推し活に卒業はありません
石田空
第1話
「もうすぐ新社会人だし、オタクをそろそろ卒業しようと思ってるんですよ」
趣味界隈の皆で行うオンライン飲み会。その中で私が言った言葉に、カメラ越しに映る皆は一斉に引きつった顔をした。あれ。変なこと言ったっけ。
『……モモッチ、誰かから趣味辞めろって言われたの?』
震えるように先陣を切ってきたのは、この趣味界隈でも有名人のノノさんだった。カメラ越しに映る彼女の一室には、見たことないようなエスニック料理と一緒に、集めたらしい古本が何冊も映っている。
それに私は「違いますよぉ」と笑った。
「私もそろそろ新社会人ですし、趣味に使う時間を削ったほうがいいんじゃないかと」
『いやいやいやいや、辞めたほうがいいですよっ!』
そうツッコんできたのは、椎名ちゃん。料理が苦手な彼女はカメラに映っているのもコンビニ唐揚げ弁当とストロング缶のチューハイ。彼女は一気に捲し立てた。
『社会人にとって、趣味はライフラインですからね!? なにか好きなもの楽しいものをひとつでも持ってなかったら、簡単に潰されますからね!? 学生が思っている以上に、趣味って重要なんですよ!!』
「大袈裟な……うちの会社、ブラックでもありませんし、ベンチャー企業でもないから、そこまで体育会系でもないですよ」
『……これから長い間働かないと駄目なのに、趣味もなしでどうやって生きるんですか? このままじゃ生きる屍になりますから、本当に辞めたほうがいいですよ?』
全員がなぜか一斉に止めてくる。
それに私は「うーん?」としてしまった。
大袈裟な。というのが半分。世の中の人って、無趣味でもそれなりに生きているし、ご飯だっておいしいし、別に大丈夫じゃないの? というのが半分。
SNSは趣味界隈でも賑やかで楽しいけれど、簡単に炎上する。
だから、就職を機にSNSを仕事用以外全部辞めて、ついでに趣味から離れようかなと思っただけなんだけどなあ。
寂しいから? 仲間がいなくなるから? 結局のところ私は、皆に「はあい」と口先だけで伝えてから、皆がいなくなってから一斉にアカウントの削除にかかった。
薄情と思われても結構。私は大人になるんだから。
****
就職してから、仕事を覚えて少しずつ働きはじめた。
最初の一週間くらいは本当に楽しかった。次の二週間くらいも、やること、やれることが増えてきて楽しかった。
なんだ、周りは大袈裟だったんだな。そう納得した。
趣味の界隈にいたときに持っていたペンライトは全部ネットフリマで売り払った。ついでにゲーム機なんかも売ったらすっきりして、お小遣いになった。
私はしばらくの間は、充実した毎日を送っていたと思ったけれど。
あれとなったのは、同期の皆でお昼を食べているときだった。
「それでさ、先輩の松永さんと橘さん、付き合ってるんだってさ」
「社内恋愛って本当にあるんだあ……」
「でも結婚する気なさそうだよ。うちの会社、結婚したと同時に転勤が入るんだってさ。どっちもキャリア潰されるの嫌だからって」
「へえ……」
社員食堂は充実していて、どれもこれもおいしい上に量が選べるはずなのに。その日の食事はどうもおいしくなかった。
(あれ? 私、疲れてる?)
最初の違和感はここだった。
次の違和感は、その日の仕事が終わり、帰ろうとしているところで。
「ねえ、汀さん、合コンに行かない? 彼氏できるよ?」
「えー……私、そういうの興味ないんで」
「えー……だったら汀さん、普段家でなにやってるの? 彼氏いたら毎日楽しいよ?」
それに私は閉口してしまった。
(私、大学時代に彼氏いなかったけれど、人生毎日無茶苦茶楽しかったのに。人に接待してもらわないと人生って楽しめないものなの?)
そこでようやく気が付いてしまった。
趣味のない人の趣味って、人間関係だと。誰かが結婚したからご祝儀とか、誰かが家族亡くされたからお悔やみとか、それらは仕事の関係上聞かないといけないから必要だけれど。誰かと誰かが付き合っているとか興味ないし、人の趣味をあげつらうのも、その人の勝手でしょとしか思えないし。
趣味のない人って、つまらない。会話が見知らぬ人の噂しかなくって楽しくない。
私の中で、強い衝撃だった。
でも。でも。私、いた界隈のもの全部売っちゃったし。今更あの界隈にどの面下げて帰ればいいんだろう。
どうしよう。私、趣味持ったほうがいい。
本当に、強い衝撃だったのだ。
****
二次元のアイドルが好きだった。
二次元だと年を取らないし、スキャンダルもないし。
ソシャゲ界隈にはアイドルゲームが数種類くらいあり、私のしていたソシャゲのアイドルは、原作シナリオはびっくりするほどに賛否両論だったけれど、歌やパフォーマンスは本当に人気で、ライブにはしょっちゅう直参していた。
二次元のアイドルにペンライト振ってどうするのとか。中の人のライブじゃ駄目なのかとか。趣味に関係ない人にはさんざん言われたけれど。
ライブ会場に行けば、それは紛れもなく、アイドルのライブ会場だとわかる。
今日のセットリストはどうだろう。どこのアイドルユニットが送迎の言葉を言ってくれるんだろう。ライブ中に振ってくるリボンの取り合い、グッズの抽選交換。もうなにもかもが楽しかった。
その空気に浸りたいけれど、久々だと感覚が掴めなくて、チケットを買うことがついにできなかった。
【チケットはご用意されませんでした】
そのメールに突っ伏した。
「……行きたかったな、ライブ」
ソシャゲでは、四周年記念でいろいろイベント目白押しだけれど、私は削除したアプリを再び入れる勇気もなくて、ただ突っ伏して途方に暮れていた中。
アカウントを入れずに見ていたSNSで【チケット譲ります】の文字が見えた。
【チケット譲ります
諸事情で直参できなくなってしまいましたので、直参で行ける人、当日参加ユニットが好きな人に、チケットをお譲りします。
条件は、その日のライブレポートをマンガなら四枚以上、レポート文なら一万字以上上げてくれることです。】
なかなか厳しい条件のせいか、未だにそのチケットは残っているようだった。
私はちらりとSNSを見る。
たしかひと月以内だったら、アカウントを復元できたような。
「……戻ったら、皆に砂をかけたのに怒られないかな?」
でもライブに行きたい。レポートなら、私毎日一万字くらい軽く上げてた。
好きなものがあったら、人のことをあげつらうことなんて、どうでもよくなる。自分のことが一番楽しくなるのだから。
私はアカウントの復元方法を検索して、復元をはじめた。
もし、ここで復元できてチケットを譲ってもらえたら。
皆にちゃんと謝ろう。
もし、レポート一万字書けたら、思い切って言ってみよう。
卒業しても、趣味は捨てるな。
趣味のない人生って、マジでつまらないぞと。
本当に先輩たちの言っていたことを思い知るなんて、思いもしなかったな。私はそう思いながら、アカウントが復元されるのを待っていた。
<了>
推し活に卒業はありません 石田空 @soraisida
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