第6話○眠り

 深夜、中途半端に覚醒したジルはベッドの上で身を起こした。カーテンの隙間から月光が差し込み、うっすらと部屋に光を与える。室内を見渡せる程度のほのかな明るさだった。寝惚け頭でなんとなしにサイドテーブルに置いてある麻籠を覗く。

 瞼を閉じて眠るサイの首が、置き物のように収まっていた。


  ◇  ◆  ◇


 この姿になっても一緒に寝たいとサイが申し出たとき、強く拒絶していいのかジルは迷った。

「でも知ってるかい? 首だけで寝るって、相当寂しいんだよ」

 首になった初めての夜、ジルに頼んで自室のベッドに転がしてもらった。首だけでしばらく動き回ったあと、体なく天井を見上げるのは考えていた以上の違和感があった。考えた結果、今はクッションを詰めた籠を寝床の代用品に定めている。安定して頭を預けられるのはありがたいが、改めて自分の部屋を見渡すのは言い表せないうら寂しさがあった。

 ジルは、サイと自分が並んで就寝する絵面を想像をした。長身の男と生首が添い寝する様子は不気味を通り越して滑稽だ。何より、寝返りをうったときに有り得る可能性が怖い。

「……押し潰さないか?」

 俺が。懸念した思いを正直に伝えると、サイは吹き出して笑った。

「それならサイドテーブルとかでいいからさ、側にいたい。ね、いいだろう?」

 一歩も――今は足もないが――引く気はないらしい。以前から互いの部屋で別々に寝ることもあれば、どちらかのベッドで一晩過ごしもしている。同じシーツにいなくとも、籠を目につくところに置くなら。寂しいと訴えられたのも加味して、ジルの天秤は揺れる。

 渋い顔をしながらも迷ってはくれる優しさを、サイは指摘しない。甘いと一言指摘したが最後、意識されるに決まっている。そっけない態度を取るものの、ジルはサイに強く出られない。惚れた弱味か、ギャップなのか。どう考えてもジルの可愛い部分だとサイは思っている。


  ◇  ◆  ◇


 言葉を発さない生首は精魂込めて手塩をかけられた、最高級な嗜好品に見える。陶磁器で作られたか。あるいはセルロイドか蝋の生き人形か。誰かが観賞するために製作させた、悪趣味な工芸品と言われても大概は信じてしまうかもしれない。この青暗い空間ではその美貌がより人間離れして凄艶さを増していた。

 彼自身は生きていると言ったが、あの舌で宣う文句の真偽は当人しかわからない。今も本当に、寝ているだけなのだろうか。

 御伽噺にある、眠る王女を見つけた王子とはこんな気分なのだろう。誰にも手をつけられていない、つけられない麗しい存在が手の届く間近にある喜びと、得体の知れなさに背筋を寒気が走る恐ろしさ。本物か。偽物か。生死不明の魔性が目を奪う。

 ベッドに腰掛けたジルは、サイの真ん中で分けられた前髪を払った。つるりとした白磁の額が見えやすくなる。そっとひとさし指で触れ、すぐに手を引っ込める。触れた部分は確かに温かかった。

 誰に言われるでもなく自ら確かめておいて、ジルは自分で恥ずかしくなった。

「……なにやってんだ……」

 夜明けはまだ遠い。またシーツに潜り込もうとした男を調子のいい声が呼び止める。

「そこで額にキスをしないのが、ジルだよな」

「するかよ」

「僕ならするね」

 静謐な紺の闇で言葉を紡ぐ。目を開いていて話していても、サイからはやはり独特の雰囲気がある。首だけになってより顕著になっていた。

「起こしたな」

「いいよ。気にしない代わりに『おまじない』が欲しいなー。それなら気持ちよくまた寝られそうだ」

 妙案に深く頷くサイをジルは顰めっ面で見つめる。力の強さに顔のパーツが中央に寄りそうになっていた。嫌な予感がしていた。眉間に刻まれた渓谷の深さは応じたくない気持ちを如実に表している。

 母が子どもに祝福のキスを贈るように、サイはジルから愛を欲しがっている。首にだけになって肉体的なスキンシップも減ったのもひとつの要因だろう。

 駄々をこね始めかねない相手に聞かせるべく盛大なため息が吐かれた。このまま美しい首を袖にできるのは、ジルくらいなものだ。だが求められた以上、むしろ長引かせると面倒だと学んでいる彼は拒否を選択できない。

 ため息を吐ききると銀色の目つきが変わる。諦観を含んだ決意の眼差しをサイに注ぎながら、ジルは指でまた白髪を浚った。今度はねだってきた唇がため息を吐く番だった。

「……違うだろう、ジル。そこじゃない」

 見えない力に後頭部を押されて、ジルの顎は斜め下を向かされた。

「こっち」

 そのまま、薄い唇がサイのそれに重なる。久々の感触にサイは目を閉じて耽った。動かないジルの唇はかさついているが柔らかく、質感も厚みもずっとサイ好みだ。堪能すべく何度も押し付け、啄む。丁寧にも時に強く、優しく。ジルの予感は的中した。欲されたのは親子の愛情で行われるものとは程遠いものだった。

 しかし、ひたすらに甘い蹂躙をジルは身動ぎもせず受け止めた。角度を変えようとすればジル自身から率先して傾け、サイへの負担を最小限に留めようとする。さすがに舌の侵入を試みられたときは、形のいい耳を軽く引っ張った。

「もういいだろ」

 唾で濡れた口をジルは袖で拭った。サイの唇も同じように濡れ、より艶やかになっている。欲の現れを直視できないジルによって、乱暴に拭かれた。

「まさかこれするために、言い出したんじゃないよな」

「うん。これでよく寝られそうな気がする」

 就寝前からジルを手のひらで転がしていた恋人は、本懐を遂げてやっと大人しくなった。返す言葉もつっかえたジルは、やれやれとシーツを被る。サイは動作を愛おしげに見ながら、あくまで優雅に微笑んでいた。


「君だって、嫌いじゃないくせに」


 転がされた男は、囁く態度も嫌いになれない。慣らされた諦めをおやすみの代わりに呟く。


「お前だからな。お前以外なら、俺はいらない」


 寝言だ。そう付け加えて目を閉じるジルはサイの首をちらりとも見なかった。

 近寄れない距離は幸運であり、やはりとても寂しいものだった。

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