11月10日、配属1ヶ月と1週間、それと2日

「はーい、今日の講師でーす」


 気の抜けた声と共にやって来たのは、可愛らしい顔立ちの少女だった。

 彼女は潮崎千波といい、朱音の先輩の1人だ。


「え、潮崎さんが?」

「そうそう、今日の講義は人魚についてね」

「潮崎さん人魚なんですか!?」

「そんなに驚くこと?」


 隣人が他種族でも驚かないような時代ではあるが、今の告白は朱音にとって信じられないことだった。昨日の自分へ。もっと驚くことがあります。脳内で過去の自分に手紙を書き始めてしまった。


 人魚が人の姿をとって地上で生活していること自体は珍しくもない。かの種族は水中が最も過ごしやすいというだけで、地上でも暮らすことができる。人間と同じように2本の足を持ち、歩き、走ることも可能だ。だから、朱音はその点については驚いていない。


 驚いているのは、そう。


(この人、超音痴なのに!?)


 失礼ではあるが、そういう点である。

 以前彼女が鼻歌を歌っていたが、何の曲か誰もわからなかった。休日、中庭で歌っていたら近くにいた璃香が医務室へ運び込まれた。彼女が歌い出すと、雷斗も泣いて逃げ出す。そのレベルの音痴なのだ。


「人魚の魔法と言えばやっぱり歌だよね! 私も歌で魔法を使うよ」

「そ、そうなんですね……」

「でもこれは初歩の初歩だから今日は詳しく話さないよ。忘れてたらぶん殴っちゃう!」


 可愛い顔に似合わない発言が、彼女の特徴でもある。実際にぶん殴られていたのは雷斗だけなので、恐らく大丈夫だろう。


「人魚について詳しく話すね。まず、人魚にかかわらず、ヒトと違う姿の種族はみーんな変身魔法が使えます。私の場合は、足を生やす魔法だね。これはヒトには使えない」

「はい、そう習いました」

「でも、一定以上魔力を消費しちゃうと強制的に人魚に戻っちゃう」

「地上でもですか? 大丈夫なんですか、それ……」


 地上で足を失ったら、動くことができなくなってしまうのではないか。朱音は質問した。


「水かけててもらえば大丈夫かなー。干からびたら死ぬかも」

「ひっ」


 けらけら笑う千波だが、言っていることは恐ろしい。乾燥した千波を想像して震えてしまった。


「ちなみに、あ、駄洒落じゃないよ? これは余談なんだけど」


 意外とこういった話が重要だったりする。朱音はペンを構え、聞き逃さないように耳を傾けた。


「人魚界では最近ショートカットが流行ってる」

「本当に余談!」

「人魚ってロングヘアのイメージあるでしょ? 昔の御伽話でもそうだし。実際ロングが伝統のヘアスタイルだったんだけど、最近地上で生活してる子はショート多いんだよね」


 そう言う千波もまた、ショートヘアである。気にしていないように見えて、流行を気にするタイプのようだ。


「人魚は昔は女性比率高かったんだよ。今は同じくらいだけど」

「どうしてですか?」

「100年前、人魚狩りがあってね。特に女性の人魚は人気だった」

「あ……」


 ドラゴンと同じように、人魚など、旧ファンタジージャンルで有名だった種族は、混乱の時代に迫害されたり狩られたりしていた。中でも人気だったのが人魚だ。その美しさもさることながら、肉を食えば不老不死になるという伝説のせいで多くの同胞を失ったのだ、と千波は語った。


「どうにか法が整備されて、段々数も戻って来たけどね。これも天音様のおかげ。でも、人魚が一番人間不信の子が多い種族なんじゃないかな。長命だし」


 また高祖母の話が出てきた。ここまで来ると、皆実は朱音の先祖だと知って言ってきているのではないかと勘繰ってしまう。


 先祖の話を聞いていると嫌でも自分と比べてしまうので、朱音は話を変えようと質問した。


「平均寿命ってどれくらいなんですか?」

「わっかんなーい」

「え」

「そんなの気にするのなんて人間くらいじゃない? 私たちは、『時が来ればわかる』としか思わないよ」

「時が来れば、わかる……」


 不思議な感覚だった。納得できるような、そうでないような。

 ただ、半ドラゴンの雷斗も寿命については言わなかったから、人間以外はそんな感覚が当然なのかもしれない。


「人魚は海のイメージだけど、実は水があればどこでも大丈夫だよ」

「沼でもですか?」

「私は海の出身だから詳しくはないけど、いるんじゃない? 沼の妖精に嫌われてなければ生きていけるよ」

「海にも妖精はいるんですか?」

「いるいる」


 千波は紙を魔法で呼び寄せると、何か絵を描き始めた。長い髪に、身長と同じくらいの杖を持っている少女のような絵だ。背中には4枚の羽が生えている。


「この子が女王様。で、この子を中心に、あちこちに暮らしてるの。怒ると怖いんだ」

「何かされるんですか?」

「大時化になったり、高波になったりするよ」

「え、それ人魚がやってるんじゃないですか」


 少なくとも、養成学校ではそう習った。朱音が問うと、千波は大笑いする。


「皆ができるわけじゃないよ。そういうのが得意な子はできる。けど、妖精ほど強くはないかな」

「妖精のほうが強いんですか?」

「もちろん。覚えておいて、妖精はどこにでもいて、めちゃくちゃ強いってね」


 最後にウインクを1つして、千波は部屋に戻っていった。


(ひいひいおばあさまの話が出ない日が来ますように……)


 書き終わったメモを見ながら、朱音は溜息を吐いた。

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