第3話 表裏の関係

 新幹線を降りて、名古屋駅前に出る。実家に向かう前に、名古屋である所に立ち寄ることになった。県のシンボルとも言える名古屋城には、実は初めて来た。

 この日は不思議なことに、名古屋城の敷地に入る前から耳鳴りや突風が吹き、俺のテンションを下げていた。精神的なものだろうか。

 名古屋城の中にはエレベーターがあり、俺のような障害者でも天守閣まで昇ることができる。天守の眺めを見ていると、自然と昔の城下町の風景をイメージの中でリンクさせたいと思う。天守には、人種・性別・年齢様々な人が三百六十度の景色を見ていた。壮大な木枠の景色は、当時の天下人だけで無く現代の人々を今尚、魅了していた。

「あそこに燃えた熱田神宮があるらしいけど、見えないんだ。近く行ってみる?」

 そう話す、高校生ぐらいの男女グループがいた。その言葉を聞き、その方角を見てみる。ここからでは、熱田神宮の本堂を見る事は出来なかった。

「もう降りる?下にお茶屋さんがあったから、おやつにしよ。」

 そう言って、母は車椅子を押す。その時、風が吹き都志希が持っていたパンフレットが飛んで行く。

「もう、何しとんの?早く取りに行き」

「ええやん、もう行こや。スタッフさんがひろてくれるし」

 母は怒り、都志希と天守閣の隅にパンフレットを取りに行く。場所が人通りの邪魔になると思い、俺はタイヤのストッパーを外す。

 すると、目の前にメモ帳が降ってきた。拾って目線を上げると、そこに居たのは桜井聖佳だった。

「悠くん…何で…。その足は、何があったの?」

 泣きそうな顔になる桜井。

「違う違う!あの事故とは関係ないよ!あのーいや、泣かせたの僕じゃなくて…。あの、知り合いなんですけど。」

 周りからの視線が今の俺には尚更痛い。母が騒ぎに気づき戻ってきた。桜井は本格的に泣き始めてしまい、ライブであった知り合いであることを母に説明し、下の茶屋に一緒に行くことになった。

 茶屋では、玉露と草団子を買って飲食スペースへ移動する。お堀に映る名古屋城を見て写真を撮る母とつまらなそうな顔の都志希。

「ゴメンね。もう落ち着いた。」

 桜井が緑茶を持って、長椅子に座る。いつもより、お洒落しているように見える。スリットの入ったジーンズに白シャツとシャギーのニットカーディガンと淡いブルーのロングコート。

 今までにない生地感。雰囲気が今まで見てきた桜井と違っていた。

「服似合ってる。青いコートその色味珍しいし。」

 桜井は青いコートの裾を掴み、

「青は川端さん好きだったから…。悠くんその足は何でそうなったの?知らなかった。」

 家族は別の長椅子で座っている。気を使ってくれているようだ。

「東京で、家から出てすぐ襲われた。犯人はわからん。背中から刺されて、大学の友人が救急車呼んで助けてくれた。その時の怪我で、下半身付随になって大学は辞めたばっかり。」

 桜井はじっと、俺の話を聞いていた。

「これから実家に帰るところやったけど、名古屋城見たことなかったから、寄ってみた。桜井は?」

「私は、あれから色々考えて服作ってインスタに上げてたの。そしたら、海外のアーティストが見てくれて、そっからグッズ作ったりブランド作るための準備始めたの。自分の好きなこと見つけられたみたい。」

 桜井が見せてきたコートのタグには、KYの文字。

「これって…。」

「違うよ。キヨカ。Yの後ろに小さく崩れたKがあるでしょ?」

 みなまで言わなくても、否定した。分かってるってことだ。なら、わざわざ口には出さない。

「凄いね!ブランドできたら教えて!男物作るよね…?」

 桜井は、俺よりも目線を下にするためにしゃがむ。

「欲しいもの言って、作るから。足とか痛みはないの?」

「無いよ。」

「これは?」

桜井は、人差し指で俺の太ももを押す。

「なんにも感じない。」

 桜井はスクっと立ち上がり、

「ゴメン、無神経で。悠くんが良ければ、私の仕事付き合ってくれない?アイデアが中々出なくて…悠くんとならー」

 桜井は、手を体の横で握りながら話す。優しさを感じる。人と一緒に何かを作るのを桜井が得意なわけがない。無理をしてる。

「ううん。仕事は今はいいよ。陰ながら応援させて。」

 何か言おうとするが、押し込む桜井。

「また、絶対連絡するから。」

「うん。ありがとう。」

 桜井は、よく考える人だ。今、自分が俺を何とかできると思っていないうちは、無理に俺を誘うことがいいとは思えなかったんだろう。とてもクレバーだ。

 俺の家族に頭を下げて桜井は茶屋を出る。少し、気が楽になったように感じた。おこがましいけど、少し似てんのかな。

 三重県、実家に到着。懐かしい。およそ三年ぶりしっかり実家と対面する。だが、車椅子では住めそうにない階段や狭い玄関。近親者がまさか障害を負う事になるとは思っていなかった両親は、ある計画を立ててくれた。

 世田谷病院、回想

「家やと車椅子では入れんし、階段や段差が多くて暮らせんと思う。それに都志希のこともあるから、ばあちゃんところに住んだらどやろか。自然も多いし、悠は感情出さへん子やからわからんけど、めちゃくちゃ辛いはずやから…」

 母が携帯で父と電話している声が聞こえた。親は子供をよく見てる。いくつになっても自分の子供は子供だから。そして、子供は親を見てどう生きれば良いかを学ぶ。俺は両親の仕事についていいイメージが無かった。共に福祉の仕事をしている両親は目に見えない心の疲弊や傷が子供の俺からでも時々垣間見えることがあった。

 両親は仕事の話はほとんどせず、子供達に見せない様にしていた。でも、時々感情があふれることがあった。あの時見た人間の弱さが、逆に両親の強さと優しさを知るキッカケになった。仕事とは人生とはこういうことなのだと。

母が電話をすませ病室に入ってくる。俺は寝ているふりをした。

 いつの間にか夜が開けて、今日は家で最後の1日を過ごす。明日からはおばあちゃん家だ。食事はいつもより豪華な母の手料理だ。コロッケが美味しくて、俺は弟と競いながら十個は軽く食べられる。食事をしながら今後の話をする。

「俺、小説書いてんねやんか。」

 その言葉に驚く両親と、興味の無い弟。この反応は予想していたが、両親の反応は意外だった。驚いたがすぐに応援すると言って切り替えた様に感じた。多分もう、やりたいことはやらせてあげようモードになっているんだと思う。

「いつも、同じサークルの來間と小瀧と辻岡と宮本で、各地の伝記と神社仏閣巡って卒論と小説のネタにしてんの。」

「じゃあ、小説は歴史ものなん?言うた悪いけど、あんた頭良くないやろ。覚えれるん?小説って伏線回収とかあるやろうに」

「好きなことな覚えれるんさ。それにあくまで創作物やで、史実とちごてもええねん。リアルさを持たせるためのポイントやから。歴史は」

 食事中に弟はゲームをしながら食べ、父親はテレビを見ていて、それぞれ同じ食卓につきながら別の興味で動いている。いつからこうなったのだろう。でも、同じ食卓を囲めない人間なんて信用に値しない。そう考えると、今の状況もかわいく見えてくる。

「いつか悠の本が出版されたら読ませてね。」

 いつもの不穏な空気の食卓は、ゆっくりと進み。その日は風呂を済ませて早めにベッドに入った。

 翌日、伊威野にあるおばあちゃんの家に向かう。実家から山をいくつか越えた所にあり、山を持ち農業をしている母方の祖父母の家である。わかりやすく言うと伊勢と松阪の間の小さな村。

 峠道を走る車の車窓からは、深い緑とそれを割った様に流れる大きな川が見える。茶畑を縫う様に、長く曲がりくねった私道がばあちゃん家に続く道。小さい頃何度も通ったあの道と何も変わっていなくてホッとする。

 玄関の半分鍵を締めた引き戸を、ガラガラと開けて中に声をかける。

「久しぶり!ばあちゃん。心配かけてー」

 おばあちゃんの顔を見て言葉が詰まった。おばあちゃんさ泣いていた。そんな表情を見たのは初めてだった。もう、人の顔を見るのが怖い。

「…ごめん。心配かけて。」

 この日は、夜から親戚一同が集まりお帰り会をしてくれた。明るく、終始俺を見て接してくれる親戚達。背中を押してもらったし、まだ俺を支えてくれる人がこんなにいるんだと実感したが、何となく顔を上げてまっすぐ見ることはできなかった。東京で一人で勝手に生きている時、何も感じていなかった自分が嫌いになりそう。

 当時、ニュースを見て連絡をくれた人もいる。黒岩と吉田だった。東京のニュースだから見てない人も多いだろう。現に連絡をくれた二人もニュースを知ったのは偶然だったという。精神的な負担を考慮し、しばらくはここにいる事になった。

 次の日の朝、勝手に一人で山を車椅子で散歩する。小さい頃から、ここで走り回って遊んでいた。ばあちゃんとじいちゃんは椎茸や筍、みかんや柚子など自然に近い状況で育て栽培していた。勿論、野生の猿や鹿、熊なんかもいるが基本的には人間を見れば逃げていく、それだけ人間と動物の距離がしっかりあり、慣れていないということだ。

「空気が美味しいなんて子供の頃は全く分かんなかったな。いい環境で育ってたな。」

 なぜか森に話しかけていた。こんな身体になってしまった罪悪感とか孤独感が混ざった形容し難い感情が湧いた。

「感謝してるんさ。貴重な時間やった。もう出来んことばっかりや。」

 どんどん内に入るような、陰の感情。でも、自分の状態に気づいてるなら最悪の選択はしないかなと、冷静な気持ちだった。

 車椅子のタイヤを回しながら山を周っていると、道の真ん中で車が止まっているのが見えた。ここはばあちゃんの山だが、多くの山が繋がっており通り道になっている。車が通るのは不思議じゃ無い。だが、ここに停まるのはおかしい。あそこはばあちゃんが椎茸の原木を育ててる所だ。

 ここ数年、ばあちゃんが育てている椎茸が盗まれていると親戚が話していたのを思い出した。山が広いのをいい事に大切に育てたものを食べ頃で盗りにくるなんて最低だ。しかも、犯人は地元の人間。山の中では、カメラも付けられない。

 携帯を取り出し車に近づいていく。ナンバープレートにピントを合わせ動画を止める。辺りを見渡し犯人を探す。二人、椎茸の原木を物色しているのを見つけ携帯を向ける。動画から写真に切り替わっている事に気づかず、シャッター音が鳴る。

「ヤバ!」

 シャッター音よりも俺の声で気づかれ、何故か俺は逃げた。悪いことをしているのは二人組だが、俺は車椅子だ。向かってきたらひとたまりも無い。

 東京で刑事の工藤が言っていた「あなたのその身体では、自衛できない」と言う言葉が浮かんできた。坂道を車椅子で下って行く。二人組は車椅子の意外な速さに、車に戻って乗り込み追ってくる。

 車輪に手をかけ目一杯漕ぐ。徐々にスピードが上がり、漕ぐスピードを車輪の回転が上回る。手に血が滲み始め、車輪から手が離れる。

「うわぁっ!」

 道の脇から伸びた草に引っかかり、車椅子から転げ落ちる。顔を上げると坂の上から車がスピードを上げ向かってくる。このまま轢き殺すつもりだろうか、速度は落とさない。轢かれて死ぬ。そう思い、目を閉じ全身に力が入る。

 すると、一瞬音が無くなり自分がうつ伏せに倒れていることが顔に触れる草と香りで気づいた。腕の力で身体を持ち上げると、目の前に不思議な景色が広がっていた。大きな水溜り(池というには綺麗すぎる水)の真ん中に大きな枯れ木が一本生えた島が一つ。島には青々とした草が茂っているのに、大木は枯れて悲壮感が漂う異様な風景だった。

「ここどこなん…」

 小さな湖に近づくと、水面がキラキラ光る綺麗な水で、少し触れてみたくなった。ゆっくりと手を入れてみると何も感じなかった。とても軽く暖かさも人肌ほどなのだろうか全く触った感覚がなかった。

「なにこの水、ていうか水か?」

 音のないこの世界で後ろにそびえる枯れ木の存在感を背中に感じ、振り向くのが怖くなる。

「よく来たな、いつぶりだ」

 枯れ木の方から声がして上半身がビクッとなる。深い声だ。聞き覚えのない男の声、恐る恐る振り向くが後ろは枯れ木のみ。

 バシャッ、今度は後ろの水溜まりから音がしてとっさに振り向くと、湖からいい湯だな♪ポーズで体を出す上半身裸の男が。両手には桃の様な薄ピンクの果実みたいなものを持ってこちらを見ている。

「もう少し早く来てれば、そんな身体にはならずに済んだんだがな」

 男はおもむろに左手の果実を頬張る。果汁が溢れて美味しそうに見える。

「お前も物好きだな。記憶無くして人生やり直して普通を知って、またここに戻ってくるなんて」

 大きな枯れ木からまた声がする。言っている意味がわからず困惑していると、水から上がった男が押し殺すように笑い、

「喰うか?美味ぃぞ」

男は俺に果実を投げるが、俺は受け取れず溢れて水に落ちる果実。

「無様だな」

 枯れ木が動き始め枝が伸び、水に落ちた果実を拾い上げる。枯れ木だと思っていたのは、腕の長い大男だった。

「食え、話はそれからだ」

「いや、大丈夫です」

  俺は男が上から落とした果実を、両手で受け取り、今度は転がらない様に地面に置く。

 そのまま視線を上に向けると、

「喰わないのか、勿体ない」

  枯れ木の男の手には、あの果実があった。下を向くと、俺が置いたはずの果実は無くいつの間にか男が取ったようだ。枯れ木の男は、無心になってむしゃむしゃ食べ始め、右手を俺に伸ばす。怖くなった俺は避けようとするが、バランスを崩し水に落ちた。

 落ちた水はやはり温度も肌触りも何も感じなかった。それに、島から見た時はこんなに深いとは思わなかった。

 綺麗な水の中で、何故か落ち着いた俺が目の前に見たのは、水の中にいた男の長い脚。

「なあがあ…ゴボゴボ」

ビックリしすぎて水を飲んでしまった。急いで水面から顔を出す。

「はぁっ、はぁはぁ、ゲホっ」

「大丈夫、ですかぁ」

 脚の長い男がいつの間にか、目の前に顔を近づけて笑顔でこちらを見ていた。

「やめろ足長。せっかく足を隠していたのに、溺れるとはざまぁない、しかし足を使わずとも泳げるとは、小さい頃から泳ぎを習っていた甲斐があったというものだな」

 大木の様な伸びた腕が、俺を掴んで島に戻す。

「ありがとう…ございます。」

 顔を見ると、かなりカッコイイ。

「カッコイイ…」

 思わず声が漏れる。

「おいおい俺は?あいつと何が違うんだよ」

 足長が島に腰をかけながら喋る。急に目の前が霞み、足長のピントが合わない。

「まだ早いか。また時が来れば話そう。今回は俺が助けてやる。」

 枯れ木の男の声がしたが、俺はブラックアウトし気づけば森の中に戻っていた。体を起こすとそこは倒れた道路だった。だが、あの車に乗った二人組の男と車はいなかった。

 道を外れた崖の方から、チラチラ光が辺りを照らしている事に気づく。崖下で男達の車が燃えていた。

「なんで…。ハンドル操作間違えたのかな?」

 携帯を取り出して、警察と消防を呼ぼうとするがポケットに入ってない事に気づく。辺りを探すと車椅子の近くに落ちていた。画面の割れた携帯を見ると動画が回っていた。

「写真撮って電源切ってなかったのか。今度は動画になってた」

 先に通報しないと。事情を説明すると警察は救急車も呼んでくれた。田舎には中々ない、赤いサイレンが山中を照らしていた。救急車の中で、手当てと警察の事情聴取があった。車に乗っていた、しいたけ泥棒はここらへんで有名で隣の街から来ていたらしい。二人とも崖下で死んでいた。

 警察は、

「携帯の動画と写真も見ました。証拠としていただきますが、状況も確認させてください。あなたの言っていることは、恐らく正しいのだと思いますが、二人亡くなっていますので念の為、このあと警部がいらっしゃるのでそれまで、質問させてください。」

 それから三十分、黒いセダンが到着し若い女性と老人が降りてくるのが救急車の窓から見えた。ラフな格好に似合わず、現場の警察官に指示を出している。現場が一気に慌ただしくなった。救急隊員は、丁寧に俺の足と手に包帯を巻いてくれる。車椅子に乗ったら、また痛々しい姿になってしまった。

 救急車の外には、警察官が来てゴニョゴニョと俺に質問をしていた警察官に話す。警察官の顔が青ざめる。

「川井さんすいません。聞いたお話は私から警部にお伝えしますので、手当が終わりましたら今日はこのままお帰りください。現場バタバタしているので、自分はここで失礼します。あとは、宜しくお願いします。」

 警察官は救急隊員に、俺のことをお願いし車が落ちていった崖下の現場に向かった。

「足の所見せてくれるかな。感覚がないなら傷口に気づかず可能しちゃうこともあるから。」

 そう言って、俺のスボンをたくし上げる。確かに痛みがなくて気づかなかったが、ズボンの裏には血がついていて、膝やスネを擦りむいていた。手当が終わる頃、おばあちゃんが迎えに来てくれた。

「あんたとことん運に見放されてんねやな」

 ばあちゃんは困った様に俺に言った。帰る俺達の背中を見る、警部。それを見ている『宇良涼夏』は、

「直接、本人から話聞かなくてよかったんですか?この状況から見て、あの人は犯人じゃないとは思いますけど、動画もありますし」

 警部は、

「このあと、寄りたいところがある。現場はお前に任せる。適当に済ませておけばいいから。」

 そう言って、山に入っていく。宇良はため息をつきながら、現場に降りていく。

「絶対見返す。絶対見返す。見返してこの部署から絶対離れる」

 崖下の現場では、鑑識が

「あの子、どこの所属なんだ?一緒にいた警部は?」

「知らないのか?現象課にいる自由人だよ。あの若さで女の子は警部補だろ。イカれてるよあんな部署。何して出世してんのか。」

 二人の鑑識の後ろに近づく怒り、

「みなさんと同じ捜査です!それに、私は友部警部とは違い、上からがんじがらめです!」

 二人が振り向くと、怖い顔した宇良が仁王立ちしていた。

「失礼しました!」

 二人は敬礼して、鑑識作業に戻る。その頃、友部は山の中で折れた木に座っていた。遠くから見ると、誰かと話し込んでいるように見える。車の中の宇良に着信が入る。友部からだ、

「どこ行ってたんですか?車の鍵持ってったらここから動けないじゃないですか!車置いて帰るところでしたよ。」

 外は暗く、明かりは車の中だけ。

「もう着く」

 その言葉のあと、友部は後部座席のドアを開け入ってくる。

宇良は急な友部に驚くが声を出さない。

「落ちた車の欠損部はわかるか?」

「車は大破していましたし、木に突っ込んでいたため中もぐちゃぐちゃです。散らばった部品含め、回収は終えています。」

 グッと宇良の顔の真横に友部が手を差し出した。その中には、車のボディーと同じ色の四角い板だった。

「それは?どこで見つけたんです?」

 宇良が急いでチャック付ポリ袋を広げ中に入れる。

「現場から三百メートルは離れた山中だ。崖に落ちた車の部品が、山のしかも現場より上の位置に飛ぶことがあるかい?」

 友部は、宇良を試しているのか笑みを浮かべる。宇良はイラッとして、

「じゃあ、車出すので鍵ください」

 そう言って、ドアに手をかけると

「開けるな!」

 友部が大きな声を出す。二人が乗る車の真横に、今まで居なかったカカシのような藁に包まれた人形らしきもの覗くように立っていた。

「宇良、感情を落ち着かせろ。まだまだ使いこなすには、先が長いな」

 宇良の緊張とは裏腹に、友部は笑う。

「すいません。」

 宇良は狭い車内を移動し、運転席に座る。車はゆっくりと発進し、カカシは頭だけ車を追うように、回り見送った。この日は両親にも事故の話が伝わり、俺はばあちゃん家では無くそのまま松阪の家に帰った。

「記憶がなくて逆に良かったんちゃう?トラウマになったらもう一人で出歩けんくなるからな」

 笑いながら話す俺とは打って変わって両親は心配そう。

「ごめんやけど、明日ちょっと出かけるところあるから。気をつけるで一人で大丈夫」

 母は心配そうに、

「気を付けようがないんやから、もっと自分が不自由なこと自覚せなあかんよ。恥ずかしいことじゃないんやし、周りの人も助けてくれるよ。あんたから助けを求めることをやめたらあかんで」

 母の言葉は、心配を言葉にしてくれた温かいものだった。

「うん」

 明日は、どうしても行かなければならないところがあった。手当を受けている救急車の中でバリバリの画面の携帯にラインが入り、西山颯から連絡があった。

「浅海咲乃の葬式、明日あるんやけどお前の所に連絡あったか?」

 葬式という言葉は、以外にも俺にそこまでダメージを与えなかった。咲ちゃんと会えなかった心残りからだろうか、即決で行くと伝えた。 

 翌朝、駅前で喪服を買いに行く。都会とは違い、駅前でしかタクシーを拾えない。駅までは、仕方なく車椅子での移動だ。坂道も多かったが、私を見つけた老若男女が助けてくれた。

 お店の人には申し訳なかったけど、早々に喪服を買って、試着室を使って着替えさせてもらった。

 三重県伊勢市、葬儀場の前を少し過ぎたところでタクシーを降りる。入り口には、浅海咲乃様の名前があった。実感はなかったが、足取りは重くなる。少し深呼吸していると、

「悠!車椅子ってどうしたんや?!いつからや?」

 後ろから声をかけてきたのは、高校時代の部活仲間『西山颯』。身体は太いが筋肉もついていることがわかる体格の良さ。髪型は今時の金髪に軽くパーマをかけセットしたもの。この見た目で実は人付き合いもよく、歳の離れた弟思いのいいやつだ。

「つい最近、事故でさ。めちゃくちゃ不便や」

「そうか。浅海も急やったな。まさかあの熱田の火事に巻き込まれてたなんてな。嫌な事続くわ」

「うん。」

 二人で中に入った。西山は断った俺に

「照れんな」

 そう言って車椅子を押してくれた。やっぱいいやつ。

 中に入ると砂利や石畳で車椅子は進みづらく西山が居てくれて助かった。建物のロビーには、俺たちと同じ年代の人が大勢いた。多分みんな同級生だ。咲ちゃんはみんなに好かれてた。人々の顔を見ればわかる。

とてつもなく辛い。

 空気が薄くなったかと思うほど、息がしづらく鼓動が速くなる。俺は西山に伝え、人並みを避ける様に進む。みんな俺を見て道を開ける。障害を持っている事を更に痛感する反応だった。会釈し合いながら香典を渡しに向かう。

 受付には、俺達と同じぐらいの年の子と母ぐらいの年齢の女性二人が立っていた。

「この度は、ご愁傷様です」

「あなた川井悠さん?お待ちしてました。中にどうぞ。お越しいただきありがとうございます。咲乃さんの遺族がお待ちです。」

 お焼香をあげるために列に並ぶ。咲ちゃんの顔写真が人々の列の前にあった。その横では、ご両親が泣きながら参列者に何度もお辞儀をしていた。

「こんなに来るんだな。凄いな咲ちゃんは」

「川井はスイミングスクールで一緒やったんよな。学校は一度も一緒になってないやろ?お前ぐらいやろ、学校違うのに来たん」

 なんでやというふうに俺に聞く西山。

「そんだけスイミングスクールの思い出がお互い楽しかったんよ。俺、同じ学校のやつと学校以外で遊んだ事ほぼ無いもんでさ。学校外で会う同年代の友達は、スイミングスクールで一緒やった人だけやもん」

 そう。だから成人式であった同級生は、顔と名前が一致しないことが多かった。盛り上がる話は学校以外の話は出なかった。知らないから。

「みんなが遊んでいる間お前何してたんやっけ?ゲームも持ってへんかったやろ?」

「テレビと小説ばっかりやったな。結構楽しんでたんやけどな。貴重な時間逃したよな(笑)」

 お焼香の香りがしてきた。そろそろ俺たちの番だ。木の棺の前に来ると普通は開けて死者の顔を見る部分の小窓が閉じていた。これでは咲ちゃんを見ることは出来ない。三回額の前に、木屑を持っていき火種に掛ける。この間、人によっては言葉を口にしている事がある。決して他の人には聞こえない様に。

「この度は、ご愁傷様でした。あの川井悠と言います。咲乃さんの訃報を聞いた時、自分もこんな身体になってしまいすぐにご挨拶に伺えなくて、それでー」

 ご両親は驚いた様に顔を合わせ、

「あなたが悠さんなのね。咲乃からよく聞いていました。来てくれてありがとう。あの、この後少しお話出来るかしら。」

 お母さんの声はとても優しく、雰囲気は咲ちゃんに似ていた。

「…はい。私もそのつもりで来ました。」

 お母さんは、西山にも声を掛け、

「西山君もありがとう。悠くんを連れて来てくれて」

「いえ偶然で。この度はご愁傷様でした」

 互いに頭を下げその場を後にする。西山は咲ちゃんのご両親から俺に連絡するよう頼まれていたらしい。

「川井、浅海と付き合ってたん?」

「どこでそう思った(笑)お母さんのことば?」

  答えを濁す俺。

「うん。よく話すって言ってたしあの感じ、何となくやけど。やとしたらお前…」

  心配そうな西山の目を俺は見れなかった。

「みんなと同じさ。でも、まだ実感が無いんだろうな…泣けないなんて…」

 その後は、式が終わるのを待った。西山は同級生と話をしに行き、俺は香典を渡した女性が裏で椅子に座り休んでいたので、温かいお茶を紙コップに入れ、それを持って話しかけた。

「すいません。咲乃さんのご親戚の方ですか?」

 彼女は驚いた様に立ち上がり、手が当たったお茶を俺は足にこぼしてしまった。俺を見た彼女は突然泣き出してこう言った。

「ごめんなさい…本当にごめんなさい!」

 その反応は、お茶をこぼしてしまったことに対してはやり過ぎなものだった。声が聞こえたのか、表から受付で対応してくれた女性が近寄って来た。

「大丈夫です。お茶をこぼしてしまって。」

 女性にそう伝え、泣いている彼女にだけ聞こえるように言った。

「…話聞かせてくれませんか?咲乃さんの事知りたくて」

 女性は大丈夫と彼女に声を掛けた後、表で声がしたので足早に受付に戻っていった。ゆっくりと椅子に座った彼女は話し始めた。

「さっき北野さんが、あの…私の隣の人。香典を受け取った時あなたが川井悠さんときいて震えが止まりませんでした。私、咲乃と同じ熱田で巫女として働いてました。あの日は、私が休暇を取って咲乃に変わってもらったんです。」

 熱田神宮の同僚だった彼女は、彼と新婚旅行に行くため休みを貰ったらしい。代わりに入った咲ちゃんが事故に巻き込まれた。

「あの日は、浅海さんともう一人ひかるちゃんっていう同い年の子が居たんですけど、まさかあんな事故が起きるなんて誰も予想出来なくて…」

 ここで俺は初めて、事故に巻き込まれたのが咲ちゃんだけでは無いことを知った。

「二人居たんですか?知らなかった。そのひかるさんという子はどうしてるんですか?」

  彼女は首を振った。

「跡形も無かったそうです…。二人は当直で本堂の掃除を終えると、事務室に向かって簿記を返して業務終了なんです。燃えたのはその事務所で…」

「事故が起こる様な原因はあったんですか?」

  彼女はまた首を振って、

「無いです。基本的には火気厳禁ですし。でも、不思議なことはありました。」

「不思議なこと?それはどんなことですか?」

  彼女は俺の目を見て訴える様に話した。

「仏様の頭が無かったんです。事務所が燃える前に切られたみたいで、でもあの仏様は本堂の地下で祀られてて一般の人では見ることもできないんです。それに国宝が無くなっていて」

「国宝を盗んだ犯人と出くわして二人は事務所に逃げ込んだ…。」

  彼女は首を振り小さな声で話す。

「あの仏様は特別なんです。何かあれば神主が護神僧と共に本堂にすぐに駆けつけるはずです。でも、そうはならなかった。」

「セキュリティーに詳しい犯罪者なら、ハッキングして入れる。」

「違うんです。あそこにあったのはコンピューターのセキュリティーではありません。結界です。信じないとは思いますが。」

 何か違和感を感じる。真剣に言ってるんだろうか。

「そういう言い伝えを守ってってことでしょう?それはわかります。そうじゃー」

  俺の言葉に食い気味で焦ったように話す彼女は、

「そうじゃないんです。何百年も各地の神社仏閣は、結界を作りありとあらゆる脅威から仏様を守ってきました。」

  神話の世界の話なんて、

「現実にそれが今もあって守るなんて思えない!だってあれは想像の中の話で現実であるなんて聞いたこともー」

「この国が無宗教でありながら、神社仏閣が数多く今現在まで残っているのはこの存在を広く潜在的に示しているからです。呪いのたぐいも勿論あります。それらから守る抑止力とは

、結界の様な見えない畏れです。」

 彼女は真っ直ぐ俺の目を見据えている。涙は止まっていたが怯えているのは間違いない。でも、そんなもの受け入れる準備俺はしてない。

「…宗教ってどうしてこうも人を不安にさせるのかな。好奇心を煽りたいのかな」

 いつもの嫌な人間の話し方になっているが、気にしない。ブレーキが壊れているように感情が足先から溜まっていくイメージだ。そんな俺に気づかず彼女は落ち着いた口調で、

「現実的ではない話をしてます。それはわかってます。でも…ふざけているわけじゃないんです。守っていたはずの結界が消え、仏様の首を落とした人が二人を殺した。でも警察は絶対に見つけられないはずです。何故ならー」

  怒りが湧いてくる。俺は彼女を陰謀論者と

同義にしか見えなかった。

「そんな話、咲ちゃんの両親に話せるの?」

 彼女の顔が強張ったのが解かる。少しの間が空き、この人を責めるべきではないと感じ、思わず出た言葉と態度を反省し気持ちを落ち着かせた。

「話してくださってありがとうございます。責めたいわけじゃなかった。ごめんなさい。」

 車椅子を漕いでその場を離れる。離れる車椅子に座る男の背中に彼女は声を掛けずには居られなかった。

「咲乃はいつもあなたのこと話してました!大好きだって!ほんとにごめんなさい!ほんとに……。」

 振り返れなかった。咲ちゃんが何故、今心にはそれしか無かった。会場の人もまばらになり、葬儀場の中には咲ちゃんのご両親と親族、数人の友人が残っている。

「悠さん。今日はありがとう。自分の身体も大変な時に…でも、その身体は?」

「咲乃さんが亡くなった日に、自宅で誰かに襲われて気づいたら病院にいて…この身体でした。大事な時にそばにいられず…ほんとに…ごめんなさい。」

 周囲からは二人の関係を知って驚きと体について同情の、目に見えない波が空気を伝って肌身に感じた。

「咲乃さんに会わせていただけますか?」

 お母さんは、少し逡巡し

「あなたのために言います。やめた方がいいです。私達も一度しか見ていませんし、もう見れません。あれはー」

「あれじゃないです!ごめんなさい…信じられないんです………咲乃さん…いや、咲ちゃんが亡くなったなんて…。」

  お母さんが下を向いた。涙が止めどなく落ちている。

「アレを見たところで、その気持ちは変わらない。」

 座っていた咲ちゃんのお父さんが立ち上がって言った。表情を見ても感情はわからない。

「想像してしまう。あの子が……苦しみながら大きな火に包まれたなんて。信じたないけど、あの子は居らんくなった。もう声は聞けん。もっと見ておればよかった。もっと一緒に居られんだか…。いっつも家におったのに、もっと…」

 淡々と、後悔が、お父さんの悲痛な声はここにいる全員を今一度、現実の絶望に向かわせた。

「それでも見させてください。お願いします。」

 このやり取りを静かに見守っていたお母さんが棺桶に近づく。

「おい!何ー」

 お父さんにお母さんは泣きながら訴える。

「この子は、咲乃をこんなに愛してくれているのに、最後に会わせないなんて私には出来ません!現実を知らない後悔は絶対させたくない!この子ならきっと…きっと受け止めてくれます…」

 俺は頭を下げる。不格好だが車椅子の上から失礼だが、精一杯頭を下げる。

「ありがとうございます。もう覚悟はできています。」

 棺に近づき、手をかけて開ける。そこにあったのは、右腕のない人間の形をした黒い塊。

沈黙。

「こんな…どうして咲ちゃんだと…。どこが…」

 悲痛な裂けるような絞り出した声が響くが、周りを見ても誰も目を合わせない。

「どうして咲ちゃんだと認めたんです?!コレのどこが…」

  自分の言った言葉に思わず口を押さえる。

「着けていたの、これを。貴方が咲乃にくれた指輪、いつも大事にしとった。それに、指輪の内側にわずかに残った皮膚が咲乃…」

お母さんは白い布にくるまれた、溶けかけた

指輪らしきものを俺に見せた。確かに俺が津南のイオンで買った、リングだった。石は無くなっていて、形も歪だった。

「もう一人の子は跡形も残らんかった。形が残ってる方が奇跡や言われた。監視カメラにニ人だけが映ってんのは確認されとる。」

 お父さんは、椅子に力無く腰掛け言った。

「でも、その指輪はー」

 お父さんが立ち上がり、指輪をはたいた。

「いい加減にせえ!現場から二人の血液も検出されてるし、そこら中炭だらけ。どれが人かもわからん!助かっとんのなら今頃、お前と家に挨拶に来てた。受け入れるしか無い…」

 落ちた指輪を拾い上げようとするが、車椅子から転げ落ちる。

「…俺のあげた指輪で、咲ちゃんだと認定するなんて…。そんな…」

  周りは悲痛な姿に俺に近付けない様だった。咲ちゃんが生きていると言えなかった自分が悔しくて仕方なかった。

 この日、咲ちゃんはこの世から消えた。夜、帰りは家の近くまで西山が送ってくれた。

「大変やったな。よう生きてたわ(笑)。今日俺がおって助かったやろ?これからも連絡してええよ。出来ることはするから。」

  気を遣って明るく話してくれている。あの後、俺の泣き声を聞いて、西山は駐車場から駆けつけた。車椅子に俺を乗せて、みんなに会釈して自分の車に乗せてくれた。これ以上、迷惑かけたくないな。でも、

「ありがとう。西山はホンマに面倒見がええなぁ。…なら、今からちょっと手伝ってくれへん?」

「ええよ。なにを?」

  涙を拭って、携帯を見せる。

「風呂行こ。この顔では帰られへん(笑)」

  西山は車線を変える

「せやな。汗もかいてるし。いこいこ!」

 風呂場では、服を脱いでタオルで下半身を隠す。そして、西山にお姫様抱っこをしてもらった。湯船に浸かって大きく息を吐く。身体が溶けていく様に先程までの緊張が芯からほぐれるのが分かる。

「もっかい言うけどよくその身体で生きてたな。腕のは小さいけど、背中から腹のはだいぶデカいぞ。どやってそうなったん?」

  二人で湯船に浸かりながら、

「家で同級生と朝まで飲んでて、いつの間にか寝てたんやけど、起きた時にニュースの速報で熱田神宮爆発ってやつがあって。咲ちゃんからも不在着信が入ってんのに気が付いてん。」

  その言葉に驚く西山、

「えっ!?亡くなる前にお前に連絡してきたってこと?留守電とかなかったん?」

  声が響くが他に人は居ない。

「無かった。それで財布持ってすぐ名古屋向かおうおもて、家出た時に襲われた。」

  右腕の傷を擦りながら言った。

「相手誰かわからんのか?」

「顔は見えへんだ。後ろから襲われたし。それで起きたら病院やった。」

「壮絶やな。それ武勇伝になるん違う?…不謹慎か。わりぃ。」

  俺は顔に湯をかけて空気を変えた。

「ええよ。どうしようもないんは俺も知っとる。毎回暗なんの嫌やし」

 顔を湯船に沈める。一瞬音が消えた。これで落ち着ける。

「気いつけろ」

 ザバッとビックリして顔を湯船から出す。今の声、あの時の化物だったような。そこに、西山が寄ってくる。

「溺れたん?」

「いや、何でもない。サウナ行きたいかも」

 また、西田に抱えられサウナに入る。さっきの声、確実に俺にしか聞こえていなかった。

 それから掛け湯で汗を流し、また温泉に浸かる。できれば水風呂にも入りたかったが、あまりわがままも言えない。

「そろそろ出るか?」

 西田の顔が赤くなっていたことに気づいて、付き合ってくれてたんだと気づいた。すまん。

「そうしよか。悠姫」

「やめい」

 流石に着替えは自分で。無防備な俺を写真に収めようとした西田を止めるのにはかなり手こずった。車に乗り込むと西山は、窓を少し開けエンジンをつけず少し間を置いてから話し始めた。

「世の中何があるかわからんな。浅海もそうやけど、川井も大変な目にあったし。これから、どうすんの?仕事とか出来やんやろうし、生活も大変やろ?」

 真剣なトーンで俺を見て話す西山に対して、

「なんにもない。ビジョンもなんにも。でも、どうしょうもないからな。実感もないし、さしてやりたかったことなんて、無いから。」

 西山は、シートに座り直し前を見ながら、

「大切なもん、守れやんと人間駄目になるやろ。生きてるだけなんて誰だって出来るし、才能いらんのやん。目標無いと生きる意味なくす。でも、そんなんダサいやん。人の為に生きろとは言わん。なんか見つけれるとな。」

 西山はエンジンをかける。俺は何も言えなかった。西山が座席の下から袋を取り出し、

「コーヒー牛乳とフルーツ牛乳どっちがええ?体暖かいうちに飲んだら美味いで」

 車の中で乾杯する二人。実家に到着し、喪服は西山に預かってもらうことにした。喪服じゃ家族が驚くもんな。西山に塩を全身に振りかけてもらう。塩はコンビニで帰り道に買ったものだ。家の前で帰る西山の車を見送った。

「さてと」

 車椅子を玄関の前にある石の階段まで漕ぐ。車椅子が動かない様にストッパーを掛け、車椅子から階段の一段目に手の力だけで身体をおろす。手を見ると全体重を支えた手に石が食い込んだ跡が付いている。

「ふぅ~。こっからだぞ」

 一段一段上がっていく。勿論車椅子を運ぶことも忘れない。畳んで自分が座っていた一段下の場所に置いて一緒に上がっていく。五分かけて階段の一番上に着いた。

「よし、ただいま!」

 少しドアを開け中に向かって呼びかける。母が出てきて中に入れてくれた。この日は、眠ることができずベッドに座りながら携帯をいじっていた。さきちゃんと撮った写真を見返す。いつも左腕の人差し指に着けていた指輪。散歩が趣味だった俺との写真はいつもスニーカーで、咲ちゃんのファッションとスニーカーは少しあっていなかったことに気づく。

「知らないところで合わせててくれたんだな。革に見えるスニーカーとか、新しいのも買ってたよな。」

 食事の時は、いつも忘れ物が多い俺のために、荷物を横に置いてくれた。料理はいつも俺が取り分けていて、

「私取り分けるの下手だし、料理は見た目も大事だから壊したくない」

 食事が好きだった二人の写真は、レストランや買い食いの写真も多かった。でも、

「咲ちゃんの方が写真撮るのうまかったんだよな。友達少ない弊害がここに出たな」

 ディズニーが好きな咲ちゃんと、乗り物系が苦手な俺。乗っては休んでを繰り返して、思うように回れなかったときも、

「また来たらいいし、一緒に乗らないなら私も乗らずに回るから。そばにいる時が一番幸せだから。」

 写真には写っていない、映像が見えてくる。すべて違う笑顔で、こちらを向く咲ちゃんとうまく笑えていない俺。

 人生で初めての彼女は、最高の彼女だった。

 思い出とそこに居る、彼女の面影を文字に起こしいつか小説に登場させることにした。川端さんにも見せられなかったけど、必ず本にして見てもらえるようにする。少し、生きる目標を見つけれたかなと、布団に入りながら思う。

 次の日、俺はまた伊威野のばあちゃん家に戻っていた。

「あんた、これ手伝いな。働かざるもの食うべからずやわ」

 耕運機の刃をホースの水で洗う。

「これ打ち込んで」

 椎茸の菌打ち。原木に穴を開け直接打ち込むのがうちのやり方だ。地味な作業がとにかく無心にさせてくれる。懐かしくも、できる仕事の少なさに対する悲壮感は夜の小説創作にとても役立つものだった。

 田舎の夜はとても静かだ。うごめく生き物も生きるのに必死だが敵に見つからぬよう、気配は消している。小説を書いていると、何か動く気配を知る。手を止め、感覚を研ぎ澄ませると家の外の何かの位置がわかる気がする。

「気のせいか。人の気配より、明らかに多いよな。恐らく動物だろうけど」

 裏庭で、狸を捕まえて食べる何か。狸は凍り

血は落ちない。窓の外から、俺を見る何か。俺が振り向くと、窓の外には何も居ない。

 何かは、ユラユラと夜空に昇り隼がそれに突っ込む。何かは離散し消え、隼は狸を奪って飛び去った。それを屋根の上で見ながら、酒を飲む毛むくじゃらの何か。

 この世界は、知らない普通で成り立っている。知る事ができるのは、この世界から目を背けた者のみ。

 そんな事を思いながらそのまま、寝床につく。

三重県津市、某倉庫内

 天井の穴から日が入り、地面に植えられた盆栽のような小さな松の木が照らされ、それを囲む様に複数の影が並んでいる。その中に西山の姿があった。

「やっぱ、まだ気づいてないな。浅海が亡くなってかなりショックを受けていたよ。」

 押し込める様に笑う西山。

「目的は、早急に奴を消すことだ。ただ弱った人間ごときを見ることではない」

 西山の対角にいる影が言った。西山は少し目が鋭くなり、

「勿論さ、でも簡単なことじゃあない。将兵(ショウヘイ)が接触するという話もある。あの2体が揃う前に始末すればいいんだろ」

 西山が盆栽に近づき言った。天井から溢れる光に照らされるその顔は、悠に向けていた優しい顔とは全く違っている。

「纏めてやってしまえばいい。あれからもう八百年だ。宿主を変えず、人間とも解離した存在となっているだろう。鬼を出してやる。烈禍と共に襲撃しろ。吉報を待つ。」

 そういうと正面の影は地面に溶けるように消える。残ったのは、西山と烈禍と呼ばれた影と右隣の微動だにしない影。

「あんたはいいのか?俺より悠を知ってるだろう。本当はどうしたー」

 西山が横を向こうとしたとき影が動いた。袖から出た薙刀は西山の目の寸前で止まった。西山の右腕は大きな蟹の鋏になっていたが、冷や汗が滴り落ちる様子から動けなかったことが分かる。影の目が炎に照らされ蒼色が浮かび上がる。西山も目が緋色に変わっていた。

「悪かった。まぁ、任せてくれよ。あんたの尻拭いをする身にもなってくれ。」

 両腕を頭上に上げる西山。右腕は人間の腕に戻っていた。風が吹き影は砂が崩れる様に、サラサラと崩れて消える。

「くそっ。巻き込み事故もいいとこだ!烈火勝手にやって来い俺は後援に回ってやる。」

 烈火と呼ばれた影も地面に消えると、西山は松の木に向かって右腕を出し人外の速度で右腕を下げる。砂埃と衝撃が西山を中心に円形で広がり、倉庫を崩壊させる。崩れ落ちる天井の中、

「俺が最後は終わらせてやるからな悠。この世界に生きる未練は無いやろ」

 小さな松の木は西山の鋏で地面に一葉も出る事なくうずめられていた。

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