第15話 ペネロペの元婚約者
財務局に勤めるフェレ・アルボランは、
「お前の元婚約者のペネロペ・バルデム嬢、宰相補佐殿に連行されて宰相の執務室の方へ移動して行ったぞ」
という同僚からの言葉を聞いて、思わず自分の席から立ち上がってしまったのだった。
三年前に婚約者となったペネロペは、年齢の割には幼い面立ちをしていた為、ただでさえ四歳も年齢差があったフェレとしては、年端も行かない少女が無理矢理、自分の婚約者の座に納まってしまったような感覚を覚えたのだった。
二つの伯爵家が共同事業を起こすために結ばれることになった婚約。しかも、フェレの領地にある鉱山開発にペネロペの家が巨額の出資をするような形となる。採掘は上手くいってバルデム伯爵は、すぐさま出資分を回収することが出来たのだ。
フェレは多額の融資を受けるための担保として差し出されたようなものだったが、相手先が融資分を回収したのであれば、立場は対等のものになったと言っても良いだろう。
王宮に出仕するようになったフェレには様々なお誘いが掛かるようになり、幼すぎる婚約者相手では到底できないことをしながら楽しむことになったのだ。
ペネロペは大事な婚約者で、蕾だった花が美しく咲き誇る様を眺めるようなつもりで愛でていた。
「ペネロペ、愛しているよ」
そう言うだけで、ペネロペは頬を真っ赤に染めながら俯いてしまうのだ。年下の婚約者はいつだって従順で、はにかんだような笑みを向けながら、
「私もフェレ様を愛していますわ」
と、フェレに向かって愛を囁くのだ。
「お前、結婚前の浮気を楽しむのも良いけど、そろそろ自重した方がいいぞ」
そんなことを同僚に言われたのは、アドルフォ王子が婚約者であるグロリア嬢に対して婚約破棄を公の前で行うという盛大なやらかしを行った後のことだった。
「今までは結婚するまでの事だからと大目にみられていたようなことも、これからはそうはいかなくなるだろうな。婚約者第一で過ごしておいた方が無難だぞ?」
「無難だって言われてもなぁ」
受付の巨乳の美人をようやく口説き落とすことに成功をしたフェレとしては、これから大いに楽しむ予定でいたわけだ。だからこそ、友人の忠告はフェレにとって余計なお世話以外の何ものでもない。
「それなりに大事にしているから大丈夫だよ」
「お前なあ」
「それにペネロペが僕にベタ惚れなのはお前も知っているだろ?たとえ何かを言ってきたとしても余裕で言いくるめられるから大丈夫だよ」
友人は呆れた眼差しでフェレを見たけれど、フェレにベタ惚れのペネロペが自ら婚約を解消するとは到底思えない。なにしろフェレは見た目も抜群である上に、財務部に勤めるエリートなのだ。エスコートしてもらうのにこれ程の優良物件はなかなかおらず、友人から羨ましがられて、ペネロペが内心鼻高々となっていることにも気が付いていた。
しかも、両家で取り組んでいる鉱山開発は順調に進んでいる状態なのだ。受付嬢との交際が楽し過ぎて、ペネロペに対する扱いがちょっとおざなりになっていたとしても何の問題もない。万が一の時には強気で押し切るだけだ。ペネロペは自分の言うことは何でも信じるから問題になりようがない。
そう思っていたのに、ペネロペはフェレの前から消えた。
フェレの前には浮気の証拠が並べられ、フェレの有責で婚約は破棄されることになると父は顔を真っ赤にして怒りだした。
「鉱山は掘れるところは掘り尽くした状態だったのだ、更に採掘を進めるにはバルデム伯爵家の資金が必要だったのに!お前って奴は!」
フェレが婚約を破棄されるまでは、アルボラン伯爵家の内情は決して悪くはなかったのだ。鉱山から上がる収益も大きなもので、傾きかかっていたアルボラン家の財務状況も上向きに修正されていた。
「鉱石を採掘するためには、より深くまで掘り進めないと難しいという判断がされている。その掘り進める作業を続けるには、多額の資金が必要になる。しかも、その多額の資金を投入したとしても、大きな鉱床にぶつかるとは限らない」
バルデム伯爵家に切られた形のアルボラン家としては、借金をしてでも掘り進めるか、鉱山を閉鎖するかの二択を迫られることになったわけなのだが、
「ペネロペと復縁すれば何の問題もないってことですよね?」
と、フェレは父に向かって言い出した。
「僕とペネロペが復縁すれば、うちは多額の慰謝料を払う必要もないし、鉱山への出資も再開されるわけですよね?」
フェレはとにかく顔が良い。今まで交際してきた女たちは、フェレの派手な浮気に怒っていたとしても、最後の最後ではフェレを許してしまう。いつでも女たちは、見た目も良くてエリートのフェレを切ってしまうのは惜しいと感じるのだから、十八歳で結婚相手を見つけなくてはいけなくなったペネロペだって、フェレとの復縁を求めるのに違いない。
「ペネロペの奴、僕に無理矢理会いに来たものだから、宰相補佐殿に捕まってしまったということか?」
「確かに彼女、侍女のお仕着せを着ていたな」
学生の身分のペネロペが侍女のお仕着せを着ていたと言うのなら、フェレに会うためにかなりの無茶をしたということになるだろう。
「ペネロペ・・君は僕のことを・・そこまで・・」
財務部に勤める官吏たちは、先ほどからフェレの話に聞き耳を立てていたのだ。フェレは見た目も良ければ性格も良くて、財務部に勤めるエリートな上に、アルボラン伯爵家は最近鉱山経営で苦心しているとは言っても、内情は豊かな家である。
そんな優良物件であるフェレを『浮気』を理由にして婚約破棄にまで持ち込んだペネロペ嬢の話は王宮内でも有名だ。そのペネロペ嬢がフェレに会うために、わざわざ王宮勤めの侍女が着るお仕着せを着た上で侵入し、運が悪いことに宰相補佐であるアンドレス・マルティネスに捕まって、宰相の執務室へと連行された。
エリートイケメンをあっさりと捨てた令嬢は、逃した魚が大きかったことに改めて気付くことになったのか?
ガッツリと婚約者であるフェレを振った令嬢が、どんな顔をして復縁を申し込んでくることになるのか?
興味津々で立ち上がった人々は、好奇心を隠しきれない様子で廊下から顔を出している。上司も揃って顔を出していることから、よっぽど興味があるのは間違いない。
宰相の執務室から出てくるペネロペに声をかけるために朱色の絨毯が敷き詰められた廊下へと進み出たフェレ・アルボランは、執務室の扉が開くのを黙り込んだまま見つめ続けていたのだった。
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