第13話●流行

 最近、ラピスが欲しい本は具体的なタイトルがある。昨日頼まれたのが街でもチラシが配られるほど有名な小説であるのは、エクスも知っている。しかし中身は知らない。ちらりと目を通す気もなかった。

 磐石な人気があり悲喜交々込められた心を震わせ動かす作品でも、人の目と異なる視点からすればありきたりだ。妙な薄っぺらさを感じてしまう。やはり魔神にとって人間ほど面白い娯楽はない。事実はときに空想より突拍子もなく、とてつもなく奇なり。小説も好きな同胞はいるが、やはり欲望を巡って繰り広げられる生が最も見応えのある物語である。

 それでも近くで楽しそうに読まれると興味が引かれてしまうのは、人間に関心を寄せる魔神の性だろうか。

 本自体は然程厚みはない。それでも七割読み終わられていると些か気になってしまう。集中を削がれる行為が嫌われるとは知りながら、とうとうエクスは尋ねてしまった。

「……面白いかね」

 文章は覗かないような角度から声をかける首に、ラピスは顔を向ける。不意の質問を受けた表情に邪魔された苛立ちはない。

「読んだことないの?」

「読むと思うかね?」

「ううん。読まないと思う」

 気になる? と問い返され、二つの目玉がぎょろぎょろと忙しなく回転する。

 表情の変化がわかりにくい顔だが、目玉とツノの発光からラピスは大体把握出来るようになっていた。亀裂内で上へ下へと動く様子からして、随分と悩んでいるらしい。何が理由かは見当がつかないものの、言葉を探しているのはわかる。

「これ、悪者扱いされた魔女と勘違いしてた騎士がちょっとずつ距離を縮めるんだ」

 問い掛ける側に慣れていないのだと判断したラピスは、勝手に説明を始めた。

 小説の主人公である魔女は、力と見目に見合った振る舞いを続けるべく躍起になった挙げ句、ひとつの綻びから悲惨な死を迎えてしまった。後悔を胸に抱いた最期の魔法が届いたのか、時は幼少期に戻っていた。今度は悪役にならないように、素の自分のまま目立たずに生きようとする。

 未来で彼女の首をはねる騎士は、豹変した魔女の態度に不審がる。それが実は本来の魔女だと知り、仮面を脱いだ姿に惹かれていく。

 彼らの心の機微や立ち塞がる問題を主軸にロマンスを繰り広げながら、多彩な脇役も登場させている恋愛ものだ。かつシリアスとコミカルさのバランスもよく、飽きさせない展開が魅力――と、エクスが見せられたチラシには書いてあった。

 使いふるされたあらすじに欠伸が出そうになる。実際「くだらない」とエクスは呟きそうになったが、止めた。楽しそうなラピスの邪魔はしたくなかった。

「今読んでる3巻で、やっと告白するんだよね。でも魔女が未来を知ってるって敵にバレてるのがわかって……」

 嬉々とした登場人物の説明を聞くよりも、チラシにある関係図を辿る指の方を見てしまう。ヒロインとヒーローを示しながら、はにかむ頬に関係性の憧れを滲ませていた。年相応より幼い雰囲気を残す顔がうっとりと微笑むのに、ラピスも恋に恋をする人間なのだ思わせる。

「やはり君も王子や騎士に憧れるのだな」

 己が溢した言葉にエクスは自分で驚き、少し首を浮かせた。知らない表情を見せられ、思考が灰色に濁ったか。何を言うと思えば、落胆か妬みにも似た感情を人間に抱くなんて。アンティキティラの指摘を思い出すエクスの焦りに、ラピスはまだ気づいてはいない。

「そうなのかな」きょとんとしながらもチラシを折り畳み、栞がわりにページに挟んだ。

 弁明は襤褸を出しかねない。会話に悩むエクスを水色と紫が射るように見つめる。

「だってエクスより凄いものなんて、いる? 無理なんじゃないかなぁ。魔神は何でもできるんだし。これ以上は贅沢だよ」

 王子様も騎士も、英雄も興味がない。誰より強くて賢くて、大切にしてくれる魔神が側にいる。それ以上の相手が他にいるだろうか。自分を選び、自分で選んだ答えで生きている。物語以上の出来事がラピスには起こっているのだ。

 居場所をくれて。一緒に日々を重ね。魔法も知識も教えてくれる、たったひとりの魔神。断言できる状況が端から見れば贅沢極まりないのをラピスは知らない。

 ラピスが相手に懐き、慕う気持ちはエクスが惹かれている類いとは違う。異なると理解したうえで、だからこそ彼女といるのだとエクスは自覚するしかない。

「これはこれは、世辞の上手い魔女様だ」

「お世辞じゃない」

「魔神に褒め言葉は些事だとも」

 その声が微かに弾んでいただけで、十分だとラピスは思う。小説のように幸福の結末が無いとしても、生きている実感を得た今さえあればいい。

「それでも私は、エクスがいいよ」

 たとえどんな終わりが来ようと、軌跡があるだけで生きていける気がした。

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