第8話●○鶺鴒

 森のせせらぎに、一匹の小鳥がいた。白黒の羽毛に包まれた小さな体が水辺に嘴をつけるたび、長い尾が上下に動く。細い脚での走り出しは俊敏だ。小柄だからこその速度で駆けていく。大きさも相まって玩具のようだ。ネジでもついているのではと疑いたくなってしまう。

 喉を潤しながら河原を闊歩していた鳥は、また一匹の来訪とともに足を止めた。

「待った?」

「ううん、待ってないよ」

 先に歩いていたのは雄で、降りてきたのは雌だった。二匹は番である。この近くに巣を作り、のどかに森を生きている。行動範囲は木々の合間や川辺だけでなく、時折付近の町まで拡がる。暇を見て変わりばんこに向かい、見てきたものや情報をかわすのが夫婦の楽しみだった。

「面白い話は聞けた?」

「たくさんね。で、聞いてくれる?」

「もちろん」

 妻が嘴をうずうずさせているのが可愛くて、夫はにこやかに促す。

「あのね、ここの他にも生首がいるんだって」

「ええっ?」

 夫が驚いたのは『生首』の部分ではない。『ここの他にも』と知っているもの以外の存在を示す言葉だった。


 夫婦が住む森には寂れた屋敷がある。存在する理由を鳥が知っているはずもない。森で生まれてからずっと人の気配はない。窓や扉が開かれた話もなかった。飛翔中に見かけるだけで特段注目もしておらず、風景の一部として馴染んでいるくらいだった。

 そんな屋敷に突如、移住者が現れたのだ。前日に夜闇に紛れて数名が乗り込んでいくのを、夜目の利く動物が見たらしい。夫婦も事前に鳥仲間から聞いていた。

 興味を持った彼らは敷地に一番近づける枝に舞い降りた。早朝の涼やかな空気に合う囀りを奏でれば、窓ががたりと大きく動いた。長年閉じられていたせいで建て付けが悪くなっているはずだが、異様な滑らかさで窓が開いた。

 小鳥は現れたものを見て、反射的に黙った。窓を開けたのは少女だった。紫と水色のオッドアイが興味津々に枝に止まる鳥を見ている。二色の目には驚いたものの、街まで出かけている夫婦がいまさら人間に動揺するはずもない。

 では、何に囀るのも止めたのか。それは側に浮く、ツノを持った異形の生首にだった。

「エクス、あれが鳴いてたのかな」

 親しげに呼ばれた生首は鳥に向かって縦にぱっくりと割れた亀裂を向けた。蠢いていた二つの目玉で存在を捉えられる。夫の方が一歩身を引こうとしたが、怖さで動けない妻に止められてしまった。

「そうとも。私たちでも見に来たのではないのかね」

 エクスというらしい首から穏やかで優しい声が聞こえる。口もない外見からは想像もできない美声は鳥でも一目置きたい声質だ。少女は半信半疑で聞き直す。

「そうなの?」

「こんな屋敷だ。住む者こそ、周囲には挨拶も必要になる。紹介も兼ねて散歩に行こうではないか。……では、後ほど」

 窓が閉じられる去り際に、首は意味ありげに亀裂を細めて会釈をした。足音が遠ざかるの待たずに、夫婦は飛び去った。とんでもないものが来た。あれは噂に聞く魔物じゃないのか。魔神だ。女の子と魔神が一緒にいる。

 小鳥夫婦の内緒にできない内緒話は、瞬く間に森中に拡散された。動物たちも魔神の自由奔放さと快楽主義は知っている。人の望みのためには手段を厭わない強大な力を自然は恐れた。宣言通りにやってきた少女たちを警戒したが、杞憂に終わった。動物に危害を加えるでもなく、植物も傷つけることなく、本当に自己紹介をして屋敷に帰っていった。それからも干渉する素振りも一向に見せない。

 いい距離感を保ち、敬意を持って接してくれる。ただの人間が住むより余程よかった。森は新参者を受け入れ、同じ大地に根付くものと判断を下した。


 夫婦も生首に慣れたが、それが別の地域にもいるとは。短い鳥生でも不可思議なことは重なるものだ。

「どこにいるんだい? その首は」

「話してくれた鳥も聞いただけなんだけど、二つの山と二つの谷を越えたところの、街のはずれにいるらしいの」

「そっちは、その……また魔神の?」

「それが人間なんだって。ちゃあんと、生きてるって」

「生きてるのか……」

 夫は短く、ぴ、と鳴いた。どこから出したからわからない声に、妻も同意を込めて長めに鳴いた。

 人間も死なずに首だけになれる場合があるのか。魔法があれば大抵の物事は上手くいくが、実際聞いてみると信じがたい。魔神の生首を見ている手前、信じるも何も真実だと受け止めるしかない。

「そっちは一緒に住んでる男の方が首の面倒を見ているらしいわよ。でもこっちと同じでね、仲良くしてるんだって」

「そうか。仲がいいならいいじゃないか。独りは寂しいだろう」

「そうよね。誰だって寂しいわよね。それからね、これは別の鳥からでね……」

 妻からの話題は尽きず、夫は相槌を返しながら耳を傾ける。水辺を歩く足並みだけでなく、尾羽の動きも揃っていた。

 鳥も人も、首だけも。きっと孤独でいるよりも他愛ない日々を過ごす存在といる方が、何倍もいいに決まっている。


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