第19話
「打ち上げしませんか!」
放課後の教室。唐突にそんなことを言い出した神谷くんが手に持っていたのは4枚のチケットだった。
「植物園?」
「そう。姉ちゃんからもらったの。」
またもや神谷お姉さま!ご厚意に大感謝である。チケットを見れば温室植物園、の文字が見えた。へえ、そんなのあるんだ。ストーブを焚いていても寒さを感じる今の季節だが、どうやら「熱帯の植物」をテーマに温室の中で夏の花を見る事が出来るらしい。
「テストも終わったし楽しい事しようよ。」
「いいね!大賛成!」
神谷くんの言葉に千里も手を挙げて、私も要も大きく頷く。植物園なんて行った事はあるだろうか。いや、きっとない。初めての事に胸が高鳴って、小さくチケットを胸に当てる。
「そんなのやってるんだね。」
「期間限定らしいよ。場所も少し遠いけど、電車で行けそう。」
「へえ、旅行見たい!」
楽しみだねえ、と千里が笑うから大きく頷く。場所もここから3駅と、少しだけ遠出だ。みんなで電車に乗ってお出かけをするというのも新鮮で嬉しいなあ。教室を出て少し歩きながら、当日の集合時間を決める。校内でも吐く息が白くて、それを見るだけでさらに寒さが増す気がした。
「わ~、あったかい。」
「そりゃそうでしょ。」
温室だもん、と当然のように言う要。いや当然なんだけど。当然なんだけどもさ、言い方ってものがあるよね??私のジトッとした視線に気づいたのか気づいていないのか、あ、ソフトクリーム売ってる、なんて言って売店を指さす。・・・いや絶対気づいてるな。気づいている上でソフトクリームなんかで機嫌が直ると思われているな。私は小学生か。
「チョコレート!!!」
「はいはい。」
私の言葉に要はふっと笑って、売店の方へと歩いていく。もちろん食べますとも、ええ。売店の近くのベンチに腰かけて、植物を眺めながらソフトクリームを食べる。千里と神谷くんはどんどん奥へと進んでいってしまい、気付けば別行動になってしまった。
チケットをもらった植物園は、想像以上に大きい所だった。大きな施設の中に併設されていて、ビニールで覆われた入り口をくぐれば、その中は別世界だった。暖かくて、緑色の植物がたくさんで、今が真冬だなんて信じられないくらいだ。不思議な感覚に胸が高鳴る。
「ねえなにこれ。」
「ハチの絵。」
「なんでハチ?ていうかこれほんとにハチ?」
先にアイスを食べ終わった要は、暇なのか植物園のチケットに落書きを始めていた。そういえば要の絵ってあんまりたことなかったけど…うーん、独創的。
「奈月のにも書いてあげるよ。」
「あー、いや、大丈夫、うん、遠慮しとく。」
そう返事をする前に要は既にペンを走らせていた。じゃあ聞くな。
ヘンテコなハチの絵が追加されたチケットを握りしめて、再び園の中を散歩する。
歩いているとじんわり汗をかくぐらい暖かくて、どこを見ても今まで見たことのない植物ばかりだ。途中途中小さな池や水槽もあって、中にはこれまた見たことの無い魚たちが泳いでいた。・・・なんだか違う国に来たみたいだ。
「あ、図鑑あるよ。」
「ほんとだ。」
途中で要が植物図鑑を見つけて、2人で立ち止まる。
植物の名前と、特徴と、そして。
「へえ、花言葉も書いてある。」
そこには熱帯の植物の事だけではなく、花言葉が書いてあるページもあった。興味が沸いて図鑑を覗き込む。サネカヅラ、シクラメン、ジャスミン・・・。へえ、ジャスミンにも花言葉あるんだ。知らなかった。五十音順のページをペラペラとめくっていくと、見たことのある赤い花のページで手が止まる。
・・・リコリス。
「って、彼岸花のことなんだよね?」
「正確には違うみたいだけどね。俺も詳しくはしらないな。」
写真に写る真っ赤な彼岸花。やはりその花には不吉なイメージがあった。しかし文章を読めば、その花言葉は不吉なものだけではなくて。
「色によって違うんだ。」
要も驚いたように声を上げる。その言葉に私も頷いて、書いてある文字を追う。
【赤・・・情熱、悲しい思い出、あきらめ、再会
白・・・また会う日を楽しみに、思うはあなた一人
黄色・・・追走、深い思いやりの心、悲しい思い出】
書かれている花言葉は、私が知らないものばっかりだった。不吉なイメージしかなかったのが、一転する。要がどこの文字を追っていたのかは分からない。分からないけど。
「・・・綺麗だね。」
図鑑に目を落としたままの要は、呟くようにそう言う。私も頷いて、しばらく2人で写真を眺めた。『思うのはあなた一人』なんて。こんな素敵な花言葉もあるんだなあ。
植物園を出た後は、皆でラーメンを食べに行った。テストも無事終わり、植物園にも行けて、何よりもちゃんとみんなで進級できることが嬉しくて。一日中顔がゆるんでしまっていたのか、大丈夫?と頭の心配をされてしまった。これでしばらくは安心だ、何も心配する事はない。そう、思っていたのだけれど。
そんな嬉しさは、一瞬にして吹き飛んでしまった。
それは何事もなく過ぎていたある日の事だった。
「鈴香が、葛木荘から出て行った。」
「え・・・?」
・・・鈴香さんが、いなくなったのだ。
いつもと同じように学校から帰宅すれば、そこにはなぜか雨野さんと拓海さんがいた。どうしたんですか、と尋ねれば雨野さんの口から出たのは衝撃の一言だった。
一瞬時が止まる。あまりの衝撃に思考回路が停止して、何も考えることができなかった。だって私、何も聞いてない。昨日も普通に夕飯を食べて、おやすみなさいを言って、朝だっていつも通りの鈴香さんだった。
「・・・なんで。」
震えた声でそう問う拓海さんに、雨野さんが目を伏せて答える。
「遠くで暮らしていた祖母が体調をくずしてしまったらしい。」
だから介護が必要になった、そう雨野さんは続けたけれど、そんな事は頭に入ってこなかった。嘘でしょう。だって今朝だって、いってきます、そう言って彼女は笑ったのに。雨野さんはいつから知っていたのだろう。鈴香さんはなんで何も教えてくれなかったのだろう。どうして、どうして。不意に血の味を感じて、自分が血が滲むほど唇を強く噛み締めていたことに気づく。とても悲しくて、何も教えてもらえなかった事が悔しくて、こぼれそうになる涙を必死で堪える。
知らなかったのは、私だけだったのかな。ふとそんな事を考えて拓海さんを見れば、俯いたままのその肩は震えていた。・・・私同様、何も聞かされていなかったんだろう。じゃあ、要は。そう思って彼の方をむけば。
「っ・・・!」
彼の顔は、真っ青だった。
私と同じように唇を強く噛み締めて、一点をじっと見つめている。その表情は何と形容すればいいのだろう。鈴香さんと一緒に暮らせなくなってしまったことを悲しんでいる、そんなレベルではなくて。まるで、もう鈴香さんに会うことが二度と叶わないかのような、そんな表情だった。
「なーんか、雨降りそうだね。」
「ねー・・・。」
鈴香さんがいなくなってから数週間。葛木荘での生活は変わらないが、やはり前よりも静かだ。不意に鈴香さんの顔を思い浮かべると、泣きそうになることがある。
「あ、そうだ。私そろそスマホ変えるんだ。」
少し悲しい気持ちに陥っていたら、教室の窓の外を眺めていた千里が私にそう声をかける。
「そうなの?」
「そう、壊れちゃって。だから電話番号もう一回教えてよ。」
分かった、と千里に返事をした後、不意にどうしてだろうとある疑問が沸き起こった。それは、スマホから鈴香さんの連絡先が一切消えていた事。もともと知らなかったのか、それとも間違えで消えてしまったのか。それは全く覚えていなくて。でも勝手に消えるなんて事は普通に考えて有り得ないだろう。きっと最初から交換していなかったんだ。・・・毎日葛木荘に帰れば会えるから。そう、安心していたんだろうなあ。そう自分の中で結論を出して、千里の方へ向き直る。
「私、なんで鈴香さんに連絡先聞いとかなかったのかなあ。」
は?と千里は私の言葉に眉をひそめた。馬鹿だね、なんで聞いとかないの。そんな事を言われるんだろう。
そう、予想していたのに。
「鈴香さんって誰?」
「・・・え?」
千里の口からこぼれたのは、そんな疑問だった。思わず動きを止める。
「ちょっと、何言ってるの・・・?」
自分の声が震えているのが分かる。
「それはこっちの台詞だよ。・・・奈月の知り合い?」
千里はふざけていなかった。素直な性格の彼女は、嘘がつけない。こんな本当に不思議そうな顔をして、嘘をつけるはずがないのだ。
「冗談やめてよ・・・。」
絞り出した私の言葉に、千里は本当に分からない、というように首をかしげた。千里が鈴香さんを知らない訳がない。鈴香さんの話をした事は何回もあるし、直接会った事だってある。鈴香さんがいなくなってしまってからも、何度も泣いている私を慰めてくれたのは千里だ。
・・・どういう事?俯いたまま固まってしまった私を心配して、千里が私の肩を揺する。何か言っているようだけどなにも耳に入ってこなくて。・・・けれど急に。
「そういえば、中学校の話聞いた?」
その言葉が、やけに鮮明に耳に入ってきた。それを話しているのは千里ではない、近くに座っていた、2人のクラスメイトだ。
「中学校って、ここから一番近い所の?」
「そう、駅の近くの。」
拓海さんが働いている学校も駅の方だっけ。彼女達の話している声だけはやけに鮮明に聞こえてくる。
「あそこ、いじめがあったらしいよ。」
「えー、なにそれ怖。どこ情報?」
「弟の友達情報。」
半笑いで話す2人とは対照的に、私の鼓動は激しさを増す。
「それで、いじめられてた子がさ、この前 __。」
ガタンッ
急に大きな音がなって、教室中の話し声が止む。だれかが勢いよく立ち上がったのだ。その人物に視線が集まって、教室は少しの間沈黙に包まれる。
「ちょっと!奈月!どうしたの!?」
椅子を強く引いて立ち上がったのは、他の誰でもない私だった。
戸惑ったような千里の声と、私に集まっているのが分かる多くの視線。けど今はそんなものどうでもよくて。
「奈月!?」
机にかけてあった鞄を掴んで教室を飛び出した。後ろから千里が私の名前を呼ぶけど、振り返らずに走り続ける。・・・帰らなきゃ。なぜか強くそう思った。理由なんて自分でもよく分からない。けれどどうしても今帰らなきゃならない気がして、まっすぐ、葛木荘へと走った。
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