第20話
いないでほしい。
だってそうだ、この時間には誰もいるはずがないのだ。雨野さんは喫茶店で仕込みをしていて、要は学校に行っていて、拓海さんは学校で授業をしている。だから、この時間に葛木荘に人がいるはずない。・・・いるはずないのに。
「っ・・・なんで・・・。」
その人は、突然帰ってきた私に驚いて目を見開く。
なんで、はこっちの台詞だ。どうしてここにいるの。なんで。
「たくみ・・・さん・・・。」
拓海さんは大きなキャリーバックを持っていて、玄関の扉に手をかけていた。出て行こうとしているのは明らかだった。心の中はぐちゃぐちゃで、訳が分からなくて、しばらく視線だけが交わる。突然現れた私に硬い表情をしていた拓海さんは、一旦顔を伏せて。
突然、何かを諦めたように、笑った。
「・・・奈月。」
あまりにも優しい声で私を呼ぶから、堪え切れなくて涙がこぼれだす。そんな私に近づいた拓海さんは、泣いている私を見て困ったように笑う。
「奈月。」
彼はもう一度、私の名前を呼んで。
「お前の人生はお前だけのものだ。」
「っ・・・。」
「誰かのせいにするなよ、絶対。」
そう言って私の頭をポン、と叩いた。しゃくりあげる私に、彼は優しく笑う。
「・・・じゃあな。」
そう言って拓海さんは歩き出す。
待って。訳が分からない。どうして急に。そんなこと言われたって。ねえ。行かないで。言いたいことはたくさんあった。けれど声を出すことができなくて、追いかけようと思っても、地面に縫い付けられたように足は全く動かない。拓海さんは一度も振り返らなかった。
気づけば私は家の中で座り込んでいて、目の前には心配そうな要の顔があった。
「大丈夫?早退?」
何も答えない私の額に手を当てて、熱はないな、と独り言のように呟く。
「こんな所に座ってないで部屋で寝てろよ。」
そう言って要は私を立ち上がらせようとするけど、体に力が入らない。そこで異変に気付いたのか、要はどうした、と私に問う。
「・・・拓海さんが・・・出て行っちゃった。」
絞り出したその声に、要が息を飲むのが分かった。さっきの光景が思い出されて再び溢れてきてしまった涙で視界が歪んで、それ以上何も言葉にすることができない。俯いたまま嗚咽をもらす私を、要は静かに抱きしめた。そして、ゆっくりと口を開く。
「・・・俺は、ずっとここにいるよ。」
要の声は震えていた。その言葉にどうしようもなく安心して、さらに涙が溢れ出す。
「俺は、ずっと奈月と一緒にいるから。」
自分でも確かめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ要。そして、抱きしめる手に力を込めた。
・・・どうしてだろう。すぐ近くに感じる要の体温はとても暖かいのに。なぜかすごく、悲しくなった。
その夜から、私は熱を出した。
学校以外の時間は要が看病をしてくれ、お昼は雨野さんが世話を焼いてくれる。そのおかげであまり心細くはなかったが高熱は3日間も続いて、かなり苦しい思いをした。数日後には熱は下がったものの、少し長く学校を休んでしまった。そんな私の元に千里達もお見舞いに来てくれて、笑っていれば声がガラガラになってしまった。
__ 熱を出して寝ている間、私はずっと同じ夢を見ていた。
私が、初めてここに来た時の夢。不安な気持ちで葛木荘の入り口を覗く私に、どこかから声がかかる。その声に反応して振り向けば、そこに立っていたのは私と同い年くらの男の子だ。綺麗な顔に少し見惚れてしまったことを覚えている。
要はその日、とても驚いた顔をしていた。まるで幽霊にでも見たかのような、そんな表情。なんて言えばいいか分からず、しばらく見つめあった私たち。不意に彼は笑った。そして私に言ったのだ。
『____。』
・・・あれ。その言葉だけが、どうしても思い出せない。毎日同じ夢を見たのに、要が言った言葉だけはもやがかかったまんまだ。私を見て、驚いて、でもその後笑った彼は。私に何と言ったのだろう。
__ 春は、もうそこまで来ていた。
熱からも回復して、しばらくは落ち着いた日々が続いた。2人がいなくなった葛木荘はとても静かで。でもそれを誰も口には出さなかった。いや、出せなかったのかもしれない。
「奈月、今日委員会で遅くなるから先帰ってて。」
「分かった。」
わざわざ教室にまで言いに来てくれた要に手を振って、教室を出る。葛木荘に着いて、ふと、雨野さんの喫茶店に行ってみようと思い立った。葛木荘の古びた階段を進んで、裏口から外へ出れば、そこにはもう雨野さんのお店がある。路地裏に溶け込む喫茶店はとてもおしゃれとは言えないが、なにか不思議な雰囲気があった。
「・・・雨野さん?」
ガラガラ、とドアを開ければ、鼻をくすぐるコーヒーのいい香り。既に閉店時間のため中にお客さんはいなかった。入ってすぐ目についたのは古ぼけた鳩時計。壁にはモノクロの写真が貼られていて、周りの棚には壺や時計、様々なものが飾られていた。一見ただ古い物を集めたようにも見えるが、なにか不思議な魅力を感じる。まるで、ここだけ時が止まってるみたいだ。
「・・・ここに来るなんて珍しい。」
「すみません、お邪魔でしたか?」
店の奥から現れた雨野さんは、私の言葉にゆっくりと首を振る。そして私にカウンター席に座るように促すと、コーヒーを一杯淹れてくれた。ミルクと角砂糖も出してくれて、スプーンでくるくるとかき混ぜながらコーヒーを啜る。特に会話することなく過ぎていく時間はとても心地よかった。不意に、机の端っこに立て掛けてある写真に目が止まる。
「・・・それ、雨野さん?」
写真はかなり前のものだろうか。まだ若い雨野さんが今と変わらない仏頂面で写っていてその側には綺麗な女の人、そしてまだ5歳くらいだろうか、小さい男の子が写っていた。
「ああ。」
私の質問に短くそう答える雨野さん。・・・奥さんと息子さんだろうか。そう言えば私、雨野さんの事なにも知らないなあ。それ以上人の事情に首を突っ込むのも躊躇われて、じっと写真を見つめる。女の人は、とても優しく笑っていた。男の子は少し緊張した面持ちをしていて、写真を撮る事はあまりなかったのかな、なんて思った。
しばらくして、写真を見ながら思いを巡らせていた私を雨野さんがじっと見つめていることに気がつく。
「どうかしましたか?」
そう尋ねると、雨野さんはゆっくりと口開いた。
「・・・人には人の人生があるんだ。」
ちらっと写真に目を移した雨野さんは、それから真っ直ぐ私を見て。
「その人生はその人にしか作れない。」
雨野さんの言葉には重みがあった。・・・そして、どこか悲しかった。なぜか少し泣きそうになって俯いた私に、雨野さんは表情を緩める。
「だから、その人の人生が幸せだったかなんて、本人にしか分からないんだよな。」
さっき写真を見たときの雨野さんは、一瞬だけだけれど、とても悲しい目をしていた。彼にはきっと昔、なにかがあったんだろう。私を見て、雨野さんは泣きたくなるほど優しく笑う。
「人生の価値を決めるのは周りじゃない。・・・奈月、お前自身だ。」
その言葉は、すっと胸に染み込んだ。
「~~~~・・・。」
壇上でマイクを使って話すのは音楽の先生。体育館の中はとても寒いのに、制服着用ででひざ掛けも禁止だ。そのためほとんどの生徒が疲れ切った顔をしていた。卒業式が迫った3月上旬。今日は卒業式の予行練習が行われていた。かじかむ手に息を吹きかけながら、もうすぐ卒業を迎える3年生に目を向ける。
・・・卒業、か。大学進学なのか、就職なのか、それともそれ以外の道なのか。ほとんどの先輩がもう既に決めているのだろう。進路かあ。私は全然、決まる気がしない。
「旅行行こうよ!本格的に受験生になる前に!」
「お、いいねえ。」
1時間ほど寒さに耐え教室に戻ってきた私と千里は、教室で旅行会社のパンフレットを広げていた。
「美味しいもの食べれるところがいいよね。」
そう言って笑う千里に頷いて、曇っている窓の外を見つめる。
「・・・つき!奈月!!」
「・・・・・・ごめん、ぼーっとしてた。」
最近あんた気抜けすぎじゃない?そう言って千里は私の頭を笑って小突く。
「旅行って結構お金かかるよね。」
「ね、泊まりだとかかっちゃうよね。あー、お母さんにおねだりしなきゃなあ。」
「そう、だね。」
千里の言葉に何故か一瞬思考が止まる。そうか、私もお母さんにお小遣いを貰わなきゃ。あれ、でも私、お小遣いなんて貰ったことあったっけ、ていうか、あれ。
「奈月のパパママに会ってみたいなあ。写真とかないの?」
ふああ、と欠伸をしながら千里がそう私に問う。写真ね、写真。ちょっとまってね。
「ねね、奈月はどっち似なの?」
私の返事を待つ前に千里が質問を重ねるから呆れて笑ってしまった。笑ったつもりだったのに。私の頬は引き攣っていた。
胸のざわざわが大きくなって、得体の知れない気持ち悪さが身体中を蝕んでいる。胸が音を立ててなりはじめる。息が、苦しい。
気持ち悪い、きもちわるい。
呼吸が難しくなってきて、徐々に意識が遠のいていくのが分かる。
「・・・奈月!?」
私の異変に気付いたのだろう。視界の隅に焦った千里の顔が映る。
「奈月!!大丈夫!?」
千里の叫び声に周りから人が集まってくる、誰かが先生を呼ぶ声も聞こえる、しかし私の意識はそれ以上持たなかった。
・・・落ちていく意識の中で浮かんで来たのは、暗い部屋に座り込む私だった。まだ幼い私はが膝を抱えて座り込んでいる。辺りはもう暗くなり始めているのに、部屋の隅で電気も付けずに、小さな手をきつく握りしめていた。
目を覚ますと、飛び込んで来たのは白い天井だった。まだ少し重たい体をゆっくりと起こす。横を見れば薄いピンク色のカーテンが引いてあって、ここが保健室だということを認識する。少しの物音も聞こえないから、今先生はいないのだろう。
「・・・大丈夫?」
ガラッと保健室のドアが開く音がして、すぐにカーテンが開かれる。顔を上げれば入って来たのは要で、心配そうにベットの横の椅子へと腰掛けた。時計をみれば1時間ほど眠っていたようで、先ほどよりも頭はすっきりとしているし、吐き気もない。ただ、残っていたのは恐ろしいほどの虚無感だった。
「千里が体調悪いの気づけなくてごめん、って謝ってた。」
要の言葉に俯く。心配性の千里のことだ、私が倒れたことに責任を感じてしまっているに違いない。申し訳なさで胸が締め付けられた。
・・・要はそのまま何も話さなかった。きっと、私が何かを言い出すのを待っていたんだろう。
「・・・要。」
しばらくの沈黙の後、口を開く。自分のものとは思えないほど掠れた声がこぼれた。
「さっきね。」
そこまで言って再び黙り込んでしまう。そこから中々言葉が続けられない私を、要はずっと待っていてくれた。うるさい心臓を落ち着けて、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「・・・思い出せなかったの。」
声がどうしようもなく震えてしまって、必死に歯を食いしばった。
「・・・私、お母さんとお父さんの顔が思い出せない。」
私の言葉に、要が息を呑むのが分かった。
さっき千里に聞かれて、両親の顔を思い浮かべようとした。けれど、何も出てこなかった。本当に何も出てこなかったのだ。私の記憶の中には何もない。家族の記憶が、全くないのだ。・・・そんなはずはないだろう。だって一緒に暮らしていたはずだ。海外に行くまでは3人で暮らしていたはずなんだ。
あれ、でも、待って。2人は何の仕事をしていたんだっけ、どうして海外に行くことになったんだっけ、一度も連絡がないのはなんでだっけ、私元々どこでどうやって生活していたんだっけ。
どうして、私にあなた達の記憶がないの?
「っ・・・!」
「奈月!!やめろ!!」
混乱する思考に、頭の中で再びガンガン大きな音が鳴り始める。そんな私の思考回路を遮断するように、要は大声をだして私の腕を強く引っ張った。
「・・・大丈夫だよ。」
そう言って要は私の肩をさする。要の大声が、悲鳴に聞こえた。
「考えんなよ、大丈夫だから。」
その手も、声も、震えていた。苦しいほど、震えていた。
・・・大丈夫だと、そう言うのなら。
「・・・要。」
どうしてあなたはそんなに泣きそうな顔をしているの。
必死に笑おうとする要の顔を直視できなくて、それ以上何も言えずに俯く。・・・いや、言わなかった、の方が正しいのかもしれない。私が、今、何かを一つでも追求すれば。全てが崩れてしまうことが、分かっていた。
春が来た。
もう何年続けたか分からないほど【いつも通り】私は朝早く起きて、そして、皆の朝ごはんを作る。これは、私の日常だ。
3人分のご飯を作り終えた私は。なんとなく、テレビをつけた。流れてきたのは朝のニュース番組で、今人気のアナウンサーが神妙な顔でニュースを告げる。
【自殺者急増中】
画面に大きく出ているのはその言葉。カラフルに彩られた画面には、3つの事件が映し出されていた。
【上司のパワハラが若い命を奪う!】
一つ目、テレビ一面を使って映し出されたテロップ。ふと私は鈴香さんが見ていたニュースを思い出した。・・・そういえば、画面にこんな事が書いてあったっけ。
「大手企業で発覚したパワハラ問題。奪われたのは新入社員の女性の命でした。事件が発覚したのは先週・・・。」
どこかで聞いたことあるような文章をアナウンサーは淡々と読み上げる。
「被害者は・・・」
パッ、と画面が変わって、映し出されたのは眩しいほどの笑顔でピースを作っている女の人だった。
いつも早起きしても台所で寝ちゃうし、
彼氏の話するとすぐ怒るし、
拓海さんとは喧嘩してばっかりだし。
・・・でも。何度彼女のその笑顔に励まされた事だろう。
「…
不思議と怖さはなかった。バラバラになったパズルのピースがはまっていく、そんな感覚で。
【学校いじめ隠蔽。担任耐えられず !】
また画面が移り変わって、2つ目のテロップが表示される。映し出された中学校の写真は、何度も見たことがあった。
「冬頃にいじめを苦に自殺した中学生。学校側は担任がいじめの事実を認識していなかったと会見していましたが、その担任が自ら命を絶ってしまった事で新たな事実が・・・」
映し出された写真。その写真にうつる男の人は、目を細めて眩しそうに笑っていた。
・・・教師になった理由を語っていた時もこんな表情をしていたなあ、なんてぼんやりと思い出した。
「
口は悪いし、
いつも人をからかってばっかだし、
でも、いつも誰よりも皆の事を考えていた。
ひときしり私をからかった後に、彼はいつも優しく笑う。そんな笑顔が大好きだった。
3つ目のテロップが映る。
【女子高生、しつけと言う名の家庭内暴力!】
「先日海で発見された女子高生の悲しすぎる家庭内の実情が明らかになってきました。幼い頃父親から暴力で支配されていたという彼女は・・・」
そう伝えるアナウンサーの顔があまりにも硬いから、思わず笑ってしまいそうになった。ああ、そういう事だったのか。これから何が画面に映るのか、だいたい予想はつく。
不思議と、怖くはなかった。画面が移り変わって、正面に映し出されたのは。
「
紛れも無い、私の顔だった。
パズルの最後の一欠片が、ぱちん、とはまる。それを感じた途端急に襲ってきた眠気。その眠気に任せて目を閉じれば、また夢を見た。風邪をひいたときに毎日見ていた、葛木荘に初めて来た時の夢。そうだ、私を見て驚いた顔をした要は、不意に笑って。
__ああ、そうだ。やっと思い出せた。
『・・・奈月、久しぶり。』
泣きそうな笑顔で、そう呟いたんだっけなあ。
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