11月11日、配属1ヶ月と1週間、それと3日
ポン、と食堂に淡い緑色の光の球が現れて、ゆっくりと人の形をとっていった。その人は朱音のもとへ歩いてくる。
「やあやあ~、今日の講師だよ~」
眠たげな眼差し。気だるげな声。いかにもやる気のなさそうな顔をしている、この女性こそが、この第5支部の支部長を務める、田中柚子だった。
「え、支部長!?」
朱音は慌てて立ち上がった。彼女はこの支部のトップ、朱音がそうそう話すことのない人物だ。
(今日は起きてたんだ……)
柚子と朱音が話す機会が少なかったのは、何も立場だけではない。柚子は気さくなので、会えば必ず声をかけてくれる。「会えば」、だが。
何故か彼女は吸血鬼である直よりも朝に弱く、ほとんど寝て過ごしている。起きているのは午後だけと言っても過言ではない。さらに、起きていても非常に眠そうで、こちらに気づかないほどうつらうつらとしているときのほうが多い。
ゆえに、午前のこの時間に起きているとは思わなかったのである。明日はきっと雨が降るな、と失礼なことを考えた。
「皆から聞いたよ~、頑張ってるね~」
「い、いえ、そんな……」
「そんな頑張ってる新人ちゃんに、お姉さんからアドバイスをしよう」
適当な椅子に腰かけた柚子は、朱音にも座るように促した。一言断って着席する。
「ヒトの常識を捨てろ」
急に真面目なトーンになったので肩が跳ねる。一瞬、説教されているのかと思ってしまった。
「私は木の妖精なんだけど~、まあ、ヒトの常識で生きてないよね~。寿命とか、価値観とか」
「は、はあ……」
彼女が人間でないことはなんとなく気づいていた。妖精族の特徴である、尖った耳をしているからだ。その気になればそれすら人間と同じにできるのだろうが、柚子の性格からして面倒臭がっているのだろう。
「ヒト寄りの子もいるよ? 直とかそうだね。あの子は人間と暮らして長いから、ヒトというものをわかってる。いや、そう意識しているのかな」
半ドラゴンの雷斗もそうだ、と柚子は続ける。ヒトの血が混じっていたり、ヒトと暮らした時間が長い者ほど、価値観は人間のそれに近くなる。
「けど、絶対にヒトと『同じ』にはならない。先人の多くはそれを理解していなかった。理解していたのは天音ちゃんくらいかな」
「ちゃんって……」
「私は、えーと……そう、今年で300歳くらいだからね。あの子のことも知ってるのさ~」
柚子は天音に、朱音の高祖母について語る。
人間と他種族は、共存できても価値観の完全な一致は不可能。それに気づいた天音は、国中に住む様々な種族と話し合い、法を整備した。人間も、そうでない種族も平等に守られ、裁かれる法を。
「心無い人間は、あの子に差別だなんだと言っていたりしたけどね~、私は違うと思うよ」
人間の10年と、妖精の10年は違う。それを知った天音は、種族のおおよその寿命によって服役期間などを調整した。人間以外、それに反対した者はいなかった。
「まあ結局、共存の時代が始まって、ようやくその正しさにヒトは気づいたみたいだね。だからこそ、伊藤天音は歴史に名を残し続けた」
柚子はひととおり話し終わると、にっこりと笑った。
「細かいことを言うと妖精も種類によって寿命が微妙に違うんだけど~、そこまでやってたらキリがないよね~」
「具体的にはどう違うんですか?」
高祖母の話題が終わったので、朱音は気になっていたことを質問した。天音の話は嫌というほど養成学校で聞いたし、実家に帰れば彼女の研究日誌の原本があるのだ。最早体に染みついている。
「う~ん、まあ、海とか大地とかの妖精は寿命がとんでもなく長いよ~。私の年でも赤ちゃんみたいな扱いだし~」
「どれくらいの種類の妖精がいるんでしょう……」
「誰も知らないと思うよ~。それこそ、妖精でもね」
天音ちゃんなら、知ってたのかな。
柚子は旧友を懐かしむように呟いた。眠たげな眼差しは、どこか遠くを見ている。まるで、朱音を通して天音を見ているようだった。出自がバレているのかと、思わず体を強張らせる。
朱音が天音の血を引いていることを知っているのは、魔法考古学省大臣だけだった。歴代の大臣たちは、初代大臣の子孫たちを守ってきていたからだ。余計な争いを好まなかった天音の子、朱音の曾祖母は、表舞台に出ることを好まずにひっそりと生きていたいと願った。朱音の母もその思いが強かったようで、小森姓を名乗り、娘が魔法にかかわることすら嫌がっていたものだ。
だが、当時を知る柚子にとっては、隠しても意味のないことなのかもしれない。何せ、朱音の顔は天音にそっくりなのだから。
しばし無言の時が流れた後、柚子はにっこり笑った。
「妖精の話はここまでにしておこうか~。正直、私もそんなに話せることないしね~」
「あ、はい! ありがとうございます」
どうやらバレずにすんだようだ。
朱音は筆記用具を纏めると立ち上がった。そのまま一礼する。
「ふわあ……私寝てくるね~」
無理して起きていた柚子は、大欠伸をして歩き出した。ふらふらとしているので、少し心配だったが、器用に障害物を避けて部屋に向かっている。
「副支部長がお世話する理由もわかるなあ……」
毎日柚子を起こし、場合によっては服を選び、代わりに仕事もこなす直を思い出す。いつも大変そうだと思っていたが、なんというか、思わず助けたくなる、そんな雰囲気を柚子は醸し出していた。
それが何故なのか、このときの朱音はわからなかった。
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