第2話 一難去って

 3日続いた事情聴取の間に左腕は驚異的に回復して、親からの連絡はあったが体の丈夫さを産んでくれた母親に感謝した。1週間後には大学のゼミにも参加できて日常生活に支障はなかった。

 駒澤大学学食にて。同じ民俗学ゼミの五人で、サークルの研究テーマを決めていた。俺の左腕はまだ瘡蓋が多くそれを隠すための包帯を軽く巻いている状態だった。

「やっぱ、出雲じゃない?色々宗家が各地にあるし」

 そう言ったのは、長身で爽やかイケメンの『小瀧宗二』。昔からずっと低身長がコンプレックスだったが、高校三年から急に身長を伸ばし、大学ではモテモテのこの男。だが、本人は恋愛に一切興味がなく神社仏閣の建築技術に魅了され、この民俗学サークルに入っている。

「それより東北の伝記についての方が深く掘り下げれるでしょ。ほら、ウチら妖怪マニアが三人いるし?」

 そう言ったのは、『辻岡紗月』。身長は女子の中では高い方で、髪の毛をシルバーにした今時のショートヘア女子だ。卓球サークルと掛け持ちしている、エネルギー溢れる元気女子。

 そんな辻岡が言った妖怪マニアとは、俺を入れた隣にいるこの二人の男女。男の方はガタイがよく短髪で水泳を十四年していたのもかかわらず、このサークルに来た暑苦しい男『來間泰征』。

 そして、同じ女性でも辻岡とは正反対の清楚系で黒髪ロング、何故このサークルに来たのか話をするまでは全く信じられ無かった女性。大学内を掛け巡ったこのニュースは駒澤大学七不思議の一つとも言われた『宮本苑香』。多分この中で一番妖怪に詳しい。彼女も卓球サークルとの兼任である。

「でも、やっぱり人に見せた時に伝わりやすい方がいいから、出雲の方がー」

 宮本の綺麗な通る声を遮り、テンポの速い來間の声、

「やりたいことでいいだろ。そうじゃなきゃやってる意味がない。ちなみに俺は沖縄の妖怪がいい。独自の文化と地域色ならあそこが一番だ。なぁ、悠」

「お前はサーフィンしたいだけやろ(笑)?確かにあそこはおもろいけど予算がだいぶきついし別の誘惑多くて集中出来んやろ」

 小瀧が纏めるようにあっけらかんと言った。

「じゃ、伊勢神宮にするか?」

 いつも話の着地点はここだ。だが、

「あれは卒論のテーマって決めたろ?それに最後の伊勢神宮に合わせに行くにも熱田と出雲は先に調べてデータ化しておいた方がいい。」

 俺の言葉に小瀧が待ってましたと目を輝かせる。

「てことは、出雲で決まりだな。ついでに熱田も入れて研究期間少し長くすりゃあ、最後伊勢神宮に絞って集中できるぞ?」

 術中にハマってしまったと気づいた俺は「あっ、」と思わず声を出してしまう。小瀧は嬉しそうに笑いをこらえる。

「決まりだね」

 辻岡も乗ってきた。

「えぇ~」と來間は、ゴンッと頭を打ちつつ机に突っ伏す。夏休みに入る八月からニ週間広島と名古屋、東京の出雲大社と熱田神宮を回る。その前に、歴史と伝記について調べ関係者を上げていき取材を申し込む流れだ。目的は決まった。

「これから、泰征と図書館行ってくるわ。苑香と紗月は今日、卓球しに行くの?」

「うん。これから行ってくる。もうすぐ大会近いし。」

 小瀧は、荷物を持って椅子から立ち上がる。

「俺はバイトだわ。今日終わり遅いから合流無理そう」

「わかった。じゃあ、あとで卓球場向かう」

 俺の言葉を聞いて皆んな席を立つ。

「はーい、おつかれ~」

 三方向に分かれる。いつもは卓球サークルを掛け持ちしている辻岡と宮本の練習相手をしていた。俺も中学、高校とやっていたことがキッカケだったが、何気にやめた今もちょくちょくやってる。やっぱり卓球が好きなんだと思う。でも、今日は予約しないと見れない図書館の伝記を來間と調べる予定があった。

 静かな図書館で伝記を読んでいると携帯がバイブする。見ると「咲ちゃん」の文字。席に座っている來間を置いて図書館を出て電話する。

「もしもし、咲ちゃん」

「もしもし、悠くん。今週の土曜日、東京に行く事になって、会えないかなって思って」

 連絡をもらえて嬉しかった。どうしても自分からのキッカケ作りは出来ない性分で。

「土曜日大丈夫だよ!東京には何日かいるの?」

「友達とディズニー行ったり横浜行くつもり。でも、土曜日だけ友達と別行動になるの。だから…」

 土曜日だけ自然とそこに引っかかって、寂しく感じたが、そんな空気は電話口で絶対出さない。そう、コミュ力って大事。

「いいよ、俺は何時でも合わせられる。大学の講義もその日はないから。」

「わかった。また時間決まったら連絡するね」

「はーい。ありがと。」

 また、一人で静かに喜びを噛みしめるガッツポーズ。図書室に戻ると、來間は本を枕に寝ていた。

 そこから、サークルの集まりで何度か4人と集まって自宅でお酒を飲んだりもしたが、なんとなく咲ちゃんと会う日のことをずっと考えていた。

 待ち合わせの土曜日。新宿駅、バスタ新宿の看板の下で咲ちゃんを待っている。今日は、髪型にかなり時間をかけた。いわゆるスパイキーショートだが、俺の場合縮毛矯正した髪をアイロンで巻いている。天パでなければ、この工程の意味がわからないだろう。

 新宿駅前は、路上ミュージシャンが毎日のようにかわるがわる立つ若者が集まるスポットだ。俺から見て右側には三人組の男。ファン○ンの曲を歌っている。結構周りに人が集まっている。左には、ギターを持った男の子。歌う準備をしている。ヤバい挟まれた。

 男の子はオリジナル曲の様だ。俺が知らないだけかもだけど。左右からタイプの違う曲が耳の中でちゃんぽん状態。でも、咲ちゃんに場所伝えちゃったし。

「もう動けん…」

 咲ちゃんからはもうすぐ着くとラインが入っていた。自分が着ている服の、情報をラインに送る。黒のシャツに水色ベースのニットベスト、チェック柄の厚手ジャケットに黒のパンツ。

 咲ちゃんからは、チェックのコートという情報のみが届く。まだ駅に到着してないであろう咲ちゃんを探し、街行くチェックのコート全てに目がいくプチパニック。すぐに疲れ音楽に集中する。左の男の子の方が声いいかも。

「お待たせっ、ゴメン!待ったよね!」

 チェックのトレンチコートにグレーのワンピース、想像より大人になっていた咲ちゃんに思わず笑みが溢れる。

「ううんっ、ぜんぜん!」

「お店どうする?東京詳しくなくて」

「俺も詳しいわけじゃないけど、お店調べてあるから行こっか」

 下調べしたイタリアンレストラン。個室があり、種類の多い料理が人気のお店だが、今日は飛び入りでも大丈夫だった。運がいい。

「久し振り。咲ちゃん」

「久しぶり、悠くん。髪の毛カッコイイね。私もアレンジしてくればよかった(笑)」

  咲ちゃんは相変わらず綺麗な黒髪で前髪の形も一緒だった。髪型を褒められたことに照れ、変わってないけど綺麗になったとよくわからない答え方をする俺を、いつものように笑う咲ちゃん。

「飲み物先に頼もっか、俺はハイボール。咲ちゃんは?」

「私。カシスチューハイ。先に飲み物だけで乾杯しよっ」

 店員さんを呼ぶ俺。

「うん。話したいこと沢山あるし」

 いつもと同じ笑顔な咲ちゃん。やっぱり一緒にいると安心するし楽だなと思う。

お酒が来るまで待てず、質問が出すぎる。

「大学出たら、やりたい事とか決まってるの?やっぱり巫女さん?何学部だっけ?」

「私は、経済学部で巫女さんが第一希望だけど、高校の教師もいいなって。悠くんは?」

「俺は民俗学。でも芸能界に興味あって、マネージャーとかなりたいなって。タレント側に立つ自信も武器も無いし」

 何故か川端さんのことが頭に浮かび、思わず言ってしまった。小説のことは、言えなかった。

「好きな芸能人とかいるんだっけ?テレビ好きなのは知ってたけど」

「あぁ、E-girlsね。もう解散したし、規模が縮小してからは気持ちが遠のいたな~。テレビが好きなの話したっけ?あっ、ありがとうございます」

 飲み物とお通しが来て、乾杯。その時、咲ちゃんは俺の腕の傷に気づく。一口ずつ口をつけてグラスを置いた。

「その手、痛いね」

 グラスを持つ俺の左手を取って、かさぶたに触れる。俺は人差し指の傷に触れながら言った。

「もう痛みはないよ。傷跡も綺麗に消えてきてるし。これより深い傷負った子もいるし。」

 事件自体は、詳しく報道されていないが俺の名前だけは出していた。俺が報道の許可を出し、事情聴取など捜査にも全面的に協力している。

 咲ちゃんはそれ以上は聞かなかった。見えていない様に振る舞うのもおかしいし、そこを聞かれても多分詳しく答えれない。というかそんな話、咲ちゃんにはしたくない。気を使わせてしまったように感じた。

 注文した料理も届き始め、話題は学生時代の話に変わった。

「悠くん、いっつもテレビの話してたよ。映画の話とかも、ジブリが好きなのは意外だった」

「小さい頃から、アニメから色んなこと教えてもらった気がするよ。ジブリなんて何千回見たか。あと、ハリーポッター。」

「ハリポタのイメージ強かったなぁ。すっごく楽しそうに話してた」

 クラスのみんなと同じ話題の話はそれなりにできていたと思う。ゲームやSNSなど知識としては入れていた。だが、自分の好きなものの話は周りと出来た試しが無かった。咲ちゃん以外は。

「話しの合うやつなんかいなかったけどね。咲ちゃんは話聞くの上手かったよね。つまんなかったかもだけど」

 この時間が凄く楽しかった。昔の話をできるのも。他の同級生が今、何をしてるのか全く知らない。成人式の後の同窓会で、顔見知りがふたり死んでいたことも知った。一年も前に。でも、名前を聞いても顔は思い出せなかった。高校の同級生なのに。

 飲み始めて、三時間。時間で見ると少ないおつまみと、代わる代わる減っては増える俺のお酒。咲ちゃんはゆっくり飲むのがいいみたい。俺もまだ酔いは来ない。

「楽しかった。また、三重に帰ったら一緒に飲みたいな」

「私も楽しかった~。次はさー」

 お酒の力だろうか、今の気持ちが俺のうちから出る言葉を選び押し出した。

「あのさ、好きな人っているの?俺って恋愛対象に入るかな?」

 俺の突然の質問に咲ちゃんは驚いていた。俺も自分に驚いて今、顔が熱くなるのを感じる。

当たり前に自信がなかった。こういう聞き方はあまりにも運任せである。でも、そんな俺を彼女は理解してくれていた。

「今は、付き合ってる人もいないよ。悠くんは私の事どう思ってる。女友達?」

 俺の目を真っ直ぐ見ながら咲ちゃんは言った。そんな顔を見せられると、勇気を、もう一度自分を熱くし奮い立たせた。

「…学校の同級生が友達なら、咲ちゃんはそれ以上だよ。恋愛したこと無いから…わかんないけど…今一番信頼してると思う。」

 ポツリポツリ、言葉が出て止まった。頭が真っ白になってから話す俺の心はドンドン小さくなる様な気がして、意識的に声のボリュームを上げて踏ん張る。

「だから、好き…です。」

 咲ちゃんは笑顔になって、優しく語りかけるように、

「嬉しい。私も悠くんのこと好き。勇気が出せない所も見栄張って弱いところを隠す所も、今も言葉を選んで考えすぎてるところも。」

 少しの間、お互いの目を見る。クリっとした黒目がキレイで思わず見る回数が増える。

「ふふっ」

 彼女がいたずらっぽく笑った。俺は急ごうとする口を一度締め、深呼吸で落ち着かせながら気持ちを伝える。

「俺と付き合ってください!……って例文みたいな言葉しか思いつかなくて申し訳ないけど…。」

 ここまで準備された状況じゃないと、一歩を踏み出せない。保険をかけるみたいな、言葉の追随はダサかった。

「こちらこそ、宜しくお願いします。……って例文みたいな言葉で返しちゃった。」

 その笑顔はかわいい照れと最上の優しさに溢れていた。二十一歳、初めて彼女ができた。お店から駅に向かうまでの道で手を繋ぐのが嬉しかった。友達にはない初めての行動。

 その後も遠距離ではあったが時々、お互い東京と三重県を行き来しては会話をして、食事をする恋愛が続いた。そんな時間が特別で、一緒に過ごせる時間と会いに行く道中に幸せを感じていた。

 三重県のデートといえば山道のドライブと大型商業施設、通称【ツミナミ】のウィンドウショッピングと映画が恒例だった。東京の方が買い物に向いているが、三重県限定も行くたび更新されていたので、飽きなかった。

「これ悠くん似合うと思うな。シンプルだけどカッコイイよ」

 咲ちゃんが選んでくれたのは、シルバーリングに、爪痕の様なカッコイイデザイン。

「さきちゃんは、ストーンが付いてたほうがいい?モモンガモチーフのリングも似合いそうだけど」

 咲ちゃんは俺が選んだ中のストーンリングを購入。木の実をモチーフにしているらしい。

その後は、青春映画を見て遅咲きの恋愛を更に楽しんだ。漫画も好きな俺は、映画の原作を本屋で買った。

「そんなに良かったんだ(笑)。映像キレイだったね。原作だと、あの屋上のシーンどうなってたんだろうね」

 そうして、一年の間一緒にいる時間はカップルにしては少なかったが、常に側にある様な感覚で遠距離恋愛は続いた。

 大学に入ってニ年のニ○ニニ年十月ニ日、家でテレビを見ていると電話が震えた。LINEで咲ちゃんからメッセージが来ている。

「今から電話していい?出られる?」

 俺はいいよと返信する。すると、すぐに携帯に着信が来た。

「もしもし、悠くん一週間後に三重に帰れない?お母さん達が会いたいって!私も会わせたいなっておもって。悠くんの誕生日一緒に祝いたいなって思ってるんだけど、どう?」

 実家は三重の松阪にある。スイミングスクールから数えても長い付き合いだったけど、まだ彼女の両親に会ったことはなかった。

「いいけど、その日俺の親とは会えないよ?咲ちゃんのご両親には挨拶したいけど、俺の誕生日って生意気じゃない?大丈夫かな」

「大丈夫!大丈夫!私よく家で悠くんのこと話してて、お母さん達もかなり悠くんのこと気になってるの!私、親に付き合っている人紹介するの初めて!ドキドキする!」

「わかった。じゃあ、十月十一日に松阪帰るから十二日、咲ちゃんの家にお邪魔するね。」

「親にはサプライズにするから、家のインターホンは押さずに近くに来たら電話して!お迎えするから」

「わかった。連絡する。」

「じゃあ、今日はもう切るね!誕生日パーティー楽しみ!」

「うん。ありがと。楽しみにしてる!」

 電話が切れてから少し考える。実感がないけど、これってすごいことじゃない?体も思考もフリーズして、部屋の姿見に映る自分に焦点を合わせるのに時間がかかる。

「…髪切るか」

 ちょっと長いかも、やれることがそれしか浮かばないので、携帯で美容院に予約を入れる。クーポンが使えた俺は、ワンルームで小さくガッツポーズをした。

 二○ニ○年十月十日、午後十九時四十六分、愛知県名古屋市にある熱田神宮の駐車場。

二人の巫女、咲乃とひかるが仕事を終え、帰路に立っていた。

「まだ暖かいね~。十月って小さい時かなり寒かったのに」

「うん。衣替えのタイミングわかんなくなったよね。私達ずっと衣装変わんないけど」

「衣装って、コスプレじゃないし(笑)」

 二人で笑いながら歩いていると、咲乃が立ち止まった。カバンの中を探っている。

「どしたの?」

 ひかるも立ち止まって振り返る。

「家の鍵忘れた!多分事務所の引き出しだと思う…私取りに戻るね!先に帰ってて」

  ひかるに体を向けたまま、咲乃は後ろ歩きを始める。

「わかった。早く帰って彼氏に連絡しなよー!あさって挨拶に来るんやったら、下手しないように話し合わせとかんとっ」

 ひかるが屈託のない笑顔で笑いながら言う。

「ウチの親そんなに厳しくないよっ、悠君も真面目だし。けどラインしとく、髪の毛セットしてきてって!」

 ガチャ、事務所のドアを開けた咲乃。電気を付ける自分のデスクの引き出しを開け、定期入れと一緒になっている家の鍵を探す。

「あれ、いつもここに入れてあるはず…」

 机の上を探そうと引き出しを閉め、顔を上げると周囲の風景が変わっていた。そこは事務所ではなく、仏像のある本堂だった。机も消えていた。

「えっ?なんで事務所にいたのに」

 あたりを見渡す、いつも掃除や参拝客の案内で見ている本堂と少し雰囲気が違う。どこが違うのか。

「仏様の首が…」

 首から上が無かった。仏様の体がある座敷からこちらに手のひらサイズの首が転がってくる。顔についた突起が床の板に当たり、グロッゴトッと低い音を鳴らしてゆっくり向かってくる。不思議と手を伸ばしてしまう咲乃。こちらに顔を向け止まり目が合った様に感じた。

 次の瞬間、

「きゃっ!!」

 木の床板がバキバキと割れて盛り上がり、咲乃は後ろに転がるように倒れる。床に転がる時、手に何か当たった。その、大きく空いた床の穴からはヌっと恐ろしい顔が現れた。

 その顔はいわゆる鬼の顔。大きな目は黒がかった紫。顔は真っ赤で口は左右の目尻近くまである。その口には工事現場のコーンの様な尖った歯が左右にニ本ずつ、石臼の様な歯が上下に所狭しと並んでいた。

 恐怖で咲乃は声が出せない。目を逸らすことができず、後ろについた手で何か無いかと探る。さっき倒れた時に手に当たったものだと気づきそれを思いっきり鬼に対して振る。

 咲乃が手に持っていたのは、綺麗な白い絹のような糸を束ねた物。ただ目の前の鬼に向けて振り抜いた時、物を切ったような手応えを感じ、咲乃は思わず手を離してしまう。音もなく滑るように落ちる糸。糸が床に落ちるのと同時に、鬼の左側の犬歯ニ本が、斜めに切れゴトリと床に落ちた。

「ああああああ~」

 身の毛もよだつ叫び声と共に、鬼が両腕を床から突き上げる。すると、鬼の顔がより一層赤くなり、近くの床板が燃え始める。

「あつっ」

 火が部屋を囲むように走りまわり、咲乃は手で顔を守り目を瞑った。その時、熱さが消え周りの音が無くなった。咲乃が恐る恐る目を開け るとそこは、際限なく広がる砂浜だった。

「ここ、どこ?」

 波のない海は生き物を感じることがなく生気はないように思えた。

水平線の方を見ると岩場があり、ポツンと蒼白い鳥居が立っていた。そして、鳥居の向こうに白い服の人影を見つけ、目を凝らす。

「…誰。」

 その人は、笑ったように見えた。目の前が煌々と輝き、また本堂の恐ろしい光景に戻る。手元にはさっき手放した糸の束が落ちている。

 鬼がこちらを見下ろし、

「巫女が欲しいぃ~食べたいぃ~」

 そう叫びながら、右腕をこちらに伸ばしてきた。

「嫌…嫌だ!」

 目を瞑り、手元の糸を強く握る。また沈黙が広がる。瞼の先にあった炎の光が消え、肌を焼くような熱さもなくなり、今度は寒気すら感じた。恐る恐る目を開くと、波のない海に咲乃は立っていた。

 振り向くと鳥居が目の前にあり、その真下には交差するように海に刺さる薙刀のような物が2本あった。

「死を選ぶか、復讐のために生きるか」

 どこからか声がする。あたりを見渡し、鳥居の上を見ると白い服の女性が座っていた。着ているものも、彼女自身も重力を感じていない様に見えた。

 咲乃は不安になり、体を強張らせる。中々、言葉が出てこない。

「恐怖で震える理由の根源はどこにある。なぜ貴方は奴に狙われている」

 女性からの質問に声を出そうとしても出ない。海に使っているからか、さっきよりも肌に感じる空気が冷えているのがわかる。自分の腕が信じられないほど冷たくなっているのを感じ、両腕をさする。

「貴方は裏切られている。信じた人に」

 女性が消え、探そうと咲乃は振り向こうとした。すると、白くて冷たいツルツルしたものが右の頬を撫でた。

 ビクッと体が反応し息を急激に吸い込んでしまい咳き込む。そのまま離れる様に左に重心が掛かり海に倒れ込む。

 驚いたことに水に触れても何も感じなかった。温度も手触りも、水は咲乃の手から逃げるように我先にと砂浜に垂れ落ちたがその感触はない。

「何なの…、怖い」

 手を右頬に持っていくと、さっきのツルツルしたものの感覚が蘇ってくる。

「石?何がー」

 そう言い振り返ると、綺麗な女性の顔が目の前にあった。ただ、その顔に生気は無かった。

「貴方は優しすぎるのね。裏切られていることにも気づけないほどに」

 そう言うと、その女性は右手で今度は咲乃の左頬に触れた。冷たく肌触りの良い手、咲乃は女性の顔から目を話せず、この女性の目が青白いことに気づいた。

「あの、ここはどこですか?さっきの…」

 咲乃の質問に女の人は表情を変えない。怖くなった咲乃は、

「私ー」

 するとその声を遮るように、

「貴方は今日死ぬのよ」

 その瞬間、炎が渦巻き目の前にはまたあの鬼の顔が現れる。咲乃の左腕を大きな手でツマミ上げる。

「痛いっ!離して!」

 咲ちゃんは右手であの糸の束を持つ。見上げると、自分と鬼を取り囲む炎の外側にあの白い女性が立っていることに気づく。

「助けて!」

 するとその綺麗な人は右腕を伸ばしたが、絶対に届かない事がわかる。こみ上げる気持ちが咲乃の口を無意識に動かした。

「逃げて!」

 助からない事を覚悟した。咲乃の目から涙が止めどなく溢れる。

「なぜ」

 深く静かな女性の声が、空間を包み込むように広がったように感じた。咲乃の体が水しぶきを上げ海に落ちる。

 気づくと、咲ちゃんはあの鳥居の前に戻ってきていた。鬼に握られていた左腕が大きな指の形に赤くなっていた。

「なぜ、貴方は逃げてと言ったの」

 まるで間違いを責めるかのように、しかし淡々と彼女は私に聞いた。

「貴方も助からないと思って…。貴方は逃げられるかもしれないと思ったから。貴方も悲しい顔してるから」

 いつのまにか私は自分の事は諦めていた。何もできない無力感が、死ぬ覚悟のできてない心に更に重くのしかかる。涙を冷たく感じるほど体は熱い。

 その時、

「貴方は生きたい?その理由は何?」

  咲乃の答えは明確だった。

「大好きな人がいるの。その人と一緒にいたいから」

 その女性は意地悪に笑った。

「貴方が死にそうな時、その人は何をしているの?貴方がいなくなってもおぼえててくれるの?」

 今悠くんは何をしてるのか知らない。声が聞きたい。咲乃は彼女の言葉で目の前が暗くなった気がした。涙が一段と溢れてくる。

「私なら貴方を救えるわ。今、貴方を救えるのは世界で私だけ」

 手を伸ばす白の女。景色は本堂に戻る。白の女は炎の外から手を伸ばしているのがわかる。届かない距離だが、右手に持っていた糸の束を白の女に向かって伸ばす様に投げる。咲乃の手から糸が伸び、端を掴んだ女と繋がる様に火を挟んで糸が掛かる。

「ありがとう」

 白の女は紐を引き、咲乃もそれを感じ引っ張る。糸に血が滲み白の女はサラサラと崩れる。咲乃は驚いて声が出ない。白い灰は咲乃を囲むように渦を巻く。咲乃の右手に砂浜で見た薙刀のようなものが灰が集まり形作られていく。自分の腕が勝手に動く。手の平と腕に感触があり、薙刀は手に馴染む様に形を変える感覚があった。後ろから右腕に手を添えられる。顔の右側に白の女の顔があった。

「貴方ならできるわ。とても相性がいいみたい」

 響くような綺麗な声とまるで少女のような笑顔。その目を見て何故か咲乃も少し笑う。鬼の顔に向かい薙刀を振り抜くと、鬼は仰け反り避けたが咲乃を掴んでいた右手が綺麗に切り落ちた。

「ああああああああああああ」

 落ちた腕が灰となって薙刀に集まる。驚くほど軽いその薙刀は、もう一本と長いあの糸で繋がっていた。

 その時、事務所の窓から

「咲何その格好!てか何してるの!?」

 咲乃が振り返ると窓の外から中を覗く人の姿が、声の主はひかるだった。

 ひかるから格好のことを言われ自分が真っ白のワンピースになっていたことに気づき驚いた。でもそんなことより、

「ひかる!危ないから逃げて!化け物がー」

 ひかるの顔が変わり、

「鬼やられてんじゃん。意味わかんないんだけど、なんで?」

 咲乃の顔が強張る。ひかるは鬼の存在に驚かず知っている口ぶりだった。いつもと違う雰囲気を感じ取った。

 そのままひかるが続けた、

「あんたが住職とか観光客にチヤホヤされてんの見てらんなくて、顔に傷でもつけばどっかで自殺でもしてくれんじゃないかと期待してたのに、中々炎上がんないから来てみたらこのザマって」

 衝撃的な言葉に、状況が読み込めない。そのとき、鬼が左腕を横ぶりし、私は本堂の壁に飛ばされぶつかる。壁の木の板は割れ衝撃で建物が揺れ、天井からは砂埃が落ちる。今の衝撃で手から薙刀が離れた。どこから流れてきたのか腕を伝って手のひらに血が溜まる。

「そのまま殺しちゃいなよ!どうせ私見られてるから、このまま死んでくれなきゃ私が終わる!何のために私が鬼と盃を割ったのかわかんないから」

 そう言って笑うひかるは、もう私の知ってるひかるじゃ無かった。大学で出会って一緒に巫女になるために勉強した3年間が走馬灯のように蘇る。込み上げてくる怒りとなんとも言えない虚しさ。血溜まりの手で薙刀を掴む。

 また、周りの風景が砂浜になり、目の前に現れた白い女。

「あの子は貴方を裏切った。自分の盃を割って鬼と契りを交わしている。必ずここで貴方を殺すつもり。今、貴方が私と盃を交わせば鬼を殺せて、貴方は助かる。でも、このまま何もしなければ貴方はもう誰にも会えずにこの世から消えることになる」

 家族や悠君の事が浮かんできた。

「嫌だ…」

 静かに、そして諭すように話す白の女。選択肢を失った私の答えは決まっていた。理不尽に仕返しすることは何故罪と同義なのだろう。私が死んだ後はこの子は何も感じることなく日々を生きていくのか。咲乃は吐き気がした。

「でも盃って…どうやってあんな化け物殺すことが出来るの」

「盃なら貴方の手の中にあるわ。」

 右手にはいつの間にか、瑠璃色の盃が握られていた。

「珍しい色ね。普通は赤黒いのに、やっぱり貴方は特別ね。」

 盃の底から透明な水が溢れてくる。香りは甘い。

「それを飲めば、私と縁が結ばれる」

「縁…。そうするとどうなるの」

 盃から顔をあげ女の人の顔を見ると笑顔で泣いている。

「私は貴方を裏切らない。一番の味方になる。貴方の中でずっと一緒にいられるから」

「私の中で?」

「迷うことがある?ここで死ぬ気はないんでしょ」

 彼女の涙の根源がどこにあるのかは定かでは無かった。今、生きるためにはここでこの液体を飲むしかない。

 咲乃は、目を瞑り盃に口を付け傾ける。とろりと入ってきた液体は口の中で消えるように無くなった。身体が浮いたように軽くなる。息を吐き目を開けると、また目の前には鬼の姿が。  

 しかし、何故かさっきまでの恐怖を感じなかった。身体の中から熱さが無くなっていくのがわかる。口を大きく開け、倒れ込むように向かってくる鬼。

 その鬼を飛び越えるように上に向かって飛んだ咲乃は、まるで浮いているかのように自由に空中で態勢を変えた。腹を捩ってまるで棒高跳びをするように鬼の顔を躱し、左手の薙刀を鬼の右目に突き刺す。

「がああああああ」

 飛び上がった勢いのまま、右手の薙刀を脇に締め横に振り抜く。鬼の右側の尖った二本の歯がゴトリと重さを響かせながら落ちる。咲乃は左の薙刀を鬼の目から引き抜く勢いのまま、すでに血飛沫の範囲外に降り立っていた。

「おのれええええ、巫女めえええええ」

 そう言うと鬼が自分が出てきた穴に顔から沈み込み地響きが起こる。窓の外ではひかるが目と口を開け、衝撃を受けた顔をしていた。ひかるに向かって振り向く咲乃とその動きに合わせ綺麗に広がるワンピースの裾。ピュッと右の薙刀の切先を向けた。

「なんでよ!気持ち悪い!なんで死なないのよ!」

 窓の格子を叩きながらそう吐き叫ぶと、ひかるは逃げた。咲乃はゆっくり右足を前に出し、次に左。三歩ほど進んでから走り出す。急速な加速に咲乃は自分でも驚いた。さっきから自分の体じゃないみたいに軽い。

 そして、ひかるが覗いていた冊子付きの窓に向かって飛び込む。ぶつかると思い咲乃は目を閉じる。

「大丈夫」

 白い女の声が聞こえた。ぶつかる瞬間、咲乃の体は爆ぜ、細かい白い粒子となって窓の冊子をすり抜けていく。そして外で粒子が集結し顔が、次に身体が構築されていく。足が出来ると咲乃は走りはじめる。徐々にひかるとの距離が短くなる。

「はぁはぁ…、来ないで…」

 泣きながら怯えて逃げるひかるに、咲乃は苛立ちを覚えた。ずるいと思った。何であんたがそんな顔ができるの。被害者面できるの。

「なんで!」

 思わず出た咲乃の本音が右手に持つ薙刀に力としてこもる。走る勢いのまま右の突きでひかるの腹を貫いた。ひかるは膝から崩れ落ちる。 

 だが、咲乃はそれを許さずひかるが前に倒れ込む前に薙刀を繋いでいた糸の束で輪を作りひかるの首に回し、ひかるの体を重力に逆らうように反らせ固定させた。既に咲乃の意識は遠く、口が勝手に動いていた。

「ただでは殺さない」

 頭の中で白い女の声と重なった私の声。ひかるは絶望した様に一点を見つめ焦点の合わない目から涙を零す。そんなひかるを事務所まで引きずる白い女。

 しばらくして、神社の事務所の屋根から炎柱が溢れ出し、町を激しく照らした。

近隣住民が窓の外の明るさに気づき神社を見る。道に出てくる人たちや窓を開け写真を撮る人たちが町を起こした。

 住人は、警察と消防に連絡を入れたり、現場の近くに向かうものなど右往左往している。ただ、熱田神宮が煌々と輝いている様にも、窓から見る子供達には見えたのかもしれない。


ニ○ニニ年十月十二日午前5時24分、東京世田谷区某所。

 大学の友人と朝まで話し込んでいた俺は少し目を瞑っていたつもりだったが、かなり眠っていたようで、友人も皆眠っていた。

 携帯を見ると、咲ちゃんから不在着信。SNSの通知に熱田神宮がトレンド入りしていた。

「あれ?熱田って、咲ちゃんの働いてる神社…。」

 親指で熱田神宮のハッシュタグを押す。すると熱田神宮が燃え上がる動画が流れる。

「なんだこれ…」

 ニュースの本文を見ると、爆発?が起こった時間は二十ニ時頃だったと言う。咲ちゃんからの不在着信は二十一時五十五分に来ていた。

 全身の毛が逆立ち、筋肉が強張るのがわかる。慌てて財布と携帯を握り外に出る。空は暗く外を出歩く人の気配はない。ドアにキーケースからぶら下がった鍵を刺す。

 その 刹那、鍵を刺した右腕に暗闇から飛んできた黒い矢が突き刺さる。

「…!!」

 腕を押さえ、手すりにもたれかかる。その時、後ろの手すりの上に気配を感じた。振り返ろうとした瞬間、腰の後ろに焼けるような痛みを覚え、ドアに押さえつけられように倒れる。刃物が俺の背中に突き刺さり俺の腹を突き抜けドアをも貫通した。

「!………」

 ドアから刃物が抜かれる。その勢いに体が手すりに持っていかれ頭をぶつける。ブラックアウトしていく過程で、手すりの上にこちらを見下ろし立っている人影を見た。顔が見えない。

月明かりにまるで真っ白な絹の様に滑らかに空を泳ぐ髪が最後の記憶だった。

 午前五時三十分、悠と同じゼミの片岡沙月が目を覚ました。部屋に悠はおらず、同じサークルの四人が寝ていた。近くに置いてあった自分のスマホで皆の寝顔を撮る。クスッと笑うとふと、玄関の方に光の筋が見える。ドアの穴から朝日が入り光っていた。

「あんな穴あったっけ?」

 立ち上がり玄関に近づく。穴は思っていたより大きく、光を遮っているものがドア前にあるんだと気づく。

「悠外で何かしてるのかな?」

「悠、おはー」

 ドアが重く、開けようとすると途中で何かに当たり開けられない。

「悠どいてくれないと出れないよ~」

 ドアの隙間から外に真っ赤な液体が溜まっているのに気がつく。

「悠…」

 ドアの空いた隙間から外に出ると、血溜まりの上に座る悠の姿を見つける。

 沙月の悲鳴で飛び起きた部屋の中の三人は玄関の方に向かう。少し空いたドアから座り込む沙月を見つける。泣きながら声の出せない沙月が、悠の方を指差して状況をなんとか伝えようとする。

「沙月どうした!?」

 外に出ると、ドアが当たり悠の身体は手すりからズレるように倒れる。

「悠!?なんでこんな、救急車!」

 悠から流れた血は一階にまで滴っていた。

 

~世田谷 病院ICU~

「咲ちゃん…」

 目が動く。だが、瞼が重くなかなか開かない。

「悠くん」

 顔の横で声がした。でも、咲ちゃんの声では無かった。

「悠くん!」

 瞼に隙間ができたのだろうか、徐々に目に光が入ってくる。風景にピントが合い、横にいたのが宮本苑香だったことが分かった。

「悠くん起きた!先生!早く来てください!」

 医師の橘が急いで病室に入ってくる。

「とても危険な状態でした。生きていることが奇跡なくらい。お友達が君に気づくのがあと5分遅ければ、君はもう二度と目覚めることはなかったよ。」

 先生の言葉を聞き、を見る。泣き笑いの笑顔を見せる宮本は、一日俺についていてくれた様だ。

「ありがとう、でも、行かなきゃいけないところがー」

「君の体は動かせないんだ。これから大切な話があるんだけど、友達にも聞いてもらう?」

 俺が宮本を見る。少しの沈黙を破ったのは、宮本だった。

「私、みんなに連絡してくる。ご両親にも連絡しないと。悠の携帯貸してくれる?私の充電切れちゃった」

 俺の携帯を受け取ると、宮本は病室を静かに出て行った。

「川井さん。これから大変になりますけど頑張りましょうね。お友達も支えてくれるはずです。毎日交代で泊まり込んでいたんですから。詳しくはご家族にもお伝えしないといけませんが、川井さんは今日の朝の出来事やなぜ病院に運ばれたのかおぼえていますか?」

「よくわからないんです。家を出ようとしたら、誰かが手すりの上に立っていて。右腕を弓矢で射たれて、背中に急に痛みが」

  医者は、怪訝な顔をするも優しく会話を続けた。

「弓矢ですか。背中の傷は何か長い刃物のようなもので刺されていました。その背中の傷が背骨近くの神経を傷つけたため今、あなたの両足は動かせない状態になっています。」

「それって…」

 医者は、俺の目を見ながら

「はい。下半身付随です。」

 病室の前で宮本が声を殺し、泣きながら座り込む。俺は、自分の足を見つめる。力を入れようにもどうすればいいのかわからない。でもそれよりも大事なことがあった。

「テレビつけてもらってもいいですか?ニュース見たくて」

 携帯を宮本に渡したことを思い出し、ベッド横の棚に置いてあるリモコンを先生にとってもらう。

「川井さんの事件はまだ警察が発表していません。ニュースにはまだー」

「そうじゃないんです。俺が知りたいのは熱田神宮の火事です。」

 テレビでワイドショーが、事務所が全焼した熱田神宮の話題を取り上げていた。二名の巫女が連絡が取れなくなっっているとのことだった。そしてアナウンサーが巫女の名前を読み上げる。

「巫女の浅海咲乃さんと小室ひかるさんがー」

 悠の呼吸が荒くなり布団を掴む。息を吸おうにも力んで苦しくなっていくのがわかる。

「川井さん大丈夫ですか?落ち着いて、体の力抜いてください!大丈夫ですよ!平野さん鎮静剤お願い。点滴も用意」

「はい」

 勢いよく宮本が入ってくる。

「どうしたの?!悠!」

 そこで俺の意識はなくなった。

 俺が起きたのは、それから二日後のことだった。起きると母がベット横にいて、手を握っていた。

「お母さん、ごめん。心配かけて。」

 母は泣きながら抱きしめてくれた。抱き返す力がない。目が開きづらい。涙も枯れている様だ。病室のドアが開き宮本と來間、片岡の三人がいた。

「やっとお目覚めだな悠姫。一回起きたのにまた寝やがって。俺たちいつ起きるかわからねぇから、ずっと病院にいるしか無かったんだぞ。あ、宗二は今便所だ」

「もういるよ。話始まって入るタイミング見失ってただけ」

 ハンカチで髪を拭きながら、小瀧が病室に入ってくる。

「寝癖直してた」

 髪の濡れ方とハンカチの小ささのバランスで病室が笑いに包まれる。自分もつられて顔が綻ぶ。

「本当によかった。警察がお前を襲った奴を調べてくれてる。すぐ捕まるさ。」

 來間は奴と言ったが、犯人は2人だ。横方向から矢を射った奴と、手すりの上に乗ったもう1人。しかもあれは女性だった気がする。でも、みんなを巻き込むわけにはいかない。相手は明らかに俺を狙ってた。

「早く捕まえて欲しいわ。でも、俺は相手の顔見れてへんし、捜査の役に立てるかわからんけど」

 母は空気を読んだのか先生と話してくると言って病室をでた。自分の性格は母を見て育ったからだと感じた。

「冷静なんですね。死の淵を彷徨ったのに。」

 そう言って病室のドアを開け、スーツの男性が2人入ってきた。この顔は見たことがあった。

 川端さんの事件を担当している沖刑事と、工藤刑事だ。よく見ると全く正反対のタイプの人間の様に思う。ドラマと同じでコンビってそういうものなんだなとか考えていると、

「少しお話し宜しいですか?出来ればお友達抜きで。犯人逮捕にご協力ください」

  沖が來間達を横目で見ながら言った。

「俺たちがいちゃ駄目何でしょうか?」

  小瀧が感情を込め、しかし丁寧に言う。

「出来れば」

 足りなすぎる言葉で工藤が言い放ち、小瀧と工藤が向き合う。小瀧の方が頭一つ分高いが工藤は表情を変えない。沖も何も言わず、ため息をつく。

「第一発見者の話と確認しながらの方が、状況わかりやすいんじゃないですか?」

 俺が言うと小瀧は少し歯を見せ、工藤を更に圧迫する。工藤は表情を変えないまま、わかりましたと医者を沖に呼びに行かせた。

「あなたを治療した花見先生が、凶器は刃渡り五十センチ以上の刃物で背中を一箇所、腕の傷は弓矢だったとお聞きしました。間違いありませんか?」

 沖が淡々と手帳を見ながら話し、工藤は俺たちの顔を見ている。

「右手に刺さったのは、確かに黒い弓矢でした。ただ、背中を刺された時は相手の顔を見ていません。振り向くこともできませんでした。そのままドアに押さえつけられる様に倒れて、みんなが見つけてくれた時も俺はドアを押す様に寄りかかってたそうです。」

 話を聞きながら、來間達は押し黙ってしまい空気が重くなった。

「現場に凶器はありませんでした。背中の傷には引き抜いた痕跡がありましたが、腕の傷にはありませんでした。何か覚えていることは?」

 あくまで沖は感情を殺し、淡々と質問を続けた。

「短い間にあなたの身に不幸が起きています。心当たりは?」

 川端さんの事件がフラッシュバックして気を張っていないと、消えてしまいそうになる。理不尽ばかりだ。これから先も、この足でもう歩けないなんて。

「心当たりなんて無いです…。人のために生きる様な立派な人生では無いですけど、こんなことされる覚えはない!もう…歩けないんだ。走れないんじゃ無い、歩けないんだよ!生きているのは奇跡で、死んでいてもおかしく無い!でも、犯人はどっかで普通に暮らしてる!なんで俺なんだよ…」

 自分の手を見つめながら、誰にぶつけるでもなく本音を吐露した俺を見て、ベットの隣で宮本と片岡の泣く声が聞こえる。顔は見れなかった。

「あなたじゃなくて、他の人が襲われればよかったですか?」

 工藤の言葉に俺は顔をあげ周りを見た。逆撫でするような、何か考えがあるのか。沖も驚いた顔で工藤を見ている。

「そんなつもりはー」

「悠はそんな人間じゃない!よくそんなことが言えたな!」

 來間が工藤の胸ぐらを掴む。小瀧が止めようとするが、來間は掴んだ手を離さない。

「傷つけてしまい申し訳ない。この事件、更には先日の川端さんの事件含め、悠さんと面識のある人間の犯行だと我々は見ています。」

 工藤が病室にいる全員を見て言った。俺だけじゃなく、友達にも疑いの目を向けていることに気付き、否応も無く怒りを覚えた。

「俺の周りにそんな奴はいない。気持ちのない謝罪も、的はずれな捜査も要らない。俺が外に出た時、みんな部屋の中で眠ってた。これは間違いない。」

 思わず強い口調で言ってしまったけど、この人たちはそれが仕事なのだろう。

「皆さんの気持ちもお察ししますが、そういう仕事ですので。皆さんにも積極的な捜査協力お願いいたします。じゃないと皆さんの容疑がー」

 工藤が屈んで俺の顔の前でそう言った。來間が掴みかかる勢いだったが、小瀧と沖が止める。

「みんなはやっぱり出てていいよ。俺と刑事さん達で話するから」

 工藤を見ながら言った。話せることは話そう。

 しかし、その言葉に皆驚く。

「私たちも力になるよ!悠の身体こんなふうにした奴許せるわけない!あの場に私たちもいた!悠だけの問題じゃー」

 宮本の言葉を遮って、

「巻き込みたくないんだ!刑事さんが言った様に犯人は俺を狙った。あの部屋で他に誰かいるなんて知らなかったはずだ!でも俺が生きてることを知れば、また襲ってくる。そうすれば、みんなの存在に必ず気づく…。」

 その言葉に、小瀧が反応する。俺の考えていることが分かったらしい。

「そんなのじき気づくさ!悠を一人にはできないし、こうやって一緒にいるのをどっかで見てるかもしれない!そしたら俺らを遠ざけても意味がないだろ!」

 全く正論だ。でも、これ以上周りの人間の涙なんか見たくない。正論なんかで、救えるものはない。

「実家に帰る…。大学は休学か退学して離れる。」

 俺の言葉に覚悟を感じたのだろうか、來間は唇を噛み、小瀧は怒りで震えている。俺が頑固なのは來間達もよく知ってる。

「我々にも捜査できる範囲があります。あまり大きく場所を変えられては、捜査のー」

 沖の言葉に俺は失笑する。

「俺を狙ってくるなら、犯人は俺の跡をついてくるだろ。それに、東京にいることは分かっていて、殺し損ねたと分かれば東京にまだ留まっているはず、警察が東京の中で小ちゃな捜査するより囮を使った方が犯人の動きを予測できるじゃないですか?」

 興奮している。絶対に俺が折れちゃいけない。みんなを守りたい!

「一般人を囮には使えません。それにあなたのその体では、自衛もできない」

 工藤の言葉を無視して、俺は皆んなに笑顔で笑いかけ、

「さあ、皆んなは帰って。付き合わせてごめん。助けてくれてありがとう、命の恩人だよ。みんな」

 宮本と沙月は泣きながら、小瀧はニ人の肩を抱いて部屋を出る。來間は、

「困ったことあったらなんでも言えよ。グループに送ってこい。ていうか絶対連絡しろ!すぐ会いにくるから!」

「わかった。ありがとう」

 來間は刑事二人を睨みながら病室を出た。

「もう一度、状況を一から宜しいですか?」

 工藤と沖は当時の状況と犯人の心当たり、俺の交友関係など時間をかけて整理しながら聞いた。思っていた取り調べとは違い、共同作業の様な時間だった。

 夜二十三時三十六分、夜道を歩く沖と工藤の背後に人影。沖は家にいる若く結婚した同級生の奥さんと電話で晩御飯の話をしている。

「今日はこのまま帰れそうだから、一緒にご飯食べれるかも。あとさー」

 じっと沖を見ている影が、塀の上に上がる。ゆっくり塀の上を歩く。工藤が電話の話を聞いて、沖の肩を叩き別れる。沖は頭を下げて電話を続けた。

「子供のことは、家帰ってからゆっくり話そう。すぐ帰るから!明日は有給貰ってさ…」

 沖の帰る前の電話は日課で、無事と家まであと三十分を知らせる夫婦のルールだった。電話を切る沖だったが、街頭に別の影が映っている事に気付き後ろを振り返る。特に何もいない。

「猫か…。」

 前を向くと目の前に居た。崩れる様に倒れる沖。目の前に立つ影は、塀に沖を立て掛け、沖の胸ポケットから取り出した財布を沖に持たせ立ち去っていった。

 暗い路上、若者数人が笑いながら夜道を歩いていると、1人が電柱の影に人が座っているのを見つける。

「酔っ払いじゃね。寝てんだったら財布から金抜き取ろうぜ!」

「やばいでしょ!警察に見つかったら終わりだから!(笑)

 座ってる男の顔は下に向いており顔は見えない。財布があることに気づく。

「ラッキー!取ってくださいって言ってんじゃん。」

 若い男が財布の中のカードと札を抜き取る。

「めちゃめちゃ持ってんじゃん!サイコーおっさん」

 そう言って、動かない男に馴れ馴れしく小突く。男が倒れる。

「ちょっと、起きちゃうじゃん」

 そう言った女が沖の体をを見て悲鳴をあげる。

「おい!バカ!声出すんじゃねえよマジで起きる!」

 女の口を押さえた男も倒れた沖の姿を見て腰を抜かす。

「お、おい!逃げるぞ!」

 逃げる若者達に取り残された沖の見開いた目には何も映っていなかった。

 パトカーのサイレンが夜の住宅街を照らしている。野次馬が集まり携帯をブルーシートに向けていた。

 現場に着いた工藤は、横たわった人型のものを覆ったブルーシートを見る。ゆっくりと自分の手で、ブルーシートを退ける。

 目を開き座り込んだ状態のまま体を固くした沖の亡骸がそこにはあった。

「沖…。何があった…」

「すいません!通してください!工藤さん!」

 工藤がブルーシートをサッと戻し声のする方を見ると、警察の規制線の外から息を切らして、こちらを見る沖の妻の姿が。見ると靴は履いておらず、ストッキングのままだ。

 規制線の前で奥さんを止めている警官に、工藤は中に通す様に促す。奥さんは工藤に駆け寄ると、工藤の両腕のスーツを掴み、

「あの、うちの夫は!電話ですぐ帰るって言って来ないんです!家の近くでサイレンが聞こえて、それでー」

 工藤の後ろにブルーシートがあり、さっき工藤が遺体を確認して戻した時に覆いきれていなかったはみ出た手の指に見覚えのある結婚指輪。

「そんな…。和也さん!」

「奥さん!今は、沖の為にも証拠を消してはいけません。すいません。必ず犯人を捕まえて償わせます。」

 泣き崩れる沖の妻の肩を抱き、支える。工藤はその肩越しに、野次馬の最前列でこっちを見る一人が目に入る。一切目をそらさず、手には黒い傘と、見覚えのある沖のメモ帳を握っていた。背は低くメガネとマスクを着けた男性。工藤が立ち上がると、その人物は傘の留め金を外し踵を返して野次馬の波に飲まれる様に立ち去ろうとしている。

 雨が降り出した。野次馬たちも傘を差し始め、見えていた男性を見失う。

 工藤は、

「おい!ちょっと待て!そこの黒い傘を持った奴止めろ!」

 そう叫びながら走り出す。規制線の前に立っていた制服警官が周りの野次馬を見るが、工藤が誰のことを言っているのかわからない。そのまま謎の人物は傘の海に消えた。

「くそ!道開けろ!」

 制服警官に指示を出しながら人垣をかき分けて男を追う工藤。野次馬を抜けると男が道の突き当たりを曲がるのを見かけ走る。あの先は確か行き止まりのはず。

 工藤は男を追って、曲がり角を曲がる。しかしそこには石の塀と地蔵が立っているだけだった。

「…はぁ…塀を乗り越えたか」

 工藤は追ってきた警官に急いで指紋を調べる様に指示を出す。

 一連を工藤の右手、住宅の屋根にガニ股で座る影が見ていた。【倉野快斗】がにやけながら座っている。

 雨は手掛かりを全てを洗い流すかの様に、三日三晩無情にも降り続いた。

 四日後の朝、意外にも早く悠は病院を退院した。友人達にはLINEで伝え、大学の教授にも事情を説明し自主退学という形になった。アパートの荷物は警察に保管してもらっていたので、実家に送ってもらえることになった。昨日から東京に来ていた父親と弟も合流し家族四人で新幹線に乗って帰る。久々の再会がこんな形なのは申し訳なかった。しかし、

「来年成人だから、なんか記念になるもの買ってね!」

 相変わらず弟は五月蝿かった。弟の【川井都志希】は俺とは正反対の性格だった。今も無駄に大きく周りに聴こえる大きさで、母親に当然という様に言った。

「ハイハイ」

 母ももう慣れたものだ。軽くあしらう。それが弟は気に食わない。俺を見て、そんな顔をする。

「悠はいいよな~、長男でこの怪我でってまたいつも以上に好きな事やれるもんなぁ~。俺はいっつも蚊帳の外」

 都志希は、兄の俺をいつも名前で呼び捨てにしていた。そしていつも俺を色眼鏡で見ていた。兄弟で比べられるのを嫌う人はいるが、都志希は自分で比べて勝手に嫉妬する人間だった。年齢は二歳違うが身体は俺より大きかった。だからこそ、俺との扱いの差は絶対に許さないと思っていたんだと思う。

「なんであんたはそうなの?悠のことを考えて言ってる?あんたは想像力がいつも足りない。自分のことばっかり…」

 母は都志希に嫌悪感を露わにした。小学校の頃から都志希はこうだった。俺も同じ環境で育ったはずなのになぜこんなにも考え方が違うのか理解できなかった。何度も話した記憶はあるがやはり変わらなかった。理解のできない人間との生活は、かなりエネルギーを使う。家族は呆れることでエネルギーを使うことをやめた。

 不貞腐れる様に、携帯に目を落とす都志希。新幹線の窓には強い雨が打ちつけていた。トンネルに入った瞬間自分の顔に全く別人の顔が映った。驚いて仰反ってしまう。両親は俺がバランスを崩したと思ったのだろう。大丈夫?と声をかける。弟はケッと嫌な顔をする。

 なんだったんだろう。もう一度窓を見ても、そこにはいつもの自分の顔が映るだけだった。

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