第3話●だんまり
ラピスはじっと見つめている。右が紫、左が水色という珍しいオッドアイで目の前の物体を見つめている。異なる色が放つ眼力は小柄な少女にしては強く、ひたすらにまっすぐだ。
「エクス」
名前を呼ばれた物体は答えない。青いツノを生やした真っ黒な卵形は黙したまま宙に浮いている。異形の生首であるエクスは、普段であれば縦に開いている裂溝も閉じていた。
しかしラピスは既に彼が饒舌であることを知ってしまっている。黙っているのは十中八九、意図的だ。
「エクス。エクス。ねぇ、聞いてるよね?」
小さな唇が根気よく名を呼んだ。自分には教えてくれた、異形の魔神の名前だ。本来の名はラピスが呼ぶより長い。気まぐれに人を消滅するなど朝飯前のエクスだが、短く呼ばれるのを怒ることなく許してくれる。
ラピスも怒っているわけではない。それは、お互いにわかっていた。
「エクス。エクスってば。本当に嬉しいんだよ。すごく嬉しいんだけど……だけど、こんなには着れない」
ラピスは服の山に囲まれていた。丈も異なる色とりどりのワンピース。素材の違うシャツやスカートに、上着たち。靴下も各種揃えられ、高さや種類も豊富な靴まで選びたい放題だ。街中の服屋からかき集めて山積みにした光景が、一室に納められている。
先日まで一文無しだったラピスが買える量ではない。無論全てエクスが用意した品々だった。
「ラピスも欲しがったではないかね」
「思ったけど……勿体ない」
思慮深い単語に、やっとエクスは亀裂から二つの黄金の目玉を覗かせた。
召喚された魔神はラピスの願いに沿って、古びた屋敷を瞬く間に改装した。新築同然の家に合わせ、少女の服も変えていく。彼女が着ていたものはお世辞にもいい状態ではなかった。何回も洗われ、ほつれは繕われ、着れる限界を先延ばしにしているような服だった。それを白のブラウスに、サテンの光沢が美しいブルーブラックのリボンタイ。裾にレースをあしらった上品なスカートと動きやすいショートブーツに変える。
変えただけで目を輝かせ礼を言うものだから、どれだけ少女の欲望は控えめなのだろうとエクスは思った。
だから余計に、なのかもしれない。エクスの性質上、求められると際限無く与えたくなってしまう。こんなものがいいなと小さな呟きを聞きさえすれば、すぐに現物を出現させてラピスを困惑させるばかりだった。
「人は欲すものだろう?」
「それぞれだよ。自分でできることが減る気もする」
「……それも、そうか」
また黙り込み、金色の目玉たちが見えなくなる。硬貨でもアクセサリーでもない、独特の照りをする輝きが隙間に消えてしまう。ラピスの眉尻が下がっていく。自分を見てくれる目が消えてしまうだけで、彼女は寂しかった。
確かに最初は信じられないほど嬉しかった。こんなに綺麗で、装飾も可愛らしい服を選べる自由を喜んだ。
見かけたもの、想像したものがそのまま手元に来る。エクスには造作もない至極当然の、魔神たるべきおこないなのだろう。それでも「ありがとう」と何度も口にすると「礼には及ばぬとも」と柔らかい苦笑をされてしまった。
回数を重ねると言葉ではとても追い付かなくなっていた。対価無く寄越される無尽蔵の贈り物に、ラピスは自身が意外にも耐性がないと気付いた。そのうち心苦しさも沈積される自覚をし、少しずつ物悲しくなった。
ラピスの境遇はけっして恵まれてはいない。魔力や扱う才能も自ら望んで得たものではない。だが、自分でできる物事は嫌いになれなかった。魔法も、世界の理が一瞬でも己の手で変えられる。一変する瞬間だけはいつも楽しかった。
しばらく黙っていた生首は、急に声を出す。
「では、こうしよう」
視界を遮断していたのは思案するためだったらしい。魔神とは気まぐれな種族だ。
やはり飽きられただろうか。ラピスは両手を強く握り、短い同居の終わりを覚悟をした。杞憂だった。
「今日は仕分けの日だ。ラピスが選んだもの以外は一度消す。それで今はいいかね?」
『今は』に引っ掛かってもラピスは頷いて条件を飲んだ。勝手にまた贈られる今後が予想できるが、無限に増殖されるよりはいい。
ほっとする愛し子にエクスは恭しく丁寧に近づく。
「申し訳なかった。何分久々の顕現であり……不覚にも舞い上がっていたらしい」
「……それはわかるかも」
謝罪にラピスも同意する。変わらない世界から外に出た解放感は、待ち構えている出来事を考えるより先に喜んでしまうものだ。
「わかっていただけて何よりだ。さあ、そうと決まれば進めていくとしよう」
口が無くとも話好きの魔神は黙るのを止めたようだった。
◇ ◆ ◇
衣服の仕分けは着々と続いていく。ラピスが次に手に取ったのは、紫から紺色の移ろいが美しいドレスワンピースだった。所々に縫いつけられたビーズとビジューもあり、冬の夜を服にしたらこうだろうと想像してしまう。
実際、夜空を見てラピスが思い付いたものをエクスが具現化して贈ったものだ。見るたびにため息が出るほど気に入っている。実は時々こっそり取り出しては眺めている。着るのも勿体なく見合う自信もないため、まだ袖を通す勇気が出ない。
作業を少し中断したラピスに、エクスも満足げに作った当時を振り返る。
「君の想像がとても良かった。私もいいと思える品だ。傑作だとも」
「じゃあこれは余計に大切にしないと」
「他にも豪華なものはあるだろう?」
「ふふ、そうだね」
何故残されたのか理解していない相手を気にせず、ラピスは仕分けを再開した。
今度はラピスが、何も言わない番だ。
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