第3話 10

 キスほど甘く切ないものはない。二人にこれから何か重大なことが始まるという甘美な前奏曲である場合もあれば、それ以上は進めないという乗り越えられない絶望の壁のときもある。切ない甘さとほろ苦さの接点である。


 600人の女子と出会い、30人の娘とデートしたぼくは、そして10人と唇を重ねた。

男子校で過ごしたぼくは、まったく女子に縁のない真っ暗な10代を過ごしていた。大学に入り女子大との合コンなどにも参加したが、オクテなぼくはなかなか自分からアプローチできなかった。そもそも話もろくにできなかった。ずっとグラスを見つめるばかりで過ごしていた。大学二年になり、友人の誘いで与論島に渡ることになった。サンゴ礁の白い浜とエメラルドグリーンの海が美しい南国の小さな島だ。そしてナンパで有名な島でもあった。ぼくたちは、島の小さなディスコで東京から来たというちょっと背伸びしている女子高生たちに声を掛けた。ディスコが閉まると、夜の海岸で波をみつめながら、彼女の頬に唇をつけた。唇同士を合わせたのか記憶はない、ただ、ほっとした。女子との経験のまったくない、そしてその気配さえもないぼくにとっては、未知への大きな一歩だった。夜もふけ彼女たちの宿に押し掛けて、朝まで過ごした。恐る恐るTシャツのなかに手を差し入れ、、、初めて女子の乳房に触れた。ポパイやプレイボーイで妄想のなかで予習していたはずだが、心に余裕はなく頭はフリーズしていた。そして胸の次は、、、パンティにも手をかけたが、、、、高校生の彼女から「失格!!」という判決がくだされ、あえなく撤退した。


 与論島の経験に浮かれたぼくと悪友は、次の年の夏休みは沖縄に渡った。その帰りのフェリーで同じ年のOLと出会い、夜の海を見ながら語り合った。翌朝、神戸港にフェリーは着岸した。現実世界に引き戻され、急に恥ずかしくなり連絡先も聞けずにそのまま別れた。蒸し暑いアパートに戻ると、連絡先を聞く勇気がないことが悔やまれた。今まで出会った女子たちには共感できることが少なく距離が感じられたが、彼女には家庭環境に共通なものがあり、なにか波長が合うと感じていた。一週間彼女のことで頭がいっぱいのぼくは、どうしても彼女に会いたくて勤務先の近くまで押しかけた。電柱の影に身を隠していると、、、昼休みになってOLたちがビルからぞろぞろ出てきた。そして、彼女と目があった。心臓が止まりそうだった。真っ白な頭で突っ立っているぼくの方に、彼女はつかつかと近寄ってきた。Tシャツと短パン姿でオフィス街に現れたぼくに呆れながらも、彼女は喫茶店に連れて行ってくれた。そして連絡先を交換することができた。こうしてオクテなぼくは人生初めて女子と付き合うことになった。

 それから数ヶ月たち、ドライブに行ったり映画を観たりデートを重さねながらも、女性経験のないオクテで意気地なしのぼくは一線を超えることはできないでいた。キスさえもできなかった。勝負することで何かを失うことが怖かったのだろう。だが、いつまでも勝負を先延ばしにはできない。ある時意を決して彼女をラブホテルに誘った。ベッドに並んで腰掛けてそっと唇を合わせた。一度触れ合うと堰を切ったように何度もキスをした。やがてベッドに横になると、彼女は首を持ち上げてぼくの唇を求めてきた。ぼくも彼女も初めて同士だったから、純粋に激しく相手を求めあっていた。


 社会人2年目の春、多分ゴールデンウィーク、恋人のいないぼくは、暇つぶしに神戸の三宮まで自転車で走り、あてもなく街をぶらついていた。すると旅行中に友だちとはぐれたという女の子に出会った。ちょっと心細そうに一人でいる女の子が気になってぼくが声を掛けたんだと思う。ぶらぶらとぼくたちは神戸の街を歩いた。知らないもの同士の一瞬だけのデート。数時間たって彼女が帰る電車の時間になった。駅に向かう地下通路でぼくは彼女のおでこにお別れのキスをした。連絡先も聞かなかったし、また会おうとも言わなかった。彼女は「私のことを覚えていてね…」とぼくに告げた。今も覚えている。そういう彼女の記憶にぼくは在るのだろうか?


 20代のぼくは、何度か恋をして、またそれだけ失恋し、そして結婚し子どもにも恵まれた。30歳を前にして大学の卒業生名簿が発行された。そこにはかつての同級生のYさんの住所と電話番号が記載されていた。その同級生は色白で髪の長い美女であった。卒業後に何度か食事はしたものの、院に進学した彼女は何か気高い雰囲気があり、アホな男が付け入る隙がなかった。それでも、Yさんの名前を目にして、もう一度語り合いたいという思いが湧き出して、電話番号をコールした。ほぼ10年振りの電話に驚きながらも、彼女は淀屋橋のプチホテルのレストランで再会してくれた。そこで何を話ししたかは覚えていない。会社勤めをして6年で転職したこと、子どもが二人いることも伝えたと思う。彼女は大学院を出てから私立高校で教員をしているということだった。もう二人には接点はなかった。別れに堂島川の橋の上で、また会って欲しいとぼくは彼女に頼んだが、、、すぐに彼女からは拒否された。「面倒くさい関係にはなりたくない」と。もう会えないと思うと、彼女へのいとおしい気持ちが押し寄せてきて、思わず強引に唇を奪った。それでも彼女は別れのキスは拒否しなかった。それどころか、何度も唇を合わせた。「学生のときだったら、よかったのだけど、、、」と彼女はいった。うすくしっとりとした唇。もう会えないと思えば、悲しく切なさが込み上げた。そう、なぜ、10年前、学生のときにこうしなかったのだろう、、、川面に青いネオンがゆらゆらと揺らいた。


 40半ば、子どもは高校、大学に通い、家族という縛りから解かれたわたしは、失われていく自分の春をもう一度求めていた。新規事業で某金融機関の事務センターの業務を受託することになると自ら挙手して異動した。なぜなら事務センターは400人の在籍者の約8割が女子だからである。男子校から理工系大学に進んだわたしは、人生一度でよいから女子に囲まれてみたいという願望を捨てることができなかったのだ。

 わたしはひとまわり下、30代の女子社員に恋心をいだいた。女子だらけの職場においては、女子からの何かしらの誘惑が常に目の前にある。気の強い彼女は草食系のわたしを上から目線で接してきた。飲み会のときは、彼女は自分の隣の席を空け、ぼくを招き寄せた。挑発的でかつ吸い付くような肌をもった彼女の存在がいつもわたしの頭の中にあった。二人だけでの食事を何度か経るようになりながらも男女の関係は頑なに拒まれていた。ちょっとサディスティックな女と弱気の中年男の不思議な関係であった。彼女を攻略するために外堀を埋めるべく、大阪からディズニーランドまで車での小旅行を提案してみた。すると、あっさりそれには乗ってきた。当然、恋人同士としてディズニーを楽しむと思っていたが、彼女は手さえ繋ごうとしなかった。そしてホテルに宿泊するどころか、徹夜の運転での帰宅をわたしに指示してきた。想定外の展開ながら、やむなく夜の東名を西に走った。しかし、静岡を過ぎたあたりで睡魔に勝てず、パーキングでちょっと仮眠をとった。数十分の眠りのあと、わたしは後部座席に移動し、眠っている彼女の唇を奪った。気の強い彼女は腕では抵抗しながら、なぜかその唇はわたしを求めていた。抵抗されながらも求められるという混沌とした口づけだった。徹夜で意識朦朧としながら鮮烈な肌の感触。パーキングのオレンジの照明が刺激的だった。


 事務センター勤務時代、40を過ぎてはいたが、わたしにとっては人生最大のモテキであった。派遣女子から誕生日やバレンタインに手作り菓子を渡されたり、お弁当を作ってもらったり、、、男子校でまったく女気にない10代を過ごしたわたしにとっては、遅すぎた春の訪れ、まさに夢が実現したときだった。あるシングルマザーの派遣社員とはグループでよく飲みに行き、そのうち二人でも会うようになった。帰りの駅前でキスを迫ると腕を伸ばして明確に拒否された。「妻帯者のおもちゃにはならない!!」強くいわれ、調子に乗りすぎたことを恥じた。しかしながら、数日経ち、彼女の方からお誘いがかかり、彼女が店も予約してくれた。個室居酒屋の小さな空間。必然的に顔と顔の距離が近い。前回はっきり拒絶されたものの、帰り際に抱き寄せくちびるを合わせる。今度は拒否されなかった。彼女の脳裏にはその先があったのか、なかったのか、答え合わせはトライしなかった。「おもちゃにならない!!」という言葉に後ろめたさを払拭できていなかった。

 また40後半になりながらも年上女性とも危うい関係になった。彼女は酒量が多く、酔っ払うと「わたしハプニングバーにいったことあるよ。。。」などと衝撃発言をぶつけてくる尖った女であった。そして泥酔して前後不覚になると、駅前や繁華街でひとの目があっても、強引にキスをせがんでくる悪癖があった。懐事情の寒いわたしは、コンビニで酒とつまみを用意して川沿いのベンチや駅ビルのテラスで屋外飲みを楽しんでいたのだが、わたしたちは泥酔するとどちらともなくお互いの下着の中に手を入れるという、軽犯罪に問われるような行為にもエスカレートしていた。恋愛ではなく、刺激を味わうゲーム、、、酒でブレーキが壊れたときの女性の底なしの欲望を思い知った。ただ、彼女は自分の恋人に操をたて、わたしとそこから先にいくことはなかった。人前に痴態をさらしながらも貞操を守るという、決して理解でない女性心理だった。

 

 50を過ぎ、蝋燭が消える前の最期の炎、、、わたしは職場の女子に夢中であった。大きな瞳、白い肌、張り上がった胸、眩しく輝く存在だった。10年前事務センターに異動したとき、彼女はまだ20代でとても中年男が手だせる相手ではなかったし、若い彼女からみればわたしは恋愛対象ではなかった。それでも10年の時が過ぎ、彼女は30代になり、ピークを過ぎてしまった女の哀愁が忍ばれる雰囲気になり、少しづつ話をする機会が増えてきていた。仕事の愚痴を聴くという関係から徐々に距離を縮め、ふたりで会うようになっていった。中学から大学まで女子校で、女子だらけの事務センターに就職し、男と触れ合うことなくまだ恋愛経験のない彼女は、意外にもわたしの恋愛感情を受け入れた。仕事帰りの夜の公園でわたしは遠慮がちに彼女の頬に軽くキスをした。彼女は拒否しない。そして唇をあわせた。それから休日にもデートするようになり、帰りの高速の路肩に車を停め、肉付きのよい唇にキスをした。車を走らせようとすると、彼女はもう一度キスを求めた。やわらかく弾力のある唇。走り去るクリマのライトに照らされながら、ふたりはほほ笑みあった。

 10代の恋愛はストレートで心の底から沸き上がる熱情に突き動かされる。しかし、20代の恋愛には”結婚”という現実と打算がある。あるいは恋愛経験を重ねて駆け引きや虚栄とか、何かよこしまなものがある。30、40代は家庭や会社組織のなかで、ストレートに恋愛というものに向き合うことは許されない。しかし、50代になって人生を一周して何も失うものがない状況になって、わたしは10代のうぶな男子のような心持ちになっていた。女子校出身の彼女にとってわたしは初めての恋愛対象だった。まるで高校生のようにふたりは時を過ごした。仕事が終わると、皆が駅に向かう道と逆方向の裏路地で落ち合い、堀沿いの道を小一時間かけて歩く。人影がなくなると軽く指先をふれあう。3駅分歩いてやがて地下鉄の駅に着くと、わたしは彼女の後ろ姿を見送った。そしてまた翌日、会社で目の前の書類を片付ける。

 10代の恋愛と決定的に違うことは、この先何の未来もないことだ。彼女の人生を奪うことはできない。わたしは半年後に別れようと彼女に告げていた。砂時計の一粒一粒がいとおしく、音もなく流れ落ちていく。

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