第5話●旅

 魔神はあらゆる人々の願いを聞き届けてきた。時に城壁内で喚ばれ。時に真夜中の広場に喚ばれ。エクスも例外ではない。個人や集団の長、ラピスの元に至るまでに時代や国、時空や次元を越えて召喚されている。

 人智を超越した存在に垣根は存在しない。ありとあらゆる国で、あるがままの歴史や出来事を目の当たりにしてきた。

 今日のラピスの願いは屋敷に残されていた本の修繕だ。至る所から一カ所に集めた厚み様々な本を前に、エクスは快諾した。

 置き去りにされた種類は豊富だった。余程急に住処を手放したらしい。物語やレシピに、歴史書。共通しているのは各国各地の地域性を収集した点だろう。本を開いたラピスだったが理解に届かない文章も多い。

「教えて」と請われればエクスに断る道理はなかった。浮いていた首が卓上に降り立つ。着地点は本を挟んだラピスの正面だ。

 大きく開かれた書物を共に巡っていく。聞き慣れない料理の説明には実物が出される。異国の絶景は宙を窓のように開いて、ありのままを見せた。ラピスは現れて消える料理をひとくちずつ味わい、この場にいても目の当たりにできる景色に感嘆した。

 座っているだけで堪能できる旅路は目まぐるしい。少し幼くはしゃぐ様子に、これまでの生い立ちが偲ばれる。彼女の世界はエクスが考えているより狭かった。自分が重ねてきた経験が喜ばれるのは、世界の表裏全て視てきた裂溝に存外と眩しかった。

 一番難解なのは歴史書のようなものだった。筆者が訪れた土地周辺にある伝説や由来、情報が記されていた。途中でブルーブラックのインクで補足や訂正が書き込まれている。以前の持ち主による検証だろうか。

 言い回しが複雑な文面にラピスが頭を抱えるたび、下から丁寧な解説がされた。


「えっと……これは?」

 また指さした先には『竜脈』と書かれている。普通の知識でも聞き慣れない単語だ。エクスは流暢に説明する。

「竜脈というのは、水のように地中にある魔力の流れだ。この土地は元々魔術師を多く産出するが、その理由が竜脈にあるのではと言われているな。補足には『出典を探す』とある。文字を記した人間は疑問を持ち、裏付けを探している」

「関係あるんだ」

「土地によるとも。水と似ると言うことは土に滲み、生き物に取り込まれる可能性がある。微量であれば影響は少ないが、多ければなにかしら表立つだろう」

 例えに出された水脈と同様だ。硬水の成り立ちと似ている。鉱物の多い土地柄では水に成分が溶け出して利用に影響を及ぼす。異なるのは同じ竜脈の影響でも土地で差があり、根付く生命との相性もある点だった。

 一概に竜脈に近いから強く出るわけでもない。縁がないと認識されていた場所で一点だけ直結していたり、ある環境下では断絶されるなどもある。

 自分が知る地点の様子を語りながら、エクスは随分と前に己を喚んだ者が鼻を高くして語るのをうっすらと思い出していた。彼の全身を最後に召喚した男は自分がどう労を尽くしたか、訊きもしないのに勝手に語ってくれた。

 魔神の召還は土地に左右されると噂に聞き、竜脈の力が強く出る場所を必死に探した。竜脈が近い方が成功率は高く、より強大な相手が召喚できるらしい。他の魔神たちも随所に、もしくはこの世界とは別の世界に行っている可能性はある。場所に興味を持つかは別として、人からすれば一生をかけても得られない贅沢かもしれない。

 そういえば。あらゆる土地に行きたがったので連れて行ったら、水底で骨ごと潰れてしまった者もいた。見事な圧死に浸る首に、ラピスはページを進めながら尋ねた。

「此処はどう?」

「此処はちょうどいい。可も無く、不可も無いとも」

「そっか。じゃあ、居やすい?」

 放たれた憂色の声に金色の視線を紙から上げる。小首を傾げた顔は曇り、前髪のせいだけではない影がかかっていた。以前の人間と比べられたと思っているらしい。

 比較以前に、エクスが願い以外で興味を惹かれた人間はラピスが初めてだ。

「君がいるだけで私は十分だよ」

 喚ばれた土地と生命を転々と見回るのもいいが、動かずに読書を共に嗜むのも一興と知った今もいい。

 しかし、ラピスはどうだろうか。彼女は同世代の子どもより外界を知らない。まだ若い人間の世界が屋敷だけというのが味気ないのは、魔神でもわかる。付近の街に何度かラピスも出かけているが、それだけでは足りない。自身の今後を決定する上でも教養を得ていて損はないだろう。

 エクスの思考内で冷静な小言がこだまする。

 流石に目をかけすぎではないかね。飽きた後が面倒にならないだろうか。

 正しい皮肉に自嘲もしない。もう手遅れだ。浮かれているのは初めからだった。

 興味を持った個体がどうなるのか。人間好きならば、可能性の行く先を知りたくないわけがない。自ら語りかけるのにも慣れてきた。

「屋敷で見るだけではつまらないだろう。よければ共に遠出に勤しんでみないかね。嫌でなればの話だが、如何だろうか」

 それは万事を操作する魔神による、日帰り旅行の宣言だった。ささやかで変哲もない、朗らかな誘いだ。それでも受けたラピスから憂いが吹き飛ぶ。目を輝かせて頷き、喜んだ。


 どれほどかと言うと。

 折角直した本を危うく天井に放り投げてしまうところだった。

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