11月12日、配属1ヶ月と1週間、それと4日
「朱音ちゃん、このあとお暇かしら?」
今日も今日とて、足を悪くした人魚の老婦人のお手伝い。慈善活動のような仕事をこなし、なんとか報告書を書き上げたときのこと。柚子の代わりに報告書を受け取った直が、小首を傾げて聞いてきた。
「は、はい」
ちらりと後ろにいる指導役2人の反応をうかがうと、「好きにしろ」と言わんばかりに頷いてきたのでそう返した。
「じゃ、アタシとお勉強しましょ」
「お願いします!」
今は仕事よりも講義のほうが有意義で楽しく感じる。途端に明るくなった声を上げ、朱音は筆記用具を呼び寄せた。
「璃香ちゃんたちはどうするの?」
「ううん」
「どうもしねえってよ」
「あらそう」
璃香と光はそれぞれ自由時間を過ごすようだ。仕事は終わっているので、恐らく2人で訓練(朱音は毎回死にかけるレベル)をするのだろう。
「移動するのも面倒だし、ここで話していくわね。安心して、襲ったりしないわよ」
「いえ、そんな心配はしていないです」
中性的な顔立ちと言葉遣いで忘れられがちだが、直は立派な成人男性だ。吸血鬼なので、見た目よりもずっと年上、という可能性もある。
「アタシ、AB型が好みだから」
「あ、そっちでしたか。というか、好みの血液型ってあるんですね」
「そりゃああるわよ。アイスが好きって言ったって、好みの味があるでしょ」
「血とアイス、同じカテゴリーなんですね……」
人間の朱音には上手く想像できなかった。どんな感覚なのだろう。
「吸血鬼にも色んな子がいるのよ。今でも棺桶で寝る子もいるし、完全に夜型の子も、朝に強い子もいるわ」
「副支部長は朝も起きていますよね」
「そうね。でも外には出れないわ」
「灰になっちゃう……ってことですか?」
吸血鬼と言えば、日光に当たると灰になってしまうというイメージだ。かつての御伽話でもそうだった。
「そんな簡単には死なないわよ」
「あ、よかった……」
「でも日焼けしちゃうわ」
「人間もそうですけど!?」
「ヒトより酷いのよお。アタシ、綺麗なお肌のままでいたいのよね。あとが面倒だし」
常に日傘と日焼け止めは必須!
直がそう言うものだから、美容系のアドバイスをされているのか講義を受けているのかわからなくなってきた。
「やだ、脱線しちゃったわ」
それに気づいた直が軌道修正する。
「朱音ちゃんは、吸血鬼についてどれくらい知ってるのかしら?」
「変身魔法が得意な種族だと習いました」
「そうね、合ってるわ」
英雄の1人、清水零も変身の力を持っていたという。現代においては魔法適性があれば使うことのできる魔法だが、難易度が高く習得までにかなりの時間を有する。
しかし、吸血鬼は特に訓練することなくその魔法を使うことができるのだ。しかも、牙を目立たなくさせるような、人間になる魔法だけではない。本人が知っていれば、ありとあらゆる生物に変身が可能だ。代表的なのはコウモリである。
「アタシはあんまり得意じゃないんだけどね」
「え、そうなんですか?」
「あまり使う機会がなかったのよ」
確かに、人間と暮らしていると、あまり必要のない魔法だ。
「それにアタシ、まだ27だから、吸血鬼としては半人前どころか生まれたてみたいなものなのよ」
「てっきり、支部長くらいなのかと……」
「ないない、まだあの子の10分の1も生きてないわ」
「あ……そういえば、ひい……初代大臣のことを、教科書で見たっておっしゃってましたね」
教科書の写真とそっくり。すなわち、天音が生きていた時代に生まれていなかった、ということだろう。その時代に生きていれば、誰しも1度は彼女の姿をテレビや雑誌、新聞などで見たことがあるはずなのだから。
「そうよ。できることならお会いしてみたかったわねえ」
「……どうしてですか?」
「吸血鬼がむやみに人を襲う野蛮な種族じゃないって伝えてくださったのは天音様だもの。会って、お礼を言いたかったわ」
「……そうですか」
話を聞くと、誰もかれもが天音を高く評価する。
確かに、高祖母はそれだけのことをした。今の社会があるのも、彼女のおかげだろう。けれど、それは天音1人でやったわけではないはずだ。
(……ひいひいおじいさまだって、補佐官として頑張っていたはずなのに。あの人は夏希様や零様の力を借りて、それでどうにか大臣として仕事をしていたはずなのに)
なんだか、納得がいかない。
これが嫉妬だとはわかってはいるが、朱音は複雑な気分だった。
(……駄目駄目、自分が上手くいってないからってひいひいおばあさまを悪く言うようなこと考えちゃ)
朱音が知らないだけで、きっと天音も信じられないくらいの辛いことや悲しいこと、上手くいかなかったことがあるはずだ。それを否定するようなことを考えてはいけない。史上最年少で大臣職を務めた彼女に、困難が立ちはだからなかったわけがないのだから。
(私が、もっと頑張ればいいだけなんだから)
思いつめた表情の朱音。直はそれに気づいていた。
「……頑張りすぎちゃダメよ」
そう言う直の声は、朱音には届いていなかった。
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