第14話○月

 暖かな日だまりに寛ぐ午後も最高だが、草木もそろそろ欠伸をし出す真夜中の月光浴も格別だ。部屋の明かりを全て消して、窓のカーテンを全開にする。日光の入りやすい大きな窓は月もよく見える。

 濃紺をぽっかりとくりぬいたような銀色に、サイは緑の目を細めて見上げた。

「冴え冴えとする青白い世界。うん、いい月見日和だ」

 ワイングラスを宙で揺らせば、葡萄酒が渦を作る。静かな青の世界では深い赤は青みがかった紫に見えた。

 サイの白い肌や髪も薄青いベールを被せたようで、より人らしからぬ美貌になる。隣でグラスを持つジルの真っ黒いとからかわれる印象も、月が作り出す静謐な世界に馴染んでいた。

「いつも明るくなきゃしないだろ」

「風情が無いな、ジル。月には月の。星には星の。闇には闇の良さがある。こういう夜は綺麗だと言うべきだよ」

 煌々と輝く白い月にサイは手元を掲げる。言葉にできない賞賛ののち、グラスの縁に唇をつけて味わった。サイが生首になってから食事を共にするのも慣れたが、喉に落ちたものが消える先はどこなのか、ジルはたびたび不思議になる。不死となった身体、あるいは異次元。そんなことを考えていた頭へ勢いよく捩じ込まれた単語に、ジルは思いきり噎せた。

「嫉妬であれば話は別だね。いじらしくて、凄く可愛い」

 無遠慮に気道へ入ってきたワインに咳き込む。簡単な肴も置いたサイ用のテーブルに慌ててグラスを置き、袖で口元を覆った。

「女の子には嫉妬しないのに、月にはするんだよなぁ」

「ば、かか……! んなことっ、言うのは……っ本当に、お前だけっ、だぞ……!」

「気分がいいね。さらに綺麗と言ってあげよう。自慢じゃないけど僕の容姿はいい。その見た目に引けをとらないくらい、君の目は美しいよ」

 息を整えた肩を何かに押され、体の向きを変えられる。見上げるようにサイはジルを見つめていた。

 蒼い照りが施された澄んだ黄緑色に、釘付けになる。こうなると、どうにも逃れられず逃されることもない。だからジルは、サイと目を合わせるのが苦手だった。

 不服の目付きでも逸らしはしない。麗しい顔は予想通りの反応に美しく、かつ凶悪に微笑んでいる。

「真昼に輝く銀の月。闇を纏いながらも、けっして鈍らない冷えた色。もし宝飾にされるなら僕しか買わないけどね」

「当たり前だろ。お前のほうが高値がつく」

「いいや。譲らないからさ」

 絶対。必ず。君は、僕のだから。

 急に冷えた声色に鼓動が跳ねた。断じてときめきでない。ずっと慣れないからだ。

 飄々とした態度を貫くサイは有象無象をからかって生きている節がある。人が来るも去るも構わない。しかし時折、ジルには独占欲を覗かせていた。

 こいつはお気に入りを取られるのが嫌な子どもか。

 都度ジルは呆れ、妙な居心地の悪さを感じてしまう。世間を俯瞰しながら童心も持ち合わせる男が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。

「構えなくてもこれは例え話だ。ジルにあるから綺麗に見えるだけで、そうじゃなくなったら価値は大暴落する」

 体が勝手に微笑みへと近付いていく。サイはジルの目だけに集中していた。月を眺める名目で、常に隣にある名月に劣らぬ白銀の瞳に心を寄せた。

「だから僕だけを見ていればいいんだよ。我が愛しのお月様」

 まだ魔力はジルの体勢を持続させている。顔を隠すことも、ましてや身を捩っての逃げすら叶わない。蒼い世界でこの熱い頬はサイには何色に見えるのだろう。相棒を映す目はより一層、嬉しさに細められる。

「本当に可愛いな、ジルは」

 酒臭い吐息が頬に触れた。こんな酔っ払った生首の戯言と口づけに心を揺らされるのは悔しいか、己くらいか。冗談の境を掴めぬまま、本気でないと諦める自分にもジルは観念する。

 可愛いと言われて嬉しくなくとも、距離を許される事実だけは本物なのだから。

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