に着いた俺は母親に事情を説明し、何とか夜の散歩で納得してもらった。

 部屋に戻ると、昨日雨水さんから受け取った刀と川端さんの本がいつの間にか無くなっていた事を思い出した。

「それならここにある」

 首に口が現れ手長はそう言うと、俺の首から口が開き刀の柄が出てきて、左腕に現れた口からは「私の望み」という本が出てきた。

「便利だな。ヨダレとか付いてないし」

「何でも入るわけじゃないぞっ!(笑)まぁ、人5人くらいなら…」

「急に怖い事を…。刀はいいや、川端さんの本読みたい」

 だが、この本を開くのには勇気がいる。結局、川端さんの葬式には行けてないし、娘さんがいたらしいけど会ったこともない。実は知らないことが多いあの人。タイトルの「私の望み」、雨水さんが言うように死後書かれたものなら場合によっては娘さんに、

「でも、渡しても信じないだろうな。中見てみないことには…か」

 1枚目のページをめくると、目次が書かれていた。川井悠へ、川端美佑へ、死後の後悔と3つの章に別れていた。

「俺、最初で良かったんですか川端さん。最後の死後の後悔は…重すぎて読めそうにないな」

 一先ず、俺宛の部分を読む事にした。

『悠より先に、本を書いてしまったよ。本当に悠の小説楽しみにしていたんだ。

 小説を執筆し物語を創造する自由と真面目すぎる性格で普段の生活を過ごす悠を見ていると、心が乖離して見えて実はすっごく心配だった。悠の周りからの認識は恐らく良い人だろう。悠は取るに足らない人として、これから先も生きるつもりだろうが、勇気を握り締めあと一歩を踏み込むことで、これから先にとても深い仲になれる友人がもっと沢山いるはずだ。その事に気づかない所が、昔の私にも重なって見えて近くで支え、寄り添いたかった。

 俺の仕事はマネージャーだ。人生を、自分の時間を他人の人生に注ぎ、彩る究極の自己犠牲が出来た時、俺は理想の人間になれると思っていた。

 Happinessのライブで出会い、その時の悠の目の輝きは吸い込まれる様な美しさだった。好奇心と愛と強い意志を混ぜたその色は、私から話し掛ける勇気を与えてくれた。悠は、知らず知らずの内に人に勇気を与えている。

 自分で気づかずとも、悠が体感していることは度々あったはず。そして、それは悠だけのコミュニティを構築していく事になる。人の使い方や周りの人間に対する思いやりで、周りに集まる人の数やそれぞれの信頼度は大きく変化する。やっぱり俺は心配だよ。悠なら必ず上手くやれると信じてる。でも、俺がいた方が安心して大きな1歩を進められる自信があったんだ。  

 こうなった今、次に見つけるのは悠にとって新たな親友だと思う。俺って親友だよな?次の人に俺はお前の事を直々に土下座してお願いしたいくらいだ。俺はお前の事が大好きだった。静かに生きる儚さと嬉しいを素直に表現してくれる悠は、確実に俺を日々の疲れから癒やしてくれた』

 一旦、本を閉じずには居られなかった。涙が止まらない。今一度、居なくなった大切な人の大きさに気付いた。俺はそんなに想われるような人じゃない。

 涙が止まらず、読むのを止め風呂に入ることにした。いつも、何かあった時は風呂で落ち着くようにしている。湯船に頭の先まで浸かり、自分はもう泣いていないと無理やり納得させた。水の中は、とても静かで俺は生活の中で最も落ち着く場所だと思っている。トイレや狭いところが落ち着く人もいると言うが、俺は水泳を習っていた頃から、水に浸かっている時、特にドップリ水に全身包まれた時が、最も集中する事ができた。

 昔、メドレーのタイムを測っている最中、泳ぎながら心地よくなり最後まで苦しまずに個人メドレーを泳ぎきったことがあった。呼吸を意識することなく、いつの間にか終わったタイムは最高記録から5秒以上縮みいわゆるゾーンの状態だった。

 そんな過去を思い返していると、少し気持ちが軽くなった気がした。案外、頭を切り替えるだけで悩みは解消されるものだ。風呂上がり、髪を拭き上半身裸で部屋に戻る。静かな部屋、机の上にはあの本。卓上照明をつけ椅子に座り、笑顔を作る。辛いこと、最悪なことは笑顔を作って無理やりなんとかしてきた。

「そんなことをして何になる」

 窓が開いていて、ぬらりひょんが立っていた。その顔は初めてあったときとは別モノだった。

「自分を奮い立たせようかと…」

「鬼神に頼れば良い。お前には期待しておらん」

 あまりにもキツイ言葉。一瞬でぬらりひょんのことが苦手になり、大嫌いになりそうだ。

「相手が違うな。仇討ちを頼みに来たんじゃないのか?見無」

 手長が俺の口を使って話す。俺は手で口を覆う。

「鬼を野放しにすることは、食い扶持を減らすことになる。お前らはそうやって敵を作り屠ってきた。楽をするな」

「時代錯誤だな。今世に転生しまだ腹が減ることはない。鬼が如何しようが知ったことか」

今度は、手の甲に口が現れ手長が勝手に喋る。ぬらりひょんと手長の言い合いを、物理的に止めることができない。ここは、

「手長、鬼が自由にすることは許せない。話があるなら聞きます。えーと、ミナイさん」

 見無は揺らぎ、消えると布団の上に座る。

「お前が俺の名前を呼ぶな。鬼一口のー」

 ぬらりひょんの言葉を遮り、俺の胸から生えた腕がぬらりひょんの首を絞め、壁に押さえつける。

「何してる!やめろ手長!」

 すると、音に驚いたのか母が下の階から声をかける。

「大丈夫?落ちたの?」

「大丈夫!大丈夫!本落としただけだから」

 手長はぬらりひょんを離し、腕は俺の胸に戻る。ぬらりひょんは首をさすりながら俺を睨む。

「鬼一口の次の標的がわかった。伊勢神宮だ」

「何故わかったんですか?」

 ぬらりひょんは懐から、目を見開いて動かない小さな鬼を出す。家鳴りだ。足長がそれを受け取り、バリバリと食べる。

「オエ〜。気持ち悪い。」

 今後もこの瞬間を見なきゃいけないのがツラすぎる。

「伊勢神宮に、こいつらが出入りしているのを見た。鬼一口は元々蔵や倉庫の閉鎖された建物の中を行き来する妖怪だ。つまり発生条件がある。それを整えているのが、この家鳴りだ」

「伊勢神宮に鬼なんて入れるんですか?」

 ぬらりひょんは、

「厳密には入っていない。おかげ横丁で見た。恐らく鳥居は潜れない。しかし、別の入り口を見つけていた場合、入ることは可能だ。家鳴りは比較的数が増えやすい妖怪だから、結界で死んでもすぐ次が産まれる。」

 つまり、局所的に攻撃して結界を壊す事で鬼一口を招き入れるつもりなのか。鬼一口の目的はやはり、

「近々、各地から巫女が集められ浄めの儀式が行われる。修行の一環でもあり、数日感巫女は伊勢神宮に留まることになる。恐らくはそれを狙っている」

 やはり、普通の人間よりも巫女などが力をつけるのには良いのだろうか。この疑問には、俺の中で聞いていたであろう、足長が答えた。

「当然、食べたものは人間で言う血肉となるように、我々妖怪や鬼も力に反映されるのさ。その結果っ、知力や能力が増えることがあって、昔は侍なんかも狙い目だったんだが、今時の人間には足りないものが多くて、正直食べようと思えないから安心してっ」

「人を食べてた奴の意見だな。」

「明治までは食べていたんだけど、毎回紀紳に怒られちゃって、今は妖怪限定!ホントだよ!」

 足長が両手を振りながら否定する絵がイメージ出来る。ぬらりひょんが苛つきながら、

「話を続けてもよいか。雨水から預かっている刀をわしに渡せ。仇を取るのはわしだ」

 ぬらりひょんがしわしわの右手を差し出す。

「あの刀は、雨水が紀紳に残したものなんで、無理!お前には自分の刀があったでしょうが。それに人間にしかあの刀は使えねぇの」

 足長のいつもの喋りは、俺でも怒りを覚える空気の読めなさ。ぬらりひょんが拳を握りしめ、

「そいつは、紀紳ではない。お前らは信用ならない。結果ではなく、信頼できぬものと戦うくらいなら、俺がこの手で…」

 俺は、いつの間にかぬらりひょんの手を両手で包んでいた。ぬらりひょんも驚いた顔をしている。

「俺に力はないです。でも、鬼一口は恐らく俺の大切な人も喰った鬼です。一緒にいた時間の長さが違うので、気持ちがわかるとは言いませんけど、俺も鬼一口を殺したい。」

 ぬらりひょんは、ゆっくりと俺から離れ揺らぎながら薄くなっていく。

「次に会うまでに、鍛錬をしておくべきだ。鬼と闘うのは、一筋縄ではいかん。手長足長も久々の鬼狩りだ、下手は打てん」

 窓から風が入り込み、カーテンが揺れる。恐らくぬらりひょんが外に出たのだろう、気配はもうどこにもなかった。

「悠、今日は寝ろ。ぬらりひょんが言うように、今の悠を鬼と戦わせることはできない。恐らく浅海咲乃の件は鬼一口が関わっている。悠の意志を尊重する」

「ありがとう。鍛えるって如何すればいいんだろう」

「明日話す。」

 俺は布団に入り目を瞑る。

「わかったよ。」

 あの日から、布団に入ってからも常に意識はあるような気がして、目を瞑ったまま朝を迎えることになる。

「今日は、皆仕事あるから家出やんと待っときないな。散歩位ならええんやけど。夜は出やんといて欲しいし…」

「ウロウロすんなよ。巻き込まれやすいねんから。」

 朝食を取りながら、母と話していると弟がスーツでコーヒーを飲みながらリビングにやってきた。もう弟とは、何年も食事を囲んではいない。今は、市役所で働いている。

「散歩は許してよ。体動かさんとおかしくなる」

「本書けよ。期待してへんけど」

「もぉ、あんたは…」

 朝から最悪の空気で、家族は会社に向かって家には俺一人になる。

「さてと、どうしよう?家で鍛錬はできんの?」

「目を瞑ればどこでも出来る」

俺の後頭部で手長の声がする。

「じゃあ」

 部屋で立ったまま目を瞑る。目を開けるといつもの小島に来ていて足は相変わらず感覚がなく、座り込んでる。

「手長〜、来たよ!」

 足長の声が聞こえ、背後から枯れ木をこするような音がして、虚から手が生えてくる。

「そろそろこの光景にも慣れてきたな。鍛錬と言っても、そう難しいことじゃない。俺との親和性を深めるだけだ。」

 手長が俺の肩に手を置き、覆いかぶさる様に優しく笑いかける。

「いいなぁ〜、俺も紀紳とこの世界でも繋がりたいなぁ」

 池から足長がはい出る。

「やっぱり、手長のほうがかっこいいよな。なんか違うんだよな。あと、俺紀紳の自覚ないから、その呼び方は違和感あるねんけど」

「俺は紀紳しか認めてないからな。これで俺を倒したら、悠って呼んでも良いよ」

 足長は口から雨水さんの刀を吐き出し、島に突き立てる。

「これからやる事は、考えてどうにかするのでは無く、体に感覚として叩き込むものだ。俺の足を使って、足長に一太刀でも入れればそれでお終いだ。」

 そう言うと、手長は俺の身体にのめり込む様に入ってくる。感覚はないが、注射の時に針の先を見ないのと同じような感覚で、見ると気分が悪くなってくるだろう。

「それじゃ、足を渡すぞ。普通に立ってみろ」

 手長に言われた通り、立ってみる。するとスクっとなんの抵抗もなく立ち上がり、スタスタ刀の周りを歩き始める。勿論、自分がしたくてそうしているのだが、昔の感覚とは少し違う。スピードも歩幅もイメージ通りでロボットみたいだ。

「凄い。こんなに普通に歩けるなんて。」

「俺達は悠と同義だ。俺達を使うことができるし、それだけ信用してくれていい。そうしなければ、お前は昔の紀紳の様に悲惨な死を繰り返す事になる。」

 俺は刀を引き抜いてみる。想像していたよりも長く重い。何回も触れるものじゃないし、重みに負けると刃がブレて自分が持っているのに怖さを感じる。

「じゃあ、やってみるぞ」

「えっ」

 足長の声と同時に感じた。足長の伸びた足が俺の脇腹を打ち、肋骨が折れるのを感じる。口や鼻から大量の血が吹き出し、俺は池に落ちて絶命する。

 目を開くと、また小島にいる。

「何が起こってー」

 そう言い終わる前に、今度は足長が俺の顔を蹴り首が折れる。視界が九十度傾き俺は絶命する。目を覚ますと、また小島にいる。この死んでは生き返るを短い間に恐らくは20回以上繰り返した。

 目を覚ますと、俺は小島に仰向けに倒れていた。

「悠、死を恐れず見えるものを鮮明に記憶して、

瞬間を切り取るだけでいい。まずは、人外との差を感じろ」

「わかった。でも、一瞬の激痛なんとかなんない?目を瞑れば痛みも消えるけど、やっぱ怖いな…」

 俺はそう言いつつも、自由に動く足を体感し感動していた。跳ね起きをして、池を見渡す。池に立つ足長を見つけ、睨む。

「見つけー」

 池が割れ、小島ごと俺は真っ二つに蹴り上げられる。瞬きで、また小島で戻る。目の前にある刀を持とうとするが、足長に蹴り飛ばされ枯れ木にぶつかり腰と内蔵を潰す。瞬きをして、刀に手をかける。引き抜こうとしたら、目の前に足長の足裏が見えた。俺の首が飛ぶ。

「そろそろだな」

 手長の声が聞こえ、俺は刀を持ちながら小島に戻る。

 足長の方向に刀を構えた瞬間、刀の両端に足長の切れた足が広がっていく。恐ろしい切れ味で足長を切った。

「やった!当たった!」

 すると、手長の腕が背中から生え、俺の首をねじ切る。

「なんでやねん!」

 そう言って、俺が起きると目の前では足長が切れた足を丁寧に合わせ、その部分からミチミチと元通りに戻していた。俺は、その光景に唖然としている。気づけば、俺は座り込み手長が横に座っていた。

「よくやった。人間の限界は反応ではなく認識だ。悠は、およそ三十死でそこにたどり着いた。絶対に忘れるな、それがお前の生命を繋ぐ唯一の力だ。あとは俺達に任せろ。今日はこれでいい。」

 足長がつなげ終わった足をプルプル振りながら、

「悠、おめでとう!思ったより早かったよぉ!あ〜楽しかったぁ。明日は、手長がやる?」

「いや、足長がやればいい。悠の足を慣らすには俺の長さが丁度いいからな。日常で使うことも考えて俺がやった方がいい」

 二人のやり取りはまるで兄弟みたいだ。ふと、疑問に思うことがある。

「そういえば、手長足長って名前なの?見た目通りって恐らく人間が付けたものでしょ?ぬらりひょんはミナイさんだし、名前はあるの?」

 手長足長が俺の顔を驚いた様に、でも足長は少し嬉しそうに、

「あるある!俺ね赫駿(セキタカ)!紀紳が付けてくれたんだ!かっこいいよなぁ!」

 足長が嬉しそうに自分を指差しながら言った。

「セキタカね!確かにかっこいい!イメージも変わる!手長は?」

「俺は…」

 言おうか考えているように見える。

「なになに?」

「なーになに?(笑)」

 足長と俺が笑顔で待つ。

「白(ハク)…」

「えっ?なんて?」

「白斗(ハクト)」

 顔を赤くして答える手長。

「かっこいい…。めっちゃかっこいい!」

 足長と両手を合わせながら、テンションをあげる俺とは正反対に、手長は梅干しになり静かになる。瞬きすると、自宅のリビングに戻っている。

「今日はもういい。ゆっくりして、明日また一人になったら始めよう」

 後頭部から声がする。恐らく二口女の様になっているのだろう。

「わかったよ、ハクト」

 足長が笑っている声が聞こえた気がした。今日は、その後家から出て散歩しながら写真を撮ったり、久々にゆっくりとした日常を過ごした気がした。たくさん人が死んだからだろうか?道すがら生き物を見ると愛おしく感じた。自らの単純さに馬鹿らしくなり一人で笑っていると、学校終わりの小学生に見られて恥ずかしくなる。

 公園で、芝生に座り込み雨水さんから貰った【浮世見聞録】を開く。車椅子の唯一良いところは、荷物を重みを感じず運べるところ。

手ぶらでこんなに分厚い本は運べない。

 手長足長という妖怪について、調べてみた。この本を書いた、尼屋敷紀紳は前述で日本全土の妖怪を網羅したと記していた。

『手長足長の発祥。元は、兄弟を慈しむ二人の男児だったそうな。運命は巡り巡って、妖怪として浮世に生まれ堕ち、日本を揺るがす鬼神へと登りつめていった。当時、伊予之二名島(現在の四国)にある細い川の河口域に巨人が居ると噂が立ち地域住民は近づこうとはしなかった。しかし、ある修行僧が朝廷の命を受け、四国遍路に向かうもその道中に神隠しにあう。僧の捜索に向かった一行も同じ場所で忽然と姿を消す出来事があった。四国から全国に名を馳せる妖怪、烏天狗や牛鬼とは違いその場所には、古くから伝わる逸話は存在しなかったため、日本を作った大妖怪デイダラボッチの仕業ではないかと、朝廷にも噂が上った。元々、瀬戸内海を挟み大渦潮の発生する海域を小舟で渡る命知らずは居らず、朝廷は真相を確かめることはしなかった。

 それから一月と立たず、河口の周辺にある5つの村の住人が消え、家畜も血痕を盛大に残して消えた。この事は、その後起こる伊勢の大災害後に判明することである。それからというもの、伊予島からは島民が小さな船で逃げる様に本州の難波(現在の大阪)に流れ着いた。時には冷たくなって、海岸に打ち上げられる者も少なくは無く、伊予島の巨人の話は瞬く間に広がった。朝廷は、我々尼屋敷一族に真相究明と妖怪の討伐を命じた。安倍晴明の陰陽道や蘆屋道満の呪詛とは違い、尼屋敷創明とその息子紀紳は神通力を使う事で人々を助け、伊勢神宮の守護を担っていた。当時、伊勢神宮の守護から離れることができず、息子の紀紳を残して父創明が伊予島の巨人討伐に向かった。

 闘いの最中、巨人の存在が手長足長であることを確認し、更にその配下の妖怪を一体討伐することに成功するが、創明は深手を追う。

島から脱出し伊賀の国に入ったところで、創明もまた神隠しに遭う。そして、手長足長は強大な力を得つつ直線的に難波から伊勢神宮を目指し、村々を蹂躙した。伊賀の忍びの里を壊滅させ、伊勢神宮に生き残りの二人の忍びが状況を伝えた時には、既に鬼神【悠久の皇】が誕生していた。朝廷の護りは、安倍晴明と蘆屋道満が努め伊勢神宮で迎え撃つのは紀紳と修行僧100人だった。闘いは一昼夜の内に終わり、朝廷の命により日本史から巨人の逸話は抹消された。』

 芝生に寝転がり、読んでいた【浮世見聞録】を閉じる。

「やっぱり、鬼神って言うくらいだからやる事やってんね。」

 二人に言ったつもりで、独り言を呟く。

「土着の神も、人も殺して喰いあさった。際限の無い力を得ることを覚えた人外の化物の成れの果てが我々だ。日本史上、四体しか存在しない鬼神の一体をお前はその身に宿した。罪悪感が湧いたか?」

「二人の罪でしょ。背負うつもりはないよ」

 俺の言葉に白斗が笑った。

「はっはっは、それでいい。何度かその罪悪感とやらに勝手に潰され自死を選ばれたこともある。背負う必要がないと分かっていればいい。」

「俺達も自死は止められないからなぁ。悠は賢明だよねぇ。」

 赫駿が手を胡麻擂りしながらご機嫌取りしているようなイメージが湧く。この妖怪たちには、いつも何か試されているような気がするが、赫駿のあっけらかんとした雰囲気はその警戒心を柔らかくさせる。

「ほんとバランスいいよね」

「兄弟『兄弟』、だからね『な』」

 姿は見えないものの、重なる声を聞くとうちの兄弟とはまるで違うなと憧れさえ感じた。弟とまともに会話したのは、いつ以来だろう。それにあの人を思い出してしまった。

「俺達を悠の兄弟にしてもいいよ。どうせ常に一緒だしさ、うん。そうしよう」

 赫駿の提案に、それもいいかもと思ってしまう。

「よく考えろ。周りに誰も居なくなったらそれこそ生きてる意味を見失う。人間に出来ないことは俺達がする。その時だけ信頼すればいい。」

「ハクトは真面目だな。」

「お前はハクトと呼ぶな。俺は手長だ足長」

「やっぱ仲いいな」

 二人の関係性がよく分かるようになって、出会った頃の得体がしれない妖怪の印象とはかなり違う。

 次の日も、家族は仕事で俺は自分の部屋にいた。筋肉痛や、疲れも特に無い。あっちの世界は精神のみとかそういう事なのだろうか。じゃあ、体を鍛えるとか意味があるのだろうか。

 昨日も結局、戦いの中で赫鷹の位置を目視で確認できただけ。相手が常に動いたら見えないし、いわばカメラのシャッターと同じ、コマ送りの状態でしか認識できていない。

「そろそろ、行こうか悠。目を瞑って」

 白斗の声で、俺の口が勝手に動く。そのまま俺は目を閉じてゆっくりと開く。いつもの小島に立っていた。

「もう立てるの?ハクトは今俺の中?」

「そうだ」

 白斗はそういうと、俺の掌から顔を生えさせた。

「めちゃくちゃホラーじゃん。ヤメて怖いしキモいし、口だけなら我慢できるから(笑)」

 俺は、白斗の顔が生えた手を振りながら、その場でジャンプする。

「いいなぁ〜、俺も早く悠と一緒に戦いたいなぁ」

 赫駿が、水から頭を出し羨ましそうに俺を見ている。

「そういえば、なんでセキタカ何でいつも水の中にいるの?ハクトはそこの枯れ木の虚から出てくるけど、セキタカはいつも池からだね?」

「それは…まぁ…」

 赫駿は、俺の中にいる白斗をチラ見したように見える。言いにくいこと聞いちゃったかな。

「手長足長という妖怪は、本来海岸で浅瀬に産まれる逸話が多いんだが、俺達は川だったんだ。所以によって、妖怪は落ち着く所がある。俺は木で足長は水の中だ。」

「ありがとう。何となく理解した!あと、二人の漢字教えて?どんな字?」

 足長が嬉しそうに池から島に上陸し、俺の肩からは手長が産まれる。その瞬間俺は、ペタンと糸が切れた様に座り込む。それぞれ、無言で島に漢字を書く。

「これが赫駿、こっちが白斗」

 赫駿が、漢字を指差して説明する。何となくこの二人名前を大事にしてるなと思った。

「赫駿難しいね。白斗はもう覚えた(笑)」

 少し誇らしそうな白斗と、

「でも!赫は赤って漢字二つだし、駿は悠の好きな宮崎駿さんと同じだよ?あっ、これは偶然だよ」

「わかった。覚えやすくなったよ。」

 赫駿は、嬉しそうに頷く。

「さて、はじめようか。昨日と一緒で俺が中に入る。今日は、より実践的だ。隠れた足長をいち早く見つけて、こちらから仕掛ける。俺も力を貸す。イメージは具現化出来るから、考えることはやめるな。昨日は見えたものに反応したが、今日は想像力の緻密さで闘う。」

 そういうと、白斗は腹から俺の中に入ってくる。赫駿は手を振りながらアザラシのようにスルッと滑って池に入る。

「相手は水の中、こちらは島の上から位置を確認し攻撃を仕掛ける。俺は移動や防御をするから悠は刀で切れば勝ちだ。」

 俺の口を使ってそう言うと、白斗は俺の脇腹から刀を抜き出す。

「まずは、見渡してみるか?」

 俺の肩甲骨部分から、白斗の手がどんどん伸び地面を押して俺の体を浮き上がらせる。思っている以上に目線が上に上がる。

「凄いな。イメージ通り。これ因みにもう少し高いところから見るには…枯れ木か」

 俺が後ろの枯れ木を見上げ、太い枝を見る。手をかけるイメージが出来たら、白斗の腕が枝に伸び俺の体を釣り上げるように浮かせる。木の上に立つと、池の周りの鬱蒼とした森がかなり奥まで続いていることがわかる。森の奥を見ていると、突然水面から足が伸び俺を中に蹴飛ばす。

「よそ見をするな!敵は池にいる足長だ!」

 白斗が、直前で俺の体を両腕で包んでくれたお陰で赫駿の攻撃を防ぎ無傷で済んだ。池の周りの木に着地する。

 間髪入れず、赫駿が俺の左手にある木々をなぎ倒しながら攻撃。白斗の腕が赫駿の足にぶら下がるが、足の動きが止まり、いきなり踵落としをする。着地し、頭は白斗がガードする。足も白斗のものだから崩れることなく立ち続けられるほど頑丈だ。

「やるぞ、白斗」

 足の下から、抜け出し伸びた足の主に向かって足の上を走る。右側の水面から、赫駿の左足が俺めがけて回ってくる。赫駿の右足を切り落として避け、大きくジャンプ。水面下に居る仰向けの赫駿に向かって、刀を突き立てるように落下する。が、空中で横から撃たれた矢が俺のこめかみを突き抜け、通り過ぎる。

 目を覚ますと、小島にいた。

「矢なんてありかよ!飛び道具って全然頭になかった!」

 体を起こすと、目の前に白斗と赫駿が正座している。

「すまん。尊族がまさかここまで来ていたとは。あれは俺達の攻撃じゃない。この世界に暮らす人間のものだ。だが、勘違いだった事を認めている。ほら」

 白斗が最近、子供っぽく見えることがある。今も、素直に池の向こうを指差して下を向いている。まるで、悪い事をして怒られている子供のようだ。

 池の向こうには、腰に刀を差し弓を持った確かに人間がいる。こちらに土下座をして、森の奥に去っていく。

「尊族って、この世界は精神的な世界じゃないの?夢の世界の住人みたいなこと?」

「いや、実はこの世界は妖怪と浮世で亡くなったある人々が存在する別次元の世界でな。追い込まれて死を選んだものや、なす術無く殺された理不尽な死を持った者達がやって来るところだ。」

 申し訳無さそうに、白斗が答える。確かに聞いておきたかった。てっきりこの世界は俺の想像の中で、二人と俺だけの世界だと思っていた。さっき見た森の奥を見ると確かに広い世界のようだ。

「じゃあ、今の人も?」

「尊族の若い狩人で、本来は烏呼(オコ)という人型の化物を殺す事を生業としている。この世界は基本的に共存共栄で、人も妖怪も我々神も存在しているが、別種の烏呼がそれぞれの生活を荒らしている。弱くて個体差も無いんだが、何故産まれるのか分からん。しかも、突然影から現れるので、対処の仕方もほぼ無い。分裂もするせいで放ってはおけない」

 何となく理解した。神様もオコも見たことはないが、尊族という人間がいた事に何故か心の中で喜んでいた。

「オコってあの浮世見聞録にあるのかな?見てみたいな」

「載ってないな。浮世には存在しないものだから」

「そうですか…」

 赫駿のあっけらかんとした言葉にわかりやすく落胆する俺。それを見た二人は、顔を見合わせ、

「すぐ捕まえてくる!ちょっとまち」

 赫駿はそういうと、2歩で池の外側に行き森に消える。そして、数秒で森から飛んで帰ってくる。池に飛び込み、島に上がる赫駿。

「これこれ!これがぁ…」

 ずぶ濡れで睨む白斗と、水に流されて根っこにしがみつく俺とその俺を掴む白斗の腕。

「馬鹿!何で行きと違う感じで来るんだよ!俺人間だから!死ぬかと思った!」

「死んでもすぐ生き返れるし、すぐ捕まえて見せようと…」

「もっと馬鹿!大事に大事に殺せ!1日目の白斗も俺の首折って殺したこと忘れてないからね!」

 俺の言葉に白斗が驚き、余計なこと言うなと赫駿の頭を殴る。赫駿が頭を擦るが、俺はその足元にあるオコに初めて目を落とした。

 人の体に生えた白い羽毛、顔は鳥のようだがくちばしの中に歯もある。お腹の部分だけ淡いピンクで、色味や顔立ちはキレイ。だが、指や足先が人間なのが気持ち悪い。人間が着ぐるみを着ているようにも見える。

「これ、元は人間なんじゃ…」

「いや、それは尊族の元医者が調べて違うと証明したらしい。何よりこいつらは死ねば2時間で土になり、骨は鉱物になる。この世界の土壌ととても近い素質らしい。そこに何らかの力が加わり生物化したのだろう。」

 俺がオコに興味を持っていると、

「そんな事より、もう鍛錬は良いよねぇ。あれだけ反応と体の使い方分かれば、俺達も悠を過保護にする必要はないと思うし。」

 どれも致命傷にはかけていたと思う。赫駿もすぐ再生するし傷が浅い気がする。

「もう少しやらない?何となく、雰囲気は理解したんだけど実感が…」

「その長谷部という刀、妖刀らしい。俺じゃなかったら、再生してないし。ていうか、普通の刀じゃ俺達に刃は通らないよ。」

「二人どんだけ規格外なの?鬼神ってそんなに強いんだ。敵じゃなくて良かった。」

 俺の敵じゃなくて良かったの言葉で、二人から音が消えるのがわかる。表情は変わっていないが、時間が止まったのかと思うほど静かになった気がした。

「おそらく今夜、ぬらりひょんが来る。鬼の殲滅は明日かな。またね〜悠っ!」

 赫駿の言葉を聞き、瞬きで部屋に戻る。いつも通り、座った目線で見る世界。いつの間にかあの小島の世界が恋しくなっている。

「白斗、今一人だしさ。足貸してくれないかな」

 白斗の返事は無い。恐る恐る、足に力を入れると上体が上に上がる。綺麗に立つことができる。驚いたのは、裸足の見た目が変わっていないこと。

「中身を変えることもできる。わざわざ見た目を怪しくする必要もないだろう」

 白斗の優しさ、自分の足で立っているような感覚はとても感動した。

「ありがとう」

 家の中を歩いてみたり、階段を登ったり一歩一歩を噛み締めながら、鏡は見ていないが多分終始笑顔だった。

「外って出れるかな?駄目だよね…」

 まだ昼過ぎで、人も居るだろう。先日の公園の事件で俺が車椅子なのは、近所の住人なら知っていた。

「これから雨が降る。とても強い雨だ。その中を走れば人には見えんだろう。」

「いいの?ホントに!?」

 急いで玄関に向かう。ドアを開けると外は晴れている。しかし、白斗の言うようにすぐに雨が振り始めどんどん強くなる。太陽場出ているがスコールのような雨だ。

「町内一周するだけだから!」

 俺は走り回った。一周と言ったが路地を曲がって曲がって、出来るだけ長い距離を走れるように。坂道や大きな道路の歩道を走る。コンビニには雨から避難した学生たちが漫画を立ち読見している。普通の人は、俺を見ることはないだろう。草むらから、俺を目で追う西山以外は。西山は愕然としていた。車椅子だった悠の足が動いている。

「どうなってんだ…。」

 家に帰ると、ビショビショの服を洗濯機に入れ、着替える。自分の部屋で床に座り髪を乾かしていると、ガチャと音がして扉が開く。ドライヤーを切り、ドアを見ると誰もいない。

「ミナイさん、驚かそうとするの好きですね。」

「ぬらりひょんと言う妖怪の性なだけだ。」

 見無さんは俺の真後ろに立っている。かなり若返った印象、少し雨水さんの年齢に近くなっていた。

「お前も少しは鍛錬した様だな。手長足長がいればお前は必要ないがな」

「それはできない事なんで。言いっこなしにしてください。鬼一口はどうですか?」

 ぬらりひょんは、ドスンと座り込み俺に目線を合わせる。

「まだ人は食っておらん。人間を食べたことで

力は得たが、選り好みしているようだ。巫女に執着している。熱田では、巫女一人を喰ったらしいが、伊勢神宮ではかなりの数を狙っているようだ。」

「熱田で死体の無い巫女が一人います。ひかるという子で、亡くなったのは浅海咲乃という女の子を含めて二人。やっぱり鬼一口が」

「だかな、鬼だけで結界は破れない。人間の協力者がいるはずだ。」

 咲ちゃんの葬式で、巫女の女の子から仏の首を切ったやつがいると言っていた。それが鬼一口を結界内に引き入れた。

「ただの人間では無いですよね。雨水さんや俺みたいな、何ていうんでしたっけ?」

 はぁ〜とため息をつき、身無さんは

「妖憑きだ。俺は雨水が死んでも現実に残り続けているが、本来妖怪は人間に取り憑かなければ存在できない。物に取り憑くやつもいるが…つまり、宿主が居なければこの世に留まることはできない」

「何でミナイさんは存在できるんですか?」

「神を殺している」

「えぇ…」

 当然みたいに言ったよ。でも、それだけ強いってことなら心強いよな。とあっさり切り替えた。

「人間の協力者も見つけましょう。今回も必ず居るはずですよね。鬼だけじゃない、妖怪も神も仇討ちの為なら殺します。」

「明日、丑三つ時伊勢神宮に来い。」

 少し頭をかしげる俺。

「丑三つ時って何時?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る