11月16日、配属1ヶ月と2週間、それと1日

 目の前を掠めた銀色を、どうにか避ける。そのせいで生まれた隙を狙われ、氷の魔法が足元にあたった。途端に足を滑らせ、朱音は転んでしまう。無防備になった首元に、銀色のロッドが突きつけられる。


「勝ち」


 大鎌の刃を魔法で仕舞い、ただのロッドにしていた璃香は、それをくるりと振り回して言った。身長よりもずっと大きなそれを、彼女はいとも簡単に操る。


 璃香の大鎌は、恵美が最高傑作と称するほどに出来のいいものだった。璃香の高純度の魔力から生み出された、魔法と相性のいい水晶が嵌めこまれ、伸縮自在、刃も収納可能な武器だ。光よりは優しい彼女は、訓練の際には刃を仕舞っている。光の場合、2本の短剣を躊躇なく振り回してくるのだから恐ろしい。


「養成学校にも戦闘訓練はありましたけど……今のこんな平和な時代にいりますか?」

「いらない、といい」

「じゃあどうしてするんですか?」

「困らない」


 何かあったときに役立つ、できて困らないということだろうか。光がいないので正しい意味がわからない。


「昔、大変な時代」

「はい」

「皆、戦った」

「は、はい。そうですね……?」


 説明のつもりで付け足されたはずの言葉すら足りていない。口下手もここまでくると一種の才能のような気がする。


「生きのびる、重要」

「ええと。いざというときに身を守れたほうがいいってことであってますかね」

「ん」


 朱音の手を引いて起こすと、璃香は「あ」と小さく声を上げた。転んだ際に擦ってしまったようで、膝から血が滲んでいたのだ。


「ごめん」

「大したことないですし、いいですよ」

「医務室」

「え、あ、ちょっ!?」


 ロッドを魔法で仕舞うと、璃香は片手で朱音を抱き上げた。所謂お米様抱っこ、である。そのまますたすた歩き出した。


「奏介、探そ」


 橘奏介はこの支部の魔法医師である。通常の医師免許と魔法医師免許の両方を持つ、腕のいい医師だ。光も魔法医師免許を持っているが、彼の場合、「魔法で治す」以外の方法をほとんど持っていないので、魔力を使うほどではないような小さな怪我や病気の場合には奏介のもとへ行く。


 魔導師の時代は、魔導医師免許を持っていないと他者へ医療魔導をかけることが禁止されていたが、今では大分緩和され、治療効果のある魔法のかけられた包帯や絆創膏、湿布を作ることなどは免許なしでも許されている。ただし、魔法医師免許を取得した者に教わる必要はある。伝授した者は特別な証明書を渡し、その者が湿布などを作成してもよいことを示す。この制度のおかげで、多くの者が簡単な医療魔法に触れることになり、そこから魔法医師を目指す者が増えた。


 璃香はほとんど光と行動を共にしているので、医療魔法は使えないうえに手当ての方法もあまり詳しくなかった。彼女が覚えていなくても光が大抵なんとかしてくれるので。


 光曰く、「アイツは免許とるのに向いてねえ」とのことだ。朱音もそう思う。患者とのコミュニケーションも必要とされる医師に、彼女は恐ろしいほど向いていない。


「奏介、奏介、お仕事」


 いつの間にか医務室に着いていた。璃香は適当にノックをすると、扉を開く。中からは呻き声が聞こえていた。


「うう……」

「具合悪い?」

「う、璃香ちゃん……? ごめんね……うぐっ」


 腕利きの魔法医師、橘奏介の弱点。

 それは、信じられないほどに病弱なことだった。本人がかつて言っていたが、自身の体の弱さゆえに薬に詳しくなり、せっかくならそのまま医者か薬剤師になろうと思っていた矢先、魔法適性が判明したため、魔法医師となったのだという。そのため、急患よりも具合が悪いことも多い。医務室利用率が最も多いのは奏介本人だ。


「お大事に」


 本来なら医師が言うはずの台詞だが、言ったのは璃香だ。今日の奏介に治療は無理だと判断して、彼をベッドに寝かしつけると、適当に救急箱を漁りだしている。


「はい」


 絆創膏を発掘した璃香が、朱音に手渡してきた。礼を言って受け取る。幸い、軽い傷だったので、魔法のかかった絆創膏ならすぐに治してくれるはずだ。


「そういえば、山本さんは今日どちらに?」

「有給」


 璃香の相棒である彼の不在を問うと、短く答えが返って来た。どおりでいないはずだ。


「上野さんは有給とらないんですか?」

「もう少ししたら」

「あ、ご実家に帰られるとか?」

「……ん」


 どうやらプライベートはあまり詮索されたくないらしい。朱音はそれに気づくと、慌てて話を変えようとした。が、璃香が何かをポツリと呟く。


「……ない」


 何がないのだろう。ここに光がいればわかったのに。

 まだ知り合って1ヶ月程度しか経っていない朱音には、璃香の言葉を読み取るのは難しかった。


「朱音は、もうちょっと」

「え? あ、有給ですね。まだ1ヶ月と少ししか働いてないんでまだ先ですよー」

「半年、すぐ」


 半年はあっという間、と言っているのはわかった。


「そう言えば、上野さんはこの支部に来てから何年くらいですか?」

「……んー、長い」


 具体的な数字は忘れているのか、はたまた朱音がまだ彼女を理解できていないだけなのか。通訳(光)が来て欲しい、と朱音は心から願った。

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