CASE5 MAYOHIGA 下

俺は静かに家のドアを開けた。

母たちはもう眠っているのだろう。人の気配がない。

山歩きで少し汗をかいて気持ち悪い。

シャワーで汗を流してから部屋に戻ることにした。


部屋に戻ると、もう時間は深夜二時を回っていた。

スマホを見ると大量のメッセージ。

すべてAからのものだった。

俺はそれを見ずにすべて削除し、連絡先も消した。

二度と会話することもないだろう。


一応寝る前に先輩のSNSをみると、既読がついていた。

そして一言メッセージが帰ってきている。


その話、あーしが帰るまで動くな


珍しく強い口調で書かれたメッセージに俺はもう、これにはかかわらないことを返す。


「もう裏山行きましたけどなんもありませんでした。 いろいろ嫌なことがあったのでもうかかわりません」


そうして、俺は疲れてることもありすぐに眠りに落ちるのだった。



その夜、俺は夢を見ていた。

白い霧が漂う山裾に立っている。

寒さは感じない。

地面を踏みしめる足は確かに感じるが、直感的に夢だと感じた。


明晰夢というらしい。

夢の中で夢と自覚する。そんな現象だ。

夢だというなら空でも飛んでみたいが生憎、何か面白いことができるという事もなかった。

俺は立ち尽くしていても仕方がないと、歩き出してみる。

地面の感触はあるが、大地は白い霧で明々と知れなかった。


少し歩くと建物が見える。

近づくと随分と立派な建物だ。

全体は見えないが、学校の校舎ぐらいは雄にあるように見える。

その正門には、右から読むと嘉陽楼ときれいな字で書かれた看板があった。

その看板に俺はどきりとする。裏山にあった廃屋と同じだ。


すごく嫌な予感がする……。

俺は振り返り引き返そうとするが、白い霧は姿を消し暗い、喰らい闇が押し寄せてくるのが見えた。

本能的にあれは不味いと感じる。

逃げ場がないと、諦めかけた時、後ろから扉が開く音が聞こえた。

俺は慌ててその扉の中に滑り込むと、腰を落とし一息ついた。


「これは……夢? 夢だよな? なら起きればいいよな?」


俺はいきなりの出来事に動転していたが夢ならば起きればいいと冷静になる。

俺は眼を自分の頬をつねってみる。

痛い。それを自覚すると目を開ける。

するとそこには見慣れない長い廊下が続くのみであった。


「夢だけど夢じゃない」


俺は間抜けな言葉をぽつりとつぶやいた。


この感覚には覚えがある。

現実と夢の境界のようなうすら寒い感覚。

これは化け物に化かされているときに感じる悪意の感覚だ。

やはり、肝試しなんかするから化け物に目をつけられたのだ。

その場では何もないから油断していた。

まさか家に帰ってまで襲われるのはルール違反だ。

逃げ場のない夢の中など、どうしようもない。

頼みの綱の先輩も近くにいないし、いくらでたらめなあの人でも夢の中にまで現れはしないだろう。

詰んでいる。

俺はその現実を自覚してしまった。

腰から力が抜ける。焦燥感だけが心を支配していた。


どのくらいボーっとしていただろう。俺は動くこともできず崩れ落ちていた。

入ってきた扉は今は固く閉ざされ空く気配がない。

一通り絶望はしきった。このまま何もしないというわけにもいかないだろう。

なにか現実の帰還ができるような方法があるかもしれないのだ。

まずは探索してみよう。

無理やり気持ちを切り替えて俺は歩き出した。


長い廊下にはいくつもの襖があった。

それを開けてみるとすべてが一つの部屋の大広間へとつながっていた。

大宴会場なのだろう。

部屋には御膳が並べられ、おいしそうな食事が並んでいる。

だがその不可思議な光景に狐の時の光景を思い出し、あの時の痛みを幻視した。

口の中に酸っぱいものが込み上げる。

俺は目を逸らすと、廊下に盛大に吐いてしまった。

何か拭くものをと探したが見当たらず、所詮夢だと思いなおし先に進むことにする。


一階は階段がいくつかあるほかは、厨房と物置しか見当たらなかった。先ほどの大広間に方に戻ると吐しゃ物は消えていた。

やはり夢なのだろう。あまり深く考えても仕方ない気がした。


現状一階には何も見つからない。

俺は階段を上り二階へと探索の幅広げてみることにした。

キシキシと鳴る階段を上がると、二階も廊下が長く続いていた。

廊下の片側は全面窓がであり、其処から外を覗くと、白い霧は晴れていた。

辺りを見回すとちょうど口の形に建物が建っており、下には中庭が見えた。

中庭は外廊下で囲われており、一辺にはなにやら鳥居が見えた。


建物の全体像がなんとなくわかってきた。

鳥居ってのは神様の場所を区切るところだよな? むかしそんなことを聞いた気がする。

こんな不可思議なことが起きているのだ。神頼みぐらいしか、手はない気がする。

あそこに行ってみよう。だめなら別の方法だ。


俺はとりあえずの移動の指針を決め、一階に戻ろうとする。

だが、いきなり大声で泣きながら逃げる女性が中庭に現れたのだ。

俺は何から逃げているのか確認すると、先ほど恐怖を感じた暗い闇が彼女を追っているのが見えた。

闇は先ほどよりは小さく、球体で直径2Mほどであった。

その球体にはおかめのお面が張り付いて、


「おほほほほほほほほほほほほほ!」


と笑い声をまき散らしながら彼女を追っていた。

俺はそれを見た瞬間。悲鳴をあげそうになる。

だが、唐突にその球体は笑い声をやめ、立ち止まるとこちらに向き直るような素振りを見せた。


やばい!……、俺は咄嗟に身を屈ませた。

口に手を当てなんとか悲鳴を飲み込むことに成功した。

息が荒くなる。こめかみがジンジンと脈打つのを感じていた。


そのまま、少しするとまた笑い声をあげるの聞こえた。

涙目になりながらその音に注意を向けていると、段々と遠ざかっていくのを感じた。


俺は中庭を覗く。やはりいなくなっているようだ。

俺は安堵し、呼吸が落ち着いてくるのを感じた。


(なんだあれ? ぜってーやばい。 てか、あの女の人逃げきれたのか? てか誰だろう?)


恐怖体験はあったが、少し状況が進展した。

自分以外にも人?がいるという事と、化け物がいるという事だ。

けして好転したわけではないし、動かず助けを待つという選択も化け物が居てできないことがわかっただけだが、おそらく彼女も被害者だ。

合流できれば何かわかるかもしれない。

少しの希望に俺は縋ることにする。彼女と合流しよう。そう決めた。


俺は警戒しながら一階に降り、宴会場を突っ切り、恐る恐る襖を開けた。

予想通り、中庭に出ることに成功した。辺りを見回して先ほどの化け物が居ないことを確認すると、彼女が向かった向かい側のほうへ中庭を横切った。

向かい側はT字の廊下になっている。

T字の縦線に当たる先には、閂が外された重厚な扉があった。

おそらく先ほどの女性だろう。

おれもその扉をくぐることにした。


扉をくぐるとそこは廃墟になっていた。

先ほどまで明るかった筈がいつの間にか夜になっている。

梁には蜘蛛の巣が掛かっていた。

俺はその暗闇に一瞬たじろぐ。だが気づくと、右手には懐中電灯が握られていた。

不思議な現象ばかりだ。あたまがどうにかなりそうだった。


俺は深呼吸をして、先へと進む。

どうせここで立ちすくんでもあの化け物が来ないとも限らないのだ。

意を決して進むことにした。


ここは廃墟といっても襖がなくなっているだけで廊下は比較的しっかりしているようだ。

歩いて足を踏み外すということはなさそうだ。

5分ほど探索してみても女性は見つからない。

どこかに隠れているのだろうか? 

そんなことを考えていると二階から物音が聞こえた。

誰かが歩いている音だ。

俺はその音に当たりをつけ二階の階段を探すことにする。

階段はほどなく見つかった。

すぐさま音を当てない様にゆっくり上ると、先ほど登った二階の渡り廊下の向かいに出た。

空は、青く晴れわたっている。

時間が流れているというより、場所ごとに時間が決まっている。パノラマ写真のように切り貼りしているような印象を受けた。

俺はもう考えることをやめて、足音が聞こえた先へ歩みを進めることにした。


俺は二階の一つの部屋の前で歩みを止めた。

いままで部屋の襖はぴしゃりと閉じていた。だがここだけは少し空いているのだ。

おそらくここに何かある。

心音が強くなりはじめる。本当にあの女性だろうか?

もしかしたら……。


悪い予感が頭をよぎる。

俺が部屋を開けるか迷っていると、突然襖があいて先ほどの女性が部屋に引きずりこんできた。


「いてて……」


俺は勢いに、畳に叩きつけられた。

そうすると、ごめん。大丈夫?と頭上から聞こえてきた。

どうやら、会話はできるらしい。


女性は俺の前に座るともう一度大丈夫と聞いてきた。

俺は大丈夫ですと答えると、よかったと返してくれた。


「というかここにいて安全なんですか?」


見回すとここは旅館の一室のようだ。 

入り口は一つ。化け物が来たら、逃げられそうにない。


「あぁ、ここまで化け物追われてきたわけじゃないんだ?」


「俺もきたばっかでよくわかんないで、とりあえず、あなたを追ってきたんです」


「そういうことかぁ……。助けに来てくれたってわけじゃないんだね。 とりあえず、あの化け物は部屋に入れば追ってこないの。 積極的に何かしようってわけじゃないけど、逃がさないようにしてるみたい。 出口なんてあるかわかんないけど」


「へぇ……、随分くわしいんですね。 もしかして随分長いことここに?」


「ううん。四日ぐらい。時間の感覚なんかよくわかんないけど」


そういうと、女性は古い帳面を俺に差し出してきた。

これにいろいろ書いているそうだ。

おれはパラパラとめくる。

そこには、日に三度豪勢な食事が部屋にくること、化け物は中庭に近づくと現れること、部屋に戻ればもう追ってこない事。

あとは後ろの方に、稀人信仰。秘祭。黄泉落とし。など聞きなれない単語が殴り書きされていた。



部屋から出なければ安全。そういうことらしい。

そしてやはりあの中庭にはなにかあるらしい。


「これはどこで?」


「奥の部屋で、迷い込んだ者のためにってテーブルに置いてたの拾ってきたの。 多分書いた人は捕まっちゃった。これを最後に中庭に挑むって書いてたし」


最後に女性は肝試しなんかやるんじゃなかったと呟いた。

俺はその単語に聞き覚えがあった。

というか、おそらくこの事態の元凶だ。

あまり思い出したくもないが、その女性の正体に何となく気づいてしまった。


「もしかしてあなた、Aのおねぇさんですか?」


「え? うんそうだけど、Aの友達?」


「いや、違いますけど……」


俺は腹立ちまぎれにAの所業をぶちまける。

Aの姉はそれを聞いて、土下座して謝ってくれた。

どうやらこの姉はまともな人物のようだが、俺は油断しない。

裏切られたばかりなのだ。信用できるはずがなかった。


歩き疲れていた俺は隣の部屋で、休むことにした。

やはり同じ部屋に女性と一緒は気恥ずかしいのだ。


安全というのは本当のようで、襖から気配を感じ覗くと先ほどの化け物が素通りしていくのが見えた。

仮眠を取り、疲れを取ると俺はAの姉の部屋の襖をたたく。

ひぃ!という小さな悲鳴のあと、ハル君?という問いが帰ってくる。

俺はそれに返事をし、部屋に入るのだった。


部屋の中央で膝を突き合わせ俺は話を切り出す。


「やっぱりあの鳥居が怪しいと思うんですよね」


「私もそう思う。 行ってみるしかないよね?」


二人の見解は一致していた。

あとは、勇気の問題だった。

俺たちは二の句を次ぐのを躊躇ってしまったのだ。

はっきり言って、こんな夢からはおさらばしたい。

だが、鳥居の先が外に繋がる確証などないのだ。

追い詰められて、あの深い闇に捕まるだけかもしれない。

二人して俯き時間だけが過ぎ去っていった。


「ハル君、私絶対あのバカに君へ謝らせるから」


唐突にAの姉が喋りだす。

俺は最初意味が解らず、へ?っと情けない声を出した。

そして少し考えて、彼女が帰る決心をしたのが分かった。

俺を連れて帰るという意思表示だ。

なさけない話だ。俺は未だに立つことすらできないでいる。


彼女は俺に手を伸ばすと、立ち上がらせてくれた。

俺にも迷いは消えた。

やってやる。そうだ。帰ってAに文句の一つでも言わないと気が済まない。

そうして俺たちは襖を大きく開いて、駆け出した。



俺たちが動き出すと、すぐにあの笑い声が聞こえてきた。

どうやら後ろから追ってきている。

その声は少しずつ近づいているが、遠いようだ。

中庭まで来て、後ろを振り向いても化け物の姿は見えなかった。

これなら鳥居の先までは俺たちが先にたどり着くだろう。

息が苦しい。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。

俺たちは帰る! 帰るんだ! ただ強くそう念じて鳥居をくぐった。

すると柱の陰からあの化け物が見えた。

おかめの面が鳥居を通る俺たちを確認すると、口が大きく開き更に大きな声で笑いだす。

その姿は口裂け女のようで、不気味さを増している。

やはりこの鳥居には何かある。その確信が強まった。


「はん! この化け物め! 俺たちの勝ちだ! この距離だ!」


俺は勝ちを確信すると前に向き直る。先を行くAの姉につづくと、先ほどまで見えなかった扉が外廊下の内側に見えた。

おそらくこの先だ。俺たちはその扉をぶつかりながら押し開ける勢いで激突した。


しかし、その扉は無情にも開くことがなかった。

俺たちは間抜けにも扉にぶつかり、尻もちをつく。

けたけたと嘲笑する笑い声が、茫然自失の心に響き渡った。


(間違っていた? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?)


絶望から、壊れたラジオのように同じ言葉が繰り返された。

涙でぐしゃぐしゃの視界の先にはあの黒い化け物が近づいてくる。

大きく開け放たれた口は、血の様に赤かった。

化け物は俺の前に止まる。黒い景色はだんだんと赤が大きくなっていった。


食われるんだな。ぼんやりと思った。

まただ。死を間際にするとすべてが他人事の様に感じられた。

そして最後に俺は、メッセージのことを思い出していた。

ほんとに先輩に従えれてればよかった。


「エリカ先輩……、ごめんなさい」


そうつぶやいた瞬間、世界に光が満ちた。

後ろの扉がぎぎぎと開く、音が聞こえたのだ。

光に怯え、あの化け物が逃げていく。

俺は空いた扉の先に先輩の姿が見えたことに安心し、扉の先に入っていく。


後ろを振り向くと、Aの姉はまだ腰を抜かしたままだった。

俺は少し逡巡する。

エリカ先輩の姿は消えていた。

ここに来る勇気をくれたのは彼女だ。見捨てるなんてできるわけがない。

そう思った瞬間に視界の端に駆け出す後ろ姿が見えた。

それはAだった。特徴的なツンツンヘアーが駆け出していた。

Aはすぐに姉を起き上がらせると、こちらに戻ってくる。

だが、扉は少しずつしまっていき、優しい光も小さくなっていった。

そして光が小さくなったことで、あの化け物もこちらにまた向かってくるのだった。

その速さは先ほどとは違い途轍もなく早い。

あと少し、もう少し、あと一歩、Aの姉はなんとか扉の中に入る。 しかしAは、化け物に追いつかれてしまう。

Aは転んで、扉の間になんとか腕だけを滑り込ませる。俺とAの姉は必死にその腕を引っ張るが、Aの片足はあの化け物にかみつかれている。

ずるずると俺たちは引っ張られる。

このままでは扉の先に出てしまう。


その時俺は先輩がよく使っていた呪文を思い出す。たしか……。


「ノウマクサンマンダ バザラダンカン!」


その呪文は素人の俺が言っても効果があったようだ。

急に化け物の口がAから離れる。

俺たちはAを扉の中に引っ張り込むと扉は勢いよく閉るのだった。


そして、俺たちは助かった余韻に浸ることもなく。

目を覚ました。


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