第4話 繋がり

 三重県伊勢市、松阪市との市境近く。父の運転で父の実家を訪れることになった。もう、祖父と祖母は何年も前に他界しており、父の兄も三年前に亡くなった。父の兄は引きこもりで、葬儀で見たとき骨と皮だけのような姿を見た時、とてつもない悲哀と寂しさを物語る顔を今でも忘れない。あの家にはその印象が強く残ってしまい、家族も以降寄ることは無くなった。

「実は家の取り壊しの話があって。別に残しておきたいものとかは無かったんやが、蔵に色々珍しいものがあるから、何か欲しいものがあったら持っていってええから。鍵渡しとくで。」

 父はこの家が嫌いだ。結婚してから墓参りや年明けの挨拶以外寄り付こうとしなかった。実家の庭にある小さな池の近くにあった蔵。中にはホコリと古書そして海外のお金や本など色々あり、それをお祖父ちゃんに見せてもらい楽しかった幼少期を、今でも鮮明に憶えている。

 その中で最も古いものが蔵の奥に黒い漆塗りの木箱の中にあると、祖父から聞いたことがあり、いつか見てみたいと思っていた。蔵の落ちかけた白い土壁は、如何にも年代モノの雰囲気で太い錠前が入り口付近に落ちていた。

「あれ?これって開いてて良いもんなん?」

 引き戸のような扉に手を掛け引いてみるが、開かない。一人首を傾げ、周りを見てみる。足元に目をやると石段の右端が浮いているのが見えた。

「これの下にあるとかは流石に無いよね」

 そう言い持ち上げようとするが全く上がらない。石の下に手を入れると、中に棒の様なものがあるのがわかる。しかし、何故持ち上がらないのかがわからない。

「引いてもダメなら押してみよっ」

 手で押しても微動だにせず、少しイラッとする。落ち着いて今度は、車椅子のタイヤで踏もうとするが下がらない。思い切り体重をかけると、何かを差し込む様に、ゴンッと綺麗に真下に石が下がった。

「うおっ!?何、正解?」

 蔵の扉からカチャっと音が鳴り、勝手に開いた。まるでどうぞ〜と中に誘っているかの様だ。思っていたより薄い木の扉を開けると、

中には重そうな鉄の金具が付いた扉とそれを塞ぐ厚みのある大きな木の板があった。

「これ一人じゃ無理だな。」

 木の板を隅々まで調べてみる。すると木の板に切れ込みがあり一枚板ではない事に気づく。

どこを動かそうとしても微動だにしない。ふと、さっきの石のしかけが気になる。石の下に木の枝を入れてこの原理で上げてみる。ガチャっという音と共に扉を塞ぐ部分の木の板が2つに割れて落ちる。

「じいちゃんこんなにカラクリとか好きだったっけ?2つの扉の鍵が石ってすごっ」

 板が置いてあった金具を持ち扉を引こうとしても開かない。押しても同じ。さっきの石を元の位置に戻してみるが、音がなるだけで変化はない。

「悔しいけど、完敗。」

 名残惜しそうに一人コントを始め、扉に手をつく。全く引っかかりもなく扉の下半分が開いた。

「ここは忍者屋敷かっ!!じいちゃん何者なんだよ…」

 蔵の中は全く明かりがなく、扉も下半分のため太陽光も入らない。少し進んだ瞬間、体勢を崩し車椅子ごと蔵の真っ暗な中に転がる。

「うわっ!イッテ!イタ過ぎる!なんで階段?」

 扉を開けると直ぐに一段ずつ高低差のある階段があり、そこを転げ落ちたようだ。体を腕で起こしながら、ポケットの携帯を取り出しライトを照らす。前を見ると、そこには服を着たままの人骨が横たわっていた。

「うわっ!…うそやろ。何これ本物?…」

 人骨の手には、メダルや首飾りが握られていた。そして、額の部分には、ひびが入っている。俺が転んだ音を聞き駆けつけた父が、人骨を見て警察を呼んだ。その時気づかなかったが、人骨の足元にはじいちゃんが言っていた木箱が空で落ちていて、人骨の頭部には穴が開いていた。箱を突き抜け地面に埋まった黒い矢に、悠は気づかなかった。

 警察が到着し、現場検証が始まる。悠にも警察による任意聴取があった。

「状況から見て、一見すると泥棒が盗みに入ったが何かしらの理由で、出ることができなくなりこの状態で生き絶えたと見るのが自然なんですが、実は額に穴があり、致命傷となったのはあの傷です。現在、凶器については捜索中ですが、今のところ何も見つかっていません」

 父親は悠を心配して、警察には父親が話をしてくれた。

「父は四年前に亡くなって、この蔵に入ったのは六~七年ぶりぐらいです。年に二回程度しかここには来ていませんし、父が亡くなってからは、墓参りだけ。」

 警察は、手帳を見ながら

「亡くなったのは二十代の男性。完全な白骨化した遺体ですが、衣服についている血はごく最近のものでした。」

 父の顔が強張る。

「どういう意味ですか?血と白骨化した遺体は別人のものなんですか?」

 警察は、

「まだ、DNA鑑定しないとなんとも。2つの事件が重なっている可能性はあります。」

 警察による質問は終わり、帰ろうとしていると1台の汚れたセダンがやってきた。降りてきたのは見た目からわかる年齢より足取り軽くやってくる老人と、その後ろを距離を一定に保ちついて来る女性。

「少し宜しいですか?」

 父と俺に話しかけてきた。それを見た、さっき話を聞いていた警察官が急いでやってきて、

「ちょっと!何してるんですか?ここ今立入禁止だし、ご近所の方?おじいちゃんにちゃんと伝えてー」

 すると、老人の後ろから女性が前に出て内ポケットから紙を取り出して見せる。警察官は最初は怪訝な顔で紙を見るが、何かに気づき慌てて敬礼する。

 そして、父に向かって

「三重県警本部の刑部、警部補の方々で少し質問だけよろしいですか?スイマセン。」

 見た目からして、本当に普通の人だ。女性の方もシャツとジャケットにパンツで、意識高い系の人に見えた。警部が、俺に目線を合わせヨイショッと屈みながら聞く。

「今日は何故こちらに?」

「父がこの家を取り壊す前に欲しいものがあれば…と」

  父の答えに老人は表情を変えず、俺に対して質問を続ける。

「蔵には様々な仕掛けがあったようですが?」

 それについては、俺が答えた。

「知りませんでした…。いつもじいちゃんが開けていた入り口とは作りが違くて」

「この蔵は、おじいさんの死後改築などは?」

  今度は、父が質問に答える。

「していません。からくりも見たことが無かったので。」

  警部は少し考え、まっすぐ俺を見て

「あまり動揺していませんね?慣れてるわけでもないでしょうに」

「最近、周りの方が亡くなることが多くて」

 俺の答えをあっさりと聞き流した警部に対して、父親が声を荒げて警察に、

「この子は下半身不随ですし、私も年に2回程しか来ていません!少なくとも男のこともからくりの事も知らないので、これ以上は。」

 警部は、目線を逸らさず

「我々も事件との関係性は薄いと思っています。ただ、分からないこともあるので、お聞きしたかっただけです。因みに伊威野町の事故もあなたが被害者だと伺いましたが?」

 警部は俺の膝小僧に手を置きながら言った。

「はい。でも椎茸泥棒と今回の白骨死体は絶対無関係です。」

「そうですね。お引き止めして申し訳ない。ありがとうございます。」

 俺と父が車に乗り込むのを最後まで目で追っていた老警部『友部稲蔵』が女性警部補『宇良涼夏』に、

「宇良、あの男の子の身辺調べろ。本体に報告はせず極秘裏にな。まさかとは思うが。…あと、立たせてくれ。足が痺れて動かん。」

 車の窓から、老人を孫娘が立たせている様な変な状況を見ながら俺は考えていた。

 あの二人、どこかで見たことがある。椎茸泥棒のことを知ってるということは、あの時あとから来た警部か?疑われるのは仕方がないが、普通に考えてこの体じゃまず無理だろ。何を調べたいのか、俺にはわからなかった。

 この日から、どこに出かけるにしてもまるで誰かに監視されている様で、ストレスが増えた。映画の様に窓から外を見てみると、必ず車が通った気がした。

 両親はそんな俺を見かねてか、ばあちゃん家に小説家を目指す俺の為に部屋を作ってくれた。本棚には沢山の本が置かれ、じいちゃんの蔵から持ってきたものも結構置いた。小説のネタになると思いメモを書いていると、西山から今度、伊勢神宮に行くことになったとLINEが来た。

「伊勢神宮か…この足じゃあなぁ」

 西山には、俺は行かないと返信して、またメモ書き始める。ただ、伊勢神宮は自分の中で特別な場所だった。何故か次の日には、伊勢神宮近くまで足を運んでいた。

「流石に砂利道は無理だよな。おかげ横丁だけ見て帰るか。意外に回ったことなくて知らない店も多いし」

 赤い鳥居の前で一礼し、車椅子を反転させる。その時、またあの声がした。

「惜しいなぁ」

車椅子の動きを止める。その時、後ろから来た人とぶつかってしまう。俺は、膝の上に置いていたカバンを落としてしまう。

「うわっ、すいません!」

  ぶつかったのは、自分と同い年位の男二人組だった。男は、俺のカバンを拾いながら

「大丈夫ですか?こちらこそすみません。友達と喋ってて。あっ人多いし、もし動きにくいならお手伝いしますよ?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。」

そう言って、車椅子を漕ぎ始めると、二人は後ろから追ってきて車椅子を押す。

「おかげ横丁に行くんなら、押して行きますよ。」

「俺たちそこで待ち合わせしてるんで、どうですか?」

 見た目以上にとても優しい彼らに感動しつつ、この時母の言葉が頭をよぎり彼らの好意に甘えた。身体障害者は困った際、周りに助けられるのは当然だという人もいる。多くの日本人は他人と深く関わり合うことを嫌うが、一度関わると情に厚く尽くしたいと思う人が殆どだろう。そんな社会で生きている以上は、障害者は助けてもらうことへの感謝を忘れてはならない。思いやりは決して弱者から強者、もしくは強者から弱者への一方通行なものではない。

このことを忘れ、勘違いした者の周りからは人がいなくなる。

 今、それを実感した気がする。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 このやりとりを遠くから見ている影があったが、それに気付く余裕は今の俺には無かった。

「何歳なんですか、同い年ぐらいに見えるんですけど」

 二人組のセンター分け、爽やか君が聞いてきた。丁寧な言葉遣いで気を遣わせてしまっているのがわかる。

「今年二十二歳になりました。最近まで大学生で、突然こんな身体になってしまったので、地元に帰ってきたって感じです。」

 互いに気を使った言葉遣いで距離感を感じた。

「やっぱり同い年や、しかも地元ってことはこれから会う友達の中に知ってる子おるかもね。身体は最近なったんや。ごめん無神経に聞いたわ。」

「いや、気にせんとってください。周りの助けなしでは、かなり不便なんで、ホントにありがとうございます。」

「タメ口やめへん?遠慮してもええことないで。」

 車椅子の前で振り向きながら後ろ歩きを始めたスポーツ刈り君。前から来た女性にすれ違いざまに頭を叩かれる。

「危ないやんっ。えっこの人誰?知り合い?」

 男の頭を叩いた金髪の女性は俺を見ながら言った。センター分け君が、

「ついさっき知り合った。あっ名前聞いてなかったな。名前なんて言うの?」

「川井悠。ここまで来れたら十分。ありがと助かった」

「えっ川井悠?久石中の?」

 金髪の女性の後ろから来た女性が、俺の名前を聞き顔を覗かせた。黒髪のロングでいかにもスポーツをしていそうな日焼けした女性『黒岩朱寧』だった。

「えっ!どうしたん車椅子!?」

「やっぱ知り合いおったんやん。黒岩、川井くん知ってんの?」

「中学の時おんなじクラスやった。でもこんな怪我いつしたん?それに雰囲気も大分変わった」

 速い会話のラリーに少し戸惑い、会話に入れずにいる俺。みんなが俺を見て、順番が回ってきたことに気づく。

「車椅子は先週から。黒岩は変わらんな。あっここで大丈夫。見に行きたい場所あるから」

 しかしここで、恐れていたことが起きた。「いや、黒岩の友達やったら、一緒に行けばええやん!俺ら車椅子押すし」

 ノリと呼ばれる、その波は勢いで周りを飲み込み伝わっていく。自由を必要以上に求める若者は、必ず経験しているしこれに苦しむはずだ。一連の流れは俺に言わせれば、親切とは違うと思う。

 何気ない言葉が、周りの人を巻き込む無自覚のプレッシャー。気持ちを押し殺し、周りに賛成を求めるこの空気は、対象者にとっては残酷だ。

「おんなじクラスやった知り合いですよ。友達とは多分違う。それに気を遣わせたり変な空気にしたないから。」

「私は別にー」

  黒岩は、言葉を詰まらせ否定はしない。そう、出来るはずもない。

「友達との時間大切にせんとあかんで。それにもう知っての通りまだこの身体とは付き合いたてや。話出来るほど受け入れとらんのよ。じゃ」

 俺は車椅子を漕いで先に進む。

「悠、ごめん!何にも知らんかった。無神経に…」

  それは違う。そうじゃなくて、

「知らんで当然(笑)気にせんで。久しぶりに会えてホント嬉しかったよ。おかげ横丁楽しんで」

 顔を少し横に向け、振り向くことはなくそのまま車椅子を進める。逃げるように角を曲がり、止まる。

「はぁ…。なんか疲れたわ」

 前を向くと、行き止まりだった。

「あかんやん。また戻らんと」

 目の前の店に電気が付き、目に止まる。とても古い本屋のようだ。俺は店の中に誘われるように近づいていく。扉のガラス窓からは、中が少し見えて重ねられた本の数に俺の好奇心が刺激されているのがわかる。

 中にいるのは無駄に髭がかっこいい40歳位のおじさん。街の古本屋には似つかわしくない太い二の腕を着物の下に隠し、座っている後ろにある鞘のない日本刀が、この店の何とも言えない不思議な魅力を作り出し、同時に入りにくさを醸し出していた。

 恐る恐る店に入ってみるが、おじさんは見向きもしない。並べられた本は、古書と初版本のように古びた漫画ばかりだ。その中で、作者不明の妖怪画集を見つけ手にとってみる。

「おじさんこの本はいくらですか?」

 おじさんは顔も上げず、

「それは売りもんじゃねぇ、勝手に触るな」

 おじさんはそのまま店の奥の部屋に入っていった。あまりの強い言い方に呆気に取られ、店の中で固まる俺。

「じゃあ、棚に入れとくなよ。」

 そう小さい声で言いながら、近くの棚に本を入れようとしたその時、1枚の写真が本から落ちた。そこに写っていたのは、髪を後ろに結び背中に斧、両脇に短刀をたずさえ、刀を地面に刺し大きな獣の首を足元に転がした自分の姿だった。すごく似ている。違うのは髪を結ぶほど俺は長く伸ばしていないこと位。そしてもう一つ、見えている右目が蒼い。

 どうせ爺さんは本を毎日確認はしないだろう。持って帰って調べてみよう。後で返せば大丈夫。俺は、写真を持って店を出た。

 ドキドキしながら実家に戻り家族と顔を合わせず、2階の自分の部屋に入る。机のライトをつけ、さっきの写真を改めて見返すとより細かくその姿を見ることができる。

 着ている服は袴のようなものだが、少し違う。足元の妖怪の頭は、男の膝の高さはある。後ろの背景に見えていたものが妖怪の胴体だったようで、その大きさは四〜五メートルは

あるだろうか。現実世界の生き物とは到底思えなかった。日本にこんな時代があったのか?まず、写真というのがおかしい。フェイク写真をあんなおじさんが真面目に売っているかと思うと馬鹿らしく思えてくる。ただ、この人の顔は俺に本当によく似ている。

 写真の裏には文字が書かれており、

【浮世の鬼も神も、唯ひとり。ただ、あなたと共に生きたい】とあった。

 あなたとは誰の事だろう。いつの間にか、この人物にとても惹かれていた。もう少し、この男について調べてみようと思った。

 ただ、調べると言ってもまたあのお店に行くしかないのだろう。ふと、男の手にある刀には見覚えがあった。

「あのおじさんの後ろに飾ってあった刀だ…たぶん。でも、おじさんとこの男は似ていないから…うーん、わからん」

 刀については、その後どんなに検索してもよく分からなかった。おじさんに聞きたくても、伊勢神宮に行くのは大変だし、本屋の場所ももう分からない。

 次の日、家族で伊勢神宮に来ていた。弟の就職活動が上手くいくよう、参拝に来たのだ。早々に神頼みを終え、おかげ横丁で食事をする。本来、食べ歩きや店先のベンチで食べる人が多いが、俺の足のせいで混雑の中仕方なく店に入る。「豚捨」は和牛を使ったメンチカツと牛丼が人気のお店だ。食事を終え、店を出ると西山と今度小学生に上がる弟君がメンチカツを食べていた。

「えっ!なにしてんの?あっ、お久しぶりです。ご家族で参拝ですか?」

 西山が社会人の挨拶をし、弟君は頭を下げる。この子良い子。

「西山くんは、弟君と?いつも悠がお世話になってます。ありがとう。」

「こちらこそです!このあと、少し店回るんですけど悠借りてもいいですか?」

 この言葉におれは反応した、俺の弟は早く行けと言わんばかりに、俺を西山に渡し両親とお菓子屋に行ってしまった。

「ゴメンな。お兄ちゃんとデート中に」

 西山の弟君に言うと、

「デートちゃうわ」

 うわぁ、めっちゃ可愛い。名前は西山大我。

俺は大我君を膝にのっけて、西山に車椅子を押してもらう。出来たての赤福やぜんざい、芋ようかんを食べていると、大我君がお土産屋に走って行ってしまう。

「おーい!走るな。迷子になるぞ!西山、行ったほうがいい。この人混みで見つけんのは大変や」

「悪い!あとで連絡するから!」

 西山は走って大我君を追っていった。実は、一人になってあの本屋を探したかった。まずは、人混みを避けて路地に入る。先程までとは打って変わって、人がほとんど居ない。石畳と木造建築の道を行くと、人が消え音も遠くに感じる。十字を右に曲がってみると、あの本屋があった。昨日行った時と明らかに店の位置が違う。だが、絶対にこの店だ。ガラスを覗き中を見るとあのおじさんがいる。

 ガラガラと音を立てて本屋に入る。今日も相変わらず寝てるのかと思うほど動かないおじさん。俺が店に入っても微動だにしない。

「すいません。おじさんちょっと聞きたいことがあって」

 おじさんが顔を上げた。あまりの速さに少しギョッとした。

「……。」

 重苦しい空気。雰囲気を変えようと思い、おじさんに対して満面の作り笑顔を見せる。見ていた本を横に置き、睨むおじさんは、

「写真を抜いたな。好奇心でやっていい事ではない」

俺の笑顔は固まり、変な汗が噴き出した。

おじさんは続けて、

「お前が尼屋敷の子孫でなければ、警察に突き出しておった」

と言った。

 本ちゃんとチェックしてんのかよ。ただ、お爺さんの言葉に気になる部分があった。尼屋敷という名前、聞いたことがある。昔父方の祖父の家にあった小さな蔵で歴代の当主の記録を見せてもらったことがある。その中で、一つ中身を見せてもらえなかった本の名前が『尼屋敷創明』のモノだった。今の名前が、川井という線を並べた様な簡単な名前だったから、尼屋敷という名前に憧れを持ったのを憶えている。

「すいませんでした!おじさん、この写真の人について何か知っていますか?」

 おじさんの目を見て気づいた。この人の目は少し緋色のような、でもくすんで見える。不思議な色だ。

「昔、人は神々の使用人として生まれた。だが、ある神が人を悪事に利用し全てを人の責任とし押し付けた。神々は以後、罰として老いる体と多くの複雑な感情を与え弱く醜い生き物として、現世を創造し人間を落とした」

 急に話し始めたおじさん。しかし、写真の話ではないようだ。

「それがこの写真とどんな関係が?聞いたこともない神話ですけど」

 俺の言葉が聞こえていないのか、おじさんは話を続ける。

「人間は神によって作られた。だが、動物は違う。動物は神の子供たちだ。だからそれらの餌や遊び相手として人間を地上に落としたのだ。だが、多くのことを神々を見て学んだ人間は神の知らぬところで飛躍的に学習し進化していた。そして、生きるために動物を殺した。

当然、神は怒りを覚える。だが、これまで神の行いで間違いは無かったのが事実。神の悪いところはすべてが見えていることだ。今回の歴史を神の叡智の及ばぬ所として、興味があり残すことに決めたようだ」

 今度は、もう少し大きな声で言ってみる。

「だから、それがこの写真とどんな関係がー」

「うるさいぞ。まだ途中だ。聞いていればわかる」

 心の中でオジサンを思いっきり叩いてみるが、心の中でもおじさんは無反応だったので、気持ちを落ち着かせ、

「すいません。話の腰を折ってしまいました」

 おじさんはお茶を準備しながら話を続ける。

「人はそこから、驚異的な繁殖を見せた。道具を、そして火を使い始めた。この時には、人間を生き物として観察することに興味を持った神々も増えていた。そんな中、ある神が人間を好きになった。この好きは人間で言うところの恋愛の好きとは少し異なる。信仰に近いものだ。しかし、そんなことは神々に許されるはずもなく、人を愛した神「那癒天」は人から怪物を取り出し代わりに自らの愛を与えることにした。そして、その後人との子を地上に産み落とした。人の体を持ち神の力【神通力】を持つその子の名は『尼屋敷紀紳』この写真に映る人その者じゃよ」

「きしん…。その写真の男は神様と人間のハーフ?」

 とんでもない話だった。尚更胡散臭くなったこの写真を見つめる。おじさんは気にせず続けた。

「日本では古来より血分けという。神と血を分けた人間『尼屋敷紀紳』。地上では管理職のような地位におった父親の名前は『尼屋敷創明』、母親は救済の神『那癒天』という。」

 まさかここで創明の名前が出てくるとは。もしかしたら、

「尼屋敷創明さんの事は、名前だけは知っています。神と人間の子供が写真の紀紳さんということなんですね?不安定というと体に何か異変があったということでしょうか?」

  ワクワク好奇心が湧き上がり、質問が出てくる。

「不思議なものを見るようになり、あちらの世界のものに魅せられたのじゃ。現世ではなく、神の世界で生きたかったのかも知れん。父親との間に確執ができ、反発するようになった。そして、そこに気づいた者たちがいた。それが妖怪じゃ」

 ここで妖怪が出てきた。どんどん話しに引き込まれる自分がいた。変な陰謀論よりよっぽど面白い。

「妖怪は人間の思想や感情によって生まれる。神は地上では動物に近い姿形で、ヒト型ではない。妖怪が人型に近いのは人間から生まれたのが妖怪だったからじゃ。海外の神話、オリンポスの神はヒト型が多いだろう?あれは厳密に言えば神ではない。多くの人間を動かすために作った一種の印象操作だ。」

 途中から神様の話になってる。聞きたいのは妖怪についてだ。

「紀紳に目をつけた妖怪は、その後どうしたんです」

 ギロっと、俺を一瞥したおじさんはある書物を取り出した。ハリーポッターのような分厚い本【怪奇創造的核・浮世見聞録】だった。

「妖怪とは人間を殺した神のことである。この本ではそれが妖怪の始まりと言われておる。この本が出版され日本は無信仰を加速させていった。そして過去には日本中で名を馳せた【鬼神】と呼ばれ恐れられた、神となった大妖怪が三体いた。それぞれ今は地方に眠っているが、その内の一体が紀紳に目を付けたのだ。名は【手長足長】、二体一対の妖怪あるいは巨人をそう呼ぶ。一方は手が異様に長く、もう一方は脚が異様に長い。肩車で足長が手長を担いでいるのが一般的な姿かの」

 おじさんが開いたページには、水墨画で書かれた細長い異様な姿の人間。さっき言ってた人型の妖怪【手長足長】だった。

「こやつらは、元々長崎の方で名を馳せる大妖怪じゃったが、現世で血分けが生まれたと聞き自らの土地を捨て三重までやってきた。その様子は伝記に書き記され、災害と恐れられ千人以上の人を殺し、日本を登るように縦断してきた。人を殺して周り血肉を得た妖怪はその力をより大きくさせる。尼屋敷の前に現れたとき奴らは神、つまり鬼神になっておった」

「鬼神…、鬼の神」

「文字ではそうじゃが、厳密には鬼ではない。現世で神は動物として生きておる。だから、神は本来の姿や力で現世に存在することはできん。だが、鬼神は違う。将棋で言う成みたいなものじゃな。現世で神の力には限界がある。無いのは、死神と貧乏神。そして、鬼神じゃ。鬼自体は地獄からの使者であり、あの世と現世でも恐ろしい姿を変えず力も衰えぬ。だが、力に関しては鬼神は鬼のそれとは別格だ。元々のモノが違う。」

 おじさんは、さらにページをめくり鬼の絵を見せてきた。恐ろしい顔に角、筋骨隆々の巨体を持つその姿は、おぞましかった。

「妖怪は人を殺した数だけ大きく強くなる。その昔、大きな妖怪は全て災害として人間は捉えてきた。大抵の人々が妖怪の姿自体見えないからだ。何か大きなとてつもなく恐ろしいモノに一瞬で大切な多くのものを奪われた。だが、鬼神となった手長足長でも思い通りにはならなかった。三重の関所を手長足長が通った時に結界が働き、手長足長は結界から出ることが出来なくなり怒り狂った。この結界は伊勢神宮で神に仕えていた僧の力によるものだ、それが尼屋敷創明とその門下だ」

 その後の話は、とても悲惨な悲しいものだった。

「尼屋敷の一族が周りの村民を現在の名古屋辺りに逃し、手長足長と対峙した。従者や修行者も創明と共に戦ったが、鬼神になった手長足長の前に歯が立たず、全員殺された。目の前で、父親を殺された尼屋敷紀紳は最後の手段として父が持っていた神器を使った。この神器は『那癒天』の物だ。神器は神をも殺せる力を持つものだが、殺した神をその身に宿さなければならぬ諸刃の剣のようなものだった。神は殺してもすぐに生き返る。輪廻転生と言って同じ神が姿を変えず生まれてくる。だが、神器に殺されれば神器を使った者と共に転生する。つまり、紀紳が死ななければ手長足長は紀紳の中以外で転生せず、紀神は死んでもまた手長足長と共に転生する。それは全て、神器の力によって。どの時代に生きても手長足長と共に紀紳が生まれその手綱を握る。これが世界を守る唯一の方法だった。」

 自らを犠牲にして妖怪と共に生きる道を選んだ紀紳。そして、

「三重は焼け野原のように炭と土だけになった。そこにただ独り立ち尽くしていたのが紀紳だった。『那癒天』は三重を新たに作り直し、天に戻り紀紳を元に戻せるか自身の生みの親である『伊璃武の神』に相談に出た。そして、それから地上に降りることは無かった」

「紀紳を地上に残して、その後現れなかったんですか?」

「我々には見えないところに多くのものがある。だが、真相は『那癒天』以外解らないだろう。永久に闇の中だ」

 納得できない、神話のような終わり方。何故、那結天は戻ってこなかったのか。自分でも驚くほどこの話に感情的だった。まだまだ聞きたいことはある。

「話はこれで終わりじゃ。久し振りに喋りすぎた」

 おじさんは、自分で入れたお茶をズズッと飲んで一息つく。俺が更に質問をしようとしたその時、

「よく喋っておったぞ、雨水。楽しそうじゃった」

  後ろから、年寄りの声がする。後ろを振り返ると小さな老人が立っていた。こんなに近づいていたのに、声をかけられるまで全く気づかなかった。

「あなたは…。いつからそこに」

 老人は不気味な笑みを浮かべて、

「お前が来るより前に。ずぅっと昔からじゃよ」

 さっきまで一定のトーンで話していたお爺さんの声が少し高くなり、

「おう、ぬらりひょん。また面白い話を持ってきたか」

 ぬらりひょんと呼ばれるその老人は、俺の横を本棚を地面のように駆け抜け軽やかに飛び、おじさんの机に積み上げられた本の山に腰を下ろした。まるで重力など無いみたいに。

「今度こそ、お前を喜ばせそうじゃ」

 おいおいおい。勝手に話をすすめるな。

「まったくだ。相変わらず空気の読めねぇジジイだ」

 今、どこから声がしたのか分からなかった。自分から発せられたものと錯覚するほど近い。変な汗と動機が止まらない。気づけば、さっきから古本屋の至る所から笑い声が聞こえる。すでに何かに囲まれている。

「ここだ、お前の肩だ」

「そうだ。肩だぁ~笑笑」

 ニつの異なる声がした。俺の左右の肩から声がする。俺は急いで上着を脱いだ。両肩には見たことのない鬼の顔。片方は不気味な笑顔、もう片方は恐ろしい形相(真顔)の鬼の顔が肩に浮き上がっていた。

「うわぁ!キモっ。いつから…。」

「ずっとだ」

 デジャブだ。

「久しぶりだな、手長。随分と笑顔じゃないか。珍しいな」

 老人が、笑顔の方の肩の顔に話しかける。

「俺は足長だジジイ。長く生きすぎてボケたのか。殺してやろうか。」

 自分のことを足長というそいつは老人に笑いながら返す。

「雨水が願えばまたジジイの姿で生き返るがな。ワハハハ!」

 俺以外の三人(老人二人と俺の左肩の足長)が笑っている。カオスだ。

「おい紀紳!毎回俺達の事忘れてここに来るんじゃねぇよ。説明する身になってみろ。生地獄だこりゃ」

 足長の声に、ぬらりひょんが

「いやいや、知らないのだからしょうがない。毎回来てんだったらそれは運命というやつだ。なぁ、紀紳」

 ぬらりひょんも妖怪で、俺も妖怪。いやいや、俺は人間で紀紳は…よくわからん。今俺の体に顔が三つあるなんてパニックだ。冷や汗を流しながら、ただ平静を装い話しかける。

「昔から一緒にいたような気がするけど。初めて会ったわけじゃなさそう。ていうかいつから俺の中に?」

足長が、

「当たり前だ。何百年も一緒にいるぞ。紀紳はいいよな。毎回ちょっと性格が変わって。人間って環境で変わっちまうんだろうな。俺達はズーッと一緒だ。つまらんっ」

 手長が顔色を変えず話す。

「それが神器の呪いだ。力も変わらないが器が無いと三日と持たない哀れな体になった妖怪だ。それに、悠。お前とは既に伊威野で会っている」

 事故の時、変な世界で会った顔を思い出した。

「あれ、お前らだったんだ!どうやって助かったのか全く分からなかった。」

 すると、この言葉を聞いて足長が嬉しそうに話す。

「泥棒の顔、面白かったなぁ〜。お前の足が伸びて、車蹴り上げたんだからさ。」

「俺の足が伸びたの?どういうー」

 足長が被せて答える。

「だって、腕が出てきたら服破れるだろ。手長も手伝わないって言うし、あの距離俺の腕だと多分お前の顔とか破片飛んじゃうし。」

 沈黙し首を傾げる俺。状況を想像してみると、漫画の世界だ。ただ、ゴムではないからルフィみたいにかっこよくはいかないかも、と現実逃避のコミック的想像を止め現実的に考えていると、足長は説明を続ける。

「俺達は、紀紳の体を使ってこの世界に実体として現れることができるんだよ。本来、妖怪が出てきたら人間は中に閉じ込められて意識を無くすんだけど、神器ってのは妖怪に優しくなくてよ。自由に体使えないんだよね〜」

 恐ろしいことを言うなと思った。こんな化物に体を使われたら、俺は人類の敵じゃないか。

「悠。よく考えてみろ。意識は残って俺達の力を使える。良い事だ。これまで良いように利用できていたし、体も順応してる。要は考えようでお前は強くなれる。」

 今度は、手長が落ち着いた口調で話す。深くいい声だと思った。現実からは逃げられない。なら、手長の言うように慣れるしかない。この二体の見分け方もなんとなくわかった。表情を変えない論理的な話しが手長だな。ラフな口調と笑顔が足長だ。

「そうだ。俺が手長だ」

 俺の心の声に返事をしてきたのに驚いた。

「俺の考えてることわかるの!?」

「当たり前だ。悠の中に俺達はいる。物理的なことではなく真理的なものだ。頭で理解しようとするな。知恵熱が出るぞ」

 足長が続けて、

「便利だぞ、言葉無く意思疎通ができるって。

スパイみたいで!試してみるか?」

 俺が目を瞑って、練習しようとしたらおじさんに他所でやれと怒られた。俺は仕方なく店を出る。暫くしてぬらりひょんが現れ、浮世見聞録を渡してきた。

「これ、持ってけとさ。妖怪のこと知っといて損はなかろう。あと、この店、ここにはもう無いからのう」

「えっ」

 ぬらりひょんの言葉で、振り返ると路地には空き地しかなく店は跡形もなく消え、ぬらりひょんの姿も無かった。

「これがヤツの能力だ。認識出来なくさせる。絶対に見つからん。」

「認識出来ないとかのレベルじゃないだろ、これ。」

 すると、何処からかぬらりひょんの声がして

「またいつでも来なさい。私達はどこにでもいる。ぬらりひょんの妖憑きだから」

 不思議なものに出会えたこの感覚は、俺に言い表せない刺激を与えてくれた。その夜、自分の部屋で今日会った妖怪たちを詳しく調べてみる。ただ、妖怪それぞれの特殊能力については

浮世見聞録にも書かれてはいなかった。

「やっぱ聞いてみるしかないのか。」

 妖怪だけでは無く、鬼にはいくつも種類があり、発生条件やまつわる過去の事件なども書かれていて夢中で読み込み、気づけば朝になっていた。

「因みに、この本なくても手長なら妖怪とかわかる?」

 俺の口を使って、手長が答える。

「当然だ。見なくとも場所やモノに痕跡が残る場合もある。あのー」

「な・ん・で・手長だけに聞くんだよっ紀紳!あの子が着けてた指輪を見たら犯人もわかるぞっ」

 足長のあっけらかんとした喋りは、どうしても手長より信用性に欠ける。もう一度、指輪を見るために西山経由で、咲ちゃんのご両親に連絡をした。

「よっ、連絡嬉しかったぞ。さぁ乗れ乗れ!

少し時間掛かるからな」

 西山の運転で咲ちゃんの実家に向かう。道中、後部座席にブランド物の紙袋があることに気づく。

「大我君のプレゼント?誕生日近かったっけ?」

 西山は俺の言葉に嬉しそうに話す。

「そうなんだよ。今美容師目指して専門学校行くための金貯めてんのに、アウターが欲しいって言ってさ。画像見せられたら買うしかねぇよな」

「美容師目指してんの?初知りや」

「大我もオシャレに目覚めてさ(笑)。いつか髪切ってカッコよくしてやりたいんだよ。今は服でもさ。いつかな」

「弟好きな。うちとは大違いや」

「都志希と仲、良くならないのか?もうお互い大人だろ。拗らせてんな」

 俺は苦笑いで受け流す。咲ちゃんの実家に着くと、ご両親が出迎えてくれた。咲ちゃんの部屋はそのままにしているらしい。実は入るのは初めてで、テレビ電話でしか部屋の中を見ることが無かった。

 西山は、暫く俺を部屋で一人にして下の階でご両親と話をしてくれていた。やっぱ良い奴。

机の上に指輪が置かれていた。溶けた指輪に触れると、直ぐに手長が俺の口で声をかけてきた。

「複数の気配がある。一つは鬼でこいつが一番強い香りがする。もう一つは不確かだ。覚えはある。」

「鬼っていくつも種類があったけど、どれだろ?」

「これは鬼一口だなっ、邪悪で残忍だ。一応会話は出来るタイプの鬼だよっ」

ガチャッと扉が開き、西山が入ってきて

「一人で喋ってたのか?ちょっと心配になってな。そろそろ出るか。飯食いに行こう!」

 ご両親と挨拶をして、家を出る。食事は車を出してくれたお礼に俺が奢った。

「またいつでも連絡してよ。絶対抱えんな。以外と一緒にいることが、一番楽になれるんだよ。」

 西山が帰ってから、自分の部屋で鬼一口について調べる。恐ろしい顔が体の半分を占める大きさで、口からは火が蛇のようにうねりを上げて溢れ出ていた。

「怖すぎる湯婆婆みたい。もう一つの妖怪は何だったんだろうな?」

 俺の言葉に、二体の妖怪は返事しない。知らないってことかな。

「俺はなんにも感じてないから、調べようもないんだけど…な」

 すると、

「会ったことはある気配がした。」

 独り言のように、手長が俺の口でつぶやく

「この妖怪は、悪いのか?…」

「遥か昔この妖怪に寺の子供達はかなりの数喰われた筈だ。会話は出来ない奴だから、通常は一つ場所に住み憑いて、人に憑く事はないはずなんだが。」

コンッコンッ。窓の外から叩く音がして、カーテンを開くとぬらりひょんが居た。

「公園に来い。雨水が呼んでいる。」

 俺は、寒い月夜に家の扉をあけて近くの公園に向かう。この公園は、ブランコと滑り台だけの公園だが、階段を上がった上のスペースは障害物のない広めのグラウンドになっている。中心に街灯一本とそれに照らされた本屋がポツンと建っていた。

「こんにちは。こんな所建ってたら人寄ってきません?」

 ガラガラと扉を開けると、雨水さんが刀を磨いていた。

「見えないから良いんだ。それに、実体は無いしな。」

「でも、これ触れますよ?」

 俺は本を取って、雨水さんに見せる。確かに本はここにある。というか店も街頭もここにある。

「能力発動と同時にこれがな、別の空間に送ってくれる。因みにその本、太宰治の新作な。」

 雨水さんは、巾着袋を俺に見せる。中は見せてくれなかった。俺が手に取った本は、時代を感じさせる質感で題名は知らなかった。勉強不足。

「違う違う。太宰治が死んでから書いた。世に出てない作品だよ。」

「えっ」

 雨水さんの言葉に驚き、本を見る。本の題名は、「贅生の〇〇」。達筆過ぎて後半の漢字が読めなかった。

「ここにある本の大半が、浮世を憂いた作家たちの作品だよ。みんな、死に負け死を受け入れて書き続けている。あっちは終わりがない。だから、創作が暇つぶしになった時が、書くことを辞めるときだって太宰も言っていたよ。」

 ここには、小説から画集。漫画まで色々な作品があったが、一つ目を惹く本が棚の左から三番目、背表紙には【私の望み】と書いてあり、著者名は『川端悠斗』だった。

 手にとってみると、表も裏も青一色で表には細く白い線で描かれた二人の女性、裏にはその二人の背中だった。

「おい、これ持ってみろ」

 急に雨水さんに話しかけられ、本を棚に置く。雨水さんは、磨いていた刀を俺に渡す。とてもきれいな刃紋と想像以上に反りがある刀身。

「怖いです。真剣ですよね?」

「長谷部国重の刀で、有名なものだと押し切り長谷部だな。切れ味が有名でこの刀も本人曰く最高傑作だと言っていた。」

「なんで俺に…。こんな人を殺めるための武器は触りたくないです。」

 落とした刀が、地面に突き刺さる。その刀を雨水さんが持ち上げ、鞘にしまう。

「人ではない。これは、妖怪を切るための刀だ。もちろん、人も切れてしまうが、刀は持つ人間によって意味合いを変えるものだ。戦国時代と江戸時代。現代でも刀が存在するのには、人々の刀への変わらぬ尊敬があるからだ。矛盾に聞こえるか?」

「言わんとすることは、わかるんですけど…。俺にこれは必要ないというか…」

雨水さんは刀を横にして、俺に差し出す。

「これから必ず必要になる。もう気づいていると思うが、これまでの君の周りで起こった事件は全て妖怪が関わっている。そしてー」

 その時、ガラガラと扉が開いて立っていたのは俺の膝くらいの高さの鬼が、それを見た雨水さんは怖い顔になって、

「なぜここにいる!!家鳴り!!!」

 鬼は歯を見せ、ニッと笑った。

「死ねっ」

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