同日、破壊された魔法

 ようやく朱音の涙がおさまったころ、部屋の扉が控えめにノックされた。夏希が低い声で応じる。


「……夏希にいじめられたのかい?」

「まさか。話してただけだ」

「そう」


 舞子は、娘の低い声に驚くこともなく頷いた。普段からそうやって接しているようだ。


「そろそろ私は行かないといけなくてね」

「あー、ちょっとだけ待ってくれ」

「どうしたんだい?」


 去ろうとする舞子の魔法衣の袖を掴んで、夏希は彼女を引き留めた。


「大事な話がある。朱音、お前も聞いてくれ」

「……はい?」

「魔法狩りについてだよ」

「……何か、知っているのかな?」

「あぁ」


 舞子は時計を確認し、まだ時間に余裕があると判断したようだ。もう1つ椅子を呼び寄せて腰かける。


「魔法狩りについてはあたしも知ってた。ただ、ここまで大きくなるとは思ってなかったんだ。12月12日を迎えて、なんにもなけりゃおさまるんじゃないかと思ってた……いや、違うな。言っても誰も信じやしないと思って、黙ってたんだ」

「……それは、私もそうだと思っていたのかな?」


 母として、娘に信じられていないかもしれないということに、舞子はショックを受けたようだった。


「そう思いたくはねぇけど、もし信じられなかったらと思うと言いたくなかった」

「私は、何があろうと夏希の味方だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、夏希は目を見開いた。やがて、低く笑い始める。


「……あぁ。そうだったな」


 何故か過去形だった。昔を懐かしむような声に聞こえた。以前にも、そう言われたことがあったのだろうか?


 朱音にはわからなかったが、夏希にとっては大事な一言だったらしい。そうだよな、と小さく呟いている。


「……よし。じゃあ、今から言うコトを、質問せずに最後まで聞いてくれ」


 夏希は覚悟を決めるように息を吸い、静かに話し始めた。


「100年前、天音が復活させなかった……正確には、復活させた後、完全に破壊した魔法があるってのは事実だ」

「まさか……」


 舞子は何かを言いかけたが、夏希の言葉を思い出して口を噤んだ。朱音もまた、言いたいことはあったが、ひとまず話を聞く。


「あたしが、それをやった。天音が言うコトは正しいと思ったし、事実、今の世の中を見て、そうしてよかったと思ってる」

「らしくないね、夏希。前置きが長いよ」

「いきなり結論だけ言っても、そのあと質問攻めになるだろ」


 それもそうだ、と舞子は頷いた。今、夏希が言っているのは、普通ならば到底信じられない話なのだから。100年前の人物のことを自分自身のように語り、誰も知らなかった魔法を明らかにしようとしているだなんて。


「……100年前、魔法を復活させて何日か経ったころに、天音が頼んできたんだ」


 時は、100年前に遡る。










「副所長、お願いがあるんです」

「……もう、副所長じゃねぇよ」


 研究所が廃止されることが決定した今、夏希はもうただの「清水夏希」だった。けれども天音は夏希を副所長と呼び続けていた。一生このやり取りを繰り返すのだろう。なんとなく、夏希はそう思っていた。悪い気はしなかった。こうして、恐れではなく純粋な尊敬の気持ちを向けられるのは少しむず痒いような気もしたが、新鮮だった。


「なんだよ。できるコトならやってやる」

「副所長の固有魔導……固有魔法は、魔法を完全に破壊することはできますか?」

「……なんでそんなコト聞くんだよ」


 結論から言ってしまえば、できた。かけられた魔法を破壊するだけでなく、魔法そのものを破壊して、2度と使えないようにする。魔力の消費は激しいが、夏希にとっては大したことではない。


 ただ、何故天音がそんなことをしようとしているかがわからなかった。


「……封印の魔法を、破壊したいんです」

「理由は?」

「これから、私は……私たちは、平和な時代を作っていくんです。魔法を使える人もそうでない人も、手を取り合って暮らせるような社会に。そんな社会に、封印の魔法はいりませんから」


 いずれは、誰もが簡単に魔法に触れられる社会にしたい。望めば学べるようにしていきたい。


 魔女狩りがあった時代とは違う。新しい、平和な時代を天音は、天音たちは作っていくのだ。


「もう、魔法は特別じゃなくていいんです。研究員ばかりが最新の資料や研究結果を知って、独占するような社会じゃなくていい。魔法は、もっと身近なものになったんです」

「……そうだな」

「ただ憧れのままに終わらせるんじゃなくて、それを叶えられる時代なんです。だから、どうか……もしできるのならば、封印の魔法を2度と使えないように破壊してはいただけませんか」

「なんだ、憧れのままにするのは終わりか?」

「そんな自分、何ヶ月も前に捨てましたよ!」

「……ったく。いいぜ、やってやるよ」


 そうして、真っ白な魔力が辺りを包み、「封印」の魔法は破壊され、この世の中から完全に消え去った。










「……って言うのが、今世間を騒がせてる魔法だよ」

「そうなんだね」

「そうなんだねって……」


 舞子はあっさりと受け入れた。疑うつもりなど、まったくないようだ。


「……何故だろうね。驚きはしたけど……夏希、君のことは信じたいし、守りたいと思ってしまうのさ。母親だからかな」

「……そう、か」


 お前は、昔からそうだよ。真子。


 夏希が何やら呟いたが、朱音や舞子にはよく聞こえなかった。だが、顔を上げた夏希が何事もなかったようにしているので、聞き返すことはなかった。

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