第3話 プロローグ 3
男が未桜の前に座ってから沈黙が続く。
未桜は困惑していた。ここには結婚相手の方が来ると思っていたのに現れたのは、あの日助けてくれた男で何がどうなっているのかわからなかった。
そもそもこの男はどうしてここにいるのか、一体何者か疑問に思う。
このまま黙っていても仕方ないかと思い話しかけようとする前に男の方が先に口を開いた。
「私の名は若桜桃志郎と申します。この度は結婚を承諾してくださり感謝しています。ありがとうございます」
頭を下げ、礼を述べる桃志郎。
今目の前にいるのが若桜家当主の若桜桃志郎だと知り驚く未桜。四百年の歴史に終止符をうち新たな歴史を作った男が目の前で座っていることが信じられない。
でも、考えてみればここは若桜家の屋敷。桃志郎が居てもおかしくはない。そもそもこの結婚は、桐花家と若桜家の繋がりをよくしていきましょうというもの。
桃志郎が未桜にお礼を言いにきたのはそのためだろう。
ハッと我に返った未桜は自分を名乗らなければと口を開く。
「私の名は桐花未桜と申します。こちらこそ感謝しています。ありがとうございます」
手を床につき頭を下げて礼を述べる未桜。本当は感謝などしてなかった。
この結婚は未桜の意志とは関係なく決まったもの。信近が勝手に自分を追い出し当主になろうとしたもの。
桃志郎が信近の思惑など知る由もない。未桜は彼が部下の為に用意したものだと思っている。
桐花の名を名乗ることはもうできないが、新しい名でも私は私だと。胸を張って生きていこうと決意する。
未桜は頭を下げていて桃志郎の顔を見ていなかった。そのせいで、桃志郎がどんな顔をして未桜を見ていたかを知る由もなかった。
「顔を上げてください」
桃志郎の言葉にゆっくりと顔をあげる。顔をあげ前をむくとバチッと桃志郎と目が合う。
「(まただ。あの日もそんな目で私を見ていた)」
その目で見つめられると変な気持ちになる。心が温かくなる。
それと同時に変な気持ちにもなる。言葉で説明しろと言われたら難しいが、初めての感覚に戸惑う。
桃志郎が懐に手を入れ木箱を取り出す。木箱の蓋を開けて中身が見えるように未桜に見せる。
「えっ…これは…」
中身はあの日桃志郎に託した桜の簪だった。
「この簪には私より貴方の方が似合う。きっと、この簪も貴方につけて貰いたいと思っているはずです」
桃志郎は未桜の方へと近づき「失礼」と一言呟くと簪を髪に挿す。
「うん。やはり貴方によく似合う。とても綺麗です」
その姿を愛しそうに眺める桃志郎。
桃志郎の優しさが心に染みる。気がつけば涙が頬を伝っていた。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
もう二度とこの簪を見ることも触れることもできないと諦めていた。それが、また自分の手元に戻ってきた。
本当は手放したかなどなかった。母親が死ぬ間際に託してくれた大切な簪だった。
それでもら寧々に取られるくらいなら、桃志郎にお礼として渡した方がいいだろうと。
寧々より桃志郎の方が大切にしてくれると思い託した。
桃志郎に渡したことは後悔していないが、母親への申し訳なさと自分の無力さに心を痛めていた。
お礼を桃志郎に述べて静かに涙を流し続ける。止めようとしても止まらなくてどうしていいかわからずにいると、桃志郎が優しく背中を撫でる。その手が温かくて母親の温もり思い出して涙が溢れだす。
未桜が落ちつくまで何も言わず優しく背中をさすり続ける桃志郎。
「すみません。もう大丈夫です。ありがとうございます」
ようやく落ち着き涙が止まった。途中差し出された手拭いは、未桜の涙でびっしょりと濡れていた。
本当は桃志郎の目を見てお礼を言うべきだとわかっていたが、恥ずかしさで顔をあげることが出来なかった。
未桜は下をむいていたから、またも桃志郎がどんな表情で未桜を見ていたか知らない。
涙を止まりここにきた本来の目的を思い出す未桜。
「(自分は結婚相手に会う為にきたのに、何泣いているの私。はやく紹介してもらわないと)」
このままここに桃志郎と居たらいけない気がしてくる未桜。
「あの、すみません。私の結婚相手の方はいつ来るのでしょうか」
と尋ねる未桜。
「もう、ここにいます」
と桃志郎が言う。
何を言っているのかわからず「えっ」と思わず声が出る未桜。ゆっくりと顔を桃志郎の方へとむけるとバチッと目が合う。
「私です。私が貴方の結婚相手です」
昨日、寧々が無理矢理教えたてくれた結婚相手の話しと違う。
寧々の話しでは妖との闘いで全身火傷の大怪我を負い常に包帯をしている。そして、左腕と右目も失ったと。
町の人達には化け物と呼ばれ気持ち悪いと避けられている。誰一人近づいて来ない。一人山奥に住んでいる。
そう寧々から聞いていた。でも、今未桜の前にいる男は透き通った白い肌に腰まである美しい黒髪。整った顔立ちをしていて世にいう美男子。
陰陽師として名を馳せこの国で最も有名な人物。国中の人達に好かれている。それが目の前にいる若桜桃志郎という男。
そんな桃志郎が本当の自分の結婚相手だったと知る未桜。
「何か誤解があったみたいですね」
驚いて固まる未桜を見て特に驚く様子もなく淡々と話す桃志郎。
「すみません。両親から聞かされていたお相手と違い、その…あの…本当に私が結婚相手で間違いないですか」
若桜家当主が何故自分を結婚相手に選んだのか、何かの間違いではないかと思う未桜。
容姿は平凡、陰陽師の名家に生まれたのにも関わらず才能はなかった。
結婚相手のことを知らずに桃志郎が会うはずはない。だから、どうしてそんな相手が自分を選んだのかかわからなかった未桜。
「ええ、間違いありません」
桃志郎の愛しい人を見るような瞳に顔が赤くなっていく未桜。
桃志郎と目が合う。これから何を言われるのかわかる。
「桐花未桜さん。私と結婚してください」
親愛なる母上。私はたった今、この国の女性達に最も結婚したい男として有名な人に求婚されました。
「(母上、私はこの人と結婚したいです。私は幸せになってもいいでしょうか)」
元々、未桜に選択肢など無いが、何故か心の底から桃志郎と結婚したいとそう思った。
この手を掴めば幸せな日々を過ごせる気がすると。
互いを尊重し支えあえる関係になれるのではと。
桃志郎たなら心が通じあえる夫婦になれると。
そんな夢のような幸せな日々を過ごせると。
そんなふうに過ごせるかは自分達次第だが、桃志郎となら例えどんなに辛くても一緒に乗り越えていきたいと思えた。
自分の心の声に従い桃志郎の手を取る未桜。
「はい、よろしくお願いします」
未桜の返事に満面の笑みを浮かべて喜ぶ桃志郎。
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