19 置き去り

 自分の上司から連絡があった。近況を尋ねられたので、あまり良くなっていないこと、休職期間を延長するかもしれないということを話した。

 会社の人と話すのは、たとえ電話だけでも疲れる。僕は兄をお腹の上に乗せ、髪を撫でながらため息をついた。


「奏太。仕事、どうするんだ。辞めるわけにもいかないだろ。再就職の方がもっと大変だ」

「わかってるよ……」

「せっかく大きい会社に入れたんだ。復帰できるよう、しっかり薬飲んで、しっかり生活整えないと」

「だから、わかってるってば」


 僕が会社に行けなくなった直接の原因というのはない。ただ、疲れたのだ。人と接することが。職場の皆は優しかった。僕は理不尽に怒られることもなかった。それでもうつになった。


「兄ちゃん前に調べてたことがあるんだけど、復職支援の団体とかあるみたいだぞ。リワークっていったっけか。そういう所、通ってみるのはどうだ?」

「今はそんな気分になれない」

「じゃあ、いつになったら行動を起こすんだ。仕事から離れれば離れるほど、戻りにくくなるぞ」

「うるさいなぁ!」


 僕は兄の髪を掴んで壁に放り投げた。


「いってぇ……」


 打ち所が悪かったのだろう。兄は鼻血を出していた。僕はその勢いのまま、リュックサックに兄を入れて飛び出した。向かったのは、ベンチしかない小さな公園だった。そのベンチにリュックサックを置いた。


「おい! 奏太、奏太!」


 兄が叫んでいたが、構わなかった。僕は家に戻り、しんと静まり返った部屋の隅でうずくまっていた。

 わかってる。早く何か行動を起こさなきゃいけないって、わかってる。

 兄の言うのは正論だ。僕のことを本気で心配してくれているからこそ言ってくれた言葉だと頭では理解していた。

 僕は通勤カバンからタバコを取り出した。吸うのは久しぶりだ。うつになってから、喫煙の習慣は途切れていた。

 一時間近くが経った。兄はどうしているだろうか。誰かに拾われたのだろうか。もしかして、新しい飼い主を見つけてそこで飼われるのだろうか。


「そんなの……嫌だ……」


 僕は駆け出した。リュックサックはそのままベンチに置いてあった。僕は周囲を確認することもせず、兄を取り出して抱き締めた。


「ごめんね、兄ちゃん、ごめんねぇ……」

「ああ。兄ちゃんも色々言いすぎたな」

「もうこんなことしない。ずっと兄ちゃんを飼うから。僕のこと、許して……」


 涙がボロボロこぼれ落ち、兄の髪を濡らした。

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