第22話

後日行われたお葬式に、抜け殻のまま参加した。葬儀にはたくさんの人が参加し、そして皆、泣いていた。彼女は愛されていたのだ。うるせえ、そんなこと俺がいちばん知っている。

葬儀が終わってもなかなかその場から動けない俺に、後ろから声がかかる。


「・・・要くん。」


そこに立っていた千里の目は真っ赤だった。いつもの元気な姿からは想像できないほど、やつれていて。彼女は、私のせいだと泣いた。


「奈月が何か抱えてるって、なんとなく分かってたんだ。」


そう言ってボロボロと大粒の涙をこぼす。


「でも話してくれるまで待とうって。それまでは気づかないフリしてようって。奈月は、こんなに苦しんでたのに・・・っ・・・。」


彼女は最後まで言葉を紡ぐ事ができずに、そのままその場に座り込んだ。なにも言葉をかける事が出来なくて、座り込む彼女の背中をさする。

・・・千里はなにも悪くない。奈月は千里のことを本当に信頼していた。千里と出会ったから奈月は少し変わったのだ。笑顔も増えた。彼女に出会っていなかったら、奈月のあんなに楽しそうな笑顔は見れなかったかもしれない。家の事も、腕の事も、奈月は周りに知られるのをとても嫌がっていた。だから、千里は悪くない。千里のせいなはずがない。


・・・でも、でも俺は?奈月の家の事も知っていた、小さ頃からずっと一緒にいた、それなのに、結局奈月のために何もしてやれなかった。もっと出来る事があったんじゃないか、奈月が嫌がっても大人の力を借りるべきだったんじゃないか、俺が側にいる事で奈月の力になれるなんてただの思い上がりだったんじゃないか、俺のせいで、奈月は、俺の、せいで。そう考え始めると他の事は何も頭に入ってこない。すすり泣く千里の背中をさすりながら、しばらくその場に留まり続けた。


奈月がいない。その事実は、あまりにも重すぎた。




お葬式で見かけた奈月の父親は泣いていた。ボロボロと涙を流していて、意味がわからなかった。なんでお前が泣くんだよ、誰のせいで、こんな事に。


「・・・どういうつもりだよ。」


気づけば俺は、奈月の父親のもとへ向かっていた。彼の前に立って震える声を絞り出す。俺の声に気づいて顔を上げた彼は、俺の記憶の中の昔の姿とはかけ離れていた。全体的に細くなった体とこけた頬、肌は青白くて目に輝きはない。


「何やってんだよ。」


彼は少し驚いたように目を開いてから、首を傾げた。その目は真っ赤に腫れていた。


「・・・要くん?久しぶりだね、」

「そんな事どうでもいいんだよ。子供に手を上げるなんてしていいことじゃないだろ。」

「おいおい、急にどうしたんだい。」

「奈月から聞いてんだよ!!しらばっくれんなよ!」


思わず声を荒らげてしまった俺を、不思議そうに見つめる。


「確かに叩いてしまった事はあったが、何をそんな小さい頃の事を。あれは躾の一環だし、加減も当然していたよ。」

「そういう問題じゃないだろ!!」

「ちゃんと奈月のタメになってただろう。あんなにいい子に育ったのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ・・・。」


本気でそう思っている顔で、彼はそう言って再び顔を覆って泣き出した。言葉を失ってしまった。本気で言ってるんだこの人は、正しい躾だったと思ってるんだ。嗚咽を上げて膝をつく彼に俺はもう何も言うことが出来なかった。なんだそれ、なんだこれ。


目頭があつくなる。体が震えて、無意識に拳に力が入った。でもそれをどこにぶつければいいのかが分からない。呆然と奈月の父親を見つめながら、立ちすくむ事しか出来なかった。奈月がいなくなってから数週間経っても、学校へ行く気にはなれなかった。・・・駄目なのだ。家から出たら、外にあるもの全てが奈月を思い出す鍵になってしまう。ずっと一緒にいたんだ。奈月との思い出がそこら中に溢れていて、とても1人で進む事なんて出来やしない。


そんなある日の平日。何故だろう、それは本当にわからない。けれど突然外に出ようと思ったのだ。どこかに行かなければならない、と何かが俺を強く突き動かした。一枚上着を羽織って、玄関のドアを開ける。外の空気を吸うのはとても久しぶりで、眩しい太陽の光に目がクラクラした。


目的地も決めず、ふらふらと歩いて、たどり着いたそこは。


__ 路地裏に佇む、古ぼけた喫茶店だった。


お世辞にも綺麗とは言えない外見に何故かとても惹かれて、ドアに手をかける。入ってすぐ目についたのは古ぼけた鳩時計。壁にはモノクロの写真が貼られていて、周りの棚には壺や時計、様々なものが飾られていた。中にお客さんは一人もいない。カウンターの方に目を向ければ、そこにはここの店主と思われる仏頂面のおじさんが豆を挽いていた。その人は俺の存在に気づくと、手を止める。その目は真っ直ぐに、何も言えず立ち尽くす俺を射抜いた。


「・・・大事なものを失くしたのか。」

「っ・・・なんで・・・。」


突然の言葉に驚く。俺の方を見た彼は、まるで俺の全てを知っているかのように見えて。


「ここに来るのはそういう奴らばかりだよ。」


そう言ってふっ、と笑った店主は俺に椅子に座るよう促した。雨野、と名乗った店主はカウンター越しに俺と向き合って、そして、問う。


「・・・過去を変えることはできない。」


当たり前の事だ。そんな事分かってる。けれど実際口に出されると、胸が抉られたように痛んだ。


「・・・それでも。」


そこで雨野さんは一旦言葉を止める。


「それでも、会いたい人がいるのか。」


その質問に目頭が熱くなって俯く。体が震えて、胸が更に激しく痛んだ。


それでも、会いたいか。

俺は、俺は、彼女に、奈月に。


「・・・会いたい。」


そう、口にしたら涙が溢れた。無理だとしても会いたい。もう一度だけ、たった一度だけでいいから会いたい。彼女は俺を恨んでいるだろうか。何も出来ず、何も守れなかった俺を憎んでいるだろうか。分からない、分からないけど。

奈月に、会いたい。


震えた声でそういう俺に、雨野さんはゆっくりと頷いた。


「いいか、ルールがある。」

「ルール?」

「ああ。一つだけの簡単なルールだ。」


話を呑み込めていない俺の前で、雨野さんは人差し指を立てる。


一つだけの、とても重要なルール。


「未来を変えようとはしない事。」


雨野さんが言った言葉を自分でもう一度繰り返す。彼はまたゆっくりと頷いた。


「神様じゃねえんだ。もう未来は決まってる、絶対に変えられない。それはちゃんと理解しておけ。起こることを阻止しようとしたりするのは、禁忌だ。」


そこまで一気にまくし立てて、雨野さんは1度ため息をつく。ため息と一緒に、それでも、と続きを零した。


「それでも、それでも変えようと願ってしまうかもしれない。分かっていても、自分が制御出来ないかもしれない。でも、でもダメなんだ。」


あなたも、何か大切なものを失くしたんてすか。

そう聞きたくなるくらい彼の顔は切なかった。眉間によった皺には、痛くなるくらいの悲しさが見えた。


「・・・もしも、未来を変えようとしてしまったら?」


俺の質問に雨野さんは1度俯いてから、もう一度こっちを真っ直ぐに見つめる。


「そうだな、恐ろしいことが起きるかも知れねえなあ。」


そう言って口角を上げて、お前にはまだ早えよなあ、と独り言のように呟いた。何が、と問う前に急にひどい眠気が襲ってきて抗えず目を閉じる。完全に意識が飛ぶ前に「お前は後悔するなよ。」そう言って彼が笑った気がした。




目を開くと、俺が立っていたのは先程までいた喫茶店が裏に見える古い建物の前だった。さっきまでと同じような天気で、同じ場所で、でも、何か感じるものが違う。まじまじとその古びた建物を見れば、立てかけてある看板には、『葛木荘』と掠れた文字で書いてある。


「・・・ここにはお前と俺を含めて5人が住んでいる。」


不意に聞こえてきた声に驚いて隣を見れば、そこには先程と同じ格好をした雨野さんが立っていた。


「ここは家だよ、お前達の。」


そう言って彼は穏やかに微笑む。

・・・不思議なことばかりだ。なぜは俺はここにいるんだろう、さっきの喫茶店は何なんだろう、彼は何者なんだろう。少し考えてみるけど、そんな事わかるはずもなくて。でも、もうそんな事どうだっていい。不思議と焦りや戸惑いはなかった。ああ、奇跡が起こってるんだ、ただただそう思った。涙が溢れそうになるのを必死で堪える。


奈月がいなくなるちょうど1年前。1年前の春。その人をスタートに俺たちのカレンダーは進んでいった。葛木荘には、奈月以外に2人の人物がいた。会ったことも話したこともないのに、誰なのか一目みてすぐに誰か分かった。彼らを見たのは、暗いテレビの画面の中だ。


奈月が居なくなった日、同じ日に命を絶った人が2人いた。一緒に報道されていた。



「あら、新しい入居者?」


俺を見て、彼女は嬉しそうに笑う。少し話しただけでも彼女の人柄の良さはにじみ出ていて。それはテレビで流れていたあの写真と同じ笑顔だった。


__ 今井鈴香さん。


彼女は、正義感の強い女性だった。昔から誰かが誰かをいじめている事があればすぐに飛んでいって、ボコボコにされても決して屈しない。人一倍優しい女性だった。そう、画面の中でアナウンサーは語った。

そんな彼女は大学を卒業して無事会社に就職し、一見順風満帆な生活を送っているように見えた、が。女性が多数を占めるその会社の中では、新入社員への嫌がらせが常習化していたのだ。数十人いる新入社員の中で、ターゲットになったのは鈴香さんではなかった。幼い子供を1人で育てる、同期の1人だった。

子供が熱を出して、お迎えがあって、そう言って帰宅する彼女にこれみよがしに悪口を言う人ばかりだった。理不尽に怒られる彼女を見て、仕事を押し付けられる彼女を見て、困ったね、と苦笑いだけする人々。・・・けれど、鈴香さんだけは違った。見て見ぬふりをしなかった。

理不尽に怒鳴る上司を指摘し、仕事を押し付ける事に真っ向から意見を言い、彼女の業務を手伝った。しかしそれで収まることはなく、むしろ悪化していってしまう。徐々に鈴香さんにも仕事が押し付けられるようになった。勤務時間内に終わらないような量の仕事を押し付けられ、身に覚えのないことで怒られる。


『本当にっ・・・本当にいい子で・・・っ・・・。』


テレビの中で泣きながらそう語っていたのは、最初にターゲットにされていた鈴香さんの同期らしい。インタビューの中で、涙を流しながら鈴香さんの直前の様子を語る。悔しそうに、訴えかける。

鈴香さんは、それでもずっと笑っていたそうだ。理不尽な上司の攻撃に耐えながら、押し付けられた仕事も夜遅くまで残って全て片付け、毎日、笑っていたのだ。ごめん、私のせいで。同期がそう謝れば、何言ってんの、あなたは何も悪くないでしょ。そう言って明るく笑って。

亡くなるその日も普段と変わらない様子だった、と彼女は語った。いつも通り仕事をこなして、いつも通り笑って文句を飛ばして、この世を諦めたのだ。



「高校生?若えなあ。」


そう言って彼は初対面の俺の頭をぽんぽん、と叩く。嬉しそうに笑った顔はまるで子供のようだった。こんな先生が学校にいたら毎日楽しいだろうな、なんて思った。


__高島拓海さん。


学生時代の彼は学校もさぼりがちで、教師という道を選ぶなんて誰も予想していなかったそうだ。しかし教師になると決めた彼はそこから人一倍努力を重ねて夢を叶えた。教師になってから数年、拓海さんは初めて自分のクラスを持つ事になった。担任という立場になるのはとても不安だけど、それでもやっぱり嬉しい。そう、拓海さんは同僚に語ったそうだ。

しかし、事件が起きたのは6月。拓海さんのクラスで1人の男子生徒がいじめを受けている事が分かったのだ。それにいち早く気づいた拓海さんはいじめてる生徒に注意をし、いじめられている生徒とも何度も話を重ねた。しかし状況は改善しなかった。いじめているという意識が彼らにはなかったのだ。

学校側にも話をした。「いじめがある、生徒の親とも話した、しかし何も変わらない。学校全体の力が必要だ。」 と。授業を参観した上で、上のの返事はあまりに呑気だった。『じゃれあっているだけじゃないか。あまりいじめと騒ぎ立てるのも良くない。』経過観察、なんて結論を出された。

学校はあてにならないと思った拓海さんは自分の力で何とかしようと、色んな事を試みた。寝る間を惜しんで対策を考え、保護者を交え何度も話し合った。


『どんどんやつれていき、見ている方が心配になるくらいだった。』


インタビューの中で、そう彼の同僚は語った。拓海さんの必死な思いは、生徒には届かなかった。

数ヶ月後、いじめを受けていた男子生徒が自殺をした。ニュースにも大きく取り上げられ、そこで学校側が発したコメントは。


『担任教師がクラス状況を把握できていなかったため、いじめにも気がつく事が出来なかった。』


真っ赤な嘘だ。けれどそのコメントは真実として受け取られる。


拓海さんは絶望した。

責任を全て自分に押し付けようとする学校に、何もかも真実だと受け取ってしまう世間に、


そして。

大切な生徒を、守れなかった自分に。


拓海さんの自殺後、テレビでは自殺した男子生徒の母親が涙ながらに語っていた。


『先生はとてもいい人だったんです…っ…あの子も、高島先生の事が大好きで…、先生が担任でよかった。そう、いつも言っていました…』


世界は、なんて残酷なんだろう。

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