1977年9月 里中達也の手記1
娘がいなくなった時、私は寝ていたんです。夜勤で朝の8時に帰って来て、軽くビールを飲んで食事をして寝たんです。
私は技術者として山梨からこの鉄の街に来ました。でもやってることは現場の作業員と変わらない肉体労働でした。
私はこの土地に慣れませんでした。家族も同じだったと思います。真理恵は特にそうだったと思います。まったく知らない土地に来て、真理恵には左目が義眼だという障がいがありました。
それを気味悪がられたりしていたそうです。だからその日も私が寝てる間、1人で公園で遊んでいたんです。
友達もいなかったみたいですし、どこかでこの土地の子供がしていた、三輪車を逆さにしてペダルを手で漕いで、石やーきいもっていう遊びを1人でしていたんだと思います。
それを思うと胸が張り裂けそうになります。
ひとりぼっちで、公園で、寂しかっただろうなと思います。そして突然、真理恵はいなくなりました。
私は家内に娘がいなくなったと聞いて目を覚ましたんです。親失格です。私たち夫婦は公園や娘が立ち回りそうな場所を探しました。
そして街の人たちに娘を見なかったか聞きました。でも誰も見ていなく、その対応はとても冷淡なものに見えました。
小さな女の子がいなくなったんです。一緒に探してくれるとか、せめて心配するふりくらいしてもいいじゃないですか。
同じ幼稚園の子の家を訪ねた時、とても迷惑そうに、私も娘もあの子のことは知りません。まわりと溶け込まないし、内地から来たことを鼻にかけてる感じで、あまり快く思ってなかったと言われました。
娘がいなくなったんですよ。誘拐されたかもしれないんですよ。それなのに今、そんなこと言わなくてもいいでしょう。
この街は私たち家族に冷たいと改めて思いました。よそ者は所詮よそ者なのです。
だから私たちに何が起ころうが、自分たちには関係ないことなのです。私たち夫婦は写真の入ったチラシを作り、駅前や繁華街で配ったり、電柱に貼ったりしてました。
そのチラシも受け取ってもらえずに踏みつけられたり、電柱のチラシも剥がされて破り捨てられてました。これが私たち家族に対するこの街の人たちの感情なのです。
そしてひどい噂が立てられました。私の耳にも入って来たのですが、本当は私たち夫婦が目の不自由な娘を邪魔になって殺して、山にでも埋めて、それを隠すために必死に捜索活動をしているという、そんな根も葉もない噂を。
私たちはこの街の人たちに殺人者扱いされていたんです。
そんな時です。差出人不明の封書が届いたのは。その中の小袋に入っていたのは……
娘の右の眼球と一本の乳歯でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます