第4話○温室

 魔法には制限や代償はあるが、固定された法則はない。自然が持ってる現象を捻じ曲げて摩訶不思議な物事を引き起こすのが、魔法だ。

 例えば小さいものは大きく、大きいものは小さく。軽いものは深海に沈み、重いものでも空を飛ぶ。魔術師や魔法使いと呼ばれる魔力を学んだ者にとっては当然の常識だ。彼らの扱う道具や住居も使いやすいように各自が魔法を施して改築していることが多い。

 もちろん、サイの家も例外ではなかった。


 ジルは玄関の右隣にあるドアを開けて地下に続く階段を降りた。地下一階を過ぎてさらに進む。地下二階で止まると、しばらく廊下を道なりにまっすぐ。サイの首を両手で持つため、ランプは手元にない。代わりに小さな光球が少し前で浮かび、目的地までの廊下を照らしていた。

 サイの家は小さな二階建ての家に見えるが、実際の部屋数はその倍以上存在している。空間を歪めての改築は魔術師にとって基礎中の基礎だ。初めて家を案内された当時、案内されたジルはまず地図を作ったが役に立たなかった。間取りはサイの気分で変わり、ドアで離れた部屋同士を直結するのも日常茶飯事だった。

 未だジルも行き方を知らない領域があり、家主ですら覚えてない部屋もある。混沌した雑然な家は人の理論からはずれた魔法のあり方を体現していた。

 廊下は地下特有の湿気もなく、石畳は乾いてすこぶる歩きやすい。今から向かう場所はジルも何度か来訪している。見慣れた緑がかった木の扉の前で止まると、サイの三つ編みが揺れた。

「ありがとう。開けるよ」

 解錠ののち、ドアは触れられることなく開く。開かれた先から溢れ出る光と爽やかな風に、ジルは反射的に目を細めた。

 視界に飛び込んでくるのは明暗濃淡様々な緑だった。清涼とした空気は付近に水場の存在を知らせている。すくすくと伸びた枝葉。足元で可憐に咲く花々。果実もみのっている。豊かな自然に加えて簡素な畑も整備されており、下手な植物園よりも種類は豊富かもしれない。

 一見は田舎の小さな森に見えるが、よく見れば異物も混ざっていた。ジョウロや選定鋏といった庭師顔負けの道具が並ぶ棚が陳列し、実験も行うようなガラス製の器具の乗った机も点在する。魔術書の束やジルでは用途不明のものまでありとあらゆるものが置かれていた。

 家具の脚はどれも床と同化していた。家具まで地面に、いや部屋に生えているようだ。室内であると忘れさせる不自然な自然はどれもサイの手で生み出され、管理されている。

 ドアの内側では稀代の魔術師が拵えた森が目一杯に命を育んでいた。


    ◇  ◆  ◇


 森に入室したジルは一番大きなテーブルに、サイを音を立てずに置いた。

 いつ来ても不思議だとジルは見上げる。此処が部屋で、地下であるとは思えない。木々が悠然と生い茂る頭上からは木漏れ日が落ちてくる。葉の隙間から青空が見え、天井がある気配も見当たらない。別の場所から目隠しをされて急に見せられたら、外に出されたと勘違いしてもおかしくない。

 そもそも本当に室内であるかも怪しい。サイに尋ねても真実を言うかは別だ。はぐらかされるのは目に見えており、聞く気はこの先も皆無だろう。必要な植物を栽培して魔法に関わる物を作る以外の認識はジルにとっては不要だった。

 二人は日常を続けると決めていた。生首になっても生きている事実は伏せ、周囲の出方を伺う狙いもあった。生首になってもサイは魔法で動作は補えている。魔法薬の調合や道具などの製作も問題なかった。

 だが所詮、生首だ。自力ではまともに動けない。移動には誰かの介助が必須になる。今日、ジルがサイと共に部屋を訪れたのも理由もそれだけだ。体のいい運搬係も、肩書きにしばらく追加されている。

 周囲よりも明るい黄緑を輝かせ、サイは卓上の道具を操っていた。調合をしながらも棚から鋏を動かして、側ですずなった果実を収穫する。指先も技術も常に器用な彼を運び役はただ眺めていた。帰ろうか迷う暇人はただでは放っておかれない。

「ジル。畑とか鉢、植木の水やりを頼むよ」

 急に転送されてきたジョウロを両手で瞬時に受け止める。向きだけは自力で変えられるサイが、視線で水場を示していた。

 今日のジルに仕事は無い。言うがままに水を入れながら、声の音量を少し上げて尋ねた。

「他にはあるか?」

「今は無いね。また思い出すかもしれないな」

 植物の根元に向けて傾けたジョウロから、水がシャワーになって落ちていく。地面を濡らす細やかな音は、上から降る梢の囁きに似ている。遅れてサイがページを捲る音も重なれば、心地のいい和音が耳から伝わる。

 春の温かさに満たされた内部は相当居心地がいい。ジルの来訪のうち数回はサイに誘われたピクニックが理由だ。寛ぎやすい空間にのんびりと微睡んだのは少なくはない。

 草木たちも気に入っているのは、豊かな生育を見れば一目瞭然だった。ジルは低木の茂みに葉露を作りながら、恵みを浴びる彼らが少しばかり自分に似ていると思った。己も整えられた空間に慣れる植物のようにサイがいる場所に慣れ、出会った頃よりも格段に居心地がいいと感じるようになっている。

 よく慣れたものだ。我ながら苦笑せずにいられなかった。確かに恩義はあったが、心が根を張るまで居るつもりはなかった。

 水の出が弱くなり、注いでいた手元が軽くなる。渇きを訴える仲間はまだ残っていた。ジルが給水のために振り向くと、作業のために魔法を使うサイが目に止まった。

 日差しを受ける白髪が深緑に輝いている。黄緑の瞳が魔力に揺れて、煌めいている。ジルの目でも純粋に綺麗と思うなら、万人が見れば綺麗と断言するだろう。

 涼しげな容姿も相乗して、油断すれば森に消えていきそうな儚さがあった。目を離した瞬間、この場にいない幻想を僅かによぎらせる。が、眼差しから散る鮮烈な赤い火花で思考は現実に引き戻される。

 目が覚める相対色は彼が簡単に消えはしない人物だと訴えた。その通りだ。サイは生首になっても気ままに存在している。自身の状態を愉快に変えて返り討ちを計画している。きっとその反応も楽しむに決まっている男だ。

 妙に世間とずれた図太さだからこそ、共にいられるのかもしれない。

 注視に気付いたのか、変人は閃光を宿したままで相方を捉える。

「ん? どうかしたかい?」

「なんでもねぇよ」

 少し跳ねた鼓動に見惚れていた自覚が促された。動揺を表に出さず、大股で水場に歩き出す。それでも、冷静さを繕う横顔はずっと見られていた。

 何を考えていたのか。何を思っていたのか。全て理解していると雄弁に語る視線が煩くても、ジルは絶対に意識を寄越さない。

 見てしまったが最後、自分こそが周囲の緑に――ではなく。彼に吸い寄せられてしまう予感が拭えなかった。

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