第3話 志村けんの担任教師

 志村けんの小学生時代の担任だった男性教師が、ぼくの小学五・六年生時の担任でした。志村けんと言えば、東村山音頭でいっちょ目にちょ目ワーオと歌っているから東京の東村山出身と思いますが、ぼくが小学生だったころの先生は、東京、杉並区の公立小学校の先生でした。

 かなりかわった教師で、ぼくたちが卒業すると同時に、ネパールに永住しに行ってしまいました。


 それからほぼ十五年後、一九九四年も師走に入った頃でした。当時ぼくは梅の産地で有名な紀州で梅農家の手伝いなどをしていましたが、冬は農閑期で、農閑期の農村というのはどこも共通で、いわゆる“ヨソモン”にとってはかなり居心地のよろしくないところなものでした。


 ただラーメン屋でラーメンを啜っていても、地元の衆には何かとちくちくイヤミを言われるし、和歌山なんて東京と比べたらはるかに暖かいとはいえ、やっぱり寒いので、どっかあったかいとこに行きたいなぁ、と思ったぼくは、あったかいと言ったらインドじゃね? となんの脈絡もなく連想し、そして思い立ったが吉日とすぐさま荷物をカバンに詰め込んで、薬師寺が辰吉と戦ったその翌日に、神戸から上海行きの船に乗ってチャイナに渡りました。


 上海は初めてでしたが、去年の夏以来、中国の冒険は二回目ですから、度胸はかなり据わっていました。

 揚子江を船でさかのぼり、途中から鉄道や長距離バス、ミニバンなど、さまざまな交通手段を乗り継いで、厳寒のチベット、省都ラサに入ります。オモテ向きにはラサは外国人立ち入り禁止の閉鎖都市でしたが、実際は日本語しか話せないような日本の大学生女子大生、OLとかだけでも百人単位でぶらぶらしていて、欧米人たちもわんさか歩きまわっていたことに、ぼくは少なからずショックを受けました。


 大晦日、年越しのパーティーをやろうよと誘ってくる日本人女子大生たちに「マジか」と内心愕然としながらも、それでもついふらふらと同意して一緒にパーティーの買出しに出かけると、街の中心の寺院前のマーケットで、俳優の高嶋政伸御一行様と出会ってしまいました。


 「ロケかなんかですかぁ? きゃいきゃい」

 と芸能人に群がる女子大生やらOLたちを眺めながら、けっこう命がけで潜入したつもりの真冬のチベット、聖地ラサだったのに、そりゃあ高嶋政伸もイヤそうな顔をしていましたけれど、ぼくだってこれじゃあラサなのか原宿なのかわからん、とがっかりしました。


 年が明けて一九九五年一月二日、「シガツェシガツェ」と連呼するミニバンに飛び乗って、パンチェン・ラマの名とともに聞き覚えのある南の小村シガツェを目指します。こうして隣村まで走るミニバンを乗り継ぎながら、雪で閉じ込められてしまう前に、ネパールとの国境を越えたい腹積もりです。


 そう、ぼくは暖かいところに行きたいと願いながら、厳寒のチベットを突っ切って、ネパールも越え、陸路でインドへ行こうとしていたのです。

 ね? これで話が繋がった……。 


 途中、漢人にすすめられ断りきれずに食べた毛長牛の肉に大中おおあたりし(真っ赤だったからなぁ)、ホントーに死ぬほどヤバイ状態に陥りましたが、そこへラサで年越しパーティーをやった女子大生たちがぴかぴかのトヨタ・ランドクルーザーを一台バーンとチャーターして通りがかったので、ネパール国境まで相乗りさせて貰うことにして九死に一生を得ました。


 あ、ちなみにチベットを越えてネパールの入管を通るときは、書類に写真を張る場所があるけれど写真を持っていなかったので自分の似顔絵を描いたらパスできた、なんてことを紀行本に書いた人がいるので、日本人はみんな(写真を持っていたとしても)似顔絵を描こうとするので迷惑だ、と入管の人が言っていました。要するにスペースはあるけど、もともと写真なんか要らないのです。写真は要らない。似顔絵もいらない。迷惑かけないようにね。


 ま、そんなこんなで、激烈な腹痛と下痢に打ちのめされつつも、ネパールの首都カトマンズまでたどり着くことが出来ました。

 なんでも手に入り、(外国人にとっては)スーパー激安な、旅人たちの天国カトマンズ。


 体調回復に努めつつ、ここでやっとぼくは「あれ? 先生ってネパールに移住したんだったな。まだいるのかな?」と思い立ちました。

 「探してみようか」

 でもなあ、こういうとき日本大使館って「個人情報は教えられない」とか言って、ケンモホロロで冷たいんだよなあ。まぁ大使館に行ったら日本の新聞も読めるかもしれないし、取りあえず行くだけ行ってみることにしよう。


 さて大使館の窓口で「小学生のときの担任の先生に十五年ぶりに会えるかもと思いまして……」と伝えてみました。すると、門前払いされるかと思いきや、職員の男性の反応が思いのほか良い。

 「先生のお名前は?」

 と聞いてくれました。話が進んだ、イケる、と少し興奮したのがまずかった。その瞬間まで覚えていた先生のフルネームを、まるまるスッポリど忘れしてしまったのです。


 あれ? あれ? 先生、先生としか思い浮かばない。だって先生としか呼んだことなかったもん。あれ? あれ? この“間”は致命的です。

 「ちょ、ちょっと待ってください、忘れちゃった」

 

 入管じゃないけど、いっそその場で先生の似顔絵でも描いてみようかとパニックになりかけましたが、このときの職員さんは本当にいい人だったのだと思います。同級生がときどきこっそりと先生のことを下の名前で○○ちゃんと読んでいたのを思い出し(ときに太っちょの男の子でも教壇から窓際まで吹っ飛ぶようなビンタを平気で食らわせる先生でしたから、ぼくは怖いと思ったことはなかったけれど、子供達には親しみと恐れが混在していたのかと思います)、いまだ名字はど忘れしたままでしたが、先生の下の名前だけ告げると、職員さんは信じてくれて、先生の電話番号を教えてくれました。


 先生は現地で製茶工場を経営する有名人になっていました。ただし先生は正月で日本に帰国していたので、再会はぼくがネパール、インドと数ヶ月の放浪を終えた後となります。


 それでもまぁ、なんというか、小学校の同級生だったみんな、ネパール行ったら先生に会ったよ。元気だった。子供の頃にはよくわからなかったけど、きっと当時も変わらずこうだったんだろうね、クソジジイだったよ。

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