第23話
そんな2人は入居者したばかりの俺に優しく話しかけてくれた。優しさに触れて嬉しくなる一方で。きっと誰かも、2人に会う事を望んだんだ。そう思うと、悲しくなった。
皆で過ごす時間はとても楽しくて、けれど楽しさを感じるほど胸が苦しくなった。彼らは、本当は、もう、この世界には。時間が過ぎれば過ぎるほど、その事実が重く響いた。ずっと一緒にいられるわけではないのだ。終わりが来てしまうのだ。もう、二度と会えなくなってしまうのだ。奈月だけでない、拓海さんだって鈴香さんだって、自ら命を絶つという道を選んだ。こんな素敵な人たちが、その道を選ばざるを得なかったのだ。そんな世界で俺は生きてて、そしてこれからも生きていかなればいけない。その事実が悲しくて悔しくて切なくて、どうにもできない自分にも腹が立った。
春なんて来なくていい、このまま時間が止まればいいのに。なんて馬鹿なことを考えて、涙がこぼれた。本格的に寒さが強まった12月。クリスマス当日の日に、心が、一瞬上手く制御出来なくなった。海へと向かう最中で、ああこの日に行かなければ少しでも未来が変わるのか、なんて。思ってしまった。
突然立ち止まってしまった俺を奈月が心配そうに見つめて、手をさすってくれる。やっぱり、やめよう。もう家に帰ろう。寒くて冷たい冬の海には近づかない方がいい。俺と一緒に、一緒に、なあ、奈月。
『未来を変えようとはしない事。』
口からこぼれる前に、雨野さんの言葉が頭の中で響いた。ああそうなんだ、そうだよな、分かってる。神様じゃないんだ、もう未来は決まってるんだ。変えられないんだ。必死に全てを振り切りたくて走った。奈月も真剣に追ってきて、前髪はボサボサで、思わず笑ってしまった。
『わたし、海に行きたいの。』
『うん、聞いた。』
『海に、要と、一緒に行きたいの。』
うん、知ってる。知ってるから、だからさ。
最後も、俺と一緒に行ってくれよ。
なんて思った。
海でプレゼントを渡した時、奈月と来年のクリスマスの話をした。
『約束だから、楽しみにしててね。』
そう言って彼女は小指を差し出して、一瞬思考が止まってしまった。指切りなんて、本来はしなかったはずだ。こんな事にも一抹の期待を抱いてしまう自分が馬鹿らしくて、でも、彼女の指を離したくなくて自然とそのまま手を繋いだ。
ただ楽しかっただけの毎日が、徐々に崩れていくのがわかった。時間が進み春が近づくにつれて、世界が揺らいでいく。矛盾が生じてくる。最初に世界を抜け出したのは、鈴香さんだった。
「・・・要くん。ちょっといい?」
鈴香さんに呼び出され、葛木荘の近くの公園のベンチに2人で座る。鈴香さんが話そうとしていることが何となくわかって、何も言えず鈴香さんの言葉を待った。
「昨日ね、ニュースを見たの。」
「・・・うん。」
「なんでかね、絶対に見なきゃいけない気がして。休みの日なのに目が冴えちゃってさ。珍しく早起きちゃった。」
ははっ、と笑った鈴香さん。そして、ゆっくりと息を吐きだして。
「ねえ、要くん。」
「・・・なに?」
「要くんはまだ、戦ってるのよね?」
なんとなく分かるわ、と鈴香さんは微笑む。
「私とも拓海さんとも。・・・奈月ちゃんとも違う感じがするもの。」
何も言えず俯く俺にの名前を、彼女はもう一度呼ぶ。
「私ね、後悔はしてないのよ。」
「・・・え?」
「彼女を助けたこと。」
彼女、というのは最初にターゲットにされていた同期の事を指すのだろう。
「後悔、してないの?」
「もちろん。」
「もしもう一度やり直すことが出来たとしても、私はきっと同じ事をするわ。」
そう言って笑った彼女の笑顔ががあまりに眩しくて。ああ。今井鈴香とはこういう人物なのだ。どこまでも優しく、どこまでも真っすぐで。
そしてまた思う。どうしてこんな素敵な人が。どうして。
「それにね、信じてほしいんだけど、もう死んでやる!!って気持ちだった訳じゃないのよ。そんなつもり本当になかったの。」
その日のことを思い出したのか、鈴香さんは苦笑いを浮かべた。
「むしろあんなヤツらのせいで死んでたまるかって思ってたのよ、ほんとに。
ただ、あの時よく眠れなくて毎日薬を飲んでたの。それを飲んだら、なんかすごく眠くなっちゃって。」
ああ、このまま目覚めなくて済むんだ。
「・・・なんて、ね、思っちゃったの。少しだけね。それだけ、ただそれだけなの、眠かったのよね〜ほんとに。」
穏やかな顔で、少し目を瞑って、彼女は宙を見上げた。光を、風を、体全体で感じているように見えた。
「ほら!メソメソしないでよ!いつもみたいに軽口叩いて笑いなさいよね? !」
そういった彼女は優しく笑って、俺の頭をぐりぐりと押す。
「っ・・・痛い!馬鹿力!怪力!」
「はいはい。うるさいのはこの口かしら?」
「痛たたた!!」
変な顔、と俺の頬を引っ張って鈴香さんは声を上げて笑った。つられて俺も笑ってしまう。・・・笑ってしまった、はずなのに。
「・・・要くん。」
笑いと一緒に、こぼれてきたのは涙。そんな俺を見て鈴香さんは困ったように微笑んで。
「大丈夫よ。要くんなら。」
「要くんに出会えて、よかった。」
拓海さんが世界の矛盾に気づいてしまうのにも、そう時間はかからなかった。その日は、たまたま葛木荘に俺と拓海さんしかいなかった。なんとなく、嫌な予感はしていたのだ。他愛のない話をして、テレビを見て笑って、面倒くさいといいながら2人でお皿を洗って。ストーブは付いているはずなのにやけに空気が冷たく感じて、不意の沈黙が長くて重かった。拓海さん、いいよもう、お願いだからさ、このまま。もう何も、言わないで。
「・・・なあ、要。」
俺の願いも虚しく、不意にテレビの電源を落とした拓海さんは俺の名前を呼ぶ。
「嫌だ。」
「要。」
「嫌だってば。」
「聞いてくれ」
「嫌だっつってんじゃん!何も聞きたくない!」
何やってんだろ俺。なに子供みたいなこと言ってんだろ。頭ではわかってるのに、心と体が言う事を聞かなくて。
「やだんだってもう・・・頼むからなんも言わないでくれよ。」
「・・・要。」
「ねえ、一緒にどっか遠いところに行こうよ。このままさ、海外でもどこへでもだって行けるよ。」
「行かないよ。」
「なんでだよ、いいじゃんこのまま。飛行機に飛び乗ろうよ。そしたら、そしたらさ!!」
「要。」
俺の名前を呼ぶ拓海さんの声があまりにも優しくて、我慢できずに涙がこぼれる。馬鹿みたいなことを言ってるのは分かってる、分かってるんだ。でも頭でわかっていても心と体が連動しない。
俯いてしまった俺に、ありがとな、と彼は笑う。
「泣くなって、男だろ。」
「・・・うるさい」
俺の頭をポンッと叩いてから、そのままガシガシと撫でる。
「・・・拓海さん、あのさ。」
「ん?」
「手紙が、残ってたんだ。」
誰の?とは聞かずとも分かったようで、拓海さんが息を飲んだのがわかった。
彼が命を経ってから数日後、亡くなってしまった男の子の母親がメディアに向けてある文章を公開した。それは男の子の遺書とは呼べないほど短い手紙で、拓海さんの死をきっかけに公開を決めたのだと、アナウンサーが読み上げていた。映し出された写真に、呼吸を忘れてしまった。
『お願いがあります。』
『先生が僕を守ろうとしてくれた事、絶対に忘れないから。だから先生も。』
『僕が先生の生徒だった事、忘れないでね。』
優しい字だった。綺麗とか、上手とか、そういう事じゃなくて。どんな気持ちでシャーペンを握ったのか、どんな気持ちでこの手紙を残したのか。誰かに対する恨みではなく、この言葉を残した。それを選んだ。そんな君が、どうして。
拓海さんが俯いた先に、ポツリ、と水滴が落ちる。その数は次第に多くなっていって、ゆっくりと机を濡らしていく。
「・・・ああ、抱きしめてやりてえけど、出来ないんだなあ。」
涙声の彼は、そう言って笑った。悔しさと、悲しさと、でもなによりも、優しさが溢れている笑顔。俺も涙が止まらなくなって、俯いたまま唇を噛み締めた。
不意に拓海さんは俺の頭をもう一度ポンッ、と叩く。
「・・・生きろよ。」
たった一言。その言葉はとても重くて。そこに彼の思いがどれだけ込められているのだろう。
俯いたまま何も言えず嗚咽をもらす俺に、拓海さんは優しく微笑んで、何度も頭を叩いた。
2人の言葉は重たくて苦しくて、どうしてこんなに素敵な人達が自ら命を絶たなければならなかったんだろう、そう思ったら胸が張り裂けそうなほど痛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます