三重の織り姫

@tokiura

第1話 理不尽

 平安時代初期、三重県伊勢国にある天照大神を祀る伊勢神宮。

 ここに、一人の兜を脱いだ鎧武者を囲む様に、薙刀を持った僧兵たちがお社の中に集まっていた。

「ここを死に場所と覚悟し、奴から死守せよ!」

「は!」

 小僧が入ってくると同時に屋根が崩れ、鎧武者は転げながら間一髪躱す。

崩れた屋根には鳥居の脚と思われる赤い木片が刺さっていた。

 その場にいる全員が差し込む月明かりを見上げ、共通の敵の位置を悟り、そこかしこの腕で血管が浮き上がる。月を背に巨大な黒い影が人々の目の中に落ちる。

 

 人とナニかの闘いの壮絶さは環境が物語っていた。建立から五百年程の美しい伊勢神宮外宮・内宮は見る影も無くなり、足の折れた鳥居が地面に傾いて刺さっている。それ以外に物はなく、人も物の怪も消え去った更地に、肩で息をして満身創痍の侍とそれに対峙する人とは思えぬナニかの巨体だけがあった。

 侍は、折れた刀を捨て背中の黒布から柄のない刀を抜き出した。雰囲気が変わり、全身の力が抜けたように無防備に立ち、まっすぐナニかの巨体を見つめる。


 ナニかは侍との距離を目で測り腕で地面を叩く。侍は軽々と体勢を崩され、そこを狙って両腕をニ丈(六メートル程)に伸ばす。

 侍はナニかの伸びる両腕を地面に這いつくばるようにしゃがんで躱し、同時に刀を地面に突き立て手を合わせ叫ぶ、

「呼応、那由天!廻度命刻!悠久の皇よ」

 『悠久の皇』と呼ばれた巨体は、空に右足を伸ばして男に向かって振り下ろす。

 侍は、頭上から降り迫る足を最小の動きで避けながら、地面から抜いた刀で足をまるで豆腐のように切り落とす。

 悠久の皇は笑みを浮かべ左足を侍の丹田に向かって伸ばす。刀で受けながら凄まじい勢いで後ろに押される侍。

 その時、足の勢いが突如止まり悠久の皇が引っ張られる。侍の持つ刀が悠久の皇を刃紋に吸収していた。

「ウオオオオオオオオ」

 凄まじい叫び声を辺りに轟かせる悠久の皇。

互いを引き合うニつの影は、

遂に全て刀に収まった。

「永劫の友よ、今逝く」

 侍は、巨体を吸い込んだ刀で腹を切り間髪入れず自らの首を切り落した。生き物がいない静寂が辺りを一層、暗く落とし込み、月のみが輝いていた。


現代

東京都世田谷区、某アパート。


 朝の六時十二分。布団から起き上がる男。キッチンが廊下と一体になっている東京でよくあるワンルーム。ローテーブルと服をかけたラックは部屋とのサイズ感が合っておらず狭く感じさせる。前の住人のお下がりだからしょうがない。

 テレビをつけ、深夜に放送された番組を垂れ流す。うがいとトイレを済ませ、水道水を一杯。髪の毛は寝癖でおかしな方向を向いているが、気にしない。もし、他人が見れば最も気になるのは、裸で一連の行動をしているという所だろう。彼はいわゆる裸族だ。


『川井悠』


 俺は、三重県から上京し東京にいる二十歳。世田谷区にある駒沢大学の経済学部二年。サークルには入っていない。高校までやっていたスポーツは卓球も水泳も辞めた。大学から新しいことを始める気にもなれなかった。

 名前は川井悠。下の名前は「はるか」と読む。彼女はいないというか、いたことがない。いらないと言ってきたし、周りの恋愛を見てると友達の延長線ばかりで必要性が見えなかった。

 ただ、好きな子がいなかったわけではない。話しているだけで楽しく、見てるだけで笑顔になった。それでよかったから。

 趣味はどうだろう。実は中学から小説を書いている。物心ついた頃から妖怪や不思議なものが大好きで、『水木しげる』の【ゲゲゲの鬼太郎】やスタジオジブリの『宮崎駿』作品、海外では『J.Kローリング』の【ハリーポッター】が大好きだった。

 フィクションを描く人間は、普段から見えている世界が違うのだと思っていた。それは目が特別なのではなく、現実と空想を重ねる創造力(脳)が他の人よりも発達しているのだと、そう信じていた。

 そして、自分もそんな創造力が欲しかった。脳に思い込ませる様に毎日二つの世界を重ねる練習みたいなこともした。考えるのは自由だし大好きだった。

 不思議な体験をしたこともある。小学ニ年生の頃だ。放課後、理不尽なことで先生に怒られ泣いた。もう先生の名前と顔は思い出せないが、その後のことは今でも鮮明に覚えていた。

 泣きながら学校の敷地内にある学童保育に戻るとき、渡り廊下を通って夕焼けの光が運動場に向かって差し込んでいた。その真ん中に立っている小さな女の子に気づく。いつから居たのだろう、彼女に影が無かったことには特に違和感は感じなかった。人間ではないことが何となくわかったし納得したからだろう。なんでと聞かれてもそれは全くわからない。ただその女の子を見ていると涙が止まり元気が出た。

 女の子は笑顔で運動場を駆け回り、何故か俺は嬉しくなって女の子を追いかけた。

あと少しで手が届くという所で、女の子はその場にしゃがんで、幅跳びのように大きくジャンプしてから空中に消えた。

 そして、何もない運動場に俺だけが残った。このことは誰にも話さなかったが、あれが不思議を信じるきっかけだった様に思う。

 部屋でテレビを見ていると、携帯が鳴った。テレビを止め電話に出ると、

「もしもし、悠くん久しぶり。さきだよー。今大学の授業終わったんだけど、この間ー」

 電話の相手は『浅海咲乃』。俺が唯一東京の大学に行っている事を伝えていた友達。今でも繋がりがある地元の人間は咲ちゃんだけだった。学校は違ったが、スイミングスクールで一緒だった彼女は、これまで知り合った女性の中で最も気兼ねなく話すことのできるとても良い関係性だった。

 彼女は今、三重県にある皇學館大学に通っている。伊勢神宮にほど近く、多くの巫女を輩出している大学だった。

「聞いてるー?だから成人式の日会えないかなと思って」

 頭の中で説明をしてて、最初と最後しか聞いていなかった。これは失敬。

「あっ、いいよ!全然いい、嬉しい!」

「じゃあ、成人式終わったら連絡して。ていうか一緒に写真撮るでしょ?その時色々話そ!」

「わかった。じゃあ成人式で。晴れ着楽しみにしてる(笑)俺は地味なスーツで行くから」

「悠くんのスーツ初めて見る!学校のジャージか私服だったから、新鮮!写真沢山撮らなきゃだねっ!」

「沢山はいいよ。絶対期待はずれだから(笑)じゃあまたね」

「うん。成人式で!」

 携帯を切ってから、一瞬動きが止まる。ゆっくり鏡を見ると笑顔が絶妙に微妙な自分がいる。単純に喜べる状況ではない。

「顔…はどうしようも…髪の毛、どうしよ…。美容院か」

 寝癖の髪を手で解く。何度やってもピョンピョン跳ねる。成人式はニ週間後だ。部屋には美容院の予約のタイミングに悩む悠が残った。


ニ○ニ○年一月十一日、三重県松阪市民センターにて、


 朝の七時三十分。まばらだが、スーツなど正装を身にまとった男女が少し緊張の面持ちで集まり始めていた。

「ちょっと着くの早かったかな」

 そう言い笑うのは、小学校から高校まで一緒だった同級生の『加藤景也』。

「ええやん、少し喋る時間あっても」

 今日は加藤の運転で会場に来ていた。ニ日前、LINEで久々に連絡が来た。

「川井、成人式一緒に行かへん?車で迎えに行くからさ、一緒に行こや!」

 LINEなんて全くと言っていいほどしてこなかった同級生からの提案に少し驚きつつも、了解と返事をした。

 その日、日本の成人を迎える若者にとって何となく参加するべき催事のようなこの式に、自分も当然の様に参加することになった。会場前では、それぞれ同じ高校だったものや知り合いが集まり、昔の話をしたり一緒に写真を撮り始める。着物姿やヘアアレンジ、メイクなどいつも絶対にすることがない気合の入り方だから、みんな新鮮なのだろう。

 時間が経つにつれ会場前に多くの新成人たちが集まっている。会場の扉が開き、見るからにスタッフの服装をした女性が、地声で入り口周辺の人波に会場を伝える。

「それではみなさん会場内へどうぞ!」

 ゆっくりとみんなの足が会場入り口に向き始めた。まだ外で気にせず喋っているものもいる。急ぐことはない。

「入るか?」

 加藤に言われ、座れるならまぁと少し間をおいて会場に入る。誰かが押す様なこともなく新成人達はスムーズに施設内に入っていく。入ってすぐのトイレには男女共に長い列ができていて、断念した。そのまま成人式の行われる演劇用のホールに入っていく。会場はかなり大きく、松坂の中でも有名なホールで音楽鑑賞やミュージカルでよく使われる場所だ。つまり馴染みはない。

「ここら辺に座るか。」

 それは会場の真ん中の少し前の席で、後ろでヘラヘラ無関係に喋る人とは一緒になりたくなく、でも積極的に前に行くわけでもない、いいように言えば最も全体を見渡せる位置である。

誰かを探す自分がいたのは、加藤に内緒だ。

 まばらに、しかし着実に増えていく人の頭で前方の席は埋まっていた。俺の通っていた中学校は、地域ではある意味有名な学校だった。前方には同じ学校だった顔馴染みが集まっていた。

 そこから一時間、形式的なものを済ませビンゴ大会のような催しもあったが、特に盛り上がりもなく成人式は終わった。終わるとみんな会場を後にして近くの広場や公園でさらに知り合いとの挨拶合戦が始まる。袴を着た見た目から目立つ連中はどこから持ってきたのか、一升瓶を持ちラッパ飲みをしている。あれは俺の知り合いだ。

「悠。久しぶり、髪サラッサラやな」

 人ごみから出てきて声をかけてきたのは、『笹岡伊織』。小さい頃から長く同じ学校に通って、大学から別々になったが忘れる事はなかった友人の一人だ。最も近い存在だったが、今はパッタリ。昔からイケメンだった。

 そこに更に四人集まってくる。また知ってる顔だった。学生時代、楽なイメージの卓球部に入ると意外な練習量の多さでダイエットに成功した『日比野絢也』、高校が一緒で体格が良く年の離れた弟と兄弟仲の良い『西山颯』、仲の良かった女友達で同部活の『倉本鈴』と家が近く登下校を一緒にしていたが中学で名古屋に引っ越してしまった『三毛伽奈』だった。

「懐かしいな。皆あんまり変わってへんやん」

「川井は変わったな。(みんな口を揃えて)パーマは?(笑)」

 みんなで笑う。俺の一瞬固まるリアクションを見るのが楽しいんだろう。

「そういえば、悠は今日の同窓会こおへん言うてたな」

「えっ!なんで行こや!」

 伊織の言葉に、三毛が反応する。同窓会は、学生時代のクラスや学校が同じ卒業生が集まる行事で参加不参加は自由のはず。俺は不参加にしていたが、別に求められるような人間ではないと思っている。

「成人式で会えれば十分やと思ててん」

 俺の言葉に、日比野が鼻で笑いながら、

「いやいや、まだ会えてへんのも多いやろ。川井はほんま行事ごと苦手な。リアクション下手やから」

 確かに、俺はリアクションが苦手だ。誕生日会なども家族以外ではやらない。恥ずかしい。

「同窓会今から参加にすればええやん。俺クラス委員やから大丈夫や。ほら写真撮ろ!」

 伊織がそう言うと、倉本がカメラを上げ皆に自撮りを促す。

「わかった。行くわ。参加いくらやっけ?」

 写真を撮るため身を寄せ合いながら、伊織に聞いた。

「八千円。会場の受付ではろて」

「たかっ!」

 パシャ。口を大きく開けて笑う同級生と俺の驚愕の横顔写真が撮れた。そのあとは、同じクラスだった連中と写真を撮って回った。同時に咲ちゃんにも連絡を入れた。

{今、会場外におるんやけど、どこにおるかな?目印あれば行くわ}

 咲ちゃんからの意外と遅い返事を待っていると、会場の端の自販機横の長椅子に座っている男が目に入った。

「侑護。ここで何してんねん」

 俺が声をかけると男は顔を上げた。『丸亀侑護』長身の元バスケ部で、小さい頃からの幼馴染。

「人混み弱いねん」

 侑護もノリが悪い訳ではないが、こう言う行事ごとが苦手なタイプだ。同窓会にも来ないらしい。静かにカメラを向け写真を撮ってみる。

「おいおい、ちゃんとかっこよく撮ってよ。」

今度は一緒に写真を撮る。侑護スイッチ入れたな、こういうのはノリ良いんだよな。

 気づいたら、咲ちゃんから連絡が来ていた。自販機の近くにいると連絡する。

「今どこで働いとんの?看護の専門学校行ってたやろ?」

 侑護に椅子に座りながら話しけたその時、

「悠くん!」

 遠くから声をかけられ、声の方を見ると晴れ着姿の咲ちゃんがこっちに向かって走ってきていた。俺は侑護に、

「また飲みに行こや。LINEで連絡ちょうだい。じゃあな」

 そう言って咲ちゃんの方に歩いていく。侑護から返事はなかった。振り返ると笑顔の侑護は動かず座っている。あいつ絶対連絡しやんな。そう思った。

「咲ちゃん久しぶり!めちゃくちゃ似合ってるな。でも髪型とか全然雰囲気変わってないわ」

「悠くんは変わったね。大人っぽくなった!」

 その言葉に照れる俺を笑いながらさきちゃんは携帯を取り出す。

「写真写真!悠くんのスーツ初めて見た!」

 そう言って、携帯の外カメで連写。撮れた写真を見て、俺写真慣れてねーと思った。どれもちゃんと笑えてない。

「今日って悠くんも同窓会でしょ?私も学校の同窓会あって、別日で食事しようよ!」

 同窓会辞退を辞退したという恥ずかしい経歴は消しておく。

「良いよ。でも今、ほとんど東京で今回は成人式で帰ってきただけだから。また東京戻るから三重じゃちょっと離れてるし…?」

「大丈夫!私結構東京行ってるし。向こうで 会える日見つけて連絡取り合って行こ!大学もあとは、卒業論文だけ」

 内心とても嬉しかった。正直友達と一緒にどっか出掛けるなんてほとんどしたことがなかった。

「わかった。じゃあ次の機会にしよう。卒論頑張ってね」

「うん、またね。」

 咲ちゃんを見送る。携帯をかまえて写真を撮る瞬間咲ちゃんが振り返って笑った。手を振って見送る。何枚か撮った笑顔の写真もいいが、後ろ姿の咲ちゃんがとても綺麗に思えた。

「あれ彼女?」

 いつのまにか侑護が後ろに居た。

「違うよ。おんなじ習い事してた子。」

「へ~。悠って男女関係なく接してるよな。昔っからさ」

「変える必要ある?」

 侑護が前に歩き始めた。もう帰るみたいだ。

「じゃあな!」

 こっちを振り向かず手を振る。気取るなっ、マイペースなのは相変わらずだった。

 その後は、加藤と合流して他の同級生と話し、最後に会場前で集合写真を撮った。まだ侑護は帰っていなかった様だ。知らない女性と話していた。他校の人間との関係も部活動のおかげで多く、思ったよりも俺を覚えている人が多くて驚いた。実家への帰りも加藤に送ってもらった。

「じゃまた後で。」

「ありがと!」

 加藤の車を見送る。

「さてと」

 夜は髪型を変えていくことにした。ノーセットだった髪を、六対四の割合で前髪を分けワックスを塗る。昼間とは違う雰囲気の方が面白いと思った。

「川井久しぶり」

 声をかけてきた人物に視線を向けて驚いた。『藤明人』。

 俺は藤の前を通り過ぎ無視した。昔は一緒に毎日通学していた関係だったが、ある日を境に関係は崩れた。弟との関係が完全に崩壊したのもこいつがきっかけだった。藤はその場を離れる俺を見続けていた。

 俺の事をガキだと思っただろうか。だが、今こっちがあいつのことを気にしていることもムカつく。だからすぐに忘れた。会ったことも。

学生時代の友人で話もする気になれないのはこいつだけだ。

 そして会場の扉が開きみんな中に入っていく。クラス委員会から挨拶があり、ビールで乾杯、自由に飲み始めた。

「そうか、基本的にはみんな大学生だよな。就職組もいるけど」

 みんなそれなりに元気にやっていた。髪の毛を染めているものも多かったが、顔は変わっていないように見えた。

 そして、途中から中学時代の先生達が合流した。中学時代の顧問だった恩師は、まさかのインフルエンザで欠席だった。

 中学時代担任だった濱口先生と話している時、一人の女性がやってきた。

「先生久しぶり!元気やった?」

「おお!黒岩!元気元気、ほら川井もおるぞ!」

『黒岩朱寧』元陸上部で現在も東京の国士舘大学でハードルをしている日焼けをしたショートヘアの女性。

「久しぶり。そうか黒岩も東京か。俺は駒澤大学で民俗学やってる」

「そうなん!?めっちゃ近いやん!」

 話は程々の盛り上がりだったが先生がお酒と嬉しさでよくわからなくなっている顔を見れるとても幸せな時間だった。参加して良かったと思った。

 成人式で撮った写真を後で送るという話になり、クラスのグループラインが出来た。人数は二十八人。そして、お開きとなった。

 その夜、母親に松阪駅まで送ってもらう。

「明日帰ればええのに、そんな急がんでも」

「普通に大学のゼミがあんの。しゃーないやん。年末には帰ってきてもっとゆっくりできるからさ」

「夏休みもあるやろに、何で年末なん」

 ゴールデンウィークや夏休みは、大学の友人と各地で神社仏閣の文献巡りの予定だ。ある目的のためだが、それは内緒。恥ずかしいから。

「タイミング合えば帰ってくるから。送ってくれてありがとう」

 松阪駅の改札から手を振る。ロータリーから車が出ていくのを見送ってからホームに向かう。当然ながら、人は居ない。この時間なら無理もない。実は、今日東京には行かない。終電にはギリギリ間に合うが、今日は名古屋で過ごす予定だ。

 名古屋駅金時計の近く。話しながら待つ男女のグループ。

「久しぶり!ごめん待たせた。」

 俺の声に振り向いたのは、名古屋の専門学校に通う色白で小さなロングヘアの女性『武園美月』と高身長でボブヘア、一見ハーフ顔の『桜井聖佳』髪を後ろで結ぶほど伸ばした男『吉田晃』。

「おつかれ~。成人式楽しかった?もっとゆっくりしてくれば良いのに」

「そう言う俺たちも、明日専門学校の卒業式控えてんのに今日飲みに来てるからな」

 笑い合う四人は、以前ライブで知り合った。そこからよく会う様になったが、名古屋にいる三人とは久しぶりの飲みだ。

「いつものBar でいいよな?」

 四人とも歩き始めた。話は、今やっている仕事などの近況報告だった。

 吉田は、

「制作会社でAD やってて、企画一つ通ったと思ったら手柄先輩に横取りされてさ。最悪。」

「それはひどいな。確か武園もアイドルグループの運営やったよな?」

「私はご当地アイドルのマネージャーで、メンバーのうち何人かは東京で働いてるから、私もその東京組になって四月から、東京支社に異動になる予定。仕事は充実してるし、アイドルの子達と年齢もさほど変わらないから、色々話してくれるよ」

 一人、三人と少し距離をあけ歩いている桜井が気になる。

「桜井は、まだやりたいこと決まってへんの?」

 桜井は元々、専門学校でも声を聞くことがなかった人見知りだった。好きな男性アイドルと仕事をしたくて専門学校に行ったが、そのアイドルが在学中に解散。目標を無くした。4人が出会ったライブも武園の付き添いだった。

「うん。まだ。」

「ええんよ。俺も一緒やから。一目見て好きか嫌いかなんてすぐわかるからな。それがわからんうちはまだ出会えてへんってことやろ。」

 そんな話をしているうちに、お店に着いた。お店の名前は、【moon  jellyfish】。

地下に店があり、階段を降りていく途中に置いてあるランタンの明かりもクラゲの形で蒼く光ってて俺は好きだ。

 木の扉を開けると、カウンターと奥に個室がありかなり広い。二十人は余裕で入る広さだ。

「マスター久しぶり。相変わらずいい店」

「常連みたいな顔して、ここにくるの三回目だろ。この間、川端さんがお前のこと気にしてたぞ。連絡してやんな」

「わかった」

 俺たちは、カウンターに座った。奥の方ザワッと感じる気配がある。

「今日は、個室に別客だ」

 俺の奥に向ける視線に気付いたマスターがそう言った。マスターの名前は知らない。聞くタイミングを逃したし、マスターとしか周りも呼ばないから名前で呼ぶのは変だ。そして、多分お酒を飲んだら聞いても忘れる。

 俺たちはそれぞれ、好きなお酒を頼み、この店特製のジュエリースティックを頼む。

ジュエリースティックは、ポテトとチーズをマッシュして混ぜ合わせ、鶏皮で巻いて揚げ焼きにし、タレに漬け込んで冷やしたおつまみ。日によって鳥皮と豚皮のどちらかになるが、多分みんな鳥が好き。特性タレでテリッテリのジュエリースティックは、お酒のおつまみとして最適だった。

 俺はいつもジンリキュールを最初から最後までずっと飲み続ける。これがジュエリースティックとの相性もいいんだ。

「乾杯したら、川端さんにちょっと連絡してくる。最近、話してないからいい機会だし」

 みんなのお酒が到着し乾杯。それぞれ、武園と吉田は話し始める。桜井はマスターとお酒の話をしている。実は一番酒に強いのが桜井だ。

俺は店先に出て電話する。

「はい。川端です。」

「あっ、川端さんお久しぶりです。川井です。最近ご連絡していなかったのでー」

「今ムーンで飲んでんだろ。貴崎さんから連絡あったぞ」

「マスターですか?なんだ、連絡しろって言ったからしたのに。」

「お前じゃしないかもしれないだろ。念の為だよ」

「ハイ…すいませんでした。今日またいつもの四人で飲んでます。まだ仕事ですか?」

「ああ、今日も朝までだよ。そうそう、この間新しい酒作ったからマスターに言って試飲してみてくれ。あと、執筆はどうだ?順調か?」

 川端さんは、唯一俺の小説の存在を知っている。できたら一番に見せろって言ってくれた人だ。

「執筆って、そんな大層なまあまあです。またネタ探しに行くつもりです。」

「そうか、そろそろまた見せてくれよ。東京戻ったら連絡くれ。車出してやるから」

「ありがとうございます。失礼します。」

 この間乗せてもらった車、ネットで調べたらめちゃくちゃアホな金額だったな、と携帯を見つめながら思った。実は稼いでんだあの人。今度、家も見せてもらお。

「そういや、あの人の具体的な仕事内容聞いてなかったな。誰か有名人のマネジャーでもしてんのかな」

 風が吹き、体がブルっと震える。店の中に戻って飲み直す。俺のジュエリースティックがなくなっているのに気づき、吉田と武園ともめる。

「マスター、川端さんがお酒新しいの出来てるって言ってたから、飲みたいな。」

「私も!それ下さい…」

 持っていたグラスを空にして桜井が言った。桜井はいつもお酒を飲むためにここに一人できている。他の三人は、一緒に飲む空気が好きだが、桜井はお酒の味を純粋に楽しんでいた。このお店にも通い、川端さんの不定期に更新されるお酒を楽しみにしているらしい。

 川端さんは同じ三重県出身であることと、

東京で芸能マネジャーをしていること以外謎の、見た目三十前後の男性。この人もHappiness 繋がりだ。昔、ゆっちと言うアカウントでインスタにE-gilrsのミュージカックビデオをスクリーンショットして、繋ぎ合わせたスマホのホーム画面を作って投稿していた。クオリティが高く、俺は個人的に大好きでライブの日も投稿された文章に同じ日のライブへの参加があり連絡してみた。

 実際に会った時、驚いた。頭頂部から耳の下まではシルバーでその下は首までブルーに綺麗に染まったボブヘア。一見女性だったが話してみると男性だった。名古屋の専門学校を卒業して東京の芸能事務所に入りマネージャーに、二十五歳で独立し会社をやっているそう。

 川端さんの新しいお酒が目の前に来た。綺麗なオレンジ色とその上に緑色の層があるニ色のお酒が、四角い氷の入ったグラスにたっぷり入っている。

「緑の部分は、抹茶でオレンジ部分は文旦だ。川端さんは舌触りを気にするからピューレや茶葉は入れてない。飲みやすいぞ」

「へぇー、美味しそう。ありがー」

「ありがとうございます。」

 桜井が俺の言葉を遮って、飲み始める。グラスを傾けると緑の下からオレンジが滑り込んで同時に口に入る。カランと氷が動き中身が混ざる。

「桜井、おいしい?」

「うん。香りがいい」

 笑顔でお酒の半分減ったグラスを見ながら言う。桜井が言うなら間違いないな。

 俺も飲んでみると、先に文担の甘みと爽やかな香り、そのあと深い抹茶の香りがやってくる。ただ、

「これ結構強いよ(笑)。よく半分も飲んだな」

 俺はむせながら、桜井のグラスをよく見ると酒はもうなくなっていた。

「うん。飲みやすかったから。」

 この日は早いペースでグラスを空け、朝まで飲んだ。その間も奥の個室から一度も客は出てこなかった。

「マスター、奥の人大丈夫?潰れてんじゃない?」

「奥の人じゃねぇ。お客さんだ。それより、そろそろ新幹線始発だぞ」

 時計を見る。すでに太陽が出て明るくなる朝の六時だった。

「そろそろ行くわ。武園と吉田よろしくな桜井」

「うん。あっ駅まで送る」

 見送りなんて正直意外だ。サっと立ち上ってコートを羽織る桜井はまるでお酒なんて飲んでいなかった様だ。思わず声に出る。

「すげっ。マスターご馳走様。ありがと。」

「またな。川端さんによろしく」

 カウンターにお金を置いて出る。マスターはいつも直接手では受け取らない。そんなマスターを川端さんは、

「お酒以外触れたくない人なんだよ」

と笑って言った。

 この時期の朝は極寒だ。お酒が入っていてポカポカして、足は力が入らずふわふわしている。手先から直ぐに冷たくなる。桜井が寒そうに首をすくめて、指に白い息を吹きかける。

「寒いよ」

 俺は持っていたマフラーを渡す。黙って受け取り首に巻く桜井。駅に向かって歩き出す。

「今何してるん?」

「服のデザイン考えて、データに起こしてる。」

「へぇ~デザインか。実物で作ってみたりは?」

 今まで桜井を見て正直、服が好きだと思ったことはなかった。露出を嫌いジーンズを履き、上はラフなtシャツが安定の姿。冬はセーターにコートと誰もがイメージする冬の服装だった。

「した事ない。一つじゃコスト高い」

 調べてはいるんだなと思った。つまり作ってみたいとは思ってるんだ。少し嬉しくなった。

「なんだ、桜井はもうやりたいこと決まってるんだな。」

「えっ?」

「俺もそろそろはっきりしないとな」

 桜井が後ろで立ち止まったことに気づかず、俺は先に進む。

「そういえばー」

 そう言って振り返ると桜井はじっと俺をみて立ち、俺もわからなくて立ち止まった。

「どうした?」

 桜井はこちらに向かって歩きながら、

「お願いがあって」

そう言うと、携帯を取り出す。

「LINE教えてほしい」

 実は、吉田とはLINEを交換していたが、武園と桜井とは交換していなかった。今日集まったのも吉田から武園に連絡が行き、武園が桜井を誘っていた。

「いいよ。何か相談事?」

「今度、川端さんに会いに東京に行きたくて。」

 顔が赤くなって下を向く桜井。その顔を見てすべてを理解した。

「そうか、わかった!交換しよLINE。川端さんと予定合わせて会いに行こ」

「うん。ありがと」

 桜井の今日一番の笑顔だった。相当勇気を出したんだろう。駅まで送ると聞いた時は驚いたが、何だそう言うことか。

「じゃあ、連絡いつでもいいから。でも、直前だと川端さんも忙しいと思うし、調整できるかわかんないから早めにね」

「うん」

 桜井と改札で分かれる。ちょうど携帯から着信があり、川端さんと表示が出る。

「桜井ちょっと待って!」

 背中を向けて帰りかける桜井を呼び止め、電話に出る。

「あっ川井まだ名古屋か?ちょっと今日東京で会えるか?」

 俺は桜井を見て笑顔になる。スマホを耳から外し、

「桜井、新幹線チケット買ってきて!いま!」

 桜井は何かよくわからず、俺の必死さに急いでチケットを買いに行く。

「おーい、川井聞いてるか?」

 携帯から、川端さんの声がする。

「あっすいません。はい」

「じゃあ、東京の到着時間教えてくれ迎えに行くから。」

 さっき取ったチケットを見る。

「えーと八時二十二分、東京駅です。」

「オッケー、会ってから話す。うなぎパイ買ってきてくれ。じゃ」

 そう言って電話は切れる。桜井が息を切らしながら改札の前に戻ってきた。

「これから東京で川端さんと会う。切符買ってからで変やけど、一緒に行く?」

 桜井の顔が出会った中で1番の笑顔になった。

「うん」

うなぎパイを購入し、新幹線の指定席に。他に乗客は殆ど居なかった。駅員さんがさっき一緒に居たことを察して隣のチケットを取ってくれていた。俺はマスターに事情を説明しに連結部分へ電話しに向かい、桜井はメイクを直すと言ってトイレに向かった。

「マスター、桜井と一緒に東京行くことになって、他の二人頼める?川端さんに会ってきます」

「そうか。起きたら伝えとくよ」

 座席に戻ると桜井はまだ帰ってきておらず、一人でいるとこんなにも広く感じるのかと思った。すると、後ろから肩を叩かれ

「よう、まさかこんな早く会うとは」

 振り向くとそこに居たのは『丸亀侑護』だった。

「おおっ侑紀!ビックリした!何してるん?」

 スーツケースと落ち着いた印象のコートを着てスマートを具現化したような姿の侑護。

「絶対仕事やろ。東京で研修。三重県でも一番大きな病院に就職するんやから勉強要るねん」

「そうか。マジでビックリしたわ、じゃあ研修終わったら飲み行く?」

「いや、今回は研修終わったら直ぐ帰んねん。」

「わかった。でも東京来た時はいつでも連絡しろよ」

「ああ」

 そう言って、後部車両に歩いて行く侑護。自動ドアが開くと、桜井が戻ってきた。侑護が道を開けると、軽く会釈して早歩きで俺の隣に座る。

「あの人知り合い?」

「そう。小、中の同級生。」

 俺は話しながら携帯に視線を落とす。桜井は、自動で閉まるドアの先を見つめ、

「トイレに携帯忘れた!」

 小走りで後部座席に走って行く。桜井が慌てる姿はあんまり見たことない。

「やっぱ、緊張してんのかな」

 少ししてから、何も持たず戻ってきた桜井。

「携帯、ポッケに入ってた」

 座りながらそう言った桜井は両手で服の裾を握っていた。

「そんなに緊張せんでも、俺も一緒におるんやから」

「うん」

 あぁ、これは聞いてないな。まぁ、確かに俺がいてもか(笑)一人で見守る父の気持ちになった。それ以降は、互いに携帯を見ていた。

 東京駅に到着。いつも東京駅で俺は迷子になる。ただでさえわかりにくい駅構内。方向音痴で、地図も役に立たない。

「悠~!おつかれ~!」

声に気づいて、桜井と同時に振り返る。

「お久しぶりです。川端さん」

 駆け寄ってきた暗めの青いスーツ、中のシャツは青のストライプを着た男性。髪の毛は後ろで結んであるが、解くとボブヘアくらいの長さで青い髪色。周りの人も二度見するほど目立っている。

 俺とハイタッチして、後ろに立つ桜井と目が合う川端さん。

「あれ、桜井さん?悠と一緒に来たの?もしかして、付き合わされた(笑)」

 テンションの高かった自分を思い返し、恥ずかしさから誤魔化すように笑いながら聞く川端さん。

「いえ…」

 桜井がどう言えばいいか迷っている。

「そうなんですよ、俺が呼んだんです。昨日、川端さんのお酒飲んで美味しかったって。お酒好きだから色々聞きたいみたいです」

 下手な言い訳だったが、桜井は乗るしかないと覚悟を決めたようで、

「はい!」

 俺の言葉に合わせる様に、慌てて桜井が返事をする。

「そっかありがとう。マスターからもいつも桜井さんが飲んでくれてるって聞いてるよ。悠、これから自宅寄りたいんだけどいい?」

「勿論です。ね?」

 俺が桜井に聞くと、激しく頷く。駅を出ると一緒に川端さんの車に乗り込む。青いセダンタイプ。本当にこの人は青が好きだな。

銀座の街を走りながら、同窓会について色々話をしていた。

「暴れるやつは居なかったか?俺の時は警察も来て大変だった。ダサいよなあれ(笑)」

「今年は居なかったですね。酒瓶持ってる白袴の連中は居ましたけど。大人しくしていればカッコイイんですけどね」

 桜井は終始緊張の面持ちだった。川端さんの家は、山下埠頭にあった。家というかレゴブロックの様な大きい土地には似つかわしくない、コンテナがいくつも積み重なった建物?

「まだ、家は建築中なんだ。自分でデザインして時間掛けたから、今はコンテナで代用してる。解体も楽だし、コンテナ運べばそのまま別荘地で売れるんだよ。ちょっと待っててくれ」

 川端は車を降りて、家に入って行く。

「入ってみたいなぁ…」

 桜井が、窓の外を寂しそうに見つめながら、ボソッとつぶやいた。

「行ってくれば、俺も一緒に行くから川端さんに話すよ」

 桜井と一緒に車を降りる。俺は運転席側から、桜井は助手席側のコンテナ側に出た。すると、川端さんが出てきてしまった。俺は車の向こうから、

「川端さん、ちょっとトイレー」

 そう言いかけた時、家が爆発し川端さんが吹き飛ばされた。桜井も車に打ち付けられ、俺は割れたガラスから顔を守るために咄嗟に手を盾にする。耳がずっとキーンという音しか拾わない。

「桜井!」

 車の反対側に急いで回る。そこには車にもたれかかる様に座る桜井がいた。肩を揺すって声を掛ける。

「桜井…桜井…キヨカ!」

 声に反応し、微かに目を開けた桜井。

「カワ…バタ…さんは…」

 コンテナの方を見ると、背中に火がうつって横たわった川端さんの姿が見えた。

「大丈夫。今から助けに行ってくる。」

 その言葉を聞いて、桜井はまた気を失う。

 携帯で電話をかけ救急車を呼びながら、川端さんの元に向かう。すると、積み上がったコンテナの一番上が傾いた。川端さんに向かって俺は叫ぶ。

「川端さん!」

 コンテナが川端さんの上に落ちる瞬間がスローに見えた。ドォーンという凄まじい音と共に川端さんの左腕が飛び、俺の胸に当たって受け止める。

「あぁあぁあぁぁぁ」

 視界がぐらつく。その場で倒れ力なく仰向けになる。携帯から人の声が聞こえるが、何を言っているのか分からない。

 自分の手の先もピントの合わない世界で誰かが向かって来るのがわかったが、白い中に緑が見えるだけでそれ以外、顔も声もわからなかった。瞼が力なく閉じ、そこで俺の思考は止まった。

 何も見えないし、聞こえない。暗闇に口火が現れどんどんこちらに迫ってくる。

「はぁっ!…」

 息を切らした様に目を覚ますと、俺は東京で暮らしているマンションの玄関に倒れていた。服は左腕部分が破れ血だらけで状況が掴めなかった。

「家…、いつから…」

 すると、黒い車がやってきて、ニ人の男性が降りて近づいてくる。ニ人ともスーツで、年上の方が俺の前でしゃがみ内ポケットに手を入れた。遠くでサイレンの音もする。

「川井悠さんですよね?警察です。今日起きた爆発事件の件でお話聞きたいんですが。」

 手帳を見せた年上の方は、工藤という刑事の様だ。

この時頭の中では、桜井は?川端さんは?と二人の顔と名前が浮かんでは消えてを繰り返し混乱していた。目が合わず動かなくなった俺に、刑事はさらに声をかける。

「署までご同行頂けますか?我々もお聞きしたいことがありまして。貴方の事も現場で倒れていたニ人のことも。」

 二人と聞いて、急に力が全身にこもる。

「聖佳は!川端さんと、生きてますか!?二人は!」

「女性の方は無事です。男性の方は残念ですが。」

「…」

  強ばっていた体からまた力が抜けていくのがわかる。

「お話聞かせてください。立てますか?」

 俺の両脇を抱え立たせる二人。俺はされるがままで、何も出来ない。

 工藤刑事が俺の左手を見て怪我していることに気づき、病院で検査を受けるよう言った。見ると、手はガラスでズタズタだったが、後にわかったことで運良くどれも骨には刺さっていなかった。

 処置を受けている間も、制服警官が病室に同席し二人の男は外で待っていた。

「痛そうですね。それじゃ行きましょうか」

 若い方の刑事、沖が俺の左側に回り込みながら言った。全然心配してない言い方だ。

「あの、桜井はどこに。顔を見たくて。川端さんも亡くなったなんてまだ信じられなくて…」

 沖刑事は工藤刑事を顔色を見ながら答え、

「川端さんは遺体の損傷が激しく、残念ながらご家族以外にはお見せできません。桜井さんはこの病院で入院しています。まだ意識は戻ってませんが。」

 最後の突き放す様な言い方が気になる。

俺を疑っているのが伝わるな。と少し沖という刑事に対して嫌悪感を抱く。

「見に行けませんか?お願いします。」

 沖刑事の目を見て、深く頭を下げる。沖刑事は工藤刑事の指示を待つ。

 工藤刑事は、

「行ってもまだ、目を覚ましていないと思いますが。起きてない場合は、病室に入らず署に向かいますが?それでよければご案内します。」

 俺の目を見て優しく話した。工藤刑事は沖刑事とのバランスをとっている様だった。

「ありがとうございます。」

 桜井の病室のある階に着く。エレベーターの扉が開くと奥の病室の前に制服警官が。そこに桜がいるんだとわかった。

 中を見ると管を繋がれた桜井がベットで寝ていた。エレベーターから武園と吉田が出てきて俺に気づく。吉田は俺を見るなり走って抱きついた。左腕の傷をもろに抱いた吉田に俺は呻く。

「あっ、怪我大丈夫か?」

 吉田は離れるが肩に手は置いたままだ。

「ゴメン。昨日の今日で、こんな事に…」

「悠のせいじゃない。何があった?」

 その時後ろにいた沖刑事が、

「そろそろ。我々も捜査のために話を聞く必要があります。」

 俺は一旦目を閉じ、目の前にいる武園と吉田を見る。

「桜井のこと頼む。起きたら連絡くれ。」

 沖刑事は、俺の左腕を持って引っ張りバランスを崩す。それを見て吉田が怒る。

「…っおい、なんで悠にそんな対応するんだ!怪我してるんだぞ!」

 吉田が驚くのも無理はない。まるで俺が容疑者だ。

 「だから左手を触っています。警察は犯人逮捕のためやるべきことをー」 

 俺は工藤刑事が沖刑事を手で制する前に、

「誰も他に説明できる人が居ないから。大丈夫。」

 と言った。

 勿論、俺が犯人な訳がないから。

工藤刑事が間に入り、

「ええ、事情を聞くだけですから」

と優しく吉田に話す。吉田の怒りが小さくなり、沖刑事の方を睨む。

 吉田を置いて歩き始めた三人。俺のエレベーターに向かう足はなぜか足速になる。変な感情が腹から込み上げてくる。形容し難い恐怖と怒りと悲しみが口から溢れて出ようとしている。

「早く戻ってこいよ!桜井起きてお前いなかったら心配するぞ!」

 吉田の声を背中で受ける俺。涙を堪え、エレベーターに入るまで耐える。ドアが閉まる直前振り返り。

「俺は元気って言っといて」

 笑いながらドアが完全に閉まるのを待った。

閉まると、足から力が抜け崩れる様に座り込む。

「大丈夫ですか?」

 左右から両肩を支え立たせてもらう。

「必ず犯人見つけ出してください。お願いします」

「勿論です。」

  工藤刑事は答えるが、沖刑事の方からはキツイ視線を感じていた。


湾岸警察署、取調室。制服警官が俺に事情を聞いている。

「つまり、あそこに行ったのは亡くなった川端さんが寄りたいと言ったからなんですね?」

「そうです。あの後、どこに行くかは知りませんでした。」

「川端さんは何を取りに行ったんでしょう。」

「わかりません。」

 目の前に川端さんの持ち物の写真が並べられた。携帯や財布、いつも持ってる手鏡が割れていた。

「川端さんとは仲が宜しいんですね。貴方は家にも遊びに行ったことが?」

「ありません。五年前にアーティストのライブで会ったのがキッカケでよくお世話になっていました。」

「じゃあ、この人達は知っていますか?」

 そう言って胸ポケットから出してきたのは一枚の写真。制服の少女。少女の隣に写っているのは、川端さんと綺麗な外国人女性。

「知りません。」

「川端さんのご家族です。籍は入れていない様ですが。」

 驚いて写真を手に取ってもう一度見る。

「知りませんでした…会ったことも聞いたことも…」

 ガチャと、取調室が開き、入ってきたのは工藤刑事と沖刑事だった。アイコンタクトで制服警官と交代する。

「ご挨拶してませんでしたね。私は、捜査一課の工藤。こっちは沖刑事です。この事件の担当をしています。あなたと現場にいた他の二人との関係について聞かせてください。」

 工藤はこちらを柔らかく笑いながら見つめ、竹口はメモを開いて工藤の後ろに立ち、真っ直ぐこちらを見ている。

「早速お聞きしますが、亡くなった川端さんと桜井さんとの関係は?」

「さっき話しました。」

 二人はじっと俺を見ている。

証言が変わらないかの確認でもあるのだろう。

しかし、これ以上疑われても困ると思った俺は、

「二人とは同じアーティストのライブで知り合いました。そこから連絡を取り合う様になって、ただ年に数回しか会いません。川端さんは忙しいので」

「何故、あそこに?」

 不毛なやり取りにしか思えなかった。

「こちらの方をー」

 早く、桜井の病室に戻りたかった。せめて桜井がどん底に沈まない様にできたら。最悪な、嫌な予感しかしなかった。

「さっきの人に言いましたよ!」

 怒りに対して全く表情を変えない工藤。

「あなたの口から直接聞きたくて、事実を知りたいので。」

  事実は真実とは異なる。今回の場合、桜井と俺とどこかの監視カメラの3つの事実から真実を見出すしかない。

「何故、川端さんの別宅に?」

 沖刑事も相変わらず俺を鋭く見ている。

伝わる様にわかりやすくため息をついてから話す。

「桜井と名古屋から始発で東京に向かいました。川端さんが迎えに来てくれて、電話で着いてから話をする筈だったんですけど、その道中に家に寄っていいかと川端さんが。それでご自宅に向かいました。」

 工藤は何も言わずに頷き、質問を続ける。

「何の話をする予定だったんですか?」

 話していて自分でも混乱しているのがわかる。相手の目を見ていられず、質問の意図など何故が頭の中を徘徊する。

「わかりません。結局行き先も聞いていませんでした」

 今度は沖刑事が質問する。

「いつ爆発が起こったんですか?」

「川端さんが家に入って五分ほどでした。車の中で待っていたんですが、桜井が川端さんの家の中を見たいと言って車から出ました。そのタイミングで爆発が。」

「では、あなたは何故自宅にいたんですか?」

「わかりません。覚えてません」

 俺の態度を見て、何か言おうとした沖刑事を手で制し、

「そうですか。何か怪しい人物は見ていませんか?」

 優しい口調で工藤刑事が聞いてきた。

「…あの、通報してくださった方は」

 この質問に沖刑事が答える。

「近くに住む主婦の方が。爆発音に驚いて家の外に出るとコンテナが崩れて燃えていて、女性が車の近くに倒れていたと。」

「!?俺を見てないんですか?」

「…えぇ。何度か確認しました」

 俺を現場から運び出した奴がいる。誰が?なんのために。俺も分からない事があって説明ができない。

「川端さんの家は周辺の家から少し離れていて、近くの監視カメラは軒並み爆発の影響で壊れてしまっていました。」

「俺を疑ってます?」

 少し間が空いて沖刑事が少し強い口調で、

「移動手段がわからない上に、あなた方の関係も未だ不鮮明です。ちなみに現場で怪しい人物などは見ていますか?」

 ふと、蘇ってきた淡い記憶が浮かび口から溢れるように発せられた。

「…緑」

「みどり?人の名前ですか?」

 沖刑事の質問に工藤刑事が反応した。

「色ですか?」

「はい。気を失う前に、誰かが近づいてきて、顔も声も分かりませんでしたが、何故か緑色でした」

 工藤刑事が俺をじっと見ている。沖刑事はメモに書いていた指を止める。

「服が緑ということですね?」

工藤刑事が俺の話を聞いて、

「はっきりとは見えなくて、どんな服かもわからないです。」

「わかりました。ありがとうございます。今日は帰っていただいて大丈夫です。また、事情をお聞きするかもしれませんが、その時はご協力ください。捜査期間中にあなたや桜井さんの名前が出ることは無いですが、マスコミなどお気をつけください。警察で報道規制は敷きますが…」

 沖刑事はメモを閉じ、入り口を開けた。俺は警察署を出てタクシーを拾った。

「中央病院へお願いします」

 警察署の窓から二人の刑事が走り去るタクシーを見ている。

「あれ、やってますかね。」

 沖刑事タクシーから目を離さず工藤刑事に質問する。

「嘘を言ってる様には見えないな。だが、説得力に欠ける。緑の何かも気になる。どうやって自宅までの距離を移動したかもだ。身辺調査続けるぞ。まだ何か起こりそうだ」

 病室の名札には桜井聖佳の文字。廊下に制服警官は立っていなかった。病室の前に立つと、中から笑い声がする。

 ドアを開けると、ベットに横になりながら笑う桜井とベットに座って笑う吉田と武園がいた。俺の姿を見て瞬時に止まった様に静かになった病室で、吉田が立ち上がり俺を抱き寄せた。

「川井!桜井が事故のこと覚えてて俺たちに説明してくれた。…川端さんのこともさっき聞いた。大変だったな」

 吉田が俺を抱き締めながら言った。

「桜井が無事で、よかった。俺ホント何にも出来なくて…」

 俺は桜井の目を見れなかった。

「ううん。川井くんが名前呼んでくれたの覚えてる。ありがと」

 その言葉に胸が苦しくなる。その時、携帯のバイブに気づき取り出す。表示された名前は、「來間」

「もしもし。」

「川井!大丈夫か?!さっき警察が俺たちのところ来て、色々聞いていった挙句お前が爆発事故に巻き込まれて入院してるって聞いて、病院どこ!?」

 あぁー何から話そう…

「入院はしてない。大丈夫。来週からのゼミも問題ないから。ありがと」

 すると、携帯からはさっきとはまるで違うあっけらかんとした声で、

「よかった。けど、他のメンバーも心配してたから連絡入れとけよ!ゆっくり休め!じゃあな!」

 電話は意外と早く切れた。來間は純粋すぎる漢だ。相変わらず、暑いのかドライなのかわからない【來間泰征】は同じ駒大で民俗学を学ぶ友人だ。

「川井、ちゃんとこっちでも友達できてるんだな」

 泣く真似をして頷く吉田とそれに合わせる武園。桜井はそんな状況を見て笑っている。

「お前等、俺の親か(笑)昔から友達に苦労はしてへんねん」

 軽い嘘は聞き流され、病室が笑い声に包まれる。あんなことがあったのに。多分みんな気を遣ってる。桜井なんて特にそうだ。大好きな人を失った。

「吉田と武園は?今日卒業式やったのに」

「終わって写真撮ってる時に、桜井の親から連絡きて。俺らと一緒におると思ってたから。」

「私たちの方にも警察から連絡来て、ほら昨日バーで名刺渡してたから」

「そっかありがと…。ごめんな」

「逆やって。ありがとう。生きててくれて」

 二人が俺に近寄って抱きしめてくれる。病室がまた静かになる。

「桜井も混ぜったって(笑)」

 俺の言葉で二人が桜井を見ると、手を広げている。全員でベットに飛び込む勢いで倒れ込む。笑って泣いた。看護師さんに注意された。

 今日は、吉田と武園は都内のホテルに泊まり、俺は念のため明日、一日検査入院になった。二人と別れて病室に桜井と二人っきりになる。

「私…」

「桜井は強いよ。」

  次の言葉が怖くなって、遮ってしまう。俺の言葉に驚いている様子の桜井。俺は静かな病室で桜井の気持ちが下がらないようにしようと、言葉がどんどん溢れてくる。

「吉田と武園も明日安心して帰れるな。桜井の優しさにみんな救われたよ。」

「でも…」

「まさかこんな事になるなんて、新幹線の切符代あとで払うな。それか明日帰る分買ってくるわ。席空いてるかな」

 桜井も俺が取り繕っていることに、気づいている。

「悠くん!ごめんなさい。そんな気、使われたくない。私が一番悲しいなんて悠くんが思もってるのも嫌だ!」

 俺は驚いた。桜井のこんな声聞いたことがなかった。しかも名前を呼ばれたのも初めてだった。

「私より川端さんと親しかったし、私なんてまともに話したこともなくて、駅で名前呼ばれただけで舞い上がって幸せで。でも、病院で目が覚めて思い出した時、色々思い出してきて最初は絶望したけど、悠くんが警察に連れてかれたって聞いて、なんで私は寝てるんだろって、悠くんが助けてくれたって言わなきゃいけないのに、なんで困ってる友達助けられないんだろってー」

 布団の上から手を握った。桜井の目から絶えず涙が布団に、服を伝って濡らしていく。

「桜井はすごいよ。俺も悲しい。川端さんを知っている人はみんなおんなじはず。でも桜井が生きてて病院で眠ってる姿を見て、俺は少し安心したんだ。だから頑張れた。桜井も目が覚めて吉田と竹園がいてそう思ったんなら一緒だ。病室に入った時、皆が笑ってて救われた。桜井のおかげだよ。ありがとう」

 桜井は声を出さず、俺もそんな桜井を守る様に包んで一緒に泣いた。だが、無情にもここからニヶ月は進展もなく時間だけが過ぎていった。

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